続 写真は心

お気に入りの写真に気ままな独り言を書き込んでいるブログです。

川越城・本丸御殿

2014-08-02 | お城・史跡

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先月末にかみさんが久しぶりに平日休みが取れたので、以前から行きたかった埼玉県にある川越城と氷川神社、それに喜多院へ行ってきました。

クーは勿論、川越にある江戸城と深い関係のある移築建造物群を見たかったのですが、かみさんは氷川神社の開運絵馬に興味があって行きたかったらしいです。

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駐車場のすぐ脇にあったこの「川越城本丸御殿」は、御殿としてその場所に当時から現存するものとしては、日本全国で「高知城」と此処「川越城」の二ヶ所のみなのだそうです。

この御殿は、幕末の嘉永元年(1848年)に松平斉典によって建てられました。
当時は16棟・1025坪もありましたが、明治政府の廃城令によって多くの建物は解体されました。
しかし、この大玄関と中の大広間は廃藩置県による県庁舎となり、その後も煙草工場や武道場として使われ、戦後は学校などになりましたが、昭和42年に本来の本丸御殿としての大規模な修理工事を行なって現在に至っています。

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当時建っていた御殿のうち、赤い線の2棟だけが現存しているのですが、離れた上の「家老詰所」(現在は玄関御殿に付随して建っています)は、明治初期に現「ふじみ野市」の商家に移築されていたものが、昭和62年に川越市に寄贈され現在地に再移築されたものだそうです。

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見事な風格の大きな唐破風屋根は、17万石大名御殿に相応しい威容を誇っていますね!
では玄関に入ってみましょう。

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御殿の前にある塀は「櫛形塀」と言うのだそうですが、如何にも御殿の塀という洒落た感じのする塀です。
建物内は撮影禁止ですので、中庭の写真を

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家老詰所から大玄関御殿裏の大広間側のお庭を見たところです。

この御殿には、殿様や家老などの身分の高い家臣だけが入れた正面大玄関だけではなく、身分の低い侍の出入り用に、北側にもう一つ「中之口」という一回り小さな玄関があります。

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文献によると、元はここも唐破風造りであったようですが、昭和42年の大修理の時にこの様な流れ屋根に造り変えられたそうです。

御殿内では、関係者の方や受付の方がいろいろと御説明くださって、とても良く解りありがたかったです。感謝します!


つづく


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