紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

語録、待つ、信頼。

2009-06-20 23:09:00 | 読書
 加藤語録ともいうべき名言がぽろぽろ聞けたので、まだ覚えているうちにメモしておきます。では、いきます↓

 絵本を読んだからって、いい子に育つなんて保障は私にはできませんから(笑)

 (『ピーターのいす』について)ピーターは自分の小さくなったいすを、まだ赤ちゃんの妹にとられるのが嫌で、家出するんですよ。どこに家出するかわかりますか? そう、自分のうちの玄関先なんです(笑) 

 でもこのお母さんは、「そんなとこでナンしてるんや!」なんて怒鳴ったりしません(笑) ピーターが自分で気づくまで待つんですね。自分にはもうこのいすが小さすぎるということをね。

 で、しばらくしてから「かえってらっしゃい、すてきなごちそうができましたよ」って、きっかけをつくってあげるんです。きれいな言葉ですよね。ちょっと、こんなこと、いえませんよ。でも、週に1回くらいなら、こんな言葉、使ってみたいですよね。そしたら、余裕ができますよ。絵本を読むという事は、(自然に自分の生活を反省して)お母さんにもほっとできてふりかえる時間が持てるということなんです。

 このお父さんもいいですよね。「もうおまえにはちいさすぎるんやから、妹にいすをあげなさい!」って、説明しません。ふつうしますよね(笑) 子どもが自分で気づくまで待つんです。こんなこと、まず、できませんよ。
 それで、ピーターが、自分から妹にあげるいすをピンクに塗り直す、といったとき、登場するんです。子どもを信頼していないと、こうはいきません。

 『いわしくん』や『おじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃん』を読んだ後、どうか「いのちの尊さ」とか「いのちの連鎖」とかの解説はしないでくださいね。こどもたちは、言葉で言っちゃうと「ふーん・・・」と心が素通りしちゃいます。彼らは、ちゃんと絵で理解します。いまわからなくても、いつか気づきます。だから読み終わったら、それで終わりにしてください。


 子どもを信頼して、待つということを、しっかりと教えてもらった。教えてもらったからといって、実行に移すのはまた別の話だったりもするんだけど(笑) 

 ま、思い出したら、週に1回くらいできれば、いいでしょうって、加藤さんもおっしゃっていたし。あまり神経質にならずに、肩のチカラを抜いて。
 昨日、サイバラさん(西原理恵子)もテレビで力強く言ってたもんね。

「子育てに正解なし!!」

これくらいラクに考えないと、子育てがしんどくなりすぎてしまう。60点くらいがかなりイイ線、と考えたら、もっと楽しく子育てできるのかも。

素晴らしき『絵本使い』に会う

2009-06-19 14:42:00 | 読書
 「魔法使い」とか「ヘビ使い」など、その道のプロフェッショナルだけど、とくに資格不要の職業??分野がある。

 それでごはんが食べられるかどうか、という点においては、いささか心もとないけれど、間違いないのは「~使い」さんは、その技能を使うことが大好きである点に集約されるのではないか。自発的にスキルアップをし、日々自らの好きでたまらない世界を天井知らずに構築するべく技能に磨きをかけているのだ。

 今日、絵本(の読み聞かせ)についてのお話に見えた加藤啓子さんの第一印象は、落ち着いた、ほっとできるタイプのオープンマインドな方、というものだった。

 最初は利用者として見えたのだったが、そのあまりの自然体に「タダモノではない感」をそこはかとなく醸し出されていた。後で「あの方が今日の講師の加藤さんですよ」と教えていただき、なるほどと納得。図書室に見える方が、みなさんこんな感じの方ばかりなら、お仕事的にはパラダイスである。

 時間が来て会場に入った瞬間からサプライズ! 二段の段ボールでつくった面展台が、壁面に沿ってぐるりと置かれ、そこにはかなりエキサイティングな面構えの本が並んでいる。後で聞けばその数200冊!!

 そのほとんどは絵本だけど、なかに図鑑や写真集も。絵本のセレクトも素晴らしいけれど、モノトーンの動物の骨の写真集や梅佳代の『じいちゃんさま』とかがなにげなく混じり、すっかりテンションは跳ね上がる。おお、なんというセレクトである事よ! 素晴らしき絵本使いさんがあったものである。感心、いや、感動。

 彼女に紹介していただき、読んでいただいた絵本は動物写真の小さな本(これは字がない写真だけだから見せるだけなんだけど)『ゾウ』『ゴリラ』『カバ』『パンダ』、ねじれたり、割れたり、ほどけたり!!する『ふしぎなナイフ』、おかあさん(おとうさん)業の参考にできる『ピーターのいす』、オトナもびっくりのタイトルのまんま、にわとりのトサカから宇宙までを描く(これも字はなかったっけ)『ZOOM』、いのちのつながりをダイレクトに感じられる『いわしくん』と『おじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃん』などなど。

 『ゴリラ』のページをめくってもらったときの、実際の子どもたちの表情の楽しい事ったら(笑) もうにこにこで頁がめくられるたび、「ゴリラ!!」「ゴリラ!!」とレスャ塔X。『ふしぎなナイフ』では、ひとりの女の子はにこにこと大喜びだったが、もうひとりがなんとも困ったような表情で、わらうべきかどうするか??と内心で葛藤!?(笑)を繰り広げていた(ような気がする)

 加藤さんが繰り返し言われたのは、字ではなくて絵を読んでください、ということ。ああ、たしかに。
 私がKちゃんに絵本を読んであげた時には、彼女はそれは細かいところまで指摘し、これは?と聞いてくれたので、その点は、ずいぶん鍛えていただいた。おうた我が子に教えられ、というヤツである。

 あ、もう寝なくちゃ! じゃ、この続きは、また。

 加藤啓子さんテイストの絵本の紹介ページがウェブ上にあったので、参考までに↓ 
大阪市立子育ていろいろ相談センターのおすすめ絵本のページです。

 

 

 

お休みします。

2009-06-18 23:16:00 | ノンジャンル
 今日は家庭内事務仕事に追われて、休業します。事務仕事の内容は、進路調査の書類作成。ホントに「お休み」できるのはずっと先だけど、とりあえず、おやすみなさい。

(19日追記)
 書くべきネタは、ぎっしりあり、それは19日分としてじっくり書くため、ここでの翌日更新はしません。ごめんね。

 ただひとことだけ追加。

 なかなか研修機会のない臨時職員に、ご多忙な中、しかもからだをはって、研修機会をつくってくださった正規職員の皆様方に、心からお礼を申し上げます。どうもありがとうございました。


 

月に一度のおたのしみ。

2009-06-17 14:25:00 | お買いもの
 子どもの頃から、雑誌が好きである。

 まだ字も読めない頃から小学館の学習?雑誌を定期購読してもらっていた。
なんと『めばえ』から『小学6年生』まで小学館のお世話になった。付録に付いていたドラえもんの学習マンガは、お隣の「農機具小屋」(なぜ!?)で読んだ記憶がある。

 学研の『学習』も学校経由で定期購読してもらい、秋の臨時読み物特集号は、1年に一度のスペシャルイベントで、大興奮! 様々なお話がぎっしりと、豪華挿絵付きで詰め合わせになっているのだ。

 私はたま(母親のパーマに付き添うとき)にしか買ってもらえなかったが、「少女フレンド」や「りぼん」や「週刊マーガレット」が教室内を飛び交っており、ときどき借りて読みふけった。友達の誕生会に行って読みふけっていたことだってある。
 少年漫画は、長時間待たされる散髪屋さんで読む事が出来た。

 舞台はほとんどが外国で、登場人物の名前はカタカナだった。カタカナ名前がかっこ良かった時代なのだ。
 1970年界隈のマンガを読めた事は、今から思えばたいへんな財産だったのだ。

 中学校に入学してからは、旺文社の時代だ。ぐっとオトナの世界に近づき、同世代のお悩みコーナーを興味深く読んでいた。特に異性のナヤミについては、想像も及ばないようなあれこれが書かれており、それは興味深かった。つくづく、男子って大変やな、男でなくてよかった~などと胸をなでおろした。

 その頃から『奇想天外』でSFにハマり、筒井康隆が編集長をした短期間の『面白半分』を買っていたが、どう考えても女子高生が読むものではなかったな。でも女子高生がエッセイの連載を持っていたりしていたし、そうでもないか。
 
 大学生になってからは、不定期に買っていた『anan』や『Non-no』と一緒に、まだ不定期刊行の同人誌みたいな『本の雑誌』を買っていた。卒業後は『LaLa』や『ぶ~け』といった少女漫画にリターンする。

 赤ちゃん育児で煮詰まっていた時代に『CREA』が創刊され、文字通りなめるように読んだ。その当時は、時事問題を多方面から追いかける、読む所が満載の女性誌だったのだ。ここでは複数の化粧品オタクの座談会形式の化粧品の記事でさえものすごく面白かった。独自の切り口による取材記事がいくつもあって、それは楽しみにしていたのに、それまでの読者を裏切るような「リニューアル」が断行され、現在の形に変わってしまった。

 故・ナンシー関と橋本治の連載が読みたい一心で定期購読していた『広告批評』も、ついに先ごろ最終号が出てしまった。30年間の健闘を称えたいと思う。

 インターネットの時代に入り、もう紙資源を大量消費するような雑誌の時代ではないのかもしれないが、やっぱり私は自分が思いもよらないような発見ができる雑誌というものの価値は大事だと思う。目的の大好物を求めて買った雑誌に、目的の記事の二つ後ろに、うおー!というような面白い記事を発見したりするようなことが、雑誌にはあるからだ。

 自分の必要としているものだけ、好きな物だけを抽出できるネットと違う紙媒体の面白さは、私にはまだまだ必要だ。それにネット記事だけだと、自分の価値判断しか軸がないので、偏食になる危険があるのではないか。そこが私にはコワいな、と思うところなんだけど。
 ま、紙媒体の情報発信者自体が「偏食」してるんだったら、それはもう、どうしようもないんだけどね。

 幅広い視野を持つにはどうしたらいいか、オトナはもっと考えたほうがいいのかもしれない。

 

 

15歳

2009-06-16 23:57:00 | ノンジャンル
 昨日Kちゃんが学校からかえってきたとき、いつになくうれしそうで、溌剌としていた。

 「おかーさん、今日はえーことあったねん! なんかいっぱい『誕生日、おめでとう!』っていってもらえた。えー?なんでウチの誕生日知ってるの?という人からも。50人くらいに『おめでとう』って言ってもらえたし、うれしいねん」 昨日はKちゃん15歳の誕生日だった。Kちゃんが家族の一員になった日である。

 いや、彼女の場合、おなかにいたときから、すでに家族の一員ではあったな。当時お兄ちゃん(幼稚園)がハマっていた人生ゲーム(もちろん盤ゲーム)にも、「あかちゃんも一緒にしようね♪」とお兄ちゃんが彼女の分のルーレットを回し、コマを進めたりしていたものである。そんなだったからか、この兄妹は性格は真逆ながら、今も仲がいい。

 そうか、50人に祝福されたか。それはめでたい。めでたいついでにケーキを買いに行こう。

 ということで、車で5分の人気のお店『プティドール』へ直行。夕方だったので、もうショーケースのケーキは残り少なく、売れ筋のシュークリームやプリンは完売状態。それでも値段を気にせず好きなのを買いなさいという、めったにないような状況に浮き浮きのKちゃん。

 彼女の自慢は、「私の誕生日は空海(弘法大師)と一緒やねん」ということでもある。 いや、それより藤山寛美や伊東四朗と一緒なのが、もっと自慢できるかも(笑)

 15歳。煌めくような年齢である。生涯、記憶に残る時間である。

 私の15歳は、人生初の受験落ちで始まった。その後、2ヶ月も経たないうちに、盲腸で人生2度目の手術と入院をし、本来1週間の入院予定だったはずが、抜糸後も傷口が塞がっていなかったため、3週間もの長期入院をした。
 そんな不運な(笑)幕開けだったのに、なぜか15歳の記憶はきらきらしている。入院生活の中でさえ、マイペースで楽しい事を見つけて行く生活は、すでにその頃から身についていたらしい。

 Kちゃんについては、別段もう心配する事はないけれど、自分の持っている物を最大限に使って、のびのびと才能を伸ばして欲しい。

 生まれて15年目になるのが、しみじみうれしく感慨深い。遅ればせながら、お誕生日、おめでとう。