咲とその夫

 思いもよらず認知症になった「咲」の介護、その合間にグラウンド・ゴルフを。
 週末にはちょこっと競馬も。
 

短編「獅子の眠り」・・・

2012-02-10 18:02:18 | レビュー
 「そちも恐いのか? わが亡き後に、やってくるものが・・・」

 「・・・・・・」

 「よし。大いに恐れを噛みしめよ。恐れなき勇気はない。恐れなき愛もないのじゃ。勇気をふるいおこせ、正左衛門。わしは今まで、真田の家の土には懸命に水をあたえ、肥料もまいてきておる。これが後になって物を言うてくれねば、それまでのことではないか。な、そうであろう」

 「は・・・・」

 と、真田の家を守るために隠居の信之が最後の大仕事を成し遂げ、後を託す重臣・大熊正左衛門に話した一節である。かの重臣は、急死した藩主真田信政の遺子・右衛門佐(うえもんのすけ)2歳の後見人となる人物である。

 またしても、池波正太郎小説(当方は文学と思っている)の一遍、「獅子の眠り」を読み終えた。新潮文庫「黒幕」に収められている11編のなかの1編である。真田信之が隠居している頃、信州松代藩主・真田信政の急死による跡目相続に幕府から策略を張り巡らされたことに、命を賭して対抗し真田家の跡継ぎを決定づける展開へと・・・・。

 一件落着と共に“獅子は眠り”についた・・・享年93歳

 信州松代藩真田家の2代藩主信政の急死による跡目相続を題材にした池波小説の得意とするところの真田物である。今回の小説「黒幕」には、11編中に真田を題材にしたものが4編収納されている。
 その中でも、この信之を主人公にした「獅子の眠り」は、家督を譲り隠居の身で家名も安泰と思っていたが、老骨にムチ打って再び表に出なければならなくなった名将真田信之最後の大仕事である。

 時の老中酒井雅楽頭忠清(さかい うたのかみただきよ)が、妹婿の真田信利(真田の分家・沼田城主)を第3代松代藩主に据えようと画策し、そうなった暁には、真田の30万両といわれる財力を利用し、信利の力添えで老中の地位をさらに巨大なものに・・・と、考えていた。

 勿論、分家・沼田城の家来たちも信利が3代藩主になれば、本家となることから信利を応援し、幕府からのお墨付きをもらうよういろいろと画策する。

 ところが、初代松代藩主で隠居の身である信之が、かくしゃくとして表舞台に現れ、同じ孫である信利は虚飾享楽に溺れやすいと見抜いて、本家にいる当年2歳の孫・右衛門佐を跡継ぎにしたいと願っていた。

 分家と本家、そこに幕府が暗躍するなどの暗闘が繰り広げられる。読者を虜にする池波文学の独特の筆致、思わぬ展開、公儀隠密の上をいく痛快な信之・・・・。

 老中酒井忠清も最後には、獅子である戦国最後の武将・信之の知恵には勝てず、遂に右衛門佐を3代目藩主と認めざるを得なくなった。

 冒頭の信之と重臣・正左衛門との会話は、後見人であった信之が病に伏して、後を頼むとの話の一節である。今後も真田家を良しと思っていない幕府に一切のスキを与えないよう、家名を守ってもらいたいとのことであろう。

 この真田騒動以後、幕府も真田家には介入しなかったらしく、信之の願っていたとおり、松代藩主である真田家は、明治維新までの長きにわたり家名が継いでいった・・・。

 これは、正に真田を起こした真田幸隆、昌幸、信之へと繋がったもので、関ヶ原、大坂の陣では、父・昌幸、弟・幸村と袂を別かった信之が、徳川家康こそが平穏な武家社会を築くであろうと見てとった先見の明であったのだろう。

 勿論、父である昌幸あったればこそ、あの戦国の群雄割拠の世の中で生き残ることができたのであり、真田物の面白さがここらあたりにある・・・。

 池波正太郎氏もこの「獅子の眠り」は昭和36年3月に執筆されたとのこと、真田物は、昭和31年の「恩田木工」が最初らしいが、いろいろな短編から、あの真田物の集大成とも思われる大長編「真田太平記」が昭和49年に誕生し、その後、昭和57年までの8年間をかけて執筆されたとのこと・・・。

 真田を題材にした小説は、どの一遍をとっても格別に面白く、時間が過ぎゆくことも忘れさせてくれる。(夫)



にほんブログ村 シニア日記ブログ 団塊の世代へにほんブログ村


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。