備忘録として年末年始に読んだ4冊の書籍の読後感を徒然なるままに書き記そうと思う…
日経BP社発行の「江副浩正」は、数年来読んだ書籍の中でもBEST中のBEST
書中の「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」は、過去の自分と未来の自分を照らし合わせれば感慨深さもひとしお…
ビジネスをする上で、高い理念に基づく熱い想いと行動が成功に結び付いて行った事実は、熱い読後感と共に大きな勇気を与えてくれた一冊
そして、休み前に会社の図書館から借り出した3冊(ホンダイ ノベーション/P・F・ドラッカー/零式艦上戦闘機図面集)のいずれもが非常に興味深い書籍
特に、日経BP社DVDブックの、小林三郎著「ホンダ イノベーション」DVDの言葉には、改めて感じ入るものがあった。
数年前に小林さんが書かれた「ホンダ イノベーションの神髄」を読んでいるが、映像としてみると迫力も違うし新たに考えるものがある。
講演内には「愛ってなんだ?」と言う問いかけがあるが、日本では仏教的な「愛」とキリスト教的な「愛」が混在しているゆえ、答えに窮するのが本音。
日本での日常生活を振り返ると、愛車、愛機とは言っても愛洗濯機とは言わない…
この環境から導く技術屋としての僕なりの答えは…
愛 ⇒ 熱狂 (後述するがこれは多分に仏教的解釈の「愛」になる)
これは非常に商品コンセプトにしやすい言葉であるのは事実であって、お客様のニーズに嵌り込むものでもある。
少し話は逸れるが、「愛」について宗教的解釈を調べてみると興味深い結果が得られる。
仏教の「愛」は、異性、お金、名声などへの「執着心」の意味であって、 「愛」は、欲望の一種であり、煩悩の一つにすぎないとしている。そのため、仏教では「愛」を否定しており、『法句経』にこう書かれている。
「愛より憂いが生じ、愛より恐れが生ず。愛を離れたる人に憂いなし、なんぞ恐れあらんや」
この「愛」は、執着心の意味であって、仏教では、「愛を離れること」が理想となる。
確かに、仏教で解釈する「愛」は煩悩であって、我々が扱うレジャー商品も「煩悩」があって成り立つ物かもしれない。ゆえに「熱狂」というのは仏教的解釈の「愛」にほかならないだろう。
一方、キリスト教の「愛」は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」と言う言葉に集約される。
隣人愛の教えの根底には、自分だけが幸福になるのではなく、他の人と共に幸福になることを求める姿勢があり、「自分を愛する」ことと「隣人を愛する」ことは、車の両輪のように、たえず共に進んでいかなければならないことを意味している。
ゆえに、キリスト教にとって「愛」とは、隣人にとって最善であることを行なうことになる。
では、キリスト教の「愛」に通じる仏教の言葉は何になるのか?という問いかけに対して、仏教においては、「慈悲」がそれに相当する。
仏教において、「慈悲」とは"苦を抜き楽を与えること"であるとしており、解釈すれば、他の人の不幸を抜き去り、それに替えて幸福を与えることに行き着く。
かように、「愛」に関する解釈は文化のベースにある宗教においても異なっており、和洋折衷の日本でも、仏教的な視点の見方が根強い事は、世間を騒がす「略奪愛」と言う言葉や、「愛があるから戦争をする」と言う言葉を聞いた時も否定する気にはなれない感覚がそれを物語っている。
「愛無き技術は狂気である」
と言う言葉を僕は仕事で何度も使ってきているが、これはキリスト教的な「愛」に他ならない。
そう考えれば、万人受けする解釈として「理性ある愛」とするのが正しいだろう。
このように考えた時、講演録中にあるホンダの「哲学無き技術は狂気である」とする言葉が染入るように納得できた。 「技術の前に哲学」
では、価値の本質とは何か?
この問いかけに対しプレジャー商品における「煩悩への納得」と言う視点で見れば、本質的なものとして「周囲から一目置かれること」、「仲間との絆」「新しい発見」等々が答えとしてあるかもしれない。
一方、「世界の人々に豊かさと喜びを」と言う視点に立って、コマーシャル(業務)商品を念頭に置けば、「収穫量の増加」「作業軽減」「安全操業」等々があるだろう。
しかし、プレジャー、コマーシャルいずれにも共通する言葉の行き着く先にあるものは「幸福」に他ならない。
では、幸福とは何か?という問いかけには僕は即「笑顔」と答えたい。
お客様に「笑顔」を届ける為の「未来の顧客価値」に繋がる、イノベーションを創り出すには何が必要か?
イノベーションの根源 ⇒ 熱い想い
熱い想いが無ければ、常識をブレークスルーできる全く新しい提案は生まれてこない。
一方、知識が邪魔をして「常識」を固めてしまっているきらいもある。これは老害とも言われることも多々あるが、自分の成長を年齢で止めてしまうのは、あまりにももったいない気がするのは自分だけか?
柔軟な思想を持った年寄りになりたいと切に思う次第。
なぜなら完成されたと威張っている技術など、森羅万象の中では重箱の隅の一欠片なんだから。
また、顧客の声を聴くとして、お客様の声に基づいてプロデュースした商品が市場をシュリンクさせてしまった事もあった…
こんな経験もしているから、「お客さんに聞いてはだめ お客さんを観察すること」と言う講演録の中にある小林さんの言葉が僕には深く腑に落ちた。
ここが後述するドラッカーに比べて現場を見てきた著者である小林三郎さんの強いところだろう。
続いて、原書房から出版された零式艦上戦闘機図面集は、おそらく完成図書として官側に納入された物の写しだろうけれど、設計を始めて脂が乗り始めた頃の若者に見させてあげたい書籍
世界一の戦闘機を創り出すとした目的に向かって、徹底した軽量化の実践と、発生した課題に対する常識にこだわらないアイデアによる解決の具現化は、図面と言うアウトプットを通じて、技術開発への熱い思いを感じずにはいられない。
提示された要求性能の達成に際して、一方を立てれば他方は立たずという現実に対峙した時にブレークスルーが起きる。このブレークスルーに一役買ったのが超超ジュラルミンなどの周辺技術だと思うし、持てる力を炙り出し、タイムリーに選択できたことが卓越したマネジメントであったと感心した。
これは、高い理想目標に対し、創意工夫し総合力でアクションを起こしていくバックキャストの考えだ。当時、持たざる国の日本が技術的に大躍進したのは、この考えに起因するのだろうし、今も色褪せない技術マネジメント思想に他ならない。
以上からも、半世紀以上前のモノ創りにおいてさえ、バックキャストの考え方とともに、「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」と言う思想が、日本の物創りの中に深く根付いていることを伺い知ることが出来た。
また、最晩年の1年半をドラッカーに密着取材したダイヤモンド社の「P・F・ドラッカー」からは、ドラッカーがバックキャストの提唱者であることが良くわかる。
そして、ドラッカーの問いかけは、常に顧客は誰であるか?に他ならない。
ここには初めてのお客様を如何にロイヤルカスタマーにしていくかのヒントがいくつも隠されている。
顧客にとっての価値と、我が社にとっての価値は一致しているか?との問いかけは、ややもすると社内論理と、株主優先の見方からお客様を見失う企業に対しての大きな警鐘でもあると思う。
人を中心に置いた経営、大きなビジョンを持つ会社であること、大切なのは全体を見るマネジメントであることを訴える思想は、世が移り変わっても色褪せることがない。
そして、ホンダもドラッカーも価値の追求と言うコト価値マーケティングに関しては、全くぶれないベクトルである事実がここにある。
これらは名古屋工業大学の加藤教授の提唱する「未来の顧客価値」とも相通じるものを感じた。
最後に、全てを読破した後「我々の手でより素晴らしい世界を作り出す」「世界の人々に豊かさと喜びを提供する」という原点意識を振り返ると、江副浩正さんの「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」と言う言葉が、一抹の清涼感とともに僕の背中を強く押してくれていた。