ともちの小さなGLOBE

人生は一期一会のLong and winding road。小さな地球儀をめぐる日々をブログにしました。

金澤翔子さんの書展を訪ねて

2022-10-11 21:27:35 | 徒然なるままに
龍雲寺さんで10月1日~10日まで開催された、金澤翔子さんの書展
今年も、改めて感動の連続… そんな思い出を、境内の順路の沿って切り取った写真で綴ってみます

真っ先に目に付く書が、「不死鳥」…今回この書が凄い衝撃で脳裏に焼き付きました



以下、備忘録として、写真と解説を載せていきます… ありのままの感動…もう言葉はいらないでしょう…









































世界一大きな般若心経と一緒に飾られた、泰子さん翔子さん親子の写真の数々はどれも心を打つ作品です
無欲であり自由奔放な翔子さんの表情には、心が洗われます…菩薩様だなぁ…








娘を愛おしむ母の姿が、ここにあります






































龍雲寺さんの夕日に映える石庭


龍雲寺さんの小高い丘を登れば佐鳴湖を一望出来ます



佐鳴観音様にお参りして、感動の余韻に浸って龍雲寺さんをあとにしました…
金澤翔子さんの書は見る者に、希望を与えてくれる素晴らしい作品でした…
感動の備忘録として、ここにしたためます。
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「空」を捉える中での「愛」の解釈

2021-03-21 20:58:07 | 徒然なるままに
暁天座禅を通じた法話をもとに、自分なりに解釈した世界を、徒然なるまま、ここに書き記したい

空は「無」…しかし、だだ無いのではない
「独立して存在している」わけではないと考える
例えば、鼻と私…全てが繋がっているから鼻を通して匂いを感じ取れる
眼を通して色形を意識し、手を通して、物を感じ取る事ができる
しかし、手だけ「独立」していても、私たちに意識は伝わらない
体と意識は繋がっているのだから

相互が存在して我々は生かされている
体があって心、心があって体… お互いを切り離すことは出来ない
私が居てあなたがいる。あなたが居るから私がいる…
色んな人がいるから、私と言う言葉を使って自分を表している … 御縁で繋がっています
これは固定的ではなく常に流れながら営まれている … 諸行無常の中で固定的なものは無いのだから

「愛」は自分の心だけではない … 相手がいるから生まれる
愛だけでとらえると難しい … なぜなら固定的なものではないから
愛は熱しやすく冷めやすいものでもある…ある日突然に…
「好き」「好き」が執着を生む
この感情が時として怒りや憎しみに変わる
「愛」と言う感情だけでとらえると非常に不安定なものになる
「愛」ゆえに憎しみになる事もある

お釈迦様の言葉…【生老病死】
生老病死は、ただ「生きる、老いる、病む、死ぬ」ではなく、
生苦:生きる苦しみ
老苦:老いる苦しみ
病苦:病む苦しみ
死苦:死ぬ苦しみ
人生で避けることができない4つの苦しみ…
四苦八苦…四苦が「生老病死」となるが、それ以外に仏教では4つの苦を入れて、全部で8つの避けられない苦を挙げている
【愛別離苦(あいべつりく)】
愛するものと離れる苦しみ…
【怨憎会苦(おんぞうえく)】
憎しみを向けられる苦しみ、憎い人、腹が立つ人と会うことの苦しみ…
【求不得苦(ぐふとくく)】
欲しいものが手に入らない苦しみ…
【五蘊盛苦(ごうんじょうく)】
心体の苦しみ

この8つの苦しみから解かれる為に【八正道】がある

一:正見(しょうけん)
正見とは「正しいものの見方」で物事を見るということ
偏りないものの見方をすること…

二:正思惟(しょうしゆい)
正思惟とは正しい考え方を持つこと
正しい考え方というのは、偏らない考え方を持つということ…

三:正語(しょうご)
正語とは正しい言葉遣いをすること
相手の気持ちに立って、正しい言葉を発すること…

四:正業(しょうごう)
正業とは正しい行いをすること…

六:正精進(しょうしょうじん)
正精進とは正しい道に向かって正しい努力をすること…

七:正念(しょうねん)
正念とは正しい意思・信念を持つこと…

八:正定(しょうじょう)
正定とは、正見や正念という正しいものの見方、正しい信念を胸に、正しい座禅を行うこと…
内なる力を高めること…

では、「そもそも正しいとは?」…
自分の感情・欲望に支配されない、ものの見方や行動
この世の真理を理解せず、物事が自分の思う通りに運ぶと考えてしまうと、煩悩に支配されることで、正しいものの見方や考え方を持つことができなくなる

「愛」を自分の心だけでとらえると、執着心が生まれたり、憎しみが生まれる
まさに煩悩に支配された状態…正しい行いではない

体を通じて実践する
「愛」を「慈愛」と捉えるべき
感情的「愛」よりも、相手の事を思う「行動」が伴うことが大切
助ける思い、そして行動・優しい言葉…これだけでも愛は伝わる

「愛語」は慈愛の言葉である
行動から「愛」を伝える…感情だけでなく、体(思いやりの行動)を通して愛を伝えよう
【身心一如】
心だけでなく体を通して自分の心の在り方を表現する
怒りは心だけだと爆発して暴力になってしまう…感情的な「愛」もまさにそれと同じ
体を通して実践しよう
慈しみの気持ちのこもった行動で【愛】を伝えれば、誰もが皆優しくなれます。
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縁起を通じた調和がもたらす世界観の解釈…そして慈愛の心

2021-03-15 20:44:10 | 徒然なるままに
暁天座禅を通じて、慈愛について今までの法話をもとに自分なりに解釈したことを、徒然なるまま、ここに書き記したい

「空」

存在しないものが集まって機能している…これが小単位
この小単位も存在しないもの…これが集まって機能している
これがどんどん大きくなっていく
色即是空 空即是色 …無限の繰り返し

眼・口・鼻・耳・手・足…全て単独では機能しない…つまり無
集まって体となる…しかし、心が無いと機能しない⇒私たちの体は独立した実態ではない…つまり無
感情・思い・心の形… これらも独立したものではない…つまり無
体を介して動き出すことが出来る…空即是色⇒全てが関わっているから存在している
体があって心…心があって体
全て調和で成り立っている

しかし、私たちの存在も独立した実態ではない…色即是空
私と言う存在を証明してくれるのは周りの方々…周りの方々との調和
私たち自身の存在は「縁起」で成り立っている
一人ではない… 私たちは色んなご縁で繋がっている


色即是空 空即是色の無限の繰り返しで世界が成り立っているとするならば、それは「調和」により成されている

個人の個体としての調和、家族の調和、地域社会の調和、国の調和、世界の調和、宇宙の調和…

それを司るものが「縁起」
良い縁もあれば悪い縁もある、ひとつの「縁」が、好むと好まざるにかかわらず、平衡する「調和」を生み出す
俯瞰して世界を見よう…争いごとが絶えない世界…歪んだ調和で成り立っていないか?…

悪縁と良縁
俺が俺がに捉われては、我の欲に苛まれ、悪縁を呼ぶだろう…
無い無い、有る有るに捉われれば、足るを知る事を忘れ悪縁を呼ぶだろう…
仏の教えは良縁による調和へと導く術を説いている
【菩提薩埵四摂法】
「布施」:施しであり、分け与えること。自分の為ではなく、他の人の為・世の中の為に何かを施すこと
「愛語」:慈しみの言葉。どんな人に対しても、その人の事を第一に考え、その人のためになる言葉をかけること
「利行」:利他の心。他人の利益になることに、力をつくすこと
「同事」:自分も他人も同じと気付き、相手のことを思い、相手と同じ立場に身をおき、行動を共にすること

利己主義が言葉を変えて個人主義へ
「空」の解釈からしても個人主義は小さな世界への逆戻りだろう…
しかし、菩提薩埵四摂法を知れば、それは病んだ世界を見直す勇気を与えてくれる
個人主義に陥るのは悪縁が怖いからか?…ならば菩提薩埵四摂法を知りなさい
人は一人では生きていけない…良縁を繋いでいこう
きっと今日より良い明日が来るはずだ

一方、個人主義と対比する全体主義は、政治的プロパガンダに結びつくきらいがある
はたして仏の教えは全体統制の思想に結びつくのだろうか?
「偏界曾て蔵さず」
世の中はすべてあるがままの通り、見えなくさせているのは私たちの心の曇りにある
一つのものにこだわれば何も見えない
全ては自己との対話…バランスを保ち迷ったら真っ直ぐの自分に戻ること
仏の教えは、慈愛の心と共に、心の平穏を説いているのだから
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般若心経における「空」の解釈

2021-02-23 23:38:28 | 徒然なるままに
2月14日に行った早朝座禅の法話で語られた般若心経における「空」の解釈…
今まで思ってきた疑問を優しく解説してくれた智賢和尚の言葉
その時のメモを読み返し、考えて得た結論を、徒然なるまま、ここに書き記したい


「空」とは…無

無…形あるものは、いつかは無くなってしまう

色即是空 空即是色

「空」すなわち「色」
色⇒実体⇒空⇒実体⇒無い…存在しない

眼・耳・鼻・口・舌 ⇒ 無い

感情は無いもの…この世の物は無い物である

そうすると、、私達は何?? … 無いものであるのに…


ベトナムの禅僧  ティクナットファンの解釈
空⇒独立した実体は無い
色即是空⇒私たちの体は独立した実体ではない
感情・思い・心の形… これらは独立したものではない
眼・耳・口も独立したものではない
体が有って眼・耳・口で感じられる
全てが関わっているから存在している
これ一つひとつが存在している訳では無い
心・感情 全てが関わって存在している
私達は「縁起」で成り立っている
例えば…
ひと粒の御飯  これにどれだけの御縁が関わっているか
水・太陽・風…色んなものの御縁が重なって米がある
御飯を盛り付ける器…誰かが作ってくれた
⇒御飯一粒も意識すると、無数の御縁が重なって成り立っている
これを食べて私たちの体は出来ている
⇒すべてのものが繋がっている…いろんなものが関わっている
それが「縁起」

まさに仏の教えとは「縁起」である
しかし、縁起にとらわれてしまっては今ある真実が見えづらくなってしまう
例えば…「偏界曾て蔵さず」
世の中はすべてあるがままの通り、見えなくなっているのは私たちの側に問題がある

精進料理は肉と魚は食べずに野菜で作る…しかしこれにとらわれたら野菜が少ない国では生きていけない
モンゴルなら動物主体になる…これでは仏の教えは伝わらない
⇒ 一つのものにこだわれば何も見えない
眼・耳・口にとらわれれば何も無い
体があって心…心があって体
全てを調える事が大切(調和)

自分は一人で存在している訳では無い
私と言う存在を証明してくれるのは周りの方々
⇒そんな関わり合いの中で自分は生きている

諸行無常
体(形)は、いつか無くなる
しかし、私たちの体は、いろいろな御縁で繋がっている

無い無いに捉われてもいけない
有る有るに捉われてもいけない
バランスが大切…真っ直ぐな自分に戻ること
仏の教えは、心の平穏を説いている


「空」の法話の解釈を終え、平穏な心で周囲を眺め、身近なところに目をやると、この文章を書いているディスクトップのパソコンが目に入る…
この筐体の中には、マザーボート・CPU・メモリー・グラフィックボート・ハードディスク・電源…
いずれもその単体では機能しないものばかり…つまり「無」
全てが集まってパソコンになり、そこにソフトウエアーが介在し、いま文章を書いている…全てが関わっているから、機能している… 一つのものでは機能しない

そして、見方を変えて、会社と言う組織…
大きなプロジェクトを行うには、それぞれの能力を持った人が集まり、1+1が3以上になる、大きな仕事を完遂している
その「人」も「無」によって成り立っている
しかし、全てが関わっている(繋がっている)から自分は存在している

つまり… 「色即是空」⇒私たちの体は独立した実体ではない
そう考えると、私たち自身の存在は「縁起」で成り立っていることを実感する
一人ではない… 私たちは色んなご縁で繋がっている…

これが自分なりの「空」の解釈です
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身心脱落

2021-02-22 20:08:28 | 徒然なるままに
早朝座禅の法話から感じたことを書き記したい

今回は「身心脱落」

この言葉によって道元禅師が大きな悟りを得た
天童山で如浄禅師に師事し座禅をしている時に、他の禅僧が居眠りをした際の、禅師の叱咤の言葉が「参禅は身心脱落なり」

居眠りはダメだ⇒捉われてもダメだ
脱落とは捉われから離れる事…煩悩から離れなさい

煩悩から離れる事⇒心だけでは難しい

仏道をならふというふは、自己をならふなり。
自己をならふといふは、自己をわするるなり。
自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。
万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。

人生は苦しみ...その原因にどう対処するか⇒座禅…これを通して自己を見つめて自分は何なのかを知る
⇒自己をならう⇒我和忘れなさい⇒自分から離れて自分を見なさい
自己を忘れる⇒真理をさとる

あらゆる自我意識を捨ててしまう

自己(自分の体と心)・他己(他人の体と心)
脱落⇒捉われから離れること
⇒あるがままの姿に気付く

身心一如
心が一番暴れる
心…嬉しい事、悲し事、嫌な事…心の感情は外部要因の中心…これが変化していく
ゆえに、心だけ抑えていくのは難しい
泣くことを我慢してもダメ…体で表現する
心だけでなく体を通して自分の心の在り方を表現する
怒りは心だけだと爆発して暴力になる
迷っているときはただ迷う、苦しいときはただ苦しむ⇒「身心脱落」

我が我がの心から離れなさい
悟ろうとして座禅をしてもダメ
ビジネスの成功…利益を上げただけでは一過性のモノ
次に何をする…ビジネスを通じて世界をより良くしているか?
共に成長して行く…自分だけではダメ…「縁」

体・心から離れること…自我意識を全部捨ててしまえ ⇒「身心脱落」
座禅をしていることは悟っていることに他ならない
自己は悟りの世界に溶け込んでいる
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偏界曾て蔵さず

2021-02-05 20:22:10 | 徒然なるままに
早朝座禅の法話から…気付きの言葉

偏界曾て蔵さず(へんかい、かつてかくさず)

世の中はすべてあるがままの通り、見えなくなっているのは私たちの側に問題がある

この世界はあるがままの通りに存在しているのであって、真実を隠すものは何もない

目の前に広がっている真実…隠しているのは自分の心…心のくもりを取り除いて、真実を見つける…自分で気付く事が大切

悟りとは、自分のありのままの姿に気付く事

諸行無常…常に同じ物は無い…今の自分に気付きなさい


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温故知新

2021-01-06 04:53:57 | 徒然なるままに
温故知新
1月3日に座禅を組み、その法話から自分なりに考え解釈した、新年に誓う本年度のテーマを、ここに書き記したい

人類は幾多の災いを経験してきた
今回のコロナ禍もその一つ
今まで多くの戦争があり、疫病も蔓延し、今以上の不幸も経験している
自分と向きあう事…何が問題なのか…考えてみる…そして新たな考えを見つけ…一歩踏み出そう
仏教もお釈迦様の教えを弟子たちが伝承し今がある…キリスト教、イスラム教もまたしかり
先人の経験を学び、振り返り、今ある問題の解決を考えて行く
古きを学び知恵をつけ、その土台から次に繋がる新たな一歩を模索していく

人の肉体はいつかは無くなる…しかし知恵は残る
人は支え合いながら生きて来た
何かの縁
縁が繋ぐ人の輪…新たな出会い…新たな知識
日々好日…日々を振り返れば、嫌な事も良いことも積み重ね…
その日、悪かったことも、長い時間軸で見ると好転のきっかけを作ってくれているものもある
これも縁が紡ぐものだ…前向きに生きて行けば結果は自ずとついてくる

1000年前も、100年前も、10年前も人は同じように悩み、支え合いながら生きて来た
昨今はスマホなどのデバイスにより便利になったが、本質は人
自分と向き合うことで行動が生まれ、縁を紡ぐことで新たな一歩が生まれる
これは昔から変わるものではない…縁...そして温故知新

古きを温め、新しきを創造する…一歩一歩、前向きに生きて行こう
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資本主義の終焉

2020-12-29 23:17:05 | 徒然なるままに
年の瀬に、思いを綴りたい…

北米ではコロナ禍による工場操業停止の空白期間を置いて、自動車やボートを始めとしたレジャー関連ビークルや、それに付随する製品の販売は絶好調
そして、日本でも同じような傾向が見て取れる…
普通に考えれば、大変な社会環境の変化と共に不況が囁かれる現在のコロナ禍の状況で、趣向品の購買に走るのは全く理解できないし、以前なら、景気悪化の予兆を見るにはメガヨットなどの富裕層向け超高価格帯商品の動向を見ればわかるとされてきたことが全く予測不能の状況…
この現状の説明として、ロックダウンや自粛により遊びに行けなくなった金が、アウトドアレジャーや個人趣向消費に向かったと言われているが、このベールを剥がせば2020年初からのコロナ禍が浮き彫りにした資本主義社会の歪みが見えてくる

コロナ禍の中でのアメリカ大統領選では共和党のトランプと、民主党のバイデンの戦いとなったが、未来に向けた世界のリーダーたるべきメッセージは一つも無く、あるのは利己主義による個別最適論と政敵批判に終始し、崇高な理念のかけらもない強欲なグリード戦いにしか見えなかったのは、世界が目撃した紛れもない事実だ

大統領が強欲なグリードであれば、経営者の多くが同じ穴の狢であっても何ら不思議ではない…
世界の富は、ほんの数パーセントの金持ちが握っているともいわれるように富の不均衡は社会を蝕んでいる
世界を見てもCEOは膨大な金額の年収を得ている訳で、日本の一流企業の社長の給与も当然のことながら、億単位の現実がある
老練なコンサルタントが、会社が税金を多く収める事が企業価値を高めるゆえ、役員給与は高額でなければならないと述べていたこともある
そして、日産の社長だったカルロス・ゴーンが数十億円の年収を得ていた事実とそれに付随する異常なまでの金への執着が、逃亡劇の一部始終から白日の下にさらされた…
30年前、目刺しの土光さんが居た頃の日本は、経営層と一般社員の間に、これほど極端な給与格差は存在していなかった…Japan as number oneが出版されたころは欧米に比べて日本が経営層との間に極端な給与格差が無いことが強みとも記されていた…
しかし、今の日本は、まさに欧米化だ…

一方、現在はコンピューターサイエンスの爆発的開花により、ITを中心とした産業革命の真っただ中で、未来のコト価値に繋がる産業技術が花開く姿は、明るい未来への希望を人々に抱かさせてくれているのも事実だ
しかし、産業革命は花開いても、前述の規定事実となってしまった会社組織における給与格差は、そのまま社会における様々な産業に従事する庶民の所得差の写し鏡になっているのが、現在のスマートな産業革命と並行して動いている闇に他ならない…
そして、この所得の2極化が、富める者と富めざる者の格差を増し、コロナ禍の中でも贅沢品が売れる状況を炙り出している

日本のニュースでは、総理の高級レストランでの会食ニュースが幾度となく報道されるが、これに反応する民衆心理はコロナ自粛の不満以上に、格差に対する不満が大きいと思う
そして、格差は不満をもたらし大きな潮流を作り、社会の混乱へと繋がっていくのは歴史が紐解く事実…
この行き着く先が、資本主義の終焉であることに他ならない…

一度上げた給与は下げる事はなかなかできないのが現実であって、30年前の経営層と一般社員との給与格差の割合に戻すことは、取りも直さず一般社員の給与を更に上げることが命題になる
これが一部の産業ではなく社会全体で、インフレを起こさずにできるのか…
また、コストダウンすることにより得た社内留保は、もっと積極的に社会に還元し、全ての産業を潤すことが出来るのか…
この解決のため単純に、実利を伴わない共産主義思想にも陥りかねないが、一番の心配事…
自由主義発想の中で格差社会を是正し、人々に幸せをもたらすアクションが必要だ

京都の龍安寺の手水鉢は「知足の蹲踞(つくばい)」と呼ばれ、蹲踞に「我唯足知」と記されている…
これは現代社会に対する警鐘に他ならない…

そんな目で、社会を俯瞰してみると、国内では格差社会の不安が浮き彫りにさたコロナ禍であるにもかかわらず、桜の会の会計支出に関する問題で安部元首相に対し、マスコミ・野党が追及の嵐に血気盛ん…
一国の総理がそんな細かなとこまで目が行く訳が無いだろうし、逆に日本の総理がそんなマイクロマネジメントをしていたら国は立ち行かなくなるだろう…
それに、安部氏は支出こそすれ自分が金品を受け取るような得をしたのか?
まさに、社会混乱をあおり国の危機から目を背けさせようとする、マスコミと無能な野党の姿は、この社会混乱の中、外国勢力と手を組んだ反社会勢力にも見えてくる…

結局、リベラルと称する輩は自分の価値観に縛られて大局が見えていないのが実情だ
個別最適に走り混乱するアメリカでも格差はますます拡大し、混乱は海外にも影響を及ぼすはずだ…
歴史を紐解けば理想主義者のような姿をしたリベラルの民主党政権が、圧力をかけ日本を戦争に巻き込み、原爆を落とし、ベトナム戦争を泥沼化させた事実が浮かび上がってくる…

2021年、人類の業により、益々世界は混乱するのか…

しかし、人々が“量”的成長から、“質”的成長に価値観をシフトし、利己から利他へ幸福感のパラダイムシフトが出来れば光明が見いだせるはずだ…
「素晴らしい世界を築いて行こう!」 青臭く聞こえる綺麗ごとだが、ここが生きる意味においても原点…これを忘れたら人類は野生の動物でしかない
ビジネスに直せば、「世界の人々に豊かさと喜びを提供し、共に成長しよう!」と言う当たり前の理念
お互いの成長失くしてはビジネスは続いて行かないのだから…
振り返って、自分の存在とは何なのか?の内省を行い、初心に帰ることが、今を生きる我々には必要な事ではないだろうか…

当たり前の青臭い「素晴らしい世界を築いて行こう」と言う生きる意味にも通じる理念を、人々が「初心に帰って」自らに問い直し行動できれば、素晴らしい未来が待っていると信じたい
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還暦を前に考える…性善説の愚

2019-04-19 04:46:35 | 徒然なるままに
ファーストコンタクトの時に性善説で人を捉える事は、気持ちの良い出会いに違いない…

しかし、こと人事が絡む業務において、性善説で人を見るのは、過度な期待を生み、自分の価値観を助長する中で、人を見る目を曇らせ、知らず知らずに本質を見抜けない評価をする事例を多く見てきたのも事実…
そして人事管理者が人を見抜なかったことは、双方が不幸になってしまう結果に繋がっているのが現実だ…

結局、性善説で人事にあたることは、人事管理者が良い人でいられると言う自己満足に過ぎず、仕事をしていないのと同じではないだろうか…

とは言え、性悪説…この言葉の響きは非常にネガティブな印象を受けるのも確か…
人と接して、初めから疑いの目で見てしまったら世の中は暗いものになるのも事実だ…

社会から人財を預かる以上、良い部分を延ばしてあげたいと言う意識は絶対に忘れてはならない訳で、これは必須の約束事だろう
これを広義に捉えれば、悪い部分は直し、良い部分を延ばすと言う事になる… しかしここに先に述べた「性善説」とする評価者の驕りが存在してはならない…
ここまで考えると、「性善説」「性悪説」は本質ではなく、各々を理解した上で「彗眼を持って人と対峙する」と言う言葉にすべてが集約されるのではないだろうか…

これは、人と接する時にオープンな気持ちで、過度な期待で眼が曇らないようにして、自分の中で価値観を押し付けないこと… 
「価値観を俯瞰する物差しを持つ」と言う意識に他ならない

そんな気持ちで還暦の次を見据えていきたい…



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自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ

2018-01-09 20:40:13 | 徒然なるままに
備忘録として年末年始に読んだ4冊の書籍の読後感を徒然なるままに書き記そうと思う…

日経BP社発行の「江副浩正」は、数年来読んだ書籍の中でもBEST中のBEST

書中の「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」は、過去の自分と未来の自分を照らし合わせれば感慨深さもひとしお…
ビジネスをする上で、高い理念に基づく熱い想いと行動が成功に結び付いて行った事実は、熱い読後感と共に大きな勇気を与えてくれた一冊

そして、休み前に会社の図書館から借り出した3冊(ホンダイ ノベーション/P・F・ドラッカー/零式艦上戦闘機図面集)のいずれもが非常に興味深い書籍

特に、日経BP社DVDブックの、小林三郎著「ホンダ イノベーション」DVDの言葉には、改めて感じ入るものがあった。
数年前に小林さんが書かれた「ホンダ イノベーションの神髄」を読んでいるが、映像としてみると迫力も違うし新たに考えるものがある。
講演内には「愛ってなんだ?」と言う問いかけがあるが、日本では仏教的な「愛」とキリスト教的な「愛」が混在しているゆえ、答えに窮するのが本音。
日本での日常生活を振り返ると、愛車、愛機とは言っても愛洗濯機とは言わない…
この環境から導く技術屋としての僕なりの答えは…

愛 ⇒ 熱狂 (後述するがこれは多分に仏教的解釈の「愛」になる)

これは非常に商品コンセプトにしやすい言葉であるのは事実であって、お客様のニーズに嵌り込むものでもある。

少し話は逸れるが、「愛」について宗教的解釈を調べてみると興味深い結果が得られる。
仏教の「愛」は、異性、お金、名声などへの「執着心」の意味であって、 「愛」は、欲望の一種であり、煩悩の一つにすぎないとしている。そのため、仏教では「愛」を否定しており、『法句経』にこう書かれている。
「愛より憂いが生じ、愛より恐れが生ず。愛を離れたる人に憂いなし、なんぞ恐れあらんや」
 この「愛」は、執着心の意味であって、仏教では、「愛を離れること」が理想となる。
確かに、仏教で解釈する「愛」は煩悩であって、我々が扱うレジャー商品も「煩悩」があって成り立つ物かもしれない。ゆえに「熱狂」というのは仏教的解釈の「愛」にほかならないだろう。
一方、キリスト教の「愛」は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」と言う言葉に集約される。
隣人愛の教えの根底には、自分だけが幸福になるのではなく、他の人と共に幸福になることを求める姿勢があり、「自分を愛する」ことと「隣人を愛する」ことは、車の両輪のように、たえず共に進んでいかなければならないことを意味している。
ゆえに、キリスト教にとって「愛」とは、隣人にとって最善であることを行なうことになる。
では、キリスト教の「愛」に通じる仏教の言葉は何になるのか?という問いかけに対して、仏教においては、「慈悲」がそれに相当する。
 仏教において、「慈悲」とは"苦を抜き楽を与えること"であるとしており、解釈すれば、他の人の不幸を抜き去り、それに替えて幸福を与えることに行き着く。

かように、「愛」に関する解釈は文化のベースにある宗教においても異なっており、和洋折衷の日本でも、仏教的な視点の見方が根強い事は、世間を騒がす「略奪愛」と言う言葉や、「愛があるから戦争をする」と言う言葉を聞いた時も否定する気にはなれない感覚がそれを物語っている。
「愛無き技術は狂気である」
と言う言葉を僕は仕事で何度も使ってきているが、これはキリスト教的な「愛」に他ならない。
そう考えれば、万人受けする解釈として「理性ある愛」とするのが正しいだろう。
このように考えた時、講演録中にあるホンダの「哲学無き技術は狂気である」とする言葉が染入るように納得できた。 「技術の前に哲学」

では、価値の本質とは何か?
この問いかけに対しプレジャー商品における「煩悩への納得」と言う視点で見れば、本質的なものとして「周囲から一目置かれること」、「仲間との絆」「新しい発見」等々が答えとしてあるかもしれない。
一方、「世界の人々に豊かさと喜びを」と言う視点に立って、コマーシャル(業務)商品を念頭に置けば、「収穫量の増加」「作業軽減」「安全操業」等々があるだろう。
しかし、プレジャー、コマーシャルいずれにも共通する言葉の行き着く先にあるものは「幸福」に他ならない。
では、幸福とは何か?という問いかけには僕は即「笑顔」と答えたい。

お客様に「笑顔」を届ける為の「未来の顧客価値」に繋がる、イノベーションを創り出すには何が必要か? 

イノベーションの根源 ⇒ 熱い想い

熱い想いが無ければ、常識をブレークスルーできる全く新しい提案は生まれてこない。
一方、知識が邪魔をして「常識」を固めてしまっているきらいもある。これは老害とも言われることも多々あるが、自分の成長を年齢で止めてしまうのは、あまりにももったいない気がするのは自分だけか?
柔軟な思想を持った年寄りになりたいと切に思う次第。
なぜなら完成されたと威張っている技術など、森羅万象の中では重箱の隅の一欠片なんだから。

また、顧客の声を聴くとして、お客様の声に基づいてプロデュースした商品が市場をシュリンクさせてしまった事もあった…
こんな経験もしているから、「お客さんに聞いてはだめ お客さんを観察すること」と言う講演録の中にある小林さんの言葉が僕には深く腑に落ちた。
ここが後述するドラッカーに比べて現場を見てきた著者である小林三郎さんの強いところだろう。

続いて、原書房から出版された零式艦上戦闘機図面集は、おそらく完成図書として官側に納入された物の写しだろうけれど、設計を始めて脂が乗り始めた頃の若者に見させてあげたい書籍
世界一の戦闘機を創り出すとした目的に向かって、徹底した軽量化の実践と、発生した課題に対する常識にこだわらないアイデアによる解決の具現化は、図面と言うアウトプットを通じて、技術開発への熱い思いを感じずにはいられない。
提示された要求性能の達成に際して、一方を立てれば他方は立たずという現実に対峙した時にブレークスルーが起きる。このブレークスルーに一役買ったのが超超ジュラルミンなどの周辺技術だと思うし、持てる力を炙り出し、タイムリーに選択できたことが卓越したマネジメントであったと感心した。
これは、高い理想目標に対し、創意工夫し総合力でアクションを起こしていくバックキャストの考えだ。当時、持たざる国の日本が技術的に大躍進したのは、この考えに起因するのだろうし、今も色褪せない技術マネジメント思想に他ならない。
以上からも、半世紀以上前のモノ創りにおいてさえ、バックキャストの考え方とともに、「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」と言う思想が、日本の物創りの中に深く根付いていることを伺い知ることが出来た。

また、最晩年の1年半をドラッカーに密着取材したダイヤモンド社の「P・F・ドラッカー」からは、ドラッカーがバックキャストの提唱者であることが良くわかる。
そして、ドラッカーの問いかけは、常に顧客は誰であるか?に他ならない。
ここには初めてのお客様を如何にロイヤルカスタマーにしていくかのヒントがいくつも隠されている。
顧客にとっての価値と、我が社にとっての価値は一致しているか?との問いかけは、ややもすると社内論理と、株主優先の見方からお客様を見失う企業に対しての大きな警鐘でもあると思う。
人を中心に置いた経営、大きなビジョンを持つ会社であること、大切なのは全体を見るマネジメントであることを訴える思想は、世が移り変わっても色褪せることがない。
そして、ホンダもドラッカーも価値の追求と言うコト価値マーケティングに関しては、全くぶれないベクトルである事実がここにある。
これらは名古屋工業大学の加藤教授の提唱する「未来の顧客価値」とも相通じるものを感じた。

最後に、全てを読破した後「我々の手でより素晴らしい世界を作り出す」「世界の人々に豊かさと喜びを提供する」という原点意識を振り返ると、江副浩正さんの「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」と言う言葉が、一抹の清涼感とともに僕の背中を強く押してくれていた。
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人を育てる

2015-06-27 22:58:30 | 徒然なるままに
先日、部下との軋轢に悩む新米管理職に送ったメールの一節
混沌とする社会の中、将来を担う人を育てると言う命題に向けて、ここに書き留めたい

===========================

管理職になり1年が経つ貴方へ伝えたい事があります。

「貴方は部下を愛していますか?」

この言葉は、管理職が常に突きつけられている命題です。
管理職として部下を持つと言うことは、社会から人材をいただくと言う事、人生を預かると言う事です。
1日の1/3が会社人生とすれば、気持ち良く働いてもらわなければならない。
その為にも上司は、外堀を埋めて、部下のメンタルを最良のものとし、気持ち良く仕事が出来る環境を創り、最良の結果を出し、共に成長していかねばなりません。
そして、ここに無くてはならないのは、部下に対する「愛」、人に対する「愛」です。

人は育った環境で価値観も異なります。しかし、その集合体が社会ですし、先にも述べたように、その人財を預かっているのが会社です。
当然、同じ部署に居る中で、「人」の能力の差もありますし、適材適所という概念から外れる場面もあります。

上司は部下に最大の能力を発揮できる場を与えなければなりません。これは会社に対する上司の責任ですし、社会から預かった人財を生かす意味でも、社会に対する義務です。
同じ人間が常に低評価であれば、「場」を与えられない上司の無能です。また、どうしても環境に合わない部下には、能力が発揮できる別の環境に異動させるのも上司の決断です。
異動の決断は、部下に恨まれる場合がありますし、これは管理職の宿命です。しかし、この決断とて根底に人を生かす「愛」が無ければなりません。

優秀なスタッフは管理職になります。しかし、皆が成功するものではありません。
出来る人間は、部下も同じ事が出来ると勘違いします。結果、頭から押付ける仕事となり、一過性の結果は出ても、人心掌握に失敗しドロップアウトしていきます。
上司と部下は上下関係ですが、部下があっての上司です。部下が居なければ結果は出せません。
振返って、人を生かす為に、自分はどう行動するのか?を、この節目に見つめ直してください。

CS(顧客満足)の前には絶対にES(従業員満足)があります。
お客様にとって夢の商品を創っている我々が、気持ち良く仕事をしていない限り、絶対に「夢」の商品は具現化出来ないと信じているからです。

「愛」を持って「人」を育てる事を常に心掛けていってください。
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足るを知り、次の山を見つける

2015-03-20 05:03:59 | 徒然なるままに
吾唯足知

老子の、「足るを知る者は富み、強めて行う者は志有り」を基にした表現として、龍安寺のつくばいに、この文字が彫られている。

一献呑み交わした、3月末でビジネスの一線から退く67歳の人生の師匠から、今の自分に送られた言葉が「足るを知る」…
そしてもう一つの言葉が「次の山を見つける」…

ブレーキとアクセルにも見えるこの言葉は、まさに的を射た禅問答
人間として満足を知なければ、欲望の怪物と化し幸せに行き着くことは出来ない。
しかし、満足で終わり次の目標が見えなければ発展は無い。

今、「足るを知る」を自分に対して捉えたが、これを他人に対して捉えるとどうなるか…
人々の満足がどこにあるのか?満足とは何なのか?満足を理解し、それを実現する。
それを実現したら、次の山に向かって新たな満足を人々に提供する…
こう書けば、ビジネス理念に他ならない。

○○を見つめ直す、○○に当てはまる言葉の対象が自他でも良いが、しっかりそれと対峙する事で、そこにある本質を見極め、満足を知る。(之即ち、妥協の満足ではない)
「次の山を見つける」は、チャレンジの持続であって、これは人生のパッションに他ならない…

生活環境、ビジネス境遇…他人と比較すれば切りが無く、不満を肥大化すれば欲望の権化となり自身を見失い縮小させていく。
幸福という人生のGOALに向かうには、自分本来のあり方を忘れず、ありのままの自分を受け入れる勇気を持ち、満足を知り、ポジティブにチャレンジして行かなければならない。

悟りではないが、ふっと目の前が開けた瞬間だ…

To understand others is ordinary wisdom. But to understand oneself is clear wisdom. You need power to defeat others. But you need true power to defeat yourself. A person who knows contentment has true wealth. A person who continues his efforts has already achieved his purpose.
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価値観の軋轢

2015-02-04 20:46:24 | 徒然なるままに
海外出張に行くと、いつも改めて感じ入るのは日本の常識と現地の常識の大きな違い。
そして、郷に入れば郷に従えの言葉通り、現地の常識が日本の常識を優先するのは自明の理。

ここで、ある方が言われた、以下の言葉に感じ入るものがあった。
「文化や生活状況の違う人々が大量に入って来ると必ずと言って良い程その国は崩壊に向かうと思う…」

日本人の常識は、各自の個性はあっても、根底は、文化、生活環境に立脚している。
逆から見れば海外の常識は、その国の文化や生活環境に依存するわけで、海外でのビジネスでは、かの国の常識を守ると同時に日本の価値観を押し付けるのではなく、現地の価値観を理解する物差しを持つことが必要となる。

一方、昨今ダイバーシティ(多様性)と称し、グローバルでビジネス展開している企業が様々な違いを尊重し認め積極的に生かす事によって業績を加速成長させていく戦略が注目されている。また、経営陣のダイバーシティとして日本の有名企業が異業種から社長を迎え入れる現実もある。
しかし、これを単純に理解し、政府が外国人労働者を増やそうとするのは、あまりにも検討が薄すぎる。
なんとなれば、企業が行うダイバーシティ戦略は多様性を認める中にもIdentityを持つものであって、外国人経営層が日本に来たとしても日本の常識・価値観を理解する物差しを携えていない限り、無能な経営者となるのは自明の理となる。そして、この逆もまた然り。

改めて振り返れば、ある国の人手不足を補う為に、無作為に文化や生活環境の違う人々が大量に入って来ると、訪問国の価値観を理解する物差しを持たないレベル層による異文化常識の氾濫が引き起こされる。その結果、受入国のIdentityが損なわれ、文化崩壊に向かってしまう。
事実、iPhone6日本発売時に引き起こされた中国人との購入トラブルは異文化の軋轢であるし、これに助長して国家間での軋轢があれば、近視眼的なネトウヨやヘイトスピーチが跋扈し、憎しみの連鎖は留まる所を失うだろう。
世界を見ても、価値観の違いに端を発する騒乱、経済混乱、如いては極端な民族主義の跋扈が、戦争へと結び付いて行くのは、人類の愚かな歴史が証明している。
また、恐怖支配で勢力を拡大しようとするISISの急激な台頭を見れば、一般人は単純にイスラム教の常識を危険とする思考に陥るが、現実にはイスラム教徒の中で大きな殺戮が行われている。
神というシンボルで民衆の心を一つにしようとする宗教…価値観の統一を目指すと極論し、同じ神を信仰しても、お互いの中で殺戮を繰り返す愚かな現実。
混乱の中から生まれた信仰は、民の心を一つにし、平和と安息をもたらすGOALがあったはずだ…
結果的に信仰は常識と価値観の中に深く寄与しても、GOALを果たすことが出来ていない。

本来、この負の連鎖を断ち切るには「しかりとした教育」が無ければならないが、未来の子供たちを育てる教育も諸刃の剣で、「恨」の歴史教育は破壊にしか繋がらない。
慈しみの心を育む真の教育とは何なのか。

ここで、改めて海外におけるビジネスを振り返れば、自国の常識、自身の価値観のみを相手国にぶつけて仕事をすれば軋轢を生むだけで、業績は向上しない。
当然、利益を生む、もしくは利益を生んでいくビジョンが無ければ、一過性の慈善事業でしかなく、人々に豊かさと喜びを与え、継続し成長していくGOALには結びつかない。
ある意味、海外で展開するビジネスの目指すGOALは信仰と同じだ。

今、我々に求められるものは、性善説では成り立たない現実を理解し、相互のIdentityを認識した上で、相手の価値観を計る「物差し」を持つことだろう。
そこに、未来に繋がる決断が存在していると信じている。
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読書して物思いに耽る

2014-03-04 18:27:11 | 徒然なるままに
ここ2日間病院のベットの中で、先の大戦を振り返り2冊の本を読んだ

果たして歴史の真実とは何なのか… 歴史は勝者により作られると言われるが…

「もう戦後ではない」と言われ、高度成長期に育った無垢な中学生の自分は、日教組教師に社会主義は最も進んでいると教えられ、自虐的国家感を植付けられた世代だ
そして、戦争の語り部も多く居た時代に育った…
そんな時を振り返り、昨今の中国、韓国の日本の歴史バッシングと、今まで歩いてきた世界の人々の声とのギャップの中で、自分の中の悶々とした思いを釈然としたく2冊の本を読み進めた

1冊目は、梅本弘さん著の「海軍零戦隊撃墜戦記3」

先日「永遠の0」を観た事も本書を読みたいと思った気持ちではあるけれど、客観的な資料の総括による真実に近いデータを見たいと思ったのが本音
本書は昭和18年10月から19年2月までのラバウル零戦隊と、それに対峙した連合国空軍相互の空戦記録を克明に対比させ、真実の撃墜記録を炙り出した記録書
相互が過大な戦果を報告しながら、無敵神話ではなく現実にはほぼ同数の損失に終始している現実
逆を言えば物量戦の中でここまでやれた日本の航空戦力の優秀さも感じるものがあるが、ここを境に敗戦の坂を転がり落ちていった事がわかる非常に客観的な資料だ
19年2月まで、ラバウル航空隊の努力が日本の防波堤になっていたことをあらためて深く感じ入った

もう1冊が、井沢和彦さん著の「日本が戦ってくれて感謝しています」

この題名を見ると、戦争賛美だとか言い出す知識人と称する輩は多いけれど、書いてあることは至極真っ当な事だし、僕が南太平洋、インド、南アジアで感じた対日感情と同じものだ。
今まで、回ってきた世界で(残念ながら中国、韓国はテリトリー外)は、親日こそ感じても嫌日は感じたことが無かった。
戦没者慰霊塔が綺麗に祀られているミャンマー、日本軍と行動を共にしたチャンドラボースをこよなく愛する親日国インド、母親と娘さんが抱きついてきたラバウル…何処の地も搾取者であった白人に対し真っ向勝負で戦った日本に対して尊敬の念を今も忘れていないのが現実だった
正直、爺さん達は頑張ったと思う。
歴史は勝者によって作られる… 侵略戦争とされ政府は常に謝罪… 当時を紐解けばABCDラインに対する自衛戦争と呼応した利権者に対する独立戦争の側面もある

本書を今の社会と対峙させた時に思うこと…
僕が会社の中で一番嫌いなのは、身内の組織を外で悪く言う輩…これは一緒に働く者に対する冒涜だし、良くする為には自ら行動して直していくのがいろはのい。
振り返って見れば、日本の事を外国人に向かって悪く言う日本人もコレと同じ。知識人と称して言い出す3流作家や大学教授などなど…
反日の言う「歴史問題」の構図は日本に対する外交交渉を有利に進める事と、外敵を外に作り国内問題から目を背けさせることと民族意識の高揚でしかない。
ただし、これは子供達に負の連鎖を教え続けることで行き着く先は憎しみによる戦争だ。
世界中で、憎しみの連鎖によりどれだけ多くの無垢な血が流されてきたことか…アフリカ、中東…数えだしたら切がない
「世界は愛と憎しみで出来ている」と言った表現もあるが、憎しみの連鎖を断ち切ることが出来ればどれだけ愛が深まることか…
紀元前から続いている人類の愚行…人の精神進化はあるのだろうか…

あらためて、以上の本をじっくり読めた時間に感謝したい。



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年の瀬に思う

2013-12-31 09:03:28 | 徒然なるままに
年の瀬に徒然なるままに世相を思う

安部首相の靖国神社参拝のニュースが各方面から取沙汰され、ことさら中国、韓国、米国からの反応が新聞紙面を賑わした年の瀬
靖国神社に首相が行くことを、恰も悪事のように反応する中国、そして韓国

日本の文化を紐解いてほしい
日常目にするテレビドラマのアクション中に耳にする「成仏しろ」って言う表現は、場面を見れば日本人ならスッと入るが、諸外国の人間に対しては翻訳することも出来ないと思う。
なんとなれば、敵に対して死んで仏になれと言っているのだから…
死人は許す、そして祀るのが日本の深い情緒に根ざした文化だ。

先の対戦末期に敵のルーズベルト大統領が死去した折に日本は弔電を出している。
日本を焼け野原にしたB29の撃墜された搭乗員に対してさえ慰霊碑を建てる国… こんな国が他にあるだろうか。

僕は日本人に根ざした深い慈しみの文化が根底にあるからだと思う。

振り返って靖国神社
A級戦犯が祀られている事に対する批判 (敗者が犯罪者という戦争の理)
これに対する中国、韓国の批判は文化の違いとは言え、懐の違いを如実に表している。

各国協調と言う前に、自国の文化とは何なのか改めて考えるべきだと思う。
僕は、この慈しみの文化は世界に胸を晴れるものだと信じている。

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