紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

盲腸の思い出

2006-09-25 23:35:54 | ノンジャンル
 高校に入学してすぐに盲腸になった。それも、ゴールデンウイーク直前というたいへんアンラッキーな時期だった。

 まだ特定の友達もいず、授業は始まったばかりで、勉強はやる気満々。分厚い参考書兼問題集を買って来て、真面目に学問に励む1ヶ月だったのに、なんでこんなに不運なのかと運命を呪ったかもしれない。憶えてないけど。

 電車通学だったので、階段を上がる時に横腹にしくしくと痛みを感じたのが最初だった。それ以外はとりたてて不都合はなかったので、その日は学校に行き、家に帰ると経験者の父が「盲腸かも」といいだしたが、とりあえず翌日も学校に行き、駅で父親に拾ってもらい総合病院に行った。

 診察してもらう頃にはもう日も落ちていた。
 お医者さんは「白血球の数が多いので盲腸です。でもそうひどくないようだし、薬でちらしておきましょうか」とおっしゃったのに、父は「すぐ切ってください」。

 いまなら「おいおい」と思う。やっぱり手術だったらそれなりの準備もいるだろうし、病院サイドだって手術のスタッフのことや私の心の準備や入院のこととかあるだろうに。

 いや父の考えはわかっている。GW中に手術と入院を終わらせてしまおうと考えたのだ。これがとんでもなく浅い読みだったとは、そのときは知る由もなかったが。

 夜の手術というのは、イヤなものである。そもそも夜の病院自体が、なんとも恐ろしげだ。背骨がゴギゴギいいそうな、反射で飛び上がりそうな衝撃の激痛の麻酔注射をされる。なんか1回目は失敗だったのでもう一回、みたいなことがあったような・・・。あれ以来、私は「拷問」という言葉のイメージとして「あの痛み」の感じを思い出す。

 もっともそれから15年後にも同様の注射をしたのだが、医学の発展の成果か、スキルアップなのか、たんに医者の腕の違いなのか、すんなりと針が入って麻酔が広がって行くのがわかる「あまり痛くない」脊椎注射だった。だからこれから手術される方は、どうぞご安心を。

 術後はよく歩くと直りが早いですよ、という看護婦さんのアドバイスがあったため、階段を使ったり屋上に行ったりして、せっせと歩いた。その結果なのか?1週間後の抜糸(これも泣く程痛い)に医者がひとこと「あ・・・ついてない(お腹の切り口が)」。看護婦さん曰く、「動きすぎたのかしら」おいおい!

 という訳で、切り口が自然にくっつくまで、さらに入院と相成った。計3週間の入院生活だった。おかげでその頃はまっていたエラリー・クイーンの国名シリーズやドルリー・レーン・シリーズを買ってもらって来ては読みふける事ができた。

 ラジオを持って来てもらい、イヤホンで深夜まで聴いた。入院前に深夜放送(京都ローカル)の替え歌コーナーに送った詞が採用されて電波に乗り、景品のギターが当選したことを、お見舞いにきてくれた友達と母親からの話で知った。私はそのときはまだ余裕の無い頃の入院生活だったので、ラジオは聴けなかったけど。

 そんなこんなで散々ではあったが、いい事もあった3週間だった。退院した日の嬉しさったらなかった。もうあの病院食とおさらばできること。退屈でしょうがなかった長い一日が消え去る事。あの体験があったから、今どんなに忙しくても「入院して時間をもてあますよりは」と思えるんだから、得難い体験でもあった。

 退院後、即、中間テストに突入したが、進学校でないのが幸いし、たいそう心配されていた担任の先生が拍子抜けするほど成績は悪くなかった。「入学早々入院したひと」、という目立ち方をしたので、クラスで話しかけてくれる人も多数いて、夏休み前には、あちこちのグループに首を突っ込めるくらい友達もできていった。人生、何が幸いするかわからないものである。