ともちの小さなGLOBE

人生は一期一会のLong and winding road。小さな地球儀をめぐる日々をブログにしました。

過剰品質…

2013-06-08 05:55:49 | 徒然なるままに
先日、海外研修した新人達がグループディスカッションをして出た答えの一つが…
「現地が求める品質に沿って、現状の品質を見直すことでコストダウンする。」
確かに聞えは良い。プレゼンテーションも良い評価だったと聞く。

しかし、自分に言わせれば0点以下
まだ入りたての新入社員がコレを言うこと。
品質は落とさず創意工夫でコストを下げる事を血眼でトライするのが、「いろは」の「い」。

昨今の経営者達は、経済誌で「現地品質に合わせることでコストダウン」の連呼。
これを、若い連中が聞いたら、創意工夫もせずに品質を落として値段を下げる事に走るのは自明の理だ。

そして、この後に続く言葉が、製品品質の低下を、営業(Sales)・サービス(Service)・部品(Spare Parts)である3Sが、一体となって補って行こうというスローガン。
これ、見方を変えれば、アフターサービスに信頼性低下の尻拭いをさせると言う事。
アフターサービスの出番は、ユーザーが困った時の救済。いかに迅速に対応しようともユーザーに不利益を与えていることに変わりは無い。結局、ユーザー視点と言いながら、メーカーのユーザーを無視した安易な妥協がそこにある。
少なくとも真の3S活動とは、市場を拡大し永続できるビジネスを構築していくための添え木に他ならない。この3本の添え木が作り出す強固なベクトルである3Sパワーはビジネスの基盤となるもので、決して低下させた品質を補う事を最終目的とするものではない。

いずれにせよ、この発表を肯定する上司も愚の骨頂。年寄りが若い芽を摘んでいることが分からないのか?
昔は営業との喧々諤々の議論の中で殺意を抱いたこともあったなぁ…
でも、絶対に出来ないとは言わなかったし、言えなかった。なんとなれば、出来る理由が一つでもあれば、それは出来るから。
営業から技術に対して、「現地品質に合わせることでコストダウン」なんて言えば、技術屋は腑抜けになること請け合いだ。営業自身が変な知恵をつけてしまったのも大きな問題か…
何で、アフリカの果てでも中古の日本車が沢山走っているのか??
それは信頼の品質がそこにあるから。 過剰品質って何なんだ??

物創りの失ってはならない理念が「そこ」にあるんだけどね。


年の瀬に、ものづくりを思う

2012-12-29 11:50:41 | 徒然なるままに
世界を駆け回った年の瀬に改めて、日本のものづくりを見つめれば、自分なりのPRINCIPLEを改めて噛締める。

「お客様が安心できる、魅力的な製品を、タイムリーに、安価に、市場に供給し成長していく」

安心とは: TRUST(信頼)
魅力的な製品: INNOVATION
タイムリー: TIMING 時代のニーズ
安価: COST 適切な価格

誤解を恐れず書くが、あえてCOSTは4番目に置いた。
少なくとも日本企業が、安価で信頼できる商品を市場に提供し、大きく成長してきた事に異存は無い。

当然、COSTは欠かざるべき大きなファクターであるが、市場のTRUSTをおざなりにしてCOST競争だけに走れば超短期の利益を得るのみで愚の骨頂。
長期的には、市場で信頼の遺産を食い潰し、市場を裏切って衰退していくことは自明の理。…市場は決して嘘をつかない。
そして、上手く行かなければ事業撤退があたりまえに言われる今、理念も無いままの撤退は全てが負のスパイラルに落ちるのも自明の理。

一方、市場を、そして市場のニーズを十分に知り、供給側が世に出す製品を創造しないかぎり、INNOVATIONは生まれない。
MARKET INで培った知恵を巡らせたPRODUCT OUTが無ければ、満足の先にある感動を与える製品を、世に送り出す事が出来ないのは絶対だ。
そして、製品を世に送り出すTIMINGは、成功の可否にも直結している。

TRUSTに直結するのは、確固とした顧客を見据えた物づくりの信念と、誠意ある販売、そして顧客視点でのアフターセールスサービスだ。しかし、本当に信念を持って市場を見据えているのか。
現場第1とは良く言う言葉だが、実態が即さなければ世間一般へのリップサービスに過ぎないものとなる。
結果、価格競争のみに終始する短期利益を求めるステークホルダーへの気回しが日本企業の競争力を著しく低下させているのが一つの現実。

INNOVATIONが先行する競争相手の無いBLUE OCEANでの戦いにも、競争相手との血まみれの戦いを繰り広げるRED OCEANでの戦いでも、市場のTRUSTがなければ生き残る事は出来ない。
ゴールを見据え、生き残らなければ意味が無い。
そして、これを具現化できるのは「人」だ。


ここに「海軍五省」をあえて書きたい
 至誠に悖るなかりしか
 言行に恥ずるなかりしか
 気力にかくるなかりしか
 努力に憾みなかりしか
 無精に亘るなかりしか

…お客様が安心できる、魅力的な製品を、タイムリーに、安価に、市場に供給し成長していく…

すべてが、あたり前のことだが…これを真摯に実行する勇気が試されているのが今だろう。


はままつ東北交流館がオープン

2012-04-21 21:22:55 | 徒然なるままに
今日は、4月16日にオープンしたはままつ東北交流館を尋ねます

館内で大船渡ボランティアのメンバーとも再開し、懐かしい時がを過ぎていきます…

はままつ東北交流館のHPは↓
http://www.venus.dti.ne.jp/akahori/koryukan_access.html#
多くの方々が訪れる事を願っています


交流館は、震災から1年が経ち、人通りの多かったモール街からの移転
新しい場所は住宅街のマンションの2階

エレベーター利用の案内があるけれど、階段を登れば入り口はすぐそこ

被災者のコミュニケーションの場の提供と東北物産を扱っており、子供達の遊び場も提供




東北物産品も販売しています


、、、思うことが一つ…

去年の6月に大船渡に行った時は、世界中からのNGO団体や善意の支援物資、そして官民あげての協力に強い絆を感じたのも事実…日本もまだまだ捨てたものじゃないと・・・

そして今を見るときに、瓦礫の受け入れに難色を示す地方の姿… 困っている仲間を助けるのは当たり前だろう…
あの時感じた””は何だったのだろうか…

少なくとも震災直後の日本人の凛とした姿勢は紛争だらけの世界の中でも範となるものだったと思う。
事実、世界中の訪れた国々の方々から、震災に対峙した日本人に対する賞賛の声を聞いた…

浜松市からの援助も終わり、交流館は市中心部から離れた露出の少ない住宅地へ
1年が過ぎればそれでいいのか…震災の記憶は風化しないのか…
未曾有の大災害に対峙する地方行政と、その根幹にあるべきPrincipleとは何なのか…
来るべき震災での被害を最小限に止める事は、地方行政の大きな目的である事は疑うべきも無い
それならば、近々の震災の記憶を風化させない手段を講じるのが自明の理
行政であってもビジネスであっても行動する時の、いろはの「い」の字は「目的」と「手段」を明確にすること
手段を具体化するには市民への露出の多い、市民施設に置くのが道理と思う

浜松市も近い将来確実に震災に見舞われるかもしれない
果たして、その時に凛として現実と対峙できるのだろうか…
 
昨今のマスメディアでは、地方の時代が持て囃されているけれど、大衆受けする個別最適の価値観の押し付けが見えてならない…

”が風化しないことを願ってやまない



東北交流館が移転オープンして、早1ヶ月…

この間のニュースを振り返れば、九州では、被災地の瓦礫の受け入れを拒否して市民団体が座り込み…馬鹿じゃないのか!!!
放射線の検査をしての受け入れすると言うのに…

ある馬鹿者は受け入れ量が少ないから意味が無いなどとも言う…

量の問題じゃないだろう!!
助け合う気持ちって何なんだ… 困っている同胞を助けられなくて何が世界に誇れる日本人の絆なのか…

正直言って、座り込みをやった連中は、自分の事しか考えられない自己主張のみの人間か…
自由平等、自己主張は良い事だ… USAは自由の国… しかし、USAでこれをやったら恥さらし呼ばわりだ
あんなニュースを見ると、少なくとも、アメリカ人の方が同胞を助ける気持ちは強いと感じざるを得ない…
国歌斉唱をしない教師の居る日本… どんな草レースでも国歌斉唱で始まるUSA

自由を履き違えた日本人の心は何処に行ってしまうのか? 

大船渡へ…

2011-06-28 22:26:49 | 徒然なるままに
6月23日から26日まで、昔御世話になった大船渡市へ…

大船渡にはボート工場もあり、1995年から1999年頃まで開発していたJETの生産の為、何度と無く訪れた町…Raider GP 今では懐かしい響きがある
工場は2000年頃に閉める事になったけど、多くの仲間も暮らしているし、港でJETに乗ったり、休みを利用して遠野や花巻にも足を伸ばした事もある思い出の地だ
遠野の昔話や銀河鉄道…花巻の温泉に、わんこそば…

そんな思い出の地での大災害…
今回の被災のニュース映像は驚きを通り越していた

ボランティアなどと言うとおこがましいが、自分の勝手で2日間の休みを取り、浜松市社会福祉協議会が企画してくれた災害ボランティアに応募し大船渡に向かった…
今回の参加者は11名 いずれもボランティアには初参加の面々
社会福祉協議会も多くの方にボランティアを経験してもらおうと初参加者を優先している。
11名の内訳は女性4名に男性7名、そこに社会福祉協議会のベテラン職員2名がサポートする
23日朝7時30分に浜松市を出発し水沢で一泊、翌日から大船渡に入り金曜土曜と活動し26日早朝に大船渡を発って21時に浜松に戻る道程…

梅雨空の下、東北道を北上すれば蔵王白石あたりから瓦屋根にビニールシートを掛けた家々が目に付いて来る…
夕刻、被災地の沿岸部から約2時間の距離にある水沢市に入る
災害の爪痕は感じられない街並に入れば、異様なまでに政治屋のポスターが目につく…笑顔を振りまく小沢一郎のポスターが所狭しと貼られた様子はブラックジョーク以外の何ものでも無い

24日の早朝、水沢を発ち陸前高田経由で大船渡に向かった…
陸前高田を経由するのは大船渡に入る前に悲惨な被災地の状況を目に焼き付けて理解して欲しいと言う引率者の配慮からだった。
スマトラ地震の爪痕を、スリランカ、インドを訪れた際に見てきたが、それ以上に僕の感覚では東北沿岸部の破壊規模は想像を絶する凄まじいものがある
スマトラ地震の爪痕は海外の事ゆえ、ここまでの大災害は日本では起きないのだろうという感覚が僕にあったのも事実。 しかし、それ以上の災害がこの地で発生したのは、まぎれも無い現実だ
写真は陸前高田に通じる唯一の橋から撮影したもの。 それ以外の橋は全て破壊されている。津波が河川を通じて内陸部に入り込んだのは解るが、ここは沿岸部から5kmも奥に位置する場所だ…山に向かって撮影したように見えるかもしれないが、レンズは沿岸部に向けている

地盤沈下で海の中にある球場…


大船渡での宿泊拠点は盛町の八幡公民館

地元の方々の温かい好意により浜松のボランティアが宿泊させていただいている。
盛町から1km沿岸部に向かえば災害の爪痕に覆われるのに、この周辺では食堂やスーパーに、コンビニも開店し少しずつ生活感を取戻しつつある。
しかし、常宿にしていた沿岸部の福富旅館は、今はもう無い…

ボランティアの仕事はボランティアセンターが統括して各々に割り振る事により、当日の混乱の無い活動に結びついており、その手馴れた運営に感謝したい。


24日金曜日の活動は男性チームが、立根小学校での支援物資の仕分けと搬出。女性チームは我々と分かれて沿岸部での物資の仕分けを行うことになった。
堆く詰まれた支援物資には世界各国からの真心のこもったメッセージも綴られている。


この支援基地で荷物管理のボランティアを行っている軽井沢で英語教師をしているランディは英語の話せない地元の主婦とも日本語を超えた意思疎通が出来ており、主婦達の笑い声が絶えない。食品貨物の日程管理に先入先出しは欠かす事の出来ない後方支援業務。自衛隊が搬入し、我々が仕分けして搬出して行く作業は続いていった…


今日1日の搬入搬出仕分け作業を終えて…皆さん本当に御苦労様でした。


翌25日金曜日、早朝に近所で朝市が開催されていた。
早朝の朝市に集まる人々に、震災に負けない元気をもらう事が出来た。


25日のボランティア活動は昨日の屋内作業とは打って変わり屋外での、被災したワカメ工場のワカメの廃棄作業に携わる。
男女含め我々11人全員が一丸となっての作業で4トンのワカメを段ボール箱から出して、ビニール袋を破り、廃棄袋に入れる作業。
廃棄袋に入れられたワカメは海洋投棄される。
港からワカメ加工場を見た姿


今回の作業は3ヶ月経ったワカメの廃棄作業であったけれど、匂いは魚ほど強烈でもなく黙々と作業を行い全ての片付けを3時には終了できた。


作業も終わり、一緒に作業したワカメ加工場の方々に被災時の御話を伺った。
地震発生は昼間であったので働きに出ている消防団員が防波堤の水門を閉めるよりも、元消防団であった工場の方々が一生懸命閉めた。その後、津波は地震発生から30分ほどでやってきて、第1波よりも第2波による引き波で多くのものが破壊され工場も骨組みを残すのみで冷凍倉庫も20m以上流されてしまった。
港の入り口には、チリ沖地震の津波被害を教訓とした万里の長城のような湾口防波堤が設けられていたが、これも第2波の引き波で破壊されてしまった…しかし、この防波堤によって津波到達時間を遅らせる事が出来た事は、少なからず人的被害緩和に結び付いたようだ。
残念なのは、津波により、この近所でも7名の方が亡くなり、2階屋の2階に避難した方々が尊い命を失った事。
海岸近くでは玄関に鍵を掛け2階に逃げた一家3人が犠牲にもなっている。高台に逃げるほんの一瞬の決断のずれが悲劇に結びついたのがまぎれも無い事実だ。
津波は夜間も数波に分かれて押し寄せており、正面の碁石海岸にある観光船が流されてきて港に止まった(船側のガラスは粉々に破壊されている)

この大型船も夜間に防波堤の上に乗り上げた。


避難して一番辛かった事は飲み水の確保だった。
水道も止まり冠水により身動きも取れない中、破壊された自動販売機の飲み物を皆で分けて何とか渇きを凌いだそうだ。

現実には地震で破壊された建物は多くなく、津波の引き波で破壊されたケースが殆どだが、引き波の衝撃が少なかったワカメ加工場近くにあった古くからの木造建設様式である気仙造りで建てられた家は津波で2階まで浸水し屋根だけ水面に出ていたが、壊れることなく現在は、改修作業が進められていた。


大船渡工場があった事は地元の方々も良く知っており、当時お世話になった千葉さんもワカメ加工場の方の親戚だと知り嬉しさと懐かしさを感じた。
別れ際に、地元の方々と握手を交わし三陸のワカメの復活を願い、ここを後にした。


漁師さんに話を聞けば、漁船も残ったものは全体の3%程度で、殆どは海中に沈んだりして引き上げられた姿を丘にさらしていた


「年寄は、漁船を買う借金をするのは難しいよ」と言うけれど、「若い人はホタテの種付けやワカメの種付けを行おうとしているよ」との話も聞けた事に一縷の希望を感じたのも事実だ。


自衛隊の方々、全国から派遣された警察官の方々、ボランティアセンターの有志、大船渡市役所の方々、そして全国から集まったボランティアの方々との出会いは心温まるものがあったし、特に自衛隊と警察関係者の活躍には心から頭が下がる思いがする。


今回派遣された場所で出会った地元の方々との会話には破壊し尽くされた中にあっても一縷の希望を感じるものであったし、地元の方々が一生懸命頑張っている事実がひしひしと伝わってくる。
一方、破壊された冷凍倉庫の魚が、片付けられず腐るに任せて3ヶ月も放置され、インドやアフリカの劣悪の漁村で嗅いだ匂いが、美しい港町だった大船渡に漂っているのは、地元ではなく、国の行政の責任によるもの。
政治屋を国会から引き摺り出して腐臭漂う冷凍倉庫前で国政会議を行わせれば、1時間もしないうちに非常事態を宣言する事だろう。
災害状況を的確に理解する為にも、議員、とりわけ国会議員は被災地でハードシップの高いボランティア活動に1日でも従事すべきだ。

福島原発での海水注入での国会混乱と原発で陣頭指揮する吉田所長が海水注入を継続していた事実が、日本の会社組織の真の姿と表現していた報道を思い出した。情熱を持ったリーダーとスタッフが業務の中心を司っていることが日本の底力だとすれば、復興に当る現地の姿は正にそれと瓜二つだ。

被災地では、校庭が避難住宅で使えない中、瓦礫に囲まれたネットポールも曲がった一面のテニスコートで大勢の女子中学生達が逞しくテニスをしている姿があった。
人々は決して災害に負けているわけではない。

災害は人々から、かけがえの無い人や財産を奪い去るけれど、希望と勇気は奪う事が出来ない

そんな言葉を胸に被災地の復興を祈り、思い出の大船渡を後にした。
今度来る時は、美しい大船渡へ家族で来よう。


TIA

2011-04-16 21:15:26 | 徒然なるままに
TIAとは、This Is Africa の意
アフリカに仕事で携わるとよく聞く言葉… 映画ブラッド・ダイアモンドの中でも主役のデカプリオが良く使うセリフだ。

今朝アフリカ出張者から次の訪問地であるブルキナファソで混乱が生じているとの知らせが入った。
先般収まった筈の国内の混乱が、昨日、息を吹き返して地方都市から発生・・・
現地代理店からも首都のワガドゥグでも銃声が聞こえるとの事で、訪問予定はキャンセルするように指示した。

以前、僕が訪問した際、ブルキナファソは、アフリカの中でも温和な国という印象が強かったのが事実…
隣国のアイボリーコースト(仏名:コートジュボワール)の騒乱に刺激されたのか、混乱の渦は収まる気配が無い
アイボリーコーストでは対立者の身柄が拘束されたにも拘らず、以前にも増して混沌とした状況になっており、現地在住の外国人も国外退去し、事の収束を待つ日々が続いている・・・

写真は額面10兆のジンバブエドル…

ドイツで印刷された透かし付きのこの札も紙切れ同然…完全に狂った経済の末路がここのある

白人からの搾取の歴史がアフリカの側面…
それに根ざした、富に対するアフリカの人々の中にある強烈な個人主義が全体主義を駆逐し混乱を招いている感があるのも事実。
そして、自国での地下資源の発見は、その国に不幸をもたらすのが多くのアフリカ諸国の現実…
長期独裁政権の国々は世界のあちこちにあるけれど、ことさらアフリカ大陸に集中するのも、搾取と貧困の歴史がこの怪物を生ませていると痛烈に感じざるを得ない。

一刻も早くこの混乱が収束し、希望と勇気に満ちた日々が混乱するアフリカの国々に訪れる事を祈って止まない。


This is Africa … 

災害は吾人より富を奪い得ても勇気を奪い得ず

2011-03-29 21:54:05 | 徒然なるままに
今日の新聞にあった、南三陸で最後まで命がけで津波警報を放送し続けながら、濁流に呑まれてしまった遠藤未希さんの記事に涙した。未来のある24歳なのに無常を感じざるを得ない。

不幸があると日本では「自粛」という言葉が巷に往来する。
これは、日本人の「思いやり」の連帯意識が根底にあるからだと解釈したい。
しかし、過度の全体主義的自粛は、復興への行動に水を注すものにならないかを危惧してしまうのも事実だ。
身近では、5月の連休に行われる浜松祭りも早々と中止が決定した。被災者の方々の気持ちを考えると祭りの中止は頷ける部分もあるけれど、あえて誤解覚悟で言えば、過度の自粛により人の動きが止まることは、お金が回らない事に繋がるのも事実だ。それは経済活動の停滞を意味し、税収入の悪化に結び付くのは経済学のいろはの「い」。税収入が無いと復興支援に行き詰る事からも、大きな行事は中身を自粛する部分と色分けし、不足する警備の部分も責任感を持った凛としたお互いの助け合いを持つ事でなんとか出来なかったものか…成功出来れば皆の気持ちを、より強く一つにするチャンスに繋げられたのかも知れないのに…
僕は過度な自粛よりも皆が現状を理解し、凛として顔を上げて、考え行動する勇気が、今こそ必要だと思う。

一方、部品調達もままなら無い状態にある製造業では、多くの生産ラインがストップしているのも現実。おそらく、リーマンショックからの景気浮上にも水を注すかもしれない。
これに加え、前述の過度の自粛が負の要因として働かない事を切に祈りたい。
松下幸之助翁の言葉に次のものがある。
「みんなが、「不景気だ不景気だ」というときは、まだ不景気ではない。
みんなが「もうダメだ」と思ったときが、本当の不景気なんだ。」

日本は戦後の焼け野原からも復興してきた。僕は、「もうダメだ」と諦めない勇気が奇跡を起こしてきたと信じている。
そして、「どんな悪条件下でも、これが最後だと思われる事態に直面しても、頑張って頑張り抜かなければならない。そう言う者にのみ活路は開けて行くものである。」という意識が奇跡へのプロローグになって欲しいと願って止まない。

今回の震災で多くの犠牲者が出た事は、今も信じたくない事実…

大船渡に残った、かつての仕事仲間の一人が亡くなった知らせを先日聞いた時は本当に辛かった。もう10年前、大船渡工場を閉める時に、地元に残る従業員の方々の再就職先を親身になって最後まで探し続けた志田さん。本当に素晴らしい人だったのに残念でならない。

天災を不運と片付けるのも、あまりにも悲しい。

「災害は吾人より富を奪い得ても勇気を奪い得ず」
そして、
「勇気あるところに、希望あり」

今こそ勇気が必要だ。


震災について思う

2011-03-13 20:17:17 | 徒然なるままに
今回の震災で亡くなった方々に謹んで哀悼の意を表します。

11日の地震発生時、浜松で長い揺れを感じインターネットを確認すると東北地方で大きな地震があったとの速報。
当初のネット情報も断片的なもので、帰宅しTVでの映像を見るまで、ここまで被害が大きいとは想像出来なかった。

津波警報が出る中、帰宅…TVをつけると、94年から98年の5年間、仕事で何度も往来した大船渡市の悲惨な映像が目に飛び込んで来た。
一関からドラゴンラインと呼ばれた大船渡線で、気仙沼を通ってリアス式海岸をギザギザと走る電車に揺られて大船渡まで行った記憶が今でも思い起こされる。
あそこには、確かにごく普通の美しい日本の街並があった。
かつての仲間はどうなっているのか、この突きつけられた現実の前に茫然とする自分。

ここ浜松で東海大地震が来ると言う警告も、子供の頃の記憶を呼び覚ませば、僕が小学生だった40年近く前から言われている。(宝物だった天体望遠鏡を子供なりに何時でも持ち出せるようにしていたっけ…)
そして12日に街に出れば、いつもと変わらない人の往来。デパートも買い物客で混雑している…
…同じ日本なのに…言いようの無い矛盾と無常…
この日常生活が一瞬で無くなる事から目を逸らす事は到底出来ない。

一方、この機会に国家の危機管理を考えれば、現地視察を早急に総理大臣が行う事は良しとしても、危険状態の回避に全力投球中の原発に視察に入るとは自らのパフォーマンス優先で大局を見えない事として言語道断。国の代表である総理が視察すれば現場スタッフが世話をしなければならない事も考えられないのか?結果的にその後の爆発事故に至るまでの対処に遅れをきたしたのではないかという批判は今後受けざるを得ないだろう。
はたして、こんな無能な舵取りで日本は良いのか…?

釈然としない気持ちの中、世界に目を向けてCNNニュースやBBCニュースを見れば、世界中が大震災のNEWS一色になっている。
イデオロギーを超えた国際援助も続々と来ている。
友人であるモルディブのShifauからも心配のメールと電話が入ってきた。
あらためて不合理だらけの世界にも慈しむ気持ち…「愛」ってあるなあと思い嬉しくなった。
What a wonderful world…
心温まるこんなサイトも開設されていた…
http://prayforjapan.jp/message/
日本は素晴らしい。まだまだ捨てたものではない。

そして13日の夕方、大船渡出身のマサに重い気持ちで連絡を取ると、彼の家族はみんな無事だったとの事で胸をなでおろした一日。

言いようの無い週末だった…

3月17日:
震災の悲惨なNEWSは日を送る毎に酷くなり、原発関連の大惨事は世界中が注視している。
「核」は神のものなのか…
原発事故の大惨事の中で、命の危険を顧みず懸命に惨事回避に努める現場の人々には頭が下がる思いがする。

東電の説明には人手不足との表現も出る事態の今、振り返って「メンテナンス」とは何なのかあらためて考えてみた。

「メンテナンス」とは一般的に「サービス」「保守点検」「整備」と言う呼び名でアフターセールスサービスに関する業務として称されている。

一方、目先の利益を追かける無能な経営者からは、この「サービス」という職種に対して、維持管理費用ばかり掛かって利益を生み出さない部門と言う馬鹿な発言も聞く。
しかし、この「サービス」という部門はCS(Customer Satisfaction)と呼ばれる顧客満足に直結するものであって、ここを蔑ろにした企業は必ず大きなしっぺ返しを食らう。
販売製品が即、一般人に直結する車やレジャー商品などは、お客さんの顔が見えるゆえCSを理解しやすいかもしれないが、はたして、原発の「顧客」は誰だったのか…
当然、答えは「株主」ではなく「国民」の筈だ。

ドラッカーの言葉に以下の一節がある。

われわれの「顧客」を決定する時、私たちは事業のありようを決定することになる。

振り返って今回の事故で、後日この事故が総括された結果メンテナンスに対する不備があったとすれば、それは「顧客」というものの本質を東電が見えていなかったからなのかもしれない。

この惨事が1日も早く終わる事を願って止まない。


テロとの遭遇

2011-01-26 20:36:22 | 徒然なるままに
週末からモスクワに居た筈が、ビザ手配のトラブルで出発できなくなり、出張は来週に変更・・・

前回のカリブ出張から出国トラブルを抱え続けているのかと考えながら、月曜の新聞を開けば、モスクワでの空港爆破テロのニュース
モスクワに2つある空港の中で、JALが到着する方の空港での事件とのこと

以前、ヨルダンに滞在した時のHYATTホテルも、1ヵ月後には爆弾テロで破壊・・・

仕事柄とは言え、戦場カメラマンでも無いのに危ない橋を渡ってきたと思う次第。
昨日は、多くの方から声を掛けられ、心配していただいた。

世界に行けば至る所に、テロの火種はあるわけで、こと政情不安のある国や、発展途上国では、富の集中や政治腐敗、宗教対立に端を発したテロの温床が蔓延り、復讐の連鎖が、テロ行為の火に油を注いでいるのも事実。

しかし、多くの理由はあるにせよ、発展途上国での、精神を蝕む絶望的な貧困を目の当たりにすると、「テロとの戦い」と「貧困との戦い」を分けて考える事はできないと思う。
情報社会の中で、貧困がテロを引き起こしているとする見方も出来る。
マイクロクレジットによる貧困層の自立支援を展開し、2006年のノーベル平和賞を受賞した、バングラディシュのムハマド・ユヌス氏は、「貧困は平和への脅威」として警鐘を鳴らしている。
世界の所得配分で、94%の世界の所得は40%の人々のところに集まり、残り60%の人々が僅か世界所得の6%で暮らしている世界。世界人口の半分が1日2ドルで暮らし、1億人以上の人々が1日1ドル未満で暮らしている事実から目を背ける事が出来るだろうか。
一方、これと相反する事実として発展途上国と言われる国々でも携帯電話の普及は目覚しいものがあり、以前訪れたアフリカ諸国でもプリペイドカード利用の携帯電話は庶民の耳になっていた。
悠久の昔から貧富の差はあったにせよ、情報伝達により圧倒的に世界は小さなものになっている。

平和ボケした日本かもしれないが、世界は動いている。
チュニジアの動乱の周辺諸国への波及…情報で溢れかえった貧困だらけの混沌とした世界

What a wonderful world.


プレジャーとコマーシャル

2009-12-02 21:52:16 | 徒然なるままに
久しぶりに徒然なるまま、この頃ふと思うことを書いてみたくなった。

物づくりは、趣向性の高いプレジャー用途と、生活を支えるコマーシャル用途に大別されると思う。

具体的に言えば、次の写真にある水上バイクの世界は、まさにプレジャーのカテゴリーに当てはまる。
ニース近くの海岸で自分のJETを降ろして乗り出そうとするオーナー:(JETの楽しみは? の問いかけに、日常からの逃避との哲学的回答)


この写真はフランスのオレロン島レースの1コマ
100馬力を雄に超えるエンジンを載せたJETが一斉にスタートするシーンは、端的に日常からの乖離を物語ってる。


一方、これはインド南部ケララ州の漁船
10馬力に満たない船外機を船側に2台装備した船に20名近い漁師が乗っている。
このちっぽけな2台の船外機は、漁師とその家族達を養っているわけで、おそらく200名近い人間を食べさせているといっても過言ではないと思う。


100馬力で1人の満足を満たすプレジャーの世界と、10馬力2台で200名を養うコマーシャルの世界
華々しいプレジャー商品からすると非常に地味なコマーシャル商品は、こと社会貢献と言う視野では崇高な輝きがあるのが分かる。

プレジャーのマーケットを「非日常」「日常からの乖離」という人間の欲求を満たすものとすると、この趣向性を満たす為には、常に創造性に富んだ Something New を市場に提供し続けなければならないわけで、ヒューマンファクターから離れて、趣向性のベクトルが馬力競争等に陥ったマーケットが伸び悩む姿がここにあるのかも知れない。

ここまで、両極端な分野としてのマーケットを紹介したが、改めて日常に目を向けると…
実際、普段の通勤の脚に使う車などはプレジャーとコマーシャルの世界を行ったり来たりしているものだと思う。

普段はかみさんの脚のFITも週末には、家族と2台のロードレーサーを楽々呑込み郊外へ誘ってくれる。
フルオープンにして星空の下、帰宅の道を走るS2000…仕事のモヤモヤも吹っ飛ぶ日常からの乖離を与えてくれる。

過酷な市場環境での創り込みによって、プレジャーのカテゴリーにコマーシャルの品質がオーバーラップする姿。コマーシャル用途でも、びくともしない信頼性。
これが、Made in Japan 神話の根幹に有る。

非日常というキーワードが現実志向のアウトドアに向かうものなのか?バーチャル志向のインドアに向かうものなのか?
価値観のシフトが大きくマーケットを左右している今日この頃… 

決して忘れてはならない軸足は、Made in Japan 製品を支える、信頼性という「強み」だと思う。

混沌とした世相を振り返って

2009-04-29 04:40:53 | 徒然なるままに
今日から連休が始まる。
世相を反映してか、今ひとつパッションに欠ける気がする。
毎月、多くの工場が生産調整として休みが増えている事もゴールデンウイークという言葉の輝きを鈍らせている。
これも混沌とした世相を映し出しているのかもしれない。

今日は今一度、生活のONとOFFを切り分けて、徒然なるままに、この世相に対する思いを真摯に書きとどめてみたい。

二宮尊徳の
「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」
という言葉がある。

不況といわれる世相を振り返れば、新聞を賑わす不祥事や、道徳のかけらもない投資銀行の錬金術…金融工学とは合法的な詐欺行為かとも残念ながら思えてしまう昨今。
道徳なき経済は犯罪と切り捨てた二宮尊徳の言葉から世界を見ると、働く事、生きる事のプライドとは何かが、問われている時かもしれない。
虚構の金をかき集めた高収入に引き金を引かれた社会の惨状。「世のため、人の為」とは古風な言い方かもしれないが、世の中への有益なアウトプットがない限り、世に巣食う癌細胞と同じだろう。

「道徳は実利に結びつく」 これは松下幸之助の言葉。
道徳を忘れたら犯罪者。お金だけがクローズアップされるニュース…偽ものだらけの世の中。
もう一度原点に立ち返って全てを見つめ直す時が今だろう。

ビジネスのPrincipleは、[Partner and Customer and Social Satisfaction]。
多くの会社が掲げる企業理念には大なり小なり、このエッセンスが根底にあるが、真にこれが根付いているのかが混沌とした世相からビジネスに対する問いかけだと思う。

2008年12月26日 安全率7の世界観

2009-04-10 20:43:32 | 徒然なるままに
2008年は車の買い替えを3度見送った。
諸般の事情はあったが、最後はリーマンショックに釘を刺された。
現在乗っている車は、平成4年式のR32スカイライン。
新車で購入して16年の伴侶となるが、4月の車検切れを前にネットでタイヤを購入し、車検を通した。
愛車はそれなりのメンテを怠らず、今でも乗るたびにファントゥドライブを与え続けている。

表題の安全率7というのは想定される応力の7倍の強度を持たせて設計すると言う事。
古くは良く使われていた手法であるし、日本の品質を支えてきた数字がこれかもしれない。
欧米の車に比べて、発展途上国で多く見かけるのが、日本では考えられないくらい古い日本車達であるし、Made in Japanの神話がここにある。
20年以上前のカローラでさえ、それなりの高値で海外では取引されている。

今の景気を見ると、不景気と言う報道が購買意欲の減少を呼び、負のスパイラルに庶民感情を向かわせていると思う。
結局、人々が購買欲望の中で、大きな買い物はせず、小さな買い物に動いているのが実態だろう。
故にユニクロやH&Mが賑わい、かつて3年スパンで新車購入していた意識は停滞し、壊れなければ良しとして、実際の車購入が減少している。
一方で、魅力ある商品開発が出来ず、若者の車離れを招き、いつしか車に乗ることが楽しみではなくなり、車を利用するのみに終始するマーケット。
北米偏重の浅い物創りと経営思想が生んだ景気衰退とも見えないわけではない。

サブプライムの話は、去年から言われていた事ではあっても表立った対応を怠ったのも、PCにおける西暦2000年問題とラップするものがある。
また、1バレル130ドルを超える異常な石油価格の高騰は、消費者にオイルショックの時と同じようにガソリンが限りある資源である事を強烈に印象付けたが、その後のサブプライムバブルが弾けた事による景気収縮と重なり、嫌でも消費者の車買い控えに繋がっている。
一度上げた品質は戻せないし、信頼性を否定してはMade in Japanをも自ら否定する事になる。
今が正念場。

ただし、人間は物欲を無くせない生き物である以上、数年後の物欲の大津波による景気回復の時に、いかにエポックメイキングな商品をさせるかで、淘汰されるかもしれない企業が決まると思う。
ピンチをチャンスに変える時が今だろう。

2008年8月10日 インドを想う

2009-04-10 20:40:28 | 徒然なるままに
先日、インド駐在から5年ぶりに帰国した旧友と飲み交わした。
毒舌の彼の言うインド人に対する罵詈雑言も確かに一理あるかもしれないとも思った。
ここではインドの素晴らしさについても述べたことがあるが、今回インドのネガティブな部分に焦点を当てて記述してみたいと思う。

今回残念ながら状況を伝える適切な写真が手元に無い。より理解を深めるのであれば、
「ムンバイ スラム」「カースト」「プーランデビィ」「バラナシ」でWeb検索していただきたい。
猛暑で沸騰する季節の中で、混沌とした世界を知る刺激になるかもしれない。

私自身もインドを訪れて目の当たりにする貧富の差は筆舌に尽くしがたい。ムンバイ(=ボンベイ)の空港を上空から見るとスラム街が空港を侵食する勢いで迫っている。
また、親子三代、石切り場から出た事が無く外の世界を知らない人々、その子供達を命がけで外の世界へ開放しようとするNGOが存在するという話も聞く。
そしてカーストによって今もって職業が決められる世界の存在。
私が訪れる南部ケララの漁民はカーストとしては非常に低い位置にあり、高位のカーストのインド人は、彼らに近寄る事さえ拒むのが現実だ。

近年、欧米から心臓手術を行うのに安価で腕の良いインドの病院に患者が訪れる話も聞く。
病室は高級ホテルのようで、医師も場数を踏んで腕が立つ英語が堪能な方々らしいが、看護婦は南インドの看護婦カーストの女性達が付くと言うのも、言いようの無い世界を感じる。
さらにIT大国インドと言うが、ITというカーストが存在しないから才能が開花するという笑えない矛盾もある。
また、インド現地の新聞を見るとレイプ事件も数多い事が分かる。プーランデビィという女盗賊から国会議員になり暗殺された彼女の生涯を綴った本の中には、カーストが低いからと言う理由で家畜同然に扱われ、レイプを繰り返された事実も語られている。
カースト制は禁止されていると対外的には言うが、その実、インド社会の中で非常に根深く人々を支配している現実がそこにある。
そしてイギリスがインドを支配できたのもこのカースト制を利用して反対勢力を分散させたからに他ならない。

一方、選挙シーズンになると貧しい村に井戸が次々作られ、大局そっちのけで、選挙人集めに翻弄する選挙運動。
その選挙期間以降は、貧民層を除いたインド人口の半分だけ食べさせれば良いとして政策を立てるから国がまとまっているという友人の意見もある。
もし、それをしないのなら、もう一方の巨大人口を抱える中国のように共産主義に走らなければ国を纏められないと言う意見には自分も頷きながら考え込んでしまった。

現在、海外の大学には多くのインド人の富裕層が留学している。
価値観の違いと言えばそれまでだが、自由社会を見た彼らに、インドでの矛盾はどのように映るのか。
少なくとも、カースト制の現実に対して異議を唱える者は、表立っていないし、石切り場から子供達を命がけで助けるNGOの世界にも彼らの姿は見えない。

まさに、自身の世界観では図れない、混沌とした世界がインドだ。
格差社会と言う言葉が日本ではもてはやされるが、インドのそれは全く異次元と言っていい。そして、「人」とは何かを改めて深く考えさせられるものがある。

ガンジス川の辺にある聖地バラナシ。
ここは火葬場が大きくなって街を作ったと言っても過言ではない。
BRICSの台頭と世間では言うが、ガンジスの水で沐浴し、対岸の彼岸に向かって祈る彼らの姿はどこに向かうのだろうか。


2008年8月9日 成果主義の終焉

2009-04-10 20:38:48 | 徒然なるままに
近頃、企業が競って採用した成果主義の弊害が取り沙汰され、政府もそれを否定する見解を述べるに至っている。

正直言って、何をいまさらと言う感が強い。
ここでも何度か述べたかもしれないが、目先の利益のみに囚われれば、中国製のアフターサービスが皆無なコピービジネスと何ら変わらない。

僕はPartner and Customer and Social Satisfaction の繰り返しによる永続的なビジネスの成長思想、そして物創りに対する創意工夫と愛情が日本企業を支えてきたと信じている。
これに歯止めを掛けたのが、言葉だけ先行し目先の利益に特化した成果主義だ。
成果主義が闊歩した時期は、「堀江モン」「村上ファンド」「住宅強度偽装」「リコール隠し」そして「日本製を疑うようなリコール問題の数々」数え上げたら切りが無い…

一概に成果主義からの転換と言っても、この後遺症から立ち上がるには働く意味への原点復帰が不可欠だと思う。成果を求めるあまり横への連携を忘れ「個別最適主義」に走り、「全体最適」が見えない組織。人を増やしても伝言ゲームに終始し業務効率が低下する組織… Made in Japanは余りに大きな物を無くしてきた。
そしてこれを打開するキーの中心にあるのは「人」に他ならないと思う。
僕が、Partner and Customer and Social SatisfactionとしてPartner を真っ先に書いたのは企業を支える「人々」の幸せが無ければ企業理念は絵に書いた餅でしか無いと信じるからだ。

ここで企業活動のキーポイントであるマーケティングに目を向けると、これは、企業の価値観の映し鏡にも見える。
マーケティングと一言で言っても、それは”人”と"人”との関係作りであり、それをリレーション作りというならば、”IR(Investor Relations)”と”PR(Public Relations)”と”ER(Employee Relations)”のバランスがマーケティングに他ならない。
とかく企業は建前と体裁作り(=Investor Relations)にはしりがちで、その化粧道具として”Public Relations”を使いたがり、最終的には、建前論ばかりで”Employee Relations”を忘れ、気がついたときには”後の祭り”状態になっているのが泥沼にはまった日本企業かもしれない。

システムだ、ロジックだと言って箱物を作っても“人”としての魂を入れなかったら意味は無い。

自分自身、世界の新興国と言われる国々を歩く中、Partner and Customer and Social Satisfactionの考え方に行きつく国は知らない。
“人”を中心にすえる考え方はその日の糧に終われる新興国には難しいかもしれない。
BRICSが台頭する今だからこそ、Partner and Customer and Social Satisfaction のビジョンの元、目線を遠くにおいて、感動を創造する商品をもって社会を潤していくのが、新しい日本株式会社であって欲しいと願ってやまない。


2007年3月 スリランカ内戦

2009-04-07 05:52:33 | 徒然なるままに
2007年3月36日、スリランカの首都コロンボの国際空港に隣接する空軍基地をタミルタイガーが空爆した。死者は3名との事。冥福を祈りたい。
何度も訪れたスリランカであるが、内戦の話はいつも辛い。

20年前にはコロンボ空港での旅客機爆破テロにより多くの日本人が彼らの手により死んだ。
それ以前には、モルディブの首都マレにまで侵攻した彼ら。(この時はインドの空挺部隊により鎮圧されたが…)
タミルタイガーで検索すれば、兵士達の素顔も伝える色々なニュースを見る事が出来る。
内戦やテロの根底にあるイデオロギー。
しかし私は、貧農に金を渡し幼い少女に自爆テロを行わせ要人殺害を謀った彼らの考えを許す事が出来ないし、彼らが、自爆テロを行った善悪の判断も出来ない年端もない少女の写真を家々に飾り崇めさせる姿には吐き気を覚える。

隣接するインドのタミルナド州には、多くのタミル人が住む。しかし一概にタミル人と言っても、カースト文化も複雑に入り組み、タミルタイガーと同一視するものではない。
あくまでもタミルタイガーはスリランカに根ざしている。

しかし、空軍基地まで爆撃する能力を持つ彼らを単なるテロ組織とは呼べないと思う。
彼らの実効支配するスリランカ北部は良い魚場であっても漁もままならず、漁をしようとする漁師からは、臨検で金を徴収する彼ら。空軍基地を爆撃する航空能力に、戦闘用高性能スピードボート。
世界中から資金が集まる結果かもしれないが、憎しみの連鎖は終わろうとしない。

2月に訪れたスリランカでは、ボーダーラインの40km手前の町を訪れた。走り去るバイクに向かって沿道で手を振る人々はシンハラ人、タミル人の区別無く明るかった。
そして、その地での子供達の無垢な笑顔は、今も忘れる事が出来ない。

かつてインド洋の涙と呼ばれたスリランカであるが、この紛争が無ければ西アジアでもNo1の発展が見込める国だと思う。

この国に平和が訪れる事を願ってやまない。