紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

蟻の兵隊 記憶篇

2006-09-09 17:43:21 | おでかけ
 土曜日の休日にもかかわらず、「ひとりで」京都に映画を観に行った。念願のドキュメンタリー映画『蟻の兵隊』を観るためだ。

  京都シネマのスタッフの方が、「京都での巡回では、この映画に英字の字幕が入りますので、もしお知り合いの外国の方がいらっしゃいましたら、ぜひ観ていただきたいと思います。外国のお知り合いがいらっしゃいましたら、どうぞ誘ってあげてください」と前口上を述べられる。

 この映画のことは8月5日のブログでも少し触れたが、「日本軍山西省残留問題」の真相を解明しようと孤軍奮闘する奥村和一さんが、国がこれに関与していた証拠を探すべく、撮影スタッフと共に中国に赴くドキュメンタリーである。

 国を相手取った裁判では、どんなに証拠を並べても無視され棄却される。原告団の奥村さんを含む元軍人たちは、80歳をとうに越え、すでにお亡くなりになった方もいらしゃる。この老人達の裁判にかける執念が、静かで淡々として、でも粘り強くあきらめることはない。証拠を提出しても無視されるような裁判?なので、全く勝ち目のない絶望的な裁判なのに。

 彼らはすでに軍事恩給や償いが欲しいのではなく、自らの立ち位置から国にノーを言い続けているように見えた。怒りや悔しさを持ちつつも、そんな感情を過剰に溢れさすことはなく。本当の自分の姿を、死ぬまでには認められたいという一念。すでに死んで行った、あるいはもう動く事の出来ない心正しい上官の無念をはらしたい一念で。

 奥村和一さんは、自分が昔いた中国の「場所」に向かう。初年兵の軍人教育の総仕上げの「肝試し」と称し、初めて人を殺した場所へ。すでに戦争は終わっているのに、軍の司令官に知らない間に中国共産党軍と戦うための国民党軍の傭兵にされ、なのに「日本軍」として命がけで戦った場所へ。そうとは知らなかった戦友が「天皇陛下、万歳!」と叫びながら戦死した場所へ。

 奥村さんは、実に素直に今現在の自分の気持を口にする。初めての寝台車に興味津々だったり、初めて人を殺した場所に近づいたのに「なんだかとても懐かしい気持です」と少年のような笑顔でうれしそうにつぶやいたり。そんな多面的なカットも、とても効果的だった。

 若かったときを過ごした地を訪ねる旅は、しかしほとんど今まで忘れ去っていた加害者としての奥村さんの記憶までも呼び覚まして行く。
そして共に裁判を戦う上官の「鬼」の所行を記した記録までも見いだしてしまう。奥村さんは、その記録の写しを、帰国後本人にみせる。すっかり自分の記憶から抹消されていた「鬼」だった自分を、彼はふたたび思い出してしまうのだ。
 私にとっては、この場面は、この映画の圧巻だった。
 彼は静かに絶望の目をするが、決して甦った記憶から逃げなかった。「鬼」の自分と向き合っていた。「いままでまったく忘れていたけれど。そんなことも、たしかにあった」と。

 奥村さんが最後の生き証人としておいかける元軍人の方は、最後まで「記憶にない」といいはった。どんなに説得しても、ついに彼から話を聞けなかった奥村さんは「あの人は、私よりはるかに沢山の地獄を見て来ましたから」と遠い目をしていらっしゃった。

 靖国神社で先の戦争を正当化する講演をおこなう小野田さんと、彼を丁寧な口調で問いつめる奥村さんを比べると、どちらに品格があるかは明白だ。奥村さんを睨み、皮肉な捨て台詞を投げつける小野田さんの表情が、ちらと画面に映る。この対比は、私にとっては映画の中のもう一つの圧巻だった。

 映画の冒頭では、靖国神社に(ただ一番近い神社だから、という理由で)初詣にきていた若い女性達と奥村さんのショットが入る。奥村さんは「靖国神社」の意味を知らない女の子を責めたりはしない。(「知らない」という女の子に「そうなの? 学校で習わなかったの?」と、ちょっと苦笑いはしていたけど) 製作スタッフが奥村さんのことを「このおじいちゃんはね、すごい人なんです」と女の子達に紹介し説明すると、彼女らの感性が鋭敏に反応するのがとても頼もしい気がした。

 「なかったものとされている記憶」、逆に「作り替えられ美化されている記憶」の対岸に、奥村さんの記憶と気概と品格が輝いていた。