2週間くらい前のことだ。
プリティーリズムにおいて、熱心なファンたちを絶望の底へ追い落とす恐るべき方策がとられた。
そう、エンディングが実写になってしまった件である。
プリティーリズム・オーロラドリームは実にフシギな面がある。
この作品にはアニメパートと実写パートがある。
とはいっても、こういうやりかたは珍しいが、しかし初のものではない。
たとえばNHKのアレだ。
巧妙に料理番組に擬態したロリータ番組のアレだ。
まあ何とはここでは言うまい。
プリティーリズムのアニメパートは大きなお友だちにとても気に入られている。
かくいうわたしもお気に入りのアニメである。
しかし!
それはアニメパートだけの話である。
実写パートは大きなお友だちにとても毛嫌いされているのだ。
それはNHKの某料理番組と決定的に異なる点である。
かくいうわたしも実写パートを見始めるとそのエグさに絶えられなくなり、途中で視聴を断念せざるを得なくなったという経緯がある。
第1話でさえそうであり、以来ずっと実写パートを見てしまわないよう再生停止ボタンを押すタイミングを間違わないように注意している。
それはどれくらいおぞましいものなのか?
そうだな・・・例えていうなら・・・
アニメパートがアイマスくらい素晴らしいとすれば、実写パートは北米版アイマスくらいかわいらしいと言ったらわかってもらえr・・・いやそれほど生易しいものではないな。
自称病弱な女の子だというから期待していたところ現れたのは三宅雪子だったというくらいだと言ったらわかってもらえるだろうか。
これは見た人にしかわからない。
しかしわたしはあえて見ようとはしないほうが賢明な判断であると忠告しておく。
では、なぜNHKの某料理番組と異なる結果になったのか?
NHKの某料理番組は実写パートも受け入れられているのに何が違うのか?
それはわたしには答えられない。
大きなお友だちに受け入れられているNHKの某料理番組でさえ、わたしには実写パートを受け入れることができないからだ。
プリティーリズムの実写パート担当の芸人がNHKの某料理番組のまいんちゃんクラスであれば受け入れたという意見もたしかにあるが、それはわたしには真偽のほどを判断できない推測である。
この作品の最大の謎は実はその点にある。
大きなお友だちを歓喜させる大変素晴らしいアニメパートを作れていながら、
にもかかわらず大きなお友だちが阿鼻驚嘆の呪詛を口にするほど的外れな実写パートも同梱されている点である。
例えていうなら・・・
同じポルノビデオなんだからいいはずだという大雑把な理由で貧乳ぺったん娘モノとデブ専モノを抱き合わせ販売しているようなものなのだ、これは。
なんでこんなに出来映えに差があるのかフシギでしかたがない。
でもまあいいさ。
アニメパートさえ今までどおり素晴らしければ、実のところわたしには何も不満はない。
ところがどっこい、そうではない人たちも中にはいる。
最初の話に戻るが、エンディングが実写になってしまった件である。
これをして大惨事と呼ぶ者はかなり辛抱強い。
実写パートを辛抱して見てエンディングにたどり着いている者たちだからである。
これはわたしでは挫折した行いである。
あの実写パートを乗り越えて後現れるアニメのエンディング。
それをどうしても見たいという信念が勝ったからこそできる行いである。
彼らはこの件を大惨事と呼んだ。
自身の辛抱を無にされたことに憤った結果でもある。
皆の者、もう辛抱するのはやめにしよう。
実写パートが始まった瞬間に視聴をやめればいいだけのことだ。
わたしが常にそうしているように。
だから大惨事が発生したことを今まで気がついてもいなかったわけだがね。
いやだからこそ、大惨事によるダメージを完全に無効化できたのでもあるのだ。
プリティーリズムにおいて、熱心なファンたちを絶望の底へ追い落とす恐るべき方策がとられた。
そう、エンディングが実写になってしまった件である。
プリティーリズム・オーロラドリームは実にフシギな面がある。
この作品にはアニメパートと実写パートがある。
とはいっても、こういうやりかたは珍しいが、しかし初のものではない。
たとえばNHKのアレだ。
巧妙に料理番組に擬態したロリータ番組のアレだ。
まあ何とはここでは言うまい。
プリティーリズムのアニメパートは大きなお友だちにとても気に入られている。
かくいうわたしもお気に入りのアニメである。
しかし!
それはアニメパートだけの話である。
実写パートは大きなお友だちにとても毛嫌いされているのだ。
それはNHKの某料理番組と決定的に異なる点である。
かくいうわたしも実写パートを見始めるとそのエグさに絶えられなくなり、途中で視聴を断念せざるを得なくなったという経緯がある。
第1話でさえそうであり、以来ずっと実写パートを見てしまわないよう再生停止ボタンを押すタイミングを間違わないように注意している。
それはどれくらいおぞましいものなのか?
そうだな・・・例えていうなら・・・
アニメパートがアイマスくらい素晴らしいとすれば、実写パートは北米版アイマスくらいかわいらしいと言ったらわかってもらえr・・・いやそれほど生易しいものではないな。
自称病弱な女の子だというから期待していたところ現れたのは三宅雪子だったというくらいだと言ったらわかってもらえるだろうか。
これは見た人にしかわからない。
しかしわたしはあえて見ようとはしないほうが賢明な判断であると忠告しておく。
では、なぜNHKの某料理番組と異なる結果になったのか?
NHKの某料理番組は実写パートも受け入れられているのに何が違うのか?
それはわたしには答えられない。
大きなお友だちに受け入れられているNHKの某料理番組でさえ、わたしには実写パートを受け入れることができないからだ。
プリティーリズムの実写パート担当の芸人がNHKの某料理番組のまいんちゃんクラスであれば受け入れたという意見もたしかにあるが、それはわたしには真偽のほどを判断できない推測である。
この作品の最大の謎は実はその点にある。
大きなお友だちを歓喜させる大変素晴らしいアニメパートを作れていながら、
にもかかわらず大きなお友だちが阿鼻驚嘆の呪詛を口にするほど的外れな実写パートも同梱されている点である。
例えていうなら・・・
同じポルノビデオなんだからいいはずだという大雑把な理由で貧乳ぺったん娘モノとデブ専モノを抱き合わせ販売しているようなものなのだ、これは。
なんでこんなに出来映えに差があるのかフシギでしかたがない。
でもまあいいさ。
アニメパートさえ今までどおり素晴らしければ、実のところわたしには何も不満はない。
ところがどっこい、そうではない人たちも中にはいる。
最初の話に戻るが、エンディングが実写になってしまった件である。
これをして大惨事と呼ぶ者はかなり辛抱強い。
実写パートを辛抱して見てエンディングにたどり着いている者たちだからである。
これはわたしでは挫折した行いである。
あの実写パートを乗り越えて後現れるアニメのエンディング。
それをどうしても見たいという信念が勝ったからこそできる行いである。
彼らはこの件を大惨事と呼んだ。
自身の辛抱を無にされたことに憤った結果でもある。
皆の者、もう辛抱するのはやめにしよう。
実写パートが始まった瞬間に視聴をやめればいいだけのことだ。
わたしが常にそうしているように。
だから大惨事が発生したことを今まで気がついてもいなかったわけだがね。
いやだからこそ、大惨事によるダメージを完全に無効化できたのでもあるのだ。