で、仏教ミッション系の学校を受験し、仏教ギョーカイデビューを目論んだ三浦くんは、ターゲットを東山(中学?高校?)に決め、面接に臨む。
その前に自宅をお寺に改造しようとして、せっせと瓦集めに熱中したり、そんなこんなのバチが当たり、瓦が頭に落ちて来て流血騒ぎを起こしたとか、ジョン・レノンの“イマジン”の歌詞は、ジャスダックに登録していないのをいいことに「般若心経」をパクっている、という話で会場はどんどん盛り上がって来る。
東山の面接は、学長直々だったそうだ。学科試験は散々な出来だったので合格は無理だったかも、と回想するみうら氏だが、面接時に仏像について熱く語った若きみうら氏に、学長は「あなたのような人を待っていました!」と鮮やかに力強く応えてくれたそうだ。「あのとき、生まれて初めてひとから望まれる、という体験をしたんですね」と軽く言ったみうらさんだったが、ギャグを装う本気モードが漂っていたようにも思う。
仏教ギョーカイ入りをめでたく果たしたみうらさん、さぞかし仏像トーク炸裂の青春を送れる!と胸を弾ませて入学したら。
将来は僧侶に決められている寺院の子息達は、みうらさんとは逆に、職業選択の自由を欲するあまり、当時おグレになられていた方が多数いらっしゃったらしい。(ヤンキー全盛の時代の話)そんなにも仏教と縁を切りたいにも関わらず、彼らはお釈迦様と同じパンチパーマだったのが、たいそう不思議だった三浦くんなのだったのだ。
初期のウルトラマン=弥勒菩薩説というのもあったなあ。ウルトラマンの造形や表情、何億光年のかなたより地球を救いにくるところ、なによりウルトラサイン(ウルトラ兄弟の名前のサイン?)が梵字に酷似している、というみうら説である。これはウルトラマンの造形デザインをされていた故・成田亨さんが、この説の正しさをご自分のエッセイで証明されている、とうれしそうに胸をはったみうらじゅんさんである。
飛鳥時代の仏像は、キレイなシンメトリーで超人(ウルトラマン)的だけど、時代を下るにしたがって、人間味が増してゆく、という話もされていたっけ。
もうこのあたりからは、みうらさんも会場の皆さんもノリノリで、みうらさんは心置きなく、最近終了したばかりの修行!?「アウトドア般若心経」について語る事ができたと思う。ウワサには聞いた事があったが、まだその実態は全く掴んでいなかった私には、興味津々の話題だった。話を聞くうちに、これは夏頃たまたま見たみうらさんの写真集「アイノカテゴリー」(ぴあ)から派生したものだと理解した。
「アウトドア般若心経」は看板の字で「般若心経」をつくっていく、というもの。アパートや駐車場の「空あり」という看板をみてひらめいたそうである。つまり、看板の写真で写経する、というコンセプトなのだ。
これはもう、東へ西へ、北から南へ、日本列島を駆け回る一年間になったそうである。とんでもなく難しい字もあるので、漢字を使う国に、漢字の看板の写真を撮るためだけに海外へも出張された。
シンプルな「恐普vという漢字も「恐」といえば、もうこれは「恐山」しかないでしょ、「普vは夏場の遊園地「恐浮フ館」からいただかなくちゃ、と一字ずつで場所のこだわり方も半端じゃない。
「アウトドア般若心経」活動をしていた期間、みうらさんは無心に駆け回っていたそうである。この修行中の無心に値打ちがあるわけで、ついに「アウトドア般若心経」ができあがってしまうと、自慢したい煩悩に早速捕われてしまうのである。
みうらさんの次なる修行は「自分会議」で「お遍路」に決定したそうである。四国のご当地キティの映像も紹介してくださった。その名も「はろうきてぃ空海」。右手に独鈷、左手にお数珠を持つキティちゃんである。おそるべし、サンリオ。
きっちり空海で落とすとは、さすがみうらさん、と思っていたら、続きがあった。すでに終了予定時間は過ぎ、仏教的音色のチャイムが鳴って随分経っている。どうしても、「練り供養」通称「おねり」のプロモーションDVD(みうらじゅんプロデュース)だけはみていただかないと!というみうらさんの、たってのお願いであった。「おねり」はみうらさん流にいえば「仏像アトラクションショー」ともいうべきもので、何を隠そう私が「一回実物を見てみたいっ!」と10年以上前から気にしている物件である。人間がアタマだけ仏像のかぶり物をして行列をなして練り歩くという、なんともどきどきする一大イベントである。みうらさんの作った「おねり」のDVDが見られるなんて、身に余る幸せというべきである。それだけでも大満足だったのだが・・・
(以下は明日に。「みうらじゅん講演会」の話は、明日で最終回になるはずです、たぶん)
その前に自宅をお寺に改造しようとして、せっせと瓦集めに熱中したり、そんなこんなのバチが当たり、瓦が頭に落ちて来て流血騒ぎを起こしたとか、ジョン・レノンの“イマジン”の歌詞は、ジャスダックに登録していないのをいいことに「般若心経」をパクっている、という話で会場はどんどん盛り上がって来る。
東山の面接は、学長直々だったそうだ。学科試験は散々な出来だったので合格は無理だったかも、と回想するみうら氏だが、面接時に仏像について熱く語った若きみうら氏に、学長は「あなたのような人を待っていました!」と鮮やかに力強く応えてくれたそうだ。「あのとき、生まれて初めてひとから望まれる、という体験をしたんですね」と軽く言ったみうらさんだったが、ギャグを装う本気モードが漂っていたようにも思う。
仏教ギョーカイ入りをめでたく果たしたみうらさん、さぞかし仏像トーク炸裂の青春を送れる!と胸を弾ませて入学したら。
将来は僧侶に決められている寺院の子息達は、みうらさんとは逆に、職業選択の自由を欲するあまり、当時おグレになられていた方が多数いらっしゃったらしい。(ヤンキー全盛の時代の話)そんなにも仏教と縁を切りたいにも関わらず、彼らはお釈迦様と同じパンチパーマだったのが、たいそう不思議だった三浦くんなのだったのだ。
初期のウルトラマン=弥勒菩薩説というのもあったなあ。ウルトラマンの造形や表情、何億光年のかなたより地球を救いにくるところ、なによりウルトラサイン(ウルトラ兄弟の名前のサイン?)が梵字に酷似している、というみうら説である。これはウルトラマンの造形デザインをされていた故・成田亨さんが、この説の正しさをご自分のエッセイで証明されている、とうれしそうに胸をはったみうらじゅんさんである。
飛鳥時代の仏像は、キレイなシンメトリーで超人(ウルトラマン)的だけど、時代を下るにしたがって、人間味が増してゆく、という話もされていたっけ。
もうこのあたりからは、みうらさんも会場の皆さんもノリノリで、みうらさんは心置きなく、最近終了したばかりの修行!?「アウトドア般若心経」について語る事ができたと思う。ウワサには聞いた事があったが、まだその実態は全く掴んでいなかった私には、興味津々の話題だった。話を聞くうちに、これは夏頃たまたま見たみうらさんの写真集「アイノカテゴリー」(ぴあ)から派生したものだと理解した。
「アウトドア般若心経」は看板の字で「般若心経」をつくっていく、というもの。アパートや駐車場の「空あり」という看板をみてひらめいたそうである。つまり、看板の写真で写経する、というコンセプトなのだ。
これはもう、東へ西へ、北から南へ、日本列島を駆け回る一年間になったそうである。とんでもなく難しい字もあるので、漢字を使う国に、漢字の看板の写真を撮るためだけに海外へも出張された。
シンプルな「恐普vという漢字も「恐」といえば、もうこれは「恐山」しかないでしょ、「普vは夏場の遊園地「恐浮フ館」からいただかなくちゃ、と一字ずつで場所のこだわり方も半端じゃない。
「アウトドア般若心経」活動をしていた期間、みうらさんは無心に駆け回っていたそうである。この修行中の無心に値打ちがあるわけで、ついに「アウトドア般若心経」ができあがってしまうと、自慢したい煩悩に早速捕われてしまうのである。
みうらさんの次なる修行は「自分会議」で「お遍路」に決定したそうである。四国のご当地キティの映像も紹介してくださった。その名も「はろうきてぃ空海」。右手に独鈷、左手にお数珠を持つキティちゃんである。おそるべし、サンリオ。
きっちり空海で落とすとは、さすがみうらさん、と思っていたら、続きがあった。すでに終了予定時間は過ぎ、仏教的音色のチャイムが鳴って随分経っている。どうしても、「練り供養」通称「おねり」のプロモーションDVD(みうらじゅんプロデュース)だけはみていただかないと!というみうらさんの、たってのお願いであった。「おねり」はみうらさん流にいえば「仏像アトラクションショー」ともいうべきもので、何を隠そう私が「一回実物を見てみたいっ!」と10年以上前から気にしている物件である。人間がアタマだけ仏像のかぶり物をして行列をなして練り歩くという、なんともどきどきする一大イベントである。みうらさんの作った「おねり」のDVDが見られるなんて、身に余る幸せというべきである。それだけでも大満足だったのだが・・・
(以下は明日に。「みうらじゅん講演会」の話は、明日で最終回になるはずです、たぶん)
ナイスフォロー、ありがとうございます。
って言う話は「なるほど」と思いました。