> いつも興味深く拝読してます。博識と適確な分析に脱帽です。どうしても教えていただきたくてコメントしました。自分も二次元世界で恋しているのですが、たまに無性に肉体的欲求に耐え切れず、三次元世界の女を求めたくなる欲求が捨て切れません。どうしたら完全に捨て去ることができるのでしょうか、葛藤しています。自分一人で処理するだけでは満足できない夜は悶々と悩んでしまいます。こうした葛藤にとらわれてことはなかったのでしょうか?どうしたら乗り越えられるのか、アドバイスがいただきたいのです。何卒よろしくお願いします>
以上のようなご質問をいただきました。
当記事にて返信いたします。
該当記事のレスにするにしては長くなりすぎましたので。
ゆうさんのお気持ちはよくわかります。
これは社交辞令で言っているのではなく、かつてわたしが通った道ですから痛いほどよくわかるのです。
ゆうさんは欲求と対峙するにあたり、わたしとは正反対くらい異なるアプローチをとっているように見えます。
わたしの取るアプローチをお試しいただければ、ひょっとすればだいぶ気が楽になるのでは…と考えます。
その方法をこれから順に説明します。
そもそも欲求とは、ガマンしなければならないものなのでしょうか?
キリスト教的な考え方でいえば、この答えはたぶんYESです。
「主はあなたを見ています。あなたが欲求をガマンしている辛く悲しい今の日々は、きっと死後の世界で報われるでしょう」
となります。
そしてこういう人の多くは死ぬまで苦しみます。
しかしわたしはそうは思っていません。
わたしは欲求の存在を肯定します。
欲求とは、成長の源泉です。
ようするに、いい大学に入りたいと思わなければ、高校生は誰も自主的に勉強しようなどとはしませんから。
これを、キリスト教を曲解して
「大学に入りたいと思うあなたの心は競争を生み、世に荒廃と弱者を生み出します。中卒以上の学歴を欲するべきではないのです」
なんて必死で勉強している受験生に高説たれるのは間違っているはずなんです。
ゆうさんは肉体的欲求に耐え切れないとされますが、
おそらくデートしたいとか、彼女が欲しいとか、女の子とエッチしたいとかという意味かと察しますが、
その欲求があるのに理性で否定しようとしても辛いだけでしょう。
ではどうするか?
欲求を満たそうとすればいいんです。
しかし!
欲求を満たすにはコストがかかります。
この場合のコストとはお金のことも含みますが、お金だけの話ではありません。
時間、やる気、欲求を実現できなかったときの機会損失、それ以外の選択肢を捨てたことによる未来の固定化、などのことです。
いい大学に入りたいなら、勉強しなければなりません。
それがコストです。
欲求を実現しようとすれば、常にコストとのトレードオフが発生します。
東大に入りたいという欲求があったとしたら、それだけの勉強量と合格の可能性を天秤にかけて冷静に判断すればいいんです。
または、しばらく勉強してみて、無理そうだったら志望校のランクを落とせばいいんです。
これは欲求をガマンすることではありません。
これは、いま自分がぐーたらできるというメリットも含めて、コストを考慮してベストな手を理性で判断しているのです。
(誤解のないように言っておきますが、これは別にぐーたらしたらいかんと言っているわけでではなくて、むしろわたしはぐーたらなほうかもしれんとすら思っていますので)
では、肉体的欲求の話にうつります。
デートしたい!
・・・なら試しにデートしてみればいいじゃないですか。
彼女が欲しい!
・・・なら試しにテキトーにそこらへんの女に声かけてみればいいじゃないですか。
女の子とエッチしたい!
・・・なら試しに女の子とエッチしてみればいいじゃないですか。
こういっては何ですが、こういうものはある程度はお金の力でも解決できます。
ようするにまあ、90分○万円っていうアレですよ。
実際やってみればコストをかける価値があるかどうかがわかります。
これはわたしだけかもしれませんが解釈の一例を。
仮に好きでもない女とデートしても、期待とのギャップに愕然とするほど楽しくありません。
相手の目の前では言わないにしても
「あー、今すぐ帰ってエロゲでもしたい・・・」
とすら思うほどです。
仮に彼女が欲しいと思ってテキトーにそのへんの女に声かけたとしても、どーでもいいとしか思えない女のご機嫌取りしなければならない局面にひたすらうんざりします。
女の子とエッチしたいというのは男ならふつうの感覚ですし、1度もしたことがなければなおさらですが、実際のところ好きでもない女としてもあんまり気持ちよくありません。
それよりはむしろ、良作のエロゲでもプレイして、ヒロインの誰かの心にふれて、いつの間にか好きになっていて、そして臨むエロシーンでヒロインといっしょに果てる、そのほうがよほど満足できます。
つまりわたしの場合は、三次元の女に期待しているものがほとんどないことが自分でもわかってしまい、しかもそれに払うコストがかかりすぎて全く見合わないと判断しているから今ここにいるわけです。
もしわたしを見て
「それは自分がモテないからひがんでいるだけでしょ?」
と言われたとしても、明確に否定できます。
現時点のわたしは、すでにおなにぃは二次元でしかしません。
三次元の女にはそれくらい期待がありませんので、ひがんでいるわけではないのは明らかでしょう。
もしわたしを見て
「あなたはモテる努力をする前からそれを放棄している!」
と言われたとしたら、それはそうかもしれないとは答えます。
そして
「そのとおり。モテる努力をするだけの価値はそこにないからね」
と返事するかもしれません。
ここまで読むと、コストの問題で三次元の女から身を引いていると思うかもしれませんが、それは二次的な解釈にすぎません。
少々うがった書きかたになりますが、そうではなく、
「俺様がそこまでする価値がある女は三次元では見たことがない」
というのが正解です。
(べつに女は嫌いと思っているわけではなくて、自分から近づきたくはないな、くらいの感覚です)
これは、日本語で自分の名前を書ければ誰でも受かるような私立大学にわざわざ高い学費と4年分の人生をかけて通う意味がどこまであるか、という問題に似ています。
(まあ、今すぐ働きたくないから大学に行くという理由でも否定はしませんけど)
二次元のヒロインはそうではありません。
みんなあっという間に好きになってしまいます。
そういう女の子たちを日々愛でて暮らすために今かなりのコストをかけています。
(たとえば今期は16本もアニメ見てたとかですねw)
もしこれを大学の話で例えるなら
「俺が学びたいことはその大学にあるんだから、それがFランだろうが関係ないよ!」
というのに近いのかもしれませんね。
人から見たときの価値観に自分を合わせるなんて、そんなもの世間体を良くするくらいにしか役に立ちません。
本当に自分がしたいことが何なのかということを理解し、欲望を否定せずに完全に掌握することこそが解決の手段です。
これはつまり、
抱き枕がほしいのに買えるだけのお小遣いはあるのに買わずにためらっている人よりも、
本当は三次元の彼女がほしいのに誰も相手してくれないからしかたなく抱き枕を買ってガマンしている人よりも、
自分がいちばん好きな二次元の女の子の抱き枕をさっさと買って毎日ニヤニヤして布団にもぐる人のほうが何倍も幸せだということです。
もしゆうさんがここで記しましたわたしの通った道をたどってみて、それでも三次元に未練が残るのであれば、それはしばらく苦しみが持続することになりますし、最終的に三次元に帰ったほうがいいという判断になるかもしれません。
それでも何とかしたいという現状を考え直すきっかけにはなるかと思いますが、いかがでしょう?
追伸:
そこまでお褒めいただけますと嬉しく思う反面こそばゆいほどです(笑)
以上のようなご質問をいただきました。
当記事にて返信いたします。
該当記事のレスにするにしては長くなりすぎましたので。
ゆうさんのお気持ちはよくわかります。
これは社交辞令で言っているのではなく、かつてわたしが通った道ですから痛いほどよくわかるのです。
ゆうさんは欲求と対峙するにあたり、わたしとは正反対くらい異なるアプローチをとっているように見えます。
わたしの取るアプローチをお試しいただければ、ひょっとすればだいぶ気が楽になるのでは…と考えます。
その方法をこれから順に説明します。
そもそも欲求とは、ガマンしなければならないものなのでしょうか?
キリスト教的な考え方でいえば、この答えはたぶんYESです。
「主はあなたを見ています。あなたが欲求をガマンしている辛く悲しい今の日々は、きっと死後の世界で報われるでしょう」
となります。
そしてこういう人の多くは死ぬまで苦しみます。
しかしわたしはそうは思っていません。
わたしは欲求の存在を肯定します。
欲求とは、成長の源泉です。
ようするに、いい大学に入りたいと思わなければ、高校生は誰も自主的に勉強しようなどとはしませんから。
これを、キリスト教を曲解して
「大学に入りたいと思うあなたの心は競争を生み、世に荒廃と弱者を生み出します。中卒以上の学歴を欲するべきではないのです」
なんて必死で勉強している受験生に高説たれるのは間違っているはずなんです。
ゆうさんは肉体的欲求に耐え切れないとされますが、
おそらくデートしたいとか、彼女が欲しいとか、女の子とエッチしたいとかという意味かと察しますが、
その欲求があるのに理性で否定しようとしても辛いだけでしょう。
ではどうするか?
欲求を満たそうとすればいいんです。
しかし!
欲求を満たすにはコストがかかります。
この場合のコストとはお金のことも含みますが、お金だけの話ではありません。
時間、やる気、欲求を実現できなかったときの機会損失、それ以外の選択肢を捨てたことによる未来の固定化、などのことです。
いい大学に入りたいなら、勉強しなければなりません。
それがコストです。
欲求を実現しようとすれば、常にコストとのトレードオフが発生します。
東大に入りたいという欲求があったとしたら、それだけの勉強量と合格の可能性を天秤にかけて冷静に判断すればいいんです。
または、しばらく勉強してみて、無理そうだったら志望校のランクを落とせばいいんです。
これは欲求をガマンすることではありません。
これは、いま自分がぐーたらできるというメリットも含めて、コストを考慮してベストな手を理性で判断しているのです。
(誤解のないように言っておきますが、これは別にぐーたらしたらいかんと言っているわけでではなくて、むしろわたしはぐーたらなほうかもしれんとすら思っていますので)
では、肉体的欲求の話にうつります。
デートしたい!
・・・なら試しにデートしてみればいいじゃないですか。
彼女が欲しい!
・・・なら試しにテキトーにそこらへんの女に声かけてみればいいじゃないですか。
女の子とエッチしたい!
・・・なら試しに女の子とエッチしてみればいいじゃないですか。
こういっては何ですが、こういうものはある程度はお金の力でも解決できます。
ようするにまあ、90分○万円っていうアレですよ。
実際やってみればコストをかける価値があるかどうかがわかります。
これはわたしだけかもしれませんが解釈の一例を。
仮に好きでもない女とデートしても、期待とのギャップに愕然とするほど楽しくありません。
相手の目の前では言わないにしても
「あー、今すぐ帰ってエロゲでもしたい・・・」
とすら思うほどです。
仮に彼女が欲しいと思ってテキトーにそのへんの女に声かけたとしても、どーでもいいとしか思えない女のご機嫌取りしなければならない局面にひたすらうんざりします。
女の子とエッチしたいというのは男ならふつうの感覚ですし、1度もしたことがなければなおさらですが、実際のところ好きでもない女としてもあんまり気持ちよくありません。
それよりはむしろ、良作のエロゲでもプレイして、ヒロインの誰かの心にふれて、いつの間にか好きになっていて、そして臨むエロシーンでヒロインといっしょに果てる、そのほうがよほど満足できます。
つまりわたしの場合は、三次元の女に期待しているものがほとんどないことが自分でもわかってしまい、しかもそれに払うコストがかかりすぎて全く見合わないと判断しているから今ここにいるわけです。
もしわたしを見て
「それは自分がモテないからひがんでいるだけでしょ?」
と言われたとしても、明確に否定できます。
現時点のわたしは、すでにおなにぃは二次元でしかしません。
三次元の女にはそれくらい期待がありませんので、ひがんでいるわけではないのは明らかでしょう。
もしわたしを見て
「あなたはモテる努力をする前からそれを放棄している!」
と言われたとしたら、それはそうかもしれないとは答えます。
そして
「そのとおり。モテる努力をするだけの価値はそこにないからね」
と返事するかもしれません。
ここまで読むと、コストの問題で三次元の女から身を引いていると思うかもしれませんが、それは二次的な解釈にすぎません。
少々うがった書きかたになりますが、そうではなく、
「俺様がそこまでする価値がある女は三次元では見たことがない」
というのが正解です。
(べつに女は嫌いと思っているわけではなくて、自分から近づきたくはないな、くらいの感覚です)
これは、日本語で自分の名前を書ければ誰でも受かるような私立大学にわざわざ高い学費と4年分の人生をかけて通う意味がどこまであるか、という問題に似ています。
(まあ、今すぐ働きたくないから大学に行くという理由でも否定はしませんけど)
二次元のヒロインはそうではありません。
みんなあっという間に好きになってしまいます。
そういう女の子たちを日々愛でて暮らすために今かなりのコストをかけています。
(たとえば今期は16本もアニメ見てたとかですねw)
もしこれを大学の話で例えるなら
「俺が学びたいことはその大学にあるんだから、それがFランだろうが関係ないよ!」
というのに近いのかもしれませんね。
人から見たときの価値観に自分を合わせるなんて、そんなもの世間体を良くするくらいにしか役に立ちません。
本当に自分がしたいことが何なのかということを理解し、欲望を否定せずに完全に掌握することこそが解決の手段です。
これはつまり、
抱き枕がほしいのに買えるだけのお小遣いはあるのに買わずにためらっている人よりも、
本当は三次元の彼女がほしいのに誰も相手してくれないからしかたなく抱き枕を買ってガマンしている人よりも、
自分がいちばん好きな二次元の女の子の抱き枕をさっさと買って毎日ニヤニヤして布団にもぐる人のほうが何倍も幸せだということです。
もしゆうさんがここで記しましたわたしの通った道をたどってみて、それでも三次元に未練が残るのであれば、それはしばらく苦しみが持続することになりますし、最終的に三次元に帰ったほうがいいという判断になるかもしれません。
それでも何とかしたいという現状を考え直すきっかけにはなるかと思いますが、いかがでしょう?
追伸:
そこまでお褒めいただけますと嬉しく思う反面こそばゆいほどです(笑)