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12日(土)、待望の新作の時代劇「顔」をワクワクしながら見入った。
主演は八代将軍吉宗「暴れん坊将軍」を長い間演じていた松平健さん。
総髪の主人公の浪人・木村十蔵を迫真の演技で演じており、見ごたえも十分だった。
原作は、大好きな池波正太郎先生の短編「顔」。
当然のことながら、この短編も実に面白く、池波文学タップリだった。
ユニークなタイトルの「顔」。
それは、生きるための様々な苦悩を重ねた顔、幸せと喜びに満ちた顔、あるいは誰にでもある表の顔と裏の顔。
この小説なり、ドラマにおける「顔」とは・・・。
また、池波小説の神髄といえば、次のフレーズも大きく作用している。
「人間というやつ、遊びながらはたらく生きものさ。善事をおこないつつ、知らぬうちに悪事をやってのける。悪事をはたらきつつ、知らず識らず善事をたのしむ。これが人間だわさ」(鬼平犯科帳より)
今回の時代劇、主人公の生業(なりわい)は、所帯持ちの剣術指南の剣客であるが、その裏の顔は、金で人を殺める仕掛人でもある。
木村十蔵(松平健)に仕掛けの仕事を依頼するのは、香具師の元締め・暗闇坂の久五郎(火野正平)という男だった。
小説では、池波小説の江戸の闇社会を描く際に登場する「音羽の半右衛門」であるが、ドラマでは暗闇坂の久五郎となっている。
ドラマでは、なぜ香具師の元締めの名前を替えてあるのか、不思議に思っていたらドラマの後段でよく分かった。
木村十蔵(松平健)の仕掛けをする相手は、次のようなものだった。
「殺す相手は、あくまでも、
[悪の世界]
に住む者であることが、十蔵の[殺し]を請け負うときの条件であった」(短編「顔」より)
今回の仕掛けの相手は、仏具屋のあるじ・八幡屋和助(石黒賢)だった。
ところが、趣味の絵画を通して仕掛けの相手を偶然知り合った十蔵(松平健)は、益々気乗りがしないと思うようになった。
ところが、一旦手付金を受け取ったなら、断ることができないのがこの世界の掟。
苦悩の末、クライマックスとなる場面で八幡屋和助(石黒賢)と斬り結び、和助(石黒賢)を仕留めるのだった。
小説では、十蔵も深手を負うが、ドラマではそうではなかった。
ドラマにおける仕掛の相手の和助は、極悪人とされていた男ではなくて、盗人の3か条を頑なに守り通す盗賊だった。
そのため、義憤に駆られた十蔵(松平健)は、和助(石黒賢)の始末を頼んだ子分・鬼首の勘兵衛(冨塚規政)を殺め、さらに・・・。
十蔵(松平健)は、この仕掛けを最後に江戸出て、家族と平穏に暮らすことを願っていた。
そして、5年後、京都の外れに畑を耕しながら、夢を実現する日々の十蔵(松平健)とその家族がいた。
ある時、十蔵(松平健)は畑地にて発作を起こし密かに亡くなる。
傍らには、幼い娘と娘が描いた十蔵(松平健)の「顔」があった。
つまり、ドラマでは・・・なぜ、タイトルが顔なのか定かではない。
一方、小説の方では深手を負って自宅に帰り、妻のお沢に医者を呼ぶなと釘をさし傷の手当をさせていた。
床に伏しながら、妻に手鏡を持たせて自画像を描き終えた十蔵が、漏らす言葉にこの物語のタイトル「顔」が鮮明に浮き出てくる。
「しかし、よい顔になった。よい目つきにもどった。二十何年も忘れていた、おれの顔が、また、戻ってきたよ」
「あなた。おやすみなさいまし」
「ねむい、疲れた・・・」(短編「顔」より)
死が間際に迫った十蔵は、裏家業の仕掛人としての厳しい顔がすっかり消えて、剣術指南役としての表家業の顔と家族との平穏な暮らしを望む顔になったと言いたかったのであろう。
この大事な締めの部分が、ドラマの中では描ききれていなかったことが、いささか残念だった。
でも、本格時代劇の新作として、とてもいいものだと思った。(夫)
(出典:時代劇専門チャンネル 公式HP 抜粋)
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続々とお楽しみが増えてますね
真田丸もあと僅かで終わって・・・
今度は直虎とか(^O^)
史実的には?なので、その分、楽しみかな(*^^)v
クライマックスですね。
堺雅人幸村も・・・らしくなりました。(笑)
来年の「おんな城主 直虎」も、面白そうですよ。
家康の家臣で四天王の一人井伊直政を育てる養母の話ですね。
楽しみです。