4年前に夫が博物館勤務をしていたことがあった。(左遷という噂もあったが、本人は「定時に帰れるー♪」と本気で楽しい日々を送っていた)
そのときに「仏像講座やるし、きてーな」と夫・H氏にお誘いされて、敬老会のようなメンバーの中で浮きまくりながら、冊子状のレジメの空白に、先生のお話に沿って落書きメモをとっていた。
県内の研究員かつ学芸員でもある先生の「来迎図」のお話は、正直、大学の講義よりはるかに面白かった。
昔は成仏するときには、きちんと正座・合掌の姿勢で、お迎えの仏樣方をお待ちするのが作法だったとか(えー死にかけてるのに!?辛すぎー)、どのくらいきちんとした格好でお迎えしたかで、行き先のランクが決まるとか、お迎えの露払いの先頭の人達は楽しそうに音楽を奏で踊りながらやってくるとか、つっこみどころがありすぎて、ついメモの筆が滑り、夫婦で笑いを堪えるのに必死。
その中で、先生は「滋賀県は歴史が古いから、『室町時代の仏像』っていっても、そんなのざらにあるので、誰も驚かない」とおっしゃった。その言葉に私は驚いてしまったが、よく考えれば「あり」かもしれない。
万葉集ゆかりの紫野も、紫香楽宮も、天智天皇ゆかりの近江神宮もある。山のてっぺんには古代神様を呼び寄せたらしい「磐座(いわくら)」という巨大な石がごろごろしているし、古墳もあちこちに点在している。それも山の中だけでなく、田んぼの真ん中に島のようにぽっかりと佇む古墳もある。おまけに『今昔物語』に出て来る「橋」は実家のすぐそばにあり始終見ていたし。(昨日の『いまは昔むかしは今』の2巻「天の橋 地の橋」でその詳細な伝説を読み、あまりのコワさに震え上がりました)
日常の中に普通に「歴史」の分厚い層があるのって、もしかしてすごく贅沢なことなのかも、とふと今日思ったのでした。
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