Always Autumn

Letter from Perth

牡丹の咲く頃

2009-05-03 16:50:20 | 花や木や鳥の話
今日の記事はちょっと長ったらしくてセンチメンタルです:


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世の中には植物を育てることがとても上手で

狭い空間でも、広い場所でも常に綺麗に花を咲かせ
実のなる木にはたわわに実をつけさせることに、何の問題もない方々がおりますが

そういう人をGreen Thumb(緑の指)園芸の才―の持ち主であるといいます。

私の父はまさに、ま緑の指を持った人でした

近所の家庭菜園で父がせっせと育てた野菜は、お日さまの香りと本来のお野菜の味がして

私が小学生の頃にそれまでのトマト嫌いがすっきり克服された覚えがあります。

そのおいしさを覚えた私は、暑い日にはおやつ代わりに
冷蔵庫の父の作品トマトを丸ごとパクパク食べたものでした

教師だった父は夏休みには家にいることが多く、一緒に高校野球を見たり
庭にある梨の木に実り始めた実に、新聞紙で作った鳥よけの袋をかけるのが恒例行事でした。

庭には柿の木もあって…
梨とか柿とか、も~~この庭の果物を食べたら
お店の物は食べられないって思う程においしかったのです

母も庭仕事が好きな人でしたが、この季節の庭では母の好きな色とりどりのつつじが咲き

6月には青や白のぽんぽんタイプの紫陽花と、繊細なガクアジサイが
憂鬱な季節を華やかなものに変えてくれたものでした

お客さんが来る時は、家の中の片付けよりも庭をきれいにしたい父。

なんで今、庭なんかやってるのさーと笑ったこともありました

後々、パースに遊びに来てくれた時も、庭いじりを手伝ってくれて

周りの人たちの予想に反して、植えていってくれた野菜は見事な収穫率だったし

お花もばんばん咲かせてしまったのでした

結局私の手入れが悪くて、後々枯らせてしまった花もあるけれど



大正14年生まれの父は寡黙な人で、いつも背筋をぴしっと伸ばし
黙々と読書や囲碁を好む人でした。

めったに声を荒げない人で、私は父に怒られた記憶がありません。

まぁ、都合の悪いことは忘れる主義なのでアレかも知れませんが…

ただ…
子供の頃、私と兄がケンカをして、やかましさが頂点に到達すると
父の「いい加減にしなさい!の決して怒鳴らない、静かな一言が
ぴたーっと一家の時を止めたのでした。

あれぞまさしく鶴の一声

ま、頭の毛もかなりなかったから“つるつるの一声”とも言えたかな

それでいて時々とんでもない冗談を言ったりブラックなユーモアなんかも携えていたので

そのギャップがどうにもこうにもびっくりで

多分、父は家族で一番おもしろい人なんだろうねと誰もが思っていたのでした。

骨の髄まで優しい人でしたが、変なところで昔のまんま、頑固で。

テレビはN◎Kしか見ないとか。

携帯電話なんてとんでもないとか。

インターネットなんて使うとろくなことになりゃしない、とか。

今こうしてネットの世界にはまっている私を見たら、お父さん、なんて言うかな~


思い出せば懐かしく楽しく、そして切なく。


2005年5月3日

桜の季節を終えて、木々の新緑が目にまぶしく

家の庭では、父が晩年こよなく愛しとても細やかに世話をしていたこの牡丹の花が咲く頃

父は天国へ旅立って行きました。

これらの写真は、この庭で最後(2005年)に見た時のお花と木。

優しい従姉のN子ちゃんが、主のいなくなった牡丹を引き取ってお世話をしてくれています。

良かったね、お父さん






てっせんです)



現在、実家には兄一家が住んでいて、お庭はどんな様子かわからないけれど

きっと若い世代のお庭になって家族の目を和ませてくれていることでしょう



そんなわけで今日は大好きだった父の4回目の命日。

ちょいとしんみりムードなお~たむでしたゴメンチャイ





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