震災から4日経ちました。
娘のA美が留学するために日本へと出発する、その日が(今月末)近づいてきています。
東京の兄に連絡を取っていますが、首都圏は大混乱の模様。
A美の予定は、成田に一旦降りて、兄に迎えに来てもらい私の実家(=兄のとこ)に一泊、翌日は
兄に送ってもらって羽田から関西空港へ、そこから大学に行くというもの。
先ほど兄に、今は大変だろうから、A美が成田に着いたらお泊り無しで直接羽田に行かせるよ、と言ったら
『成田から羽田に行く方が大変だよ。首都圏の鉄道は大混乱。
電車に乗れないどころか、所によっては駅構内に入ることすら出来ない状態だし。』
…と言われたので、とりあえず今回の予定はそのままに。
花粉症に悩む兄。
『ティッシュが買えない、店すら開いていない』と困っているようなので
「こっちからティッシュを送ってあげようか?」と言ったら、大喜びでした。
首都圏の郵便関係は大丈夫そうなので、まずはティッシュを送ることにします
(もしかしたら、G県のお友達も協力していただけるのだそう…アリガト
)
送ると言えば、輸出。
今回の震災で、オーストラリアの輸出業界も打撃を受けています。
鉄鉱石、お魚、パルプの原料となる木材などが行き場を失ってしまいました。
日本経済、世界経済。
元通りになるまでは、しばらく忍耐の時。
福島原子力発電所の状況が深刻化していますね。
専門家の方々が必死に対処してくれていますが、ものすごく不安です。
状況が刻々と変わるので、素人の私は何とも言えませんが…被害が最小限で止められますように。
今回の、東日本大震災(と呼ばれるようになったんですね)が起きた時から
ずっと胃が重苦しくて、胸のつかえが取れないようなこの気分、以前にも味わったことがありました。
これって、母や父が病気の時、帰るに帰れなくて辛い思いをした日々の感覚と似ています。
――病気がちだった私を苦労をかけて育ててもらっておきながら、こんな遠いところにさっさと嫁に来て
いざ親が病気になったら、ろくに手伝うこともできず、ちゃんと恩返しも親孝行することもかなわず、永遠の別れとなった――
仕方がないけれど、忘れられないあのもどかしい感覚。
私にとって日本は「親」そのものだと思うのです。
愛する母国は、帰ればいつも温かく迎えてくれた母親みたいな優しさと
何があってもネバーギブアップな、昔風の父親が持つ力強さを持った、世界に誇る素晴らしい国。
第二次世界大戦をくぐり抜けた、働き者だった父はこう言っていました。
『日本人は勤勉な、実にまじめな民族だぞ。
苦境に立たされても負けないんだ、俺たちは。
だから戦後、あの勢いで国は立ち直ったんだ。
俺はこの国をものすごく、ものすごく誇りに思っている。』
あの時父がこう言ったのは、オーストラリアの学校は休みが多い(例えば長ーーい夏休み)ということに対して
なぜかご不満だったからなのです。
電話で、父にとってはかわいいであろう孫たちの、学校の様子を話しただけなのに…。
で、「なんでそこで日本民族の勤勉さや素晴らしさを切々と訴えられにゃならんの?」とか。
「あーもう、そりゃわかってるってば、お父さん」。
子供の学校がお休みだなんて言わなきゃ良かったと、あのときは後悔したものでした。
でも今はその民族の芯たる部分、負けない強さがまさに必要な時期なんだよね、お父さん。
天から応援してくださいよ、一緒に。
今もまだ、ニュースで惨状を見るたびに、こぼれる涙は相変わらず止められないけれど
たくさん救出された方々や、再会を喜び合う方の様子を見ると今度は違う意味の涙がこぼれる。
これから、こっちの涙をもっともっと流せたらいいな。
オーストラリアからも救助隊が駆けつけました。
中には、ニュージーランドのクライストチャーチの地震で作業にあたって休む間もなく、こちらへ直行、という人も。
もう、日本だけの危機ではない、同じ地球に住む家族として、世界中の人が一緒にこの危機を乗り越えようとしてくれている気がします。
自らを危険にさらして救助を続けてくださっている皆さんに、心からの敬意を表したいと思います。
どうか、どうかお気をつけて。
ここでちょっと、オーストラリア国内の一連の報道について。
オーストラリア民放と、国営放送ABC(&イギリスBBC)報道の質の違いがかなり感じられました。
(関係者の方がいたら申し訳ありませんが)後者の方が、ダントツ、プロの本気を感じさせる報道です。
正確な状況説明、現地特派員の報告も理路整然としていて聞きやすい。
原発の状況を解析する博士たちも、素人にもわかりやすいようにじっくりと、丁寧に図で説明などしてくれました。
(それでも良く分からない私は、素人中の素人かも)
かゆい所に手が届く説明、状況報告。
こちらはただでさえ神経がとがっている時に、イライラさせられずに済みました。
こちらは、ABCニュースのページからサテライトのイメージ。
それぞれの写真の上にカーソルを当ててスライドさせると、その場所が津波でどのような被害を受けたか、前後の様子がわかります。
静かな町が消滅している写真、かなり…こたえます。
でもいつの日かこの続きが出て、あぁ、あんなに酷かったのにもうこんなに復活したんだね、と言えるようになりますように
最初がPart 1、次がPart 2 です。
http://www.abc.net.au/news/events/japan-quake-2011/beforeafter.htm
http://www.abc.net.au/news/events/japan-quake-2011/beforeafter2.htm
私ごとですが、仙台の友人が無事と分かって安心しました。
従兄の長女も仙台にいたそうですが、こちらも元気だとのこと。
東京に住む私の友人の一人は、一型の糖尿病(インスリンに依存しなければならない方)を抱えているのですが
お仕事場から帰れなくなったり、避難所の生活を強いられる時がいつ何時来るかわからないので
インスリンのキットをたくさん持ち歩いているんだと、メールで様子を知らせてくれました。
持病を持っている方は、こういう災害時にお薬の確保が気になるところですよね…。
私もパースは安全だと言い切れないので、喘息のお薬を(最近あまり使わなくてすんでいるけど)買っておこうと思います。
満身創痍。
傷だらけの、細っこくて小さな日本を抱きしめてなでさすってあげたい…って思ってしまうこの頃です。
今日も一人でも多くの方が助け出されますように、どこかで再会を喜び合う姿がたくさん見られますように、心をこめて祈ります。
最後にもう一つ
悲しみでいっぱいのこの時、お友達のゆかちゃんにジュニア君が誕生しました
心から、おめでとう
そして、明るいニュースをありがとう
3月14日、男の子は愛をお返しする日なんだっけ?
生まれたてほやほやで、たくさんの愛を配ってくれたね。
元気にすくすく育ちますように、コアラばあちゃんは見守っています
明日もやっぱり日は昇る ガンバレ、ニッポン