ともちの小さなGLOBE

人生は一期一会のLong and winding road。小さな地球儀をめぐる日々をブログにしました。

とんでもないトイプードル その2 珍客来場

2009-04-30 19:22:07 | 茶々丸
連休中、ひょんなことからGoToさんのハムスターを預かる事になりました。

数年前まで我が家にもジャンって名前のハムスターが居たんだけれど、2年の寿命を全うして天国に行って久しい限りです。
在りし日のジャン…

GoToちゃんのハムスターは中々巣穴から出てきませんでしたが昨日から、ちょこちょこ顔を出すようになり、茶々丸がじっと見ています。


このポーズで、ず~と 巣穴から出てくるのを尻尾を振りながら待っている茶々丸…


このハムちゃんとも明日でお別れ、ちょっと寂しい気がしています…
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混沌とした世相を振り返って

2009-04-29 04:40:53 | 徒然なるままに
今日から連休が始まる。
世相を反映してか、今ひとつパッションに欠ける気がする。
毎月、多くの工場が生産調整として休みが増えている事もゴールデンウイークという言葉の輝きを鈍らせている。
これも混沌とした世相を映し出しているのかもしれない。

今日は今一度、生活のONとOFFを切り分けて、徒然なるままに、この世相に対する思いを真摯に書きとどめてみたい。

二宮尊徳の
「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」
という言葉がある。

不況といわれる世相を振り返れば、新聞を賑わす不祥事や、道徳のかけらもない投資銀行の錬金術…金融工学とは合法的な詐欺行為かとも残念ながら思えてしまう昨今。
道徳なき経済は犯罪と切り捨てた二宮尊徳の言葉から世界を見ると、働く事、生きる事のプライドとは何かが、問われている時かもしれない。
虚構の金をかき集めた高収入に引き金を引かれた社会の惨状。「世のため、人の為」とは古風な言い方かもしれないが、世の中への有益なアウトプットがない限り、世に巣食う癌細胞と同じだろう。

「道徳は実利に結びつく」 これは松下幸之助の言葉。
道徳を忘れたら犯罪者。お金だけがクローズアップされるニュース…偽ものだらけの世の中。
もう一度原点に立ち返って全てを見つめ直す時が今だろう。

ビジネスのPrincipleは、[Partner and Customer and Social Satisfaction]。
多くの会社が掲げる企業理念には大なり小なり、このエッセンスが根底にあるが、真にこれが根付いているのかが混沌とした世相からビジネスに対する問いかけだと思う。
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4月26日 グランフォンド新野

2009-04-27 21:49:34 | サイクリング
2009年最初の長距離サイクリングイベントがグランフォンド新野です。
今日は新調したPOLTYのジャージで参加しました。


グランフォンド新野は、イチヤサイクルさんが毎年企画している恒例行事です。
コースは以下のとおりの200kmコース。ちなみに新野峠は標高1060mです。

6:00イチヤサイクル出発⇒7:30満光寺(全員で記念撮影)
⇒長篠よりR151⇒8:40東栄町⇒10:20豊根グリンランド⇒新野峠⇒信州新野千石平
折り返し⇒16:00満光寺⇒解散

去年も一昨年も完走しているし、シンガポールから帰って間もない今年も、楽しみなイベントでした。
当日は風が強いながらも、昨日の雨が嘘のように快晴です。


しか~し…

帰国後、カミサンが発熱してダウン。
金曜、土曜と37.8℃位の熱で御医者の見立ては気管支炎との事。
(インフルエンザでなくて良かった

日曜の朝も、起こさないようにそっと家を出るが、やはり心配…

で、今年は完走を断念し、満光寺までの往復60km。集合写真を撮って、9時には家に戻っているようにしました。


趣味のサイクリングよりもカミサンへの愛が勝り…

…愛の無い人生は生きるに値しない…

ってわけで、イタリアンな紳士を気取って、帰ってきたら掃除に買い物、そして雑用と多忙な一日でした。

1日が終わると、まさにシオシオノパーの状態…

僕の献身的愛が通じたのか、カミサンの熱も平熱に戻り、めでたし、めでたし でした。

フゥ~
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シンガポールに記念旅行

2009-04-25 06:23:24 | 
4月17日から22日までシンガポールに行きました。
溜まったマイルをを利用して、かみさんと2人で結婚20周年記念旅行…

空港でかみさんに
「結婚20周年旅行だからね」と囁くと



「何言ってるの!23年目よ~」 
「あんた!いつも間違ってるのね!!!」


中々強烈な出足です…

思えば結婚10周年記念日も全く忘れていて、その日に友人を一杯乗せ宴会に行く足代わりの運転手にさせてしまい…

「あんた、今日結婚10周年記念日なのよ…」と車中でささやかれ、一同凍りついた事が思い起こされます。

10周年騒動…その後の事の顛末は、高い出費に繋がりました。


2人で行く海外なんて新婚旅行以来。
23年前とっても可愛かったかみさんも…



今は…

で、気持ちを切り替え楽しい旅行へGo!!!!!!!!!!!




ところが~~
シンガポールに到着する2時間ほど前から左わき腹に鈍痛が襲う… 
どうなるんだ俺!!

ホテルの部屋に着いても傷みは増すばかり。。。現地に駐在しているカナさんに助けを求める。
「日本人医師のいる病院を紹介して

電話の声が余りに変で変質者と思われたようだが、「日本メディカルセンター」を紹介してもらいタクシーでGo!!!!!!!!


到着すると日本人医師は診察中で、隣のER…
ERってエマージェンシー レスキュー 
付き添いしてくれた受付の日本人女性の一言…「きっと入院になるかもしれませんよ」

着いて直ぐに入院  目の前が真っ黒 どうなるんだ~オレ!!
日本出発前の医師検診ではCTも撮って御墨付きなのに…

車椅子に乗せられ痛みの程度を10段階で言ってくれといわれ(ちなみに10はどうにも耐えられない激痛)、見栄を張って7と答える。

そうしたら、後ろの方が先になってしまった…「オレ、レベル9だよ~
症状を言うと尿道結石の疑いとの事でCT撮影にまわされる…
シンガポール人の医師の診断はCTで直径4mmほどの石が尿道にあり、これが痛みの原因との事。
お尻に痛み止め注射を打たれ、水分をたくさんとって石を出すように言われる。
石が出れば「カーン」と便器に音が響くらしい…チャンピオンゴングはいつ鳴るのか!!

駆けつけてくれた現地事務所のカナさんもテオさんも心配顔です。


この時、本当に助かったのは日本メディカルセンターの日本人女性スタッフの援助でした。彼女は医療用語の通訳から保険手続きまで全て時間外なのに行ってくれて、彼女がいなかったら大変な事になるところでした。
本当に感謝です。

ホテルに戻ると、ホテルスタッフが献身的に迎えてくれて、異郷での人の情けが心に沁みます。


朝起きると昨日の痛みは消え去り、いつもの健康体に…石はどこに行ったんだ!!ゴングは鳴っていないぞ~!!

元気になれば水をいっぱい飲んでアクティブに行動!!オーチャッドでの買い物の後は、カナさんを誘って3人でシンガポール散策。
シンガポールの街もいたるところに建築現場が見て取れますが、建設速度が遅い感じ…稼働していない重機も多く不況は押寄せています。

なんとマーライオンの前でボリウッド映画の撮影現場に遭遇…スターをパチリ




ホテルに戻ると部屋にはホテルスタッフからの心温まるメッセージが届いていました。


今回泊まったのはオープンしたばかりのQuincy Hotel オーチャッド地区にある小さなホテルですが今まで世界中を回った中でも最高のテイクケアをしてくれるホテルです。
御客さん一人一人に目が行き届くサービスをコンセプトにしているとの事で、フレンドリーなホテルスタッフのおかげで最悪の状態から最高の思い出深い旅にしていただけました。
宿泊時はプロモーション期間であった事から、下の写真リストのサービスが受けられました。


12階にあるガラス張りのプールも最高! チェックアウト後もこのプールは利用できるので着替えとシャワーも浴びる事が出来て大助かりでした。
個人的にはナンバー1の評価に値するホテルです。
フロントのミユキさん本当にありがとう御座いました。



健康だけれども、チャンピオンゴングが鳴らない旅は続きます…
定番のシンガポールZoo、ナイトサファリ…アトラクションも豊富で動物も近くで見れて童心に返り愉しいひと時を過ごします。


翌日は市内観光…インド人街のドンキホーテのような雑貨屋のムスタファ、フイッシュヘッドカレー、ビボシティ、セントーサ島、そしてアパートから各国国旗の掲揚のように掲げられる洗濯物…
ラッフルズホテルのLONG Barでのひと時…      愉しい思い出です。


愉しかったシンガポールを後にするのは後ろ髪を惹かれる思いでした。
これほど人の情けが身に沁みた旅は無かったと思います。
病院の方々、献身的援助を頂いた日本メディカルセンターのスタッフの方々、現地事務所のカナさん、テオさん、Quincy Hotelのスタッフの方々…心より感謝しています。

帰りの飛行機…ゴングは鳴っていない!!
上空で激痛に見舞われ台湾に緊急着陸か~!?

…しかし…

爆睡状態で日本に着いてめでたしめでたし。


着いたその日に、泌尿器科へシンガポールのCTデータを持ってGo!!!!!!!!!
検査の結果…血尿もなし、石もなし…

で、 チャンピオンゴングは何時鳴ったんだ!!!?
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本日ブログ公開

2009-04-16 07:22:28 | 日常
今日からブログを公開します。
2005年から今まで書き溜めた手記の中から、多岐に渡るものを始めに載せました。
記事によって、「です」「ます」調が違う事は御容赦下さい。
本当は「旅」をメインにしたいところですが、多趣味ゆえ御勘弁。
今は、自転車にどっぷり浸かっています。

明日から、かみさんと結婚20周年旅行で5日ほどブログはお休み。
帰国したら旅の思い出を書きたいと思っています。

では。
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とんでもないトイプードル その1

2009-04-14 07:05:18 | 茶々丸
我が家の愛犬「茶々丸」 もうすぐ2歳のトイプードル

自分より弱そうな老人子供には吼えまくるし、トイプードルなのにどんどん巨大化して7kg…
以前は自転車の籠に入れて、よく遠出をしたものなのに…今では籠からはみ出てしまう。


でもね...

この受け口の顔で見つめられると……   たまらない



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17年目のR32

2009-04-13 22:51:08 | R32
愛車は平成4年式のHCR32スカイラインGTS-T Type M 5MT 4Door
RX7のFC3Sから乗り換えて早17年…
RX7の時には未だ小さかった長男をリアシートに押し込めていると、親戚衆から、子供の足が盆栽みたいに短くなるなどと、心無い罵声を浴びせられ…

そんな頃、試乗したHCR32の走りに感動して4ドアMTを選択。
当時、かみさんが言った言葉…「2畳間から6畳間に引越したみたい…」  
実は、その頃の車が軒並み大きくなる中、R32だけはサイズダウンして走りに特化していた事は僕の琴線を刺激していました。   
ほぼ2シーターのRX7から乗り換えた感覚しか持たない、かみさんには解らないのですが…

R32...思えば本当に長い付き合いの相棒です。


ハンドルもシフトノブも磨耗から都合3回交換しています。
今は表皮の剥れたシフトノブは下地のアルミを磨いて金属ノブになりました。


DSG躍進の今、やはりMTでないと乗った気がしないし、MTが運転の楽しみと感じてしまうのは、自分だけでしょうか。

R32もサスをOHLINSに換装、マフラーはTanabeのG-Power Medallion オールステンレス。前後のストラットタワーバーも装備して、内蔵エアフィルターはSARD、そしてブレーキパッドはAPロッキード…
友人から貰った4点フルハーネスベルトをつけてしまい、年齢から見れば精神鑑定にまわされそうな勢い。


でもね…

R32は今でも乗るたびに操る喜びを感じさせてくれる名車です。

今まで乗換えを考え試乗した車は数知れず…
Golf GTI、RX-8、レガシー3.0R Spec B、WRX-STI、Z34、Alfa Brera…、S2000

Golf GTIはDSGがオートマフィールだった事とFFで脱落
RX-8はエンジンフィールに感銘を受けるもフィーリングが合わずNG。
レガシー3.0Rは抜群のエンジンの回転感覚だったけれどSpecBのMTが、今は無い事から除外。
WRX-STIは試乗中にミッションがスタックしてしまい相性が悪く却下。
Z34はV6のエンジンフィールのがさつさとシフトフィールの渋さから選択の論外。
Breraは美しさに魅了されるも、購入後のイタリア娘と遊ぶお金を躊躇し断念。
試乗中ずっと精神が高揚して心から気持ちよかった最後のS2000が人生の途中下車の場所になる。

R32は3月にタイヤを交換し無事車検を通過。


今年免許を取る息子に譲り渡せる事が歓びと考えている車馬鹿のオヤジかな。


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2009年4月5日 お花見サイクリング

2009-04-13 07:19:46 | サイクリング
3月29日の「ぐるっと浜名湖」のスタッフ参加を終え、またまたイチヤサイクルさん主催のサイクリングイベントです。

道程は9時にイチヤさん出発⇒笠井街道⇒かささぎ橋⇒豊岡⇒森駅(休憩)10:30⇒周智トンネル⇒展望台(休憩)⇒道の駅(一休処)⇒ローソン⇒二俣川(お花見)12:00⇒イチヤさん着15:00 このようなコースで約80km

当日は快晴とまではいかなくても雨も降らず、まずまずの自転車日和。
朝9時出発でも途中合流組みもあり30人以上でのサイクリングになりました。



山中の気温も14℃としのぎ易く、ペダルを踏む顔にも笑みが漏れました。


一休処で買った中トロ寿司を頬張り暫しのお花見気分。



満開の桜をバックに帰る道はサイクリスト冥利に尽きます。


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2009年3月8日 梅サイクリング

2009-04-13 05:58:41 | サイクリング
2009年最初のサイクリングイベントの梅サイクリングです。

イチヤサイクルさん主催のイベントで鳳来を抜けて川売の梅園を目指します。
冬の間の走り込みが少なかったせいか、久しぶりの山岳は足に堪えます。
梅園に到着すれば、道中の苦労もなんのその…満開の梅が迎えてくれました。


サイクリング仲間との歓談にも花が咲きます。
五平餅、おでん、甘酒、焼き鳥…梅園の満喫は最高でした。


まさに梅の絨毯の光景がそこのありました。

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2008年8月1~3日 しばしの夏休み 糸魚川サバイバルツアー

2009-04-10 21:07:20 | サイクリング
社会人である自分には、夏休みと呼べる期間は余りに短く、2008年の夏に高校3年生の息子と自転車で行った糸魚川サバイバルツアーについて記します。
今、この旅を思い起こせば、世界でなく国内、そして内なる自分に向かったものだったかもしれません。
やはり特別な旅でした。

サイクリングの道程は、浜松を出発して標高1060mの新野峠を越え、飯田⇒松本⇒長野⇒妙高⇒上越⇒糸魚川までの、太平洋から日本海を結ぶ420kmを自転車で丸1日かけて走破するというもの。
浜松ののイチヤサイクルさんが毎年企画し、今年初参加で親子での完走を目指しました。

高校3年生にもなれば、親離れは当たり前だが、自分の大きなハードル超えという目標に向かって挑む事の大切さと、得られた達成感を忘れられない記憶に刻み付けてあげたいという、照れくさいけれど親父としてのそんな思いがあったのも事実です。
また、自分自身も体力と精神力のハードル超えに挑戦して達成感を得たい、それを親子で達成してみたいという思いもありました。


出発に当たっては、安全に配慮し、チェックポイントとサポートカーが配備されています。
いざ浜松を出発しても突然の雨が降る中の深夜の新野峠越え、補給を取り体調を維持し、声を掛けながら睡魔を抑えて走る飯田市街、息子に押され頭から水を掛けながら走る灼熱の妙高越え、体調不良でサポートカーに移る友人との別れ、日本海が見えたときの喜び、ゴールで待ち構える友人達との再会は、何事にも得がたい喜びと達成感がそこにありました。


結果的には擦れた尻の痛みを抑えながら、25時間かけて親子共々何とか一緒に完走することが出来たのは生涯忘れられない思い出になりました。

自分のハードル超えと、その後に続く達成感。
これは、視点を変えればこんな身近なところから世界中まで、どこにでも、その場があるのかもしれないと振返り思っています。

僕の好きな言葉に次のものがあります。
これは故坂井三郎さんが自身の戦記「大空のサムライ」の中で記述していた言葉だが、中学生の時に読んだその一節が今も脳裏に焼きついて離れません。
「どんな悪条件下に立たされても、またこれが最後だと思われる事態に直面しても、日頃試した己の力を信じて、頑張って頑張り抜かなければならない。またそういう者にのみ活路は開けて行くものである。」

今回の経験が、日頃鍛えた己の力として、息子のこれからの人生の大きな糧となってもらいたいと願えた事が、2008年の夏の大きな思い出だったのかもしれません。

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2008年12月26日 安全率7の世界観

2009-04-10 20:43:32 | 徒然なるままに
2008年は車の買い替えを3度見送った。
諸般の事情はあったが、最後はリーマンショックに釘を刺された。
現在乗っている車は、平成4年式のR32スカイライン。
新車で購入して16年の伴侶となるが、4月の車検切れを前にネットでタイヤを購入し、車検を通した。
愛車はそれなりのメンテを怠らず、今でも乗るたびにファントゥドライブを与え続けている。

表題の安全率7というのは想定される応力の7倍の強度を持たせて設計すると言う事。
古くは良く使われていた手法であるし、日本の品質を支えてきた数字がこれかもしれない。
欧米の車に比べて、発展途上国で多く見かけるのが、日本では考えられないくらい古い日本車達であるし、Made in Japanの神話がここにある。
20年以上前のカローラでさえ、それなりの高値で海外では取引されている。

今の景気を見ると、不景気と言う報道が購買意欲の減少を呼び、負のスパイラルに庶民感情を向かわせていると思う。
結局、人々が購買欲望の中で、大きな買い物はせず、小さな買い物に動いているのが実態だろう。
故にユニクロやH&Mが賑わい、かつて3年スパンで新車購入していた意識は停滞し、壊れなければ良しとして、実際の車購入が減少している。
一方で、魅力ある商品開発が出来ず、若者の車離れを招き、いつしか車に乗ることが楽しみではなくなり、車を利用するのみに終始するマーケット。
北米偏重の浅い物創りと経営思想が生んだ景気衰退とも見えないわけではない。

サブプライムの話は、去年から言われていた事ではあっても表立った対応を怠ったのも、PCにおける西暦2000年問題とラップするものがある。
また、1バレル130ドルを超える異常な石油価格の高騰は、消費者にオイルショックの時と同じようにガソリンが限りある資源である事を強烈に印象付けたが、その後のサブプライムバブルが弾けた事による景気収縮と重なり、嫌でも消費者の車買い控えに繋がっている。
一度上げた品質は戻せないし、信頼性を否定してはMade in Japanをも自ら否定する事になる。
今が正念場。

ただし、人間は物欲を無くせない生き物である以上、数年後の物欲の大津波による景気回復の時に、いかにエポックメイキングな商品をさせるかで、淘汰されるかもしれない企業が決まると思う。
ピンチをチャンスに変える時が今だろう。
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2008年8月10日 インドを想う

2009-04-10 20:40:28 | 徒然なるままに
先日、インド駐在から5年ぶりに帰国した旧友と飲み交わした。
毒舌の彼の言うインド人に対する罵詈雑言も確かに一理あるかもしれないとも思った。
ここではインドの素晴らしさについても述べたことがあるが、今回インドのネガティブな部分に焦点を当てて記述してみたいと思う。

今回残念ながら状況を伝える適切な写真が手元に無い。より理解を深めるのであれば、
「ムンバイ スラム」「カースト」「プーランデビィ」「バラナシ」でWeb検索していただきたい。
猛暑で沸騰する季節の中で、混沌とした世界を知る刺激になるかもしれない。

私自身もインドを訪れて目の当たりにする貧富の差は筆舌に尽くしがたい。ムンバイ(=ボンベイ)の空港を上空から見るとスラム街が空港を侵食する勢いで迫っている。
また、親子三代、石切り場から出た事が無く外の世界を知らない人々、その子供達を命がけで外の世界へ開放しようとするNGOが存在するという話も聞く。
そしてカーストによって今もって職業が決められる世界の存在。
私が訪れる南部ケララの漁民はカーストとしては非常に低い位置にあり、高位のカーストのインド人は、彼らに近寄る事さえ拒むのが現実だ。

近年、欧米から心臓手術を行うのに安価で腕の良いインドの病院に患者が訪れる話も聞く。
病室は高級ホテルのようで、医師も場数を踏んで腕が立つ英語が堪能な方々らしいが、看護婦は南インドの看護婦カーストの女性達が付くと言うのも、言いようの無い世界を感じる。
さらにIT大国インドと言うが、ITというカーストが存在しないから才能が開花するという笑えない矛盾もある。
また、インド現地の新聞を見るとレイプ事件も数多い事が分かる。プーランデビィという女盗賊から国会議員になり暗殺された彼女の生涯を綴った本の中には、カーストが低いからと言う理由で家畜同然に扱われ、レイプを繰り返された事実も語られている。
カースト制は禁止されていると対外的には言うが、その実、インド社会の中で非常に根深く人々を支配している現実がそこにある。
そしてイギリスがインドを支配できたのもこのカースト制を利用して反対勢力を分散させたからに他ならない。

一方、選挙シーズンになると貧しい村に井戸が次々作られ、大局そっちのけで、選挙人集めに翻弄する選挙運動。
その選挙期間以降は、貧民層を除いたインド人口の半分だけ食べさせれば良いとして政策を立てるから国がまとまっているという友人の意見もある。
もし、それをしないのなら、もう一方の巨大人口を抱える中国のように共産主義に走らなければ国を纏められないと言う意見には自分も頷きながら考え込んでしまった。

現在、海外の大学には多くのインド人の富裕層が留学している。
価値観の違いと言えばそれまでだが、自由社会を見た彼らに、インドでの矛盾はどのように映るのか。
少なくとも、カースト制の現実に対して異議を唱える者は、表立っていないし、石切り場から子供達を命がけで助けるNGOの世界にも彼らの姿は見えない。

まさに、自身の世界観では図れない、混沌とした世界がインドだ。
格差社会と言う言葉が日本ではもてはやされるが、インドのそれは全く異次元と言っていい。そして、「人」とは何かを改めて深く考えさせられるものがある。

ガンジス川の辺にある聖地バラナシ。
ここは火葬場が大きくなって街を作ったと言っても過言ではない。
BRICSの台頭と世間では言うが、ガンジスの水で沐浴し、対岸の彼岸に向かって祈る彼らの姿はどこに向かうのだろうか。

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2008年8月9日 成果主義の終焉

2009-04-10 20:38:48 | 徒然なるままに
近頃、企業が競って採用した成果主義の弊害が取り沙汰され、政府もそれを否定する見解を述べるに至っている。

正直言って、何をいまさらと言う感が強い。
ここでも何度か述べたかもしれないが、目先の利益のみに囚われれば、中国製のアフターサービスが皆無なコピービジネスと何ら変わらない。

僕はPartner and Customer and Social Satisfaction の繰り返しによる永続的なビジネスの成長思想、そして物創りに対する創意工夫と愛情が日本企業を支えてきたと信じている。
これに歯止めを掛けたのが、言葉だけ先行し目先の利益に特化した成果主義だ。
成果主義が闊歩した時期は、「堀江モン」「村上ファンド」「住宅強度偽装」「リコール隠し」そして「日本製を疑うようなリコール問題の数々」数え上げたら切りが無い…

一概に成果主義からの転換と言っても、この後遺症から立ち上がるには働く意味への原点復帰が不可欠だと思う。成果を求めるあまり横への連携を忘れ「個別最適主義」に走り、「全体最適」が見えない組織。人を増やしても伝言ゲームに終始し業務効率が低下する組織… Made in Japanは余りに大きな物を無くしてきた。
そしてこれを打開するキーの中心にあるのは「人」に他ならないと思う。
僕が、Partner and Customer and Social SatisfactionとしてPartner を真っ先に書いたのは企業を支える「人々」の幸せが無ければ企業理念は絵に書いた餅でしか無いと信じるからだ。

ここで企業活動のキーポイントであるマーケティングに目を向けると、これは、企業の価値観の映し鏡にも見える。
マーケティングと一言で言っても、それは”人”と"人”との関係作りであり、それをリレーション作りというならば、”IR(Investor Relations)”と”PR(Public Relations)”と”ER(Employee Relations)”のバランスがマーケティングに他ならない。
とかく企業は建前と体裁作り(=Investor Relations)にはしりがちで、その化粧道具として”Public Relations”を使いたがり、最終的には、建前論ばかりで”Employee Relations”を忘れ、気がついたときには”後の祭り”状態になっているのが泥沼にはまった日本企業かもしれない。

システムだ、ロジックだと言って箱物を作っても“人”としての魂を入れなかったら意味は無い。

自分自身、世界の新興国と言われる国々を歩く中、Partner and Customer and Social Satisfactionの考え方に行きつく国は知らない。
“人”を中心にすえる考え方はその日の糧に終われる新興国には難しいかもしれない。
BRICSが台頭する今だからこそ、Partner and Customer and Social Satisfaction のビジョンの元、目線を遠くにおいて、感動を創造する商品をもって社会を潤していくのが、新しい日本株式会社であって欲しいと願ってやまない。

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2009年3月 ロシア:モスクワにて

2009-04-08 22:29:24 | 
先日ロシアより帰国した。
訪れたのはモスクワ


ロシアはグルジア侵攻でロシア株が半額になったところに、経済危機、原油安も手伝って資源外交も思うに任せず、経済も深刻な様相を見せているかと思っていた。
確かに、自動車販売は半分になり、建設ラッシュも鳴りを潜め、建機需要も凍り付いている現実がある。
しかしながらモスクワの道路は自動車で埋まり、かつては物も無かった例えもあるマーケットには物が溢れていた。


写真はかつての国営デパートの中…クレムリンの前の超高級デパートになっている。


モスクワの巨大マーケットを訪ねると、USのウォルマートと全く違わない光景があるから驚きだ。
自国通貨ルーブルよりもドルやユーロの箪笥預金を信頼し、物に変えておくことを大切とする潜在意識。
20年近く前にソビエトが崩壊した時、たくましく生き延びた国民性のなせる業かもしれない。
当時を知るロシア人に聞くと、写真のダーチャと呼ばれる郊外の週末ハウスの農園からの収穫で食を繋いだとも言っている。


モスクワの商店を見ると面白いのが、鰯の群れのように、小さな同じ業種の店が寄り集まってモールのようなコミュニティを形成しているものが多い。
これは、お土産物屋の寄り集まり、スポーツ、アウトドアショップの寄り集まり、ハードウエアショップの寄り集まりなど多種多様だ。
こんなところにも力をあわせて生き残る、彼らなりの術を見出す事が出来る。


一方、モスクワの中心近くは1戸建ては認められていないのに、それが集まっている高級住宅街がある。
聞けば、政府高官の住居との事。「マフィアも住むのか?」と冗談を言えば、「彼らがマフィアだからね」と言う現地スタッフ。
中々、開けた会話で面白かった。
法律を、自分達の都合が良い様に捻じ曲げてしまう事が、この言葉の裏にはある。
いずれにせよ、ロシアで金を得てのし上がる為に、法律の隙間をかいくぐる者が後を経たないが、当局はそれに対抗して、またまた法律を作るため、この国はそのうちに法律で身動きが取れなくなるのかもしれない。
このような背景にもロシアマフィアと呼ばれる人種を生む土壌がある。
ロシアにはマトリューシュカと呼ばれる人形を割っていくと次々と小さな人形が出てくる置物があるが、これは、あたかも一人一人が王を目指すが、その上の王には従っていく社会構図のように見えて仕方なかった。

モスクワでの商売も世界不況の影響は顕著に見られるが、掘り下げるとローンで物が買えなくなったということに尽きる。
ローンの影響をもろに受けるのが中産階級向けの自動車などであるが、逆にピラミッドの頂点の顧客層を相手にする商売はキャッシュ払いが主体である為、大きな影響を受けていない。
今回の経済危機の目に見える要因は、まさにローンに代表される信用経済に大きなブレーキが掛かった事が非常に大きいと感じざるを得ない。

モスクワを歩くと、殆どの女性がスリムな美女ばかりに見える。
太ったおばさん達は余り見る事がないが、現地スタッフは旧体制の人間と揶揄していた。
確かに、年寄りは頭が固い。
ただし、これから我々の相手となるのは、柔軟な思想を持つスマートな新体制の奴等だとすれば、手強いかも知れないが、面白いことになるだろう。

雪解けでぬかるむモスクワ市街には春の訪れと、何としても起き上がろうとする躍動感を感じた。

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2008年2月 中東:UAEにて

2009-04-08 22:11:42 | 
ドバイ…

彼方に見える現在のバベルの塔に例えられる最上階が何階か公にならずに建設されている世界一の高層ビル。

ビルの建設ラッシュに沸くドバイは中東の中でも、一種独特の雰囲気を持つアラブ圏における多国籍国家に変貌している。
オイルマネーを源とする異常発展は驚きと言う他ない。
ショッピングモールの人工スキー場では灼熱の砂漠の中でスノースキーを楽しめる現実がある。

911に端を発したUSとアラブとの軋轢によって、オイルマネーがUSからドバイにシフトした事が、ドバイの発展を2次曲線的に加速している要因の一つである。

歴史を紐解けば、石油収入が無い時期、他の湾岸地域を含めペルシャ湾に面したこの地の民は天然真珠による収入に大きく頼っていたが、日本の御木本幸吉による真珠養殖技術の開発によって、この地の産業は大きな打撃を与えられた。
一方その頃、この国の基本構成は、砂漠を往来するラクダ飼い、真珠を潜って探す実戦部隊、陸上で真珠水揚げを待つ留守番部隊だったところに、イギリスが統治をしやすくするため、常に連絡が付く陸上にいる留守番部隊を統治の主人にしたとも言われている。
そこに石油によるビックマネーと発展が生じたわけで、非常に短期間の間に急激な発展をしている。
クエートの友人がこの事実をやっかんで、「急激に栄えた国は急激に滅ぶ」と言っていたのも意味深だ。
しかし、アラビアンナイトの世界もかくあるものかと彷彿する、煌びやかなドバイの夜を目の当たりにすると発展という言葉すら相応しくない爆発的な鼓動を感じざるを得ない。
慢性的な交通渋滞を緩和すべく、地下鉄導入も進められており、ドバイは完全な機能都市に変貌している。

また、モスレムのシーア派とスンニ派の違いは、キリスト教で言うカトリックとプロテスタントの違いに近いとも例えられるが、アウトドアレジャーに対して、この地ではモスレムの女性も参加しており、厳格なサウジと比べると非常にオープンな空気を感じさせている。
写真は砂漠での4WDツアー


一方、UAEのアブダビがソニーを買おうとしていると言うの、もかつてニュースであったが、これは石油枯渇の次を睨んでいるのも事実だ。
しかし自国の民が働ける環境を創りたいという意識はよくわかるが、この地で働いているのは西アジア諸国からの出稼ぎ者が多いのも事実である。
ドバイで大きく成功した産業としてアルミニウムの精錬会社(DUBAL社)があるが、ここでも出稼ぎ労働者が多くを占め、産業を支えている。
石油の次を睨んだ産業の確立が、この国の大きな課題に他ならない。
サウジ2560億バレルに対しオマーンが50億バレルと言われる残存埋蔵量集計の中でブルネイが最も少なく、10億バレルだ。世界の中で1国でも大きな産油国が無くなった時のクライシスは、オマーンの農場、ドバイの外国企業買収をより先鋭化する形で産油国の産業変化をもたらすイメージをあらためて強く感じざるを得なかった。
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