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奄美のシマ唄に楽譜は無い。
しかし、未だ口頭のみで伝承しているワケではなく、各シマ唄教室では独自の楽譜を考案して使っているのが現状のようだ。
各教室“独自”なので沖縄の工工四(民謡の楽譜)のように統一されていない。
でもその工工四だって意外と歴史は浅く70年ほど前にできたと聞く。
今でも「工工四に頼るとよくない」的な意見はよく聞くが、工工四があったからこそ沖縄民謡はこれだけ広まったとも言えるのではないか。....と私は思っている。
クラシックだってそうだ。
録音機のない古い時代の音楽を現代の我々が聴く事ができるのは楽譜のおかげである。
なので奄美シマ唄にも楽譜は必要であると私は考える。
「楽譜で覚えると楽譜通りにしか弾けなくなる」という意見もあるが、それは教え方が悪いだけである。....と私は考える。
因みに戸越在住のギターの神様・チャー(竹中尚人)氏は楽譜は使わないという。
嫌いだそうだ。
彼は幼少時にピアノを習っていたので楽譜が読めない訳ではない。
バックバンドには歌詞にコードがふってあるものだけしか渡されないという。
(昔の明星・平凡についていた歌本みたいである。)
まぁ、それはそれでカッコ良い。
しかし、未だ口頭のみで伝承しているワケではなく、各シマ唄教室では独自の楽譜を考案して使っているのが現状のようだ。
各教室“独自”なので沖縄の工工四(民謡の楽譜)のように統一されていない。
でもその工工四だって意外と歴史は浅く70年ほど前にできたと聞く。
今でも「工工四に頼るとよくない」的な意見はよく聞くが、工工四があったからこそ沖縄民謡はこれだけ広まったとも言えるのではないか。....と私は思っている。
クラシックだってそうだ。
録音機のない古い時代の音楽を現代の我々が聴く事ができるのは楽譜のおかげである。
なので奄美シマ唄にも楽譜は必要であると私は考える。
「楽譜で覚えると楽譜通りにしか弾けなくなる」という意見もあるが、それは教え方が悪いだけである。....と私は考える。
因みに戸越在住のギターの神様・チャー(竹中尚人)氏は楽譜は使わないという。
嫌いだそうだ。
彼は幼少時にピアノを習っていたので楽譜が読めない訳ではない。
バックバンドには歌詞にコードがふってあるものだけしか渡されないという。
(昔の明星・平凡についていた歌本みたいである。)
まぁ、それはそれでカッコ良い。
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