紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

根拠なき直感

2009-06-15 08:41:00 | ノンジャンル
 まずは、おばあちゃんの足は単なる打撲で、2週間もすれば歩けるようになる、というお医者様の診断に一安心。ご心配をおかけしました。

   ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 現在進行形でハマっている少女漫画『風光る』の登場人物に、新撰組で沖田と双璧をなす剣の達人、斎藤一という人がいる。

 彼はおそるべき鋭利な感覚を持っているので、人の心中や水面下で行なわれている物事に対してたいていの真実は言い当てる。そして「どうしてわかるんですか~!?」という相手の驚愕に対する斎藤さんの答えはこうだ。

「何の根拠もない直感だ。だがいつも後から結果がついてくるから、俺の直感は当たる」。

 これはかなりカッコイイ。理論で説明されるより、よほどわかりやすい(少なくとも私には)。ごまかされ感がないし、理屈であれこれいう男より、よほどカッコイイ、という女子は案外多いのではないだろうか?

 理論や条件で語りきれないのが結婚だけど、ここで一番の指針となるのが、まさしく直感。大恋愛しても結婚に不安だらけだったり、軽いノリで緊張感も、ついでにあれこれ考えることもなくあっさり結婚しちゃったり。
 理由なんて無い。なんの根拠も無い。でもただ「わかる」だけ。自分の直感は信じなければならない。

 だから「どのような相手と結婚しても、『それなりに幸福になれる』高い適応能力の資質」云々っていう内田先生のご意見(「学院標語と結婚の条件」)には、どうしても賛同しかねる。まずやっぱり、理屈抜きに生理的にダメな人、っていうのはいますからね。

「どのような相手と結婚しても」というのは、やっぱり乱暴にすぎる。
 というより、ちゃんと自分の相手を選ぶ能力は、まっすぐ物を見さえすれば、どんな人も持っているということを彼はいいたいんじゃないかと。やっぱり自分の選択能力を発見する事が大事な訳で。それが結論なんだし↓

だから、「誰とでも結婚できる」というのは、言葉は浮ついているが、実際にはかなり複雑な人間的資質なのである。
それはこれまでの経験に裏づけられた「人を見る眼」を要求し、同時に、どのような条件下でも「私は幸福になってみせる」というゆるがぬ決断を要求する。
いまの人々がなかなか結婚できないのは、第一に自分の「人を見る眼」を自分自身が信用していないからであり、第二に「いまだ知られざる潜在可能性」が自分に蔵されていることを実は信じていないからである。
相手が信じられないから結婚できないのではなく、自分を信じていないから結婚できないのである。


 これには同感。そうなんです、だから「だれとでも結婚してうまくやっていく」なんて、それは無理。どれだけ自分を信じられるか、そんな自分の選んだ相手を信じられるか、の方なのですよね。

少々、ハードワーク中。

2009-06-14 23:42:00 | ファミリー
 昨日、おばあちゃんが転唐オたため、またもや歩行が困難に。歩けないながら、ゆっくりずりずりしてなら、なんとか自力で移動できるし、たぶん骨折ではなさそう。とりあえず明日病院に行きます。

という訳で、いつもより少々ハードワーク中。もし更新されていなければ、寝落ち(!。!)しているということで、ご了解ください。

 実は本日も、ほぼ寝落ち状態だったのだけれど、内田樹先生がご結婚されたというご本人によるブログ記事に、一気に目覚めてしまいました(笑)

 どうぞ、お幸せに~♪

ザーカイさんを探して

2009-06-13 15:38:00 | ノンジャンル
 先日Kちゃんが「(新約聖書にある)ザーカイさんがキリストと出会ったあとの物語の続きを自分で考えて書いて来てください」という宿題が出た、という話をした。それで遥か昔、お兄ちゃんがまだ小学生だった頃の「花の日礼拝」を思い出した。

 その日は、クリスチャンで声楽家のゲストが、歌入りの聖書の物語を面白可笑しく披露してくださった。もう、教育会館は笑いと子どもたちのレスャ塔Xで沸き返っていた。そのあまりのウケ具合に、先生が少々お困りだったくらいの大盛り上がりだったのだ。そのときの物語の主人公がザーカイさんだった。

 ザーカイさんは『新約聖書/ルカ19』に登場する。阿南召神教会の楢山啓子牧師のお説教(2006年2月19日)より、一部省略しつつ引用させていただきます。

 エリコの町にザーカイという人が住んでいました。この人は取税人のかしらでエリコの人々からローマに治める税金を取り立てる仕事をしていました。彼は町の人たちから嫌われていました。
 ある日、エリコの町にイエス様がおいでになることになりました。エリコは、古くから栄えていた町でした。エリコの町には時々イエス様がおいでになりました。

 ザーカイはなんとかしてイエス様を一目見たいと思いました。というのもザーカイは自分の生活に満足していませんでした。お金はあっても、友達はいません。町の人々はまるで、ザーカイを敵のローマ人のように思っています。ザーカイは孤独でした。なんども自分の生活を変えたいと思いましたが、できませんでした。気がつくとお金をかかえて、それを数えていました。心に平安はなく、寂しい気持ちでいっぱいでした。

 イエス様のうわさは知っていました。病気の人を癒やし、奇跡をなし、弱い人々に優しくしてくださる方だと聞いていました。ですから、何とか、一目イエス様を見たいと思ったのです。大通りに出ましたが、もうイエス様の近くには人々がいっぱいで、近づくことができません。その上、ザーカイは背が低かったのでどうすることもできませんでした。かき分けて中にはいろうとすると、人々から意地悪されて、追い出されました。でもザーカイはあきらめませんでした。

 通りの近くにあったイチジク桑の木という背の高い木にのぼりました。その時、イエスさまはちょうどその木の下を通り過ぎようとしておられました。イエスさまはザーカイに自分のほうから声をかけられました。「ザーカイ、急いで降りてきなさい。今日はあなたの家に泊まることにしているから。」

 ザーカイは自分の名前を呼ばれたのでびっくりしましたが、嬉しくて、すぐに木からおりてきました。そして喜んでイエス様を家に迎え入れました。すごい人気者のイエス様が自分のようなものの家に来てくださる、そのことを考えるだけも嬉しくてどきどきわくわくするのでした。一方、町の人々は「イエスさまはどうしてあんな罪人のところに行って食事をなさるのだろう」と非難をしました。

 ザーカイはイエス様を自分の家に喜んでお迎えしました。そして、僕(しもべ)たちにごちそうをつくるように命じて、イエス様を囲んで楽しい食事をしました。それは今まで経験したことのない楽しさでした。イエス様が自分を愛してくださっていると言うのが伝わってきました。

 イエス様と話をしているうちに、自分がいかに悪いことをしてきた人間であるかがわかってきました。ザーカイはそんな自分の本当の姿が見えてきました。このままの人生ではいけないと思いました。そこで、ザーカイは悔い改めて言いました。「イエス様、わたしは悪いことをしました。赦してください。騙し取ったものは4倍にして返します。またわたしの財産の半分を貧しい人々に施します。」

 なんという変化でしょう。イエス様に出会う前のザーカイはお金が大切な人でした。お金のためなら、人をだましても平気な人でした。今の世の中には欲に目がくらんでお金のために何でもする人がたくさんいます。欲に支配され、お金に支配された結果、その先にあるのは滅びです。

 しかし、ザーカイはイエス様とであって、人生の幸せはお金ではないと言うことがわかりました。欲望から解放されたのです。だから財産の半分を貧しい人にあげる決心ができました。悪いことをした償いもしようと決心しました。ザーカイはイエス様の愛と恵みによって完全に救われたのです。イエスさまは言われました。「今日この家に救いが来ました。わたしは、悪いことをして滅びに向っている人を探して、救うためにきたのです。」と。

 ザーカイという名前はヘブライ語では「無実の、潔白な」という意味です。これはどういう時に使うかと言いますと、裁判所で裁判が開かれます。その時、悪いことをして、訴えられていた人が裁判官に「ザカイ」と言われますとその人は無実になって釈放されます。これは法廷で使うことばです。 

 ザーカイは本当に悪い人で、罪人でした。町の人々も「あんな罪人と食事をして」と言ったぐらいの人です。でも、イエス様はザーカイの罪を赦してくださいました。イエス様が来られたのは人を裁くためではなく、救うためでした。ザーカイは自分の罪が赦されたので喜んで罪の償いをしようとしたのです。

 人間は永遠の世界で必ず神の前に自分の行いに対してさばきを受けなければなりません。聖書に「人間は一度死ぬこととさばきを受けることが定められている」と書いてあります。しかし、イエスさまはわたしたちの弁護士です。

 わたしたちが、永遠の裁きの座に立つ時、イエス様はわたしたちの裁判に立ちあって、「この人はザカイ、無実です」と言って下さるのです。これがイエス様の永遠の救いです。

 「つみびと」こそが、まず救われるというのは、こういうことなのだ、きっと。自らの罪深さを知り尽くし、必死で救いを求め、自らを明け渡す事ができる人から、救いの手が差し伸べられるのだろう。

朝日新聞に故郷が!

2009-06-12 00:19:00 | 新聞
 私の実家は近江八幡市である。結婚後も隣町なので、しょっちゅう行き来している。子どもたちの学校もお買い物も習い事も塾も、近江八幡市なので、もしかすると今住んでいるところ以上に思い入れがあるのかもしれない。

 観光の街なので、女性誌の旅の特集には、しばしば登場する。旅行誌にも載る事があるかもしれない。古い町並みが残っているし、自然の美しい場所だし、歴史的にも意味も価値もある場所が点在している。映画やテレビのロケだって、しばしば敢行されている。

 だから、メディアに登場する事自体は珍しくないのだ。でも、今日のはちがうぞ。だっていしいひさいち先生の「ののちゃん」だ! なんと名誉なことであろうか!

 我家で家族4人が回し読みできる唯一の本、つまり家族みんなが愛読している作者が、「滋賀県の近江八幡」という固有名詞を使用したのだ。なんとかしこくも畏れ多いことであろうか。

 しかも、そこには、別段「滋賀県の近江八幡」が登場する必然性は、全くない。(と思われるが、もしかしたら何か深い意味があるのかもしれないと深読みし、H氏は、しばらくその前後を黙読して頭の中身を探索していたようだ) 別にどこだってよかったのに、なぜか「滋賀県の近江八幡」と書かれたのである。

 ほとんど不意打ちのように登場したこの固有名詞だが、これに続く「運河」が何を意味しているのか? そのことをずっと考えつづけていたが、「う~ん、八幡堀(はちまんぼり)のことかなぁ???」と口にはするけれど、あれを運河というのかと問われれば自信が無い。やはり、お城のお堀を「運河」とは言わないだろう。

ともあれ、実物をどうぞ。これです↓



甘茶でかっぽれ

2009-06-11 23:34:00 | ノンジャンル
 ふと脳みそのシワの間から、あぶくのように脈絡無く疑問が浮かんでくるときがある。
 
 それを放置しておけばいいものを、魔が差してつい調べてしまうと、かえってますますナゾが深まり、よけいに?の数が増殖してしまうことがある。

 今日のお題は「甘茶でかっぽれ」。テレビドラマのお座敷場面のお座敷撃フひとつとして、たま~にメロディ付きで耳にするけど、なんなんだ、一体これは?? 

 って、もしかしたら知らない人の方が多いかもしれないので、一応の基本としてはこんな感じかな↓

☆幕末から明治にかけて流行した俗謡「かっぽれ」の囃子詞(はやしことば)の一節。(Yahoo!辞書)
☆滑稽な踊りを伴う俗曲。「かっぽれ、かっぽれ、甘茶でかっぽれ」というはやし言葉が入る。(はてなキーワード)


 基本をおさえたところで、まず「甘茶」から。

 これはお釈迦様のお誕生を祝う「花祭り」(灌仏会)で、天上天下唯我独尊とボディランゲージをしている(という伝説がある)、絶対ありえないけど直立してちょっと埴輪っぽいメ[ズの赤ん坊のお釈迦様にかけるお茶として有名である。ある意味、お釈迦様にとっては滝に打たれる修行の日かも。

 ウィキで調べると、植物としてのアマチャは、
ユキノシタ科の落葉低木ガクアジサイの変種。甘茶の甘味成分としてフィロズルチン(d-phyllodulcin)とイソフィロズルチンを含む。苦味成分としてタンニンを含むが、カフェインは含まない。
 生薬としては、抗アレルギー作用、歯周病に効果を有する(日本薬局方に収載)。

ということらしい。

 じゃあ、かっぽれは?

 江戸撃ゥっぽれの第5代目家元、櫻川ぴん助家元によれば、語源としては

かっぽれとは、「おかぼれ」、
「あなたに惚れました、命がけ。私に出来る事をあなたにしてあげます。けれども見返りは求めない」という意味で、男女の恋愛はもとより、家族愛や人類愛など、広い意味での感謝・思いやりを表す言葉です。

かっぽれは大阪・住吉大社の住吉踊り(重要無形文化財指定)に端を発し、江戸は浅草三社様の境内で大道撃ニして踊られていたものです。
また、かっぽれは五穀豊穣を願った奉納券\です。


大雑把にいえば、こんなところか。

 で、「甘茶」と「かっぽれ」の連続技にもアウトサイダーな諸説があり、その幅広いバリエーションが、なかなかにワールドワイドなのだ。 
 今度は多賀家梅若路家元のHPより引用。

○韓国語説

「かっぽれ」の歌詞を照らし、紀伊国屋文左衛門(みかんで儲けた人)となんらかのつながりがあるというのです。

「カッャ戟i;帰りなさい)、カッャ戟i帰りなさい)、アマチャデ(アマ;女、;ふさがっている=もう女はいないよ)、カッャ戟i帰りなさい)」という韓国慶尚道方言会話体だと、言うのが韓国人 李寧煕(イヨンヒ)著 「フシギな日本語」の説。

○古代ギリシア語説

 “かっぽれ”の語源はギリシア語のカルメ[レ(収穫)であり、かっぽれ踊りは収穫祭の踊りであった、と主張するのは新渡戸稲造〈!〉

○「かっ掘れ」§J働歌説

  江戸初期に江戸城周辺のお堀をつくる工事の際に、集められた人足が「かっ掘れ、かっ掘れ」といって景気づけのため はやしたとのこと、休憩には甘茶が振舞われたであろう、と司馬遼太郎が 随筆で書いています。


・・・「甘茶でかっぽれ」。いっそうナゾは深まるばかりである。

*かっぽれについて、もっと詳しく知りたい方は、上記家元HPにリンクを貼りましたので、そちらでじっくりどうぞ。面白いですよ。