昨夜、NHKの歴史秘話ヒストリアは、先週の「新島八重 不屈の会津魂」に続いて、幕末の会津藩が舞台となっていた。すなわち、大河ドラマ「八重の桜」がスタートしたことで、幕末の悲運、朝敵とされた会津藩に焦点があてられていた。
何としても大河ドラマを成功させたいとの制作者側、その熱き気持ちが伝わってくる・・・と、いっても過言ではない。
徳川幕府に忠誠を誓い、幕府を最後まで守るとの強い意志を持っていた会津藩、徳川幕府が大政奉還をなしたことで・・・260年以上続いた徳川幕府も終焉を迎えた。
幕府とともに新政府軍に恭順の意を表した会津藩であるが、京の都で煮え湯を飲まされた長州藩は、会津をせん滅するつもりであったとか・・・。となると、強引に朝敵にされたのだろうな
新政府軍と戦うために会津藩主松平容保は、部隊を再編制したとのこと。その中で、15歳から17歳の藩士の子弟で構成され予備兵力として作られたのが白虎隊とのこと・・・将来の会津藩を支える少年兵。
実戦部隊は、朱雀隊(18~35歳)、青龍隊(36~49歳)とのこと。さらに高齢の玄武隊(50~56歳)なども組織化されていたらしい。
白虎隊は、銃火器の扱いをあの新島(山本)八重に教わり、そのほか新選組の副長土方歳三からもいろいろと戦闘に関して学んだとか。
ちなみに、白虎隊の構成は、次のようになっていた。
「士中一番隊 49名、二番隊 42名、寄合一番隊 106名、二番隊 67名、足軽隊 79名 ・・・から成り、合計343名である」
会津戦争の情勢が悪化し、遂に白虎隊の士中二番隊に出陣命令が下り、最後は戸ノ口原(戸ノ口原の戦い)で決定的打撃を受けて、隊がバラバラになった。その中の19名が飯盛山の高台にたどり着いたが、眼下に見える会津の市中が炎に包まれている情景を見て、敗戦したと思いお互いに胸を刺し合うなどして・・・自刃。
会津藩の「什の掟」を守っていた少年兵たちは、悲運の死を遂げることとなった。その士中二番隊の中で生き残った酒井峰治は、何とか会津城まで辿りついて、新島八重などと共に最後まで戦って・・・1ヶ月後、新政府軍に降伏。
その隊士・酒井峰治は81歳まで生きて、昭和7年に亡くなったらしい。その後、平成5年に酒井峰治が、明治時代に白虎隊の動向について書き記していた書面が発見されたとのこと。
この歴史的価値ある資料により、白虎隊のことがより詳細に判明したと・・・放送されており瞠目した。
我が家では、20年くらい前に子供たちと東北旅行をした際、会津若松城や白虎隊の少年兵にまつわる展示会館などを訪れた。その時、少年兵が着ていた余りにも小さな衣類、さらに携行していた武器類などを見た。そして、飯盛山における自刃の模様などを眺めて、涙したことが思い起こされた。
昨夜の白虎隊の逸話などを胸に刻み、これから展開される大河ドラマ「八重の桜」を1年間・・・じっくりと観てゆきたいと改めて思った。(咲・夫)
[追 記]~あらまし~
幕末、悲運の会津藩の中でも有名な「白虎隊」-15歳から17歳の藩士子弟で結成された少年部隊です。この少年たちに銃の操作を教えたのは新島八重。そして、新選組・土方歳三も深い関わりが。
白虎隊士19人自刃の悲劇と、平成に発見された隊士の手記から明らかになった生還劇をお送りします。
参考資料:NHK公式HP、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』他
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何としても大河ドラマを成功させたいとの制作者側、その熱き気持ちが伝わってくる・・・と、いっても過言ではない。
徳川幕府に忠誠を誓い、幕府を最後まで守るとの強い意志を持っていた会津藩、徳川幕府が大政奉還をなしたことで・・・260年以上続いた徳川幕府も終焉を迎えた。
幕府とともに新政府軍に恭順の意を表した会津藩であるが、京の都で煮え湯を飲まされた長州藩は、会津をせん滅するつもりであったとか・・・。となると、強引に朝敵にされたのだろうな
新政府軍と戦うために会津藩主松平容保は、部隊を再編制したとのこと。その中で、15歳から17歳の藩士の子弟で構成され予備兵力として作られたのが白虎隊とのこと・・・将来の会津藩を支える少年兵。
実戦部隊は、朱雀隊(18~35歳)、青龍隊(36~49歳)とのこと。さらに高齢の玄武隊(50~56歳)なども組織化されていたらしい。
白虎隊は、銃火器の扱いをあの新島(山本)八重に教わり、そのほか新選組の副長土方歳三からもいろいろと戦闘に関して学んだとか。
ちなみに、白虎隊の構成は、次のようになっていた。
「士中一番隊 49名、二番隊 42名、寄合一番隊 106名、二番隊 67名、足軽隊 79名 ・・・から成り、合計343名である」
会津戦争の情勢が悪化し、遂に白虎隊の士中二番隊に出陣命令が下り、最後は戸ノ口原(戸ノ口原の戦い)で決定的打撃を受けて、隊がバラバラになった。その中の19名が飯盛山の高台にたどり着いたが、眼下に見える会津の市中が炎に包まれている情景を見て、敗戦したと思いお互いに胸を刺し合うなどして・・・自刃。
会津藩の「什の掟」を守っていた少年兵たちは、悲運の死を遂げることとなった。その士中二番隊の中で生き残った酒井峰治は、何とか会津城まで辿りついて、新島八重などと共に最後まで戦って・・・1ヶ月後、新政府軍に降伏。
その隊士・酒井峰治は81歳まで生きて、昭和7年に亡くなったらしい。その後、平成5年に酒井峰治が、明治時代に白虎隊の動向について書き記していた書面が発見されたとのこと。
この歴史的価値ある資料により、白虎隊のことがより詳細に判明したと・・・放送されており瞠目した。
我が家では、20年くらい前に子供たちと東北旅行をした際、会津若松城や白虎隊の少年兵にまつわる展示会館などを訪れた。その時、少年兵が着ていた余りにも小さな衣類、さらに携行していた武器類などを見た。そして、飯盛山における自刃の模様などを眺めて、涙したことが思い起こされた。
昨夜の白虎隊の逸話などを胸に刻み、これから展開される大河ドラマ「八重の桜」を1年間・・・じっくりと観てゆきたいと改めて思った。(咲・夫)
[追 記]~あらまし~
幕末、悲運の会津藩の中でも有名な「白虎隊」-15歳から17歳の藩士子弟で結成された少年部隊です。この少年たちに銃の操作を教えたのは新島八重。そして、新選組・土方歳三も深い関わりが。
白虎隊士19人自刃の悲劇と、平成に発見された隊士の手記から明らかになった生還劇をお送りします。
参考資料:NHK公式HP、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』他
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「八重の桜」も今後が楽しみです。
貴ブログには、時々寄せてもらっていますが、ブログを始めて約1年、私の「目標とするブログ」の一つで、大変感心すると共にいろいろと勉強させてもらっております。
また立ち寄らせて下さい。
毎日のネタ探しに汲々としながらも、とにかく気に入ったこと、思いついたことを各媒体を参考に何とか書き続けています。
最近では、大きな旅行ができなくて、年金生活者とは厳しいものと思いつつも、日々を楽しんでおります。
ドラマ「とんび」に関して、1年前NHK版を2度にわたりアップしていましたら、先日の訪問者860人・・・連日、これくらい見ていただければ嬉しいですが、難しいものです。
本日は、夕方から競馬の話でも・・・。(笑)