去る10月中旬、全国一斉に封切られた「一命」、その映画を観てきたので、当方のブログにもその感想などを掲載したところである。それから遡ること49年前に製作されている「切腹」が、先日NHKBSシネマにおいて放映されていた。
原作は滝口康彦氏の「異聞浪人記」が下敷きになっている作品。先般の「一命」は、社会派の小林正樹監督の「切腹」のリメイク版とも云える。ただ、本筋は同じでも「一命」の方は、当然のことながら脚本により部分的に新たな要素などが取り入れられており、それぞれ見比べると面白いものである。
基本的な筋立ては、関ヶ原で武功を掲げた外様大名の福島(正則)家の御家取り潰しが原因で浪々の身となった家臣の苦悩を描いている。その苦悩の相手方に徳川譜代(家康の家来になった当時は外様、江戸時代になって譜代の筆頭格)の家臣である井伊(直政)家を持ち出している・・・関ヶ原では井伊の赤備(甲冑・旗差物など)として有名。この映画の頃の井伊家は、藩主が2代直孝。
落ちぶれた家とこの世の春の家、この両家の対比の中で武士社会の虚構を浮き立たせている。
関ヶ原の戦において、福島正則が先鋒を務めるようになっていたが、井伊直政がその先鋒を奪う形で武功を掲げる・・・本来であれば、抜け駆けで総大将の家康に罰せられるところ、許されている。このことは、秀吉の子飼いであった福島正則をこの関ヶ原において、家康(徳川方)が大いに利用しながらも軽んじていることにも起因しているのだろう。
福島正則については、池波正太郎著「忍びの女(上)(下)」において、詳細に描かれている・・・これは面白い。
この映画「切腹」あるいは「一命」において、「徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑」とも謳われる井伊直政の井伊家を元豊臣家臣であるが故に難癖をつけて取り潰された福島家・家臣の武士が訪れるとの舞台設定。
飛ぶ鳥を落とす勢いの勝者と今を生きるすべをなくした敗者との対比により、武士社会の矛盾と虚構を観客に見せようとする物語に仕立て上げられている。
片や徳川譜代の大名、片や豊臣恩顧の大名の悲喜交々(ひきこもごも)
武士社会の虚構の象徴として、井伊家「赤備」の甲冑がデーンと登場しているが、「切腹」の方は白黒映画のため分かりづらい。一方の「一命」では井伊家の武士道を象徴する“朱”が色濃く漂っており、武士社会の虚構を端的に表している。
御家取り潰しにより浪々の身となった津雲半四郎が、徳川譜代の大名屋敷・井伊家を訪れて「屋敷の庭先を借りて切腹したい」と申し出ることから物語が始まる。
そして、半四郎が井伊家家老・斎藤勘解由に話したことは、驚愕の内容であった。そして、「徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑」とも謳われる井伊家の家臣も上辺だけの武士であると諭し、その象徴である「赤備」の甲冑を引き倒すなど、武士社会の虚構を暴露するような言動と行動を起こす主人公・半四郎・・・これを観ていると、正に現代社会に対する矛盾を追及する左派勢力の動向にも通ずるところが垣間見える。
娘婿・千々岩求女の残虐な切腹シーンを赤裸々に描いている双方の作品、この映画「切腹」が封切られた当時、今までに見たことのない時代劇の残虐性に観客も思わず顔をそむけるなど話題になっていた・・・と、当時少年であった当方も聞き及んでいる。
敢えてこの残酷なシーン、竹光で切腹などあり得ないようなシーンを挿入することで、武士社会の矛盾や虚構、残虐性を訴えるものであろう・・・原作者の意図するところである。
権力者が弱者を痛める出来事をこの切腹シーンを借りて表現し、日本の歴史への問いかけとして描かれているのかも知れない。1960年から70年代の「日米帝国主義者打倒」という思想にも繋がるものであろう・・・。
これらのことは別にして、最近ではキチンとした時代劇も数少ないが、この映画「切腹」の頃は、個性派の時代劇役者さんも多数いて、映画の中に登場する若かりし頃の役者さんを見出してうれしくなってきた。時代考証もしっかりとしており、そういう面からすると見ごたえのある映画であった。
勿論、「一命」で描かれた時代劇の方もしっかりと地についており秀逸の一遍ではある。
これら2本の映画を見比べながら、時代劇が廃れているこの時代、年に数本でいいからこれぞ時代劇という作品が封切られることを・・・切に願っている。
一人の古い、時代劇ファンとして・・・(夫)
[追 記]~あらすじ~
1630年(寛永7年)5月13日。一人の食い詰めた老浪人が井伊家の屋敷を訪ねた。浪人の名は、津雲半四郎。半四郎は井伊家の家老である斎藤勘解由に、仕官先もままならず、生活も苦しくなったので屋敷の庭先を借りて切腹したいという申し出であった。
これは、当時食い詰めた浪人のたかりであった。勘解由は、先日も同じような事を申し出て若い浪人が訪ねてきて屋敷の庭先で切腹したのを思い出した。
さっそく切腹の準備にとりかかるが、切腹する直前、半四郎は介錯人として沢潟、矢崎、川辺の3名を指名する。しかし、指名された3人は奇怪なことに全員病欠であった。それを聞いた半四郎の口から語られたのは、恐るべき衝撃的な真実であった。
それは、いかに武家の社会やそれを重んじる精神が暴虐極まりない上辺だけを取り繕った、見せかけのものにすぎないか、というものだった…。
参考資料:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、「一命」公式HP他
にほんブログ村
原作は滝口康彦氏の「異聞浪人記」が下敷きになっている作品。先般の「一命」は、社会派の小林正樹監督の「切腹」のリメイク版とも云える。ただ、本筋は同じでも「一命」の方は、当然のことながら脚本により部分的に新たな要素などが取り入れられており、それぞれ見比べると面白いものである。
基本的な筋立ては、関ヶ原で武功を掲げた外様大名の福島(正則)家の御家取り潰しが原因で浪々の身となった家臣の苦悩を描いている。その苦悩の相手方に徳川譜代(家康の家来になった当時は外様、江戸時代になって譜代の筆頭格)の家臣である井伊(直政)家を持ち出している・・・関ヶ原では井伊の赤備(甲冑・旗差物など)として有名。この映画の頃の井伊家は、藩主が2代直孝。
落ちぶれた家とこの世の春の家、この両家の対比の中で武士社会の虚構を浮き立たせている。
関ヶ原の戦において、福島正則が先鋒を務めるようになっていたが、井伊直政がその先鋒を奪う形で武功を掲げる・・・本来であれば、抜け駆けで総大将の家康に罰せられるところ、許されている。このことは、秀吉の子飼いであった福島正則をこの関ヶ原において、家康(徳川方)が大いに利用しながらも軽んじていることにも起因しているのだろう。
福島正則については、池波正太郎著「忍びの女(上)(下)」において、詳細に描かれている・・・これは面白い。
この映画「切腹」あるいは「一命」において、「徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑」とも謳われる井伊直政の井伊家を元豊臣家臣であるが故に難癖をつけて取り潰された福島家・家臣の武士が訪れるとの舞台設定。
飛ぶ鳥を落とす勢いの勝者と今を生きるすべをなくした敗者との対比により、武士社会の矛盾と虚構を観客に見せようとする物語に仕立て上げられている。
片や徳川譜代の大名、片や豊臣恩顧の大名の悲喜交々(ひきこもごも)
武士社会の虚構の象徴として、井伊家「赤備」の甲冑がデーンと登場しているが、「切腹」の方は白黒映画のため分かりづらい。一方の「一命」では井伊家の武士道を象徴する“朱”が色濃く漂っており、武士社会の虚構を端的に表している。
御家取り潰しにより浪々の身となった津雲半四郎が、徳川譜代の大名屋敷・井伊家を訪れて「屋敷の庭先を借りて切腹したい」と申し出ることから物語が始まる。
そして、半四郎が井伊家家老・斎藤勘解由に話したことは、驚愕の内容であった。そして、「徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑」とも謳われる井伊家の家臣も上辺だけの武士であると諭し、その象徴である「赤備」の甲冑を引き倒すなど、武士社会の虚構を暴露するような言動と行動を起こす主人公・半四郎・・・これを観ていると、正に現代社会に対する矛盾を追及する左派勢力の動向にも通ずるところが垣間見える。
娘婿・千々岩求女の残虐な切腹シーンを赤裸々に描いている双方の作品、この映画「切腹」が封切られた当時、今までに見たことのない時代劇の残虐性に観客も思わず顔をそむけるなど話題になっていた・・・と、当時少年であった当方も聞き及んでいる。
敢えてこの残酷なシーン、竹光で切腹などあり得ないようなシーンを挿入することで、武士社会の矛盾や虚構、残虐性を訴えるものであろう・・・原作者の意図するところである。
権力者が弱者を痛める出来事をこの切腹シーンを借りて表現し、日本の歴史への問いかけとして描かれているのかも知れない。1960年から70年代の「日米帝国主義者打倒」という思想にも繋がるものであろう・・・。
これらのことは別にして、最近ではキチンとした時代劇も数少ないが、この映画「切腹」の頃は、個性派の時代劇役者さんも多数いて、映画の中に登場する若かりし頃の役者さんを見出してうれしくなってきた。時代考証もしっかりとしており、そういう面からすると見ごたえのある映画であった。
勿論、「一命」で描かれた時代劇の方もしっかりと地についており秀逸の一遍ではある。
これら2本の映画を見比べながら、時代劇が廃れているこの時代、年に数本でいいからこれぞ時代劇という作品が封切られることを・・・切に願っている。
一人の古い、時代劇ファンとして・・・(夫)
[追 記]~あらすじ~
1630年(寛永7年)5月13日。一人の食い詰めた老浪人が井伊家の屋敷を訪ねた。浪人の名は、津雲半四郎。半四郎は井伊家の家老である斎藤勘解由に、仕官先もままならず、生活も苦しくなったので屋敷の庭先を借りて切腹したいという申し出であった。
これは、当時食い詰めた浪人のたかりであった。勘解由は、先日も同じような事を申し出て若い浪人が訪ねてきて屋敷の庭先で切腹したのを思い出した。
さっそく切腹の準備にとりかかるが、切腹する直前、半四郎は介錯人として沢潟、矢崎、川辺の3名を指名する。しかし、指名された3人は奇怪なことに全員病欠であった。それを聞いた半四郎の口から語られたのは、恐るべき衝撃的な真実であった。
それは、いかに武家の社会やそれを重んじる精神が暴虐極まりない上辺だけを取り繕った、見せかけのものにすぎないか、というものだった…。
参考資料:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、「一命」公式HP他
にほんブログ村