智を開く

本当の「生きる力」を求めて…

「生きる力」

2009-04-01 13:43:07 | 受験・教育全般
つい先日、ある女医さんとお話する機会がありました。

「最近、鬱病になる若い医者が多いんですよ。
なぜだと思います?
みんな医者になって初めて『こんなハズじゃなかった!』と思うんです。
医師不足で忙しく最初の何年間かは休みもろくに取れないし、給料だって思っていたほど高くない。
最近は患者と医者との訴訟問題も増えてきていて、将来も不安…
しかも、もともと自分からなりたくて医者になったんじゃない。
親の期待に添いたいから、医者になっただけのこと。
今まで挫折という挫折も味わわないで、学生時代はずーっとエリートで来ているものだから、一旦落ち込むとなかなか這い上がれない。
結局、ストレスがたまって鬱になってしまうんです。」

こういう話を聞くと、本当にタメ息が出てしまいます。


さて、話は変わって…
開智
私は、この「言葉」がなぜか、大好きです
何となくアカデミックな「イメージ」も、「カ・イ・チ」という言葉の持つ「音」「響き」も、好きです

そもそも「智」とは、どういう意味なのか…

「智」
頭の働き。理解し判断する力。知恵。
さとり。
物事をよく知り、わきまえている。賢い。さとい。
知恵がある人。賢い人。
はかりごと。謀略。

辞書によると、「知」とほぼ同義の部分はあるけれど、上記のように単なる「知識」とは異なるようです。
「知」がIQなら、「智」はEQに近い。
まさしく「生きる力」なのではないかしら

では、智を「開く」とは、一体どういうことでしょう

「開眼」(かいげん、真理を悟る)という言葉があるように、元来は仏教由来の「悟りをひらく」という意味ではあると思います。
でも、仏教の教義は奥が深すぎて凡人の私には今1つつかめない

そこで、私なりに「開く」を解釈してみると、つまり…
一旦獲得したものを、充分に咀嚼・反芻・消化し、再びアウトプットする。
その「過程」を「開く」と言うのではないか、と思います。
「アウトプット」とは、何というか…
才能を開花させたり、自己実現を果たしたり、社会貢献したり…といったようなこと。

すなわち「智を開く」とは…
「知識」を得、それによって物事を充分理解し、わきまえ、判断し、それを「生きる力」として身につけ、自己実現と同時に社会貢献を果たす。
そういうことなのではないかと、私なりに解釈しています。

私の勝手な解釈なのですが、鬱病になってしまった若い医師たちは、「智」を身につけ「開く」ことが、残念ながらできなかったのかな、と思います。



「体験」「思考」させず「知識」ばかりを詰め込む、誤った「早期詰め込み教育」
子どもの成長の一過程として「受験」を捉えられていない、本来の目的を見失った「教育ママ」
保護者たちの危機意識をあおり、高額な入会金や授業料を要求する「お受験産業」
「小学校受験」には、まだまだマイナスイメージがつきまとっています。

しかし「小学校受験」で問われるのは、「生きる力」=「智」につながる様々な力の「原型」
小学校側が求めているのは、知識ばかりの「頭でっかち」な子ではなく、未来への「伸びシロ」を感じさせる、「生きる力」を持った子なのです。

「人の話を注意深く最後まで聞く力」
「話の内容を正しく理解する力」
「筋道を立てて論理的に考える力」
「指や道具などを上手に使える手先の器用さ」
「基本的な運動能力や挑戦意欲」
「集団の中で協調性をもって行動できる力」
「自分の考えを相手にわかりやすく的確に伝えるコミュニケーション力」

だから「小学校受験」のための勉強は、決して「合格」するためだけの勉強ではないのです。
私はいつもそういうスタンスで指導しています。

さあ
智よ開け



コメント
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