Always Autumn

Letter from Perth

父を偲んで

2012-05-03 14:25:50 | Weblog

 
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3日前の早朝の空です。

夜中じゅう降っていた雨が上がり、その日は良い天気の一日でした。

"Every cloud has a silver lining"

――“どの雲にも銀の裏地がついている”

“どんな暗い雲でも、向こう側には明るい日に照らされた部分(銀色の裏地)がある”

――そんなことわざを思い起こさせるような雲でした。


これが、日本語のことわざだと…

苦あれば楽あり。

待てば海路の日和あり。

…などなどいろいろありますね。


明けない夜は無い。
 

 私の父は、昔気質の頑固者で多くは語らず(お酒が入ると、よーしゃべった)
でも中身はとっても優しくて、たまにかなり面白い人でした。

戦争を潜り抜けて来た世代のニッポン男児、辛くても悲しくても表情や態度には出さず
常に静かに、夜は必ず明けるのを信じていた…もとい、夜を明けさせてしまうような芯の強さを持っていました。


その父でも、私の結婚式の時には大号泣(笑)

つられて招待客の皆さんも泣いて下さり、ついでに披露宴会場のスタッフの方々まで涙涙で。

泣き虫の母が「驚いて私の涙がひっこんじゃったよ」なんて言うほど珍しいことでした。



病気の母を父が一人で看病をして私はパースに)いた時は、辛くて悲しかったと思うけれどやっぱり多くは語りませんでした。

母の葬儀の後、とある日の夕食。

父が炊飯器のふたを開け、私にご飯をよそってくれながら
(結構何でもしてくれるお父さんでした

ぼそっと母との思い出話をしてくれた時に、さかんに目をこすって…

「あ~、湯気が目に沁みて、いてぇいてぇ」と。

父の涙を見たのは、あの時が最後だったかな。

晩年、さすがの父も日本の将来を憂いて愚痴っていたっけ。

皮肉にも憲法記念日に逝ってしまったのは、父なりの抗議だったのかも?


ここで、とってもお気に入りの一枚を披露しちゃいます。

父の生前に、こんな写真を公に出したら
「何やってんだ、引っ込めろ」って大目玉を食らいそう

インターネットも携帯電話も嫌いだったからなー。

でもそのくせ、突然プレステを買って碁のゲームして遊んで
「簡単すぎてつまらん」なんて文句を言ってた

もしかすると、この写真のことも
「出すんなら、もっと男前に写ってるのを出せ」とか言いかねない

大正生まれの心境は、いろいろと複雑なのです

(1998年、フリーマントルのレストランにて。当時A美9歳、ハリー6歳)


in memory of お~たむ父(1925年7月24日~2005年5月3日)




あ~~懐かしや懐かしや。





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Comments (14)
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