1959年に発表された、作者の初めての短編集の表題作です。
前年に出版された処女作「土曜の夜と日曜の朝」(映画[サタデー・ナイト・フィーバー」(その記事を参照してください)の題名には、この作品の影響が見られます)と共に、作者の名前を一躍世界中に広めました。
作者の登場は、イギリスにおける真の労働者階級の作家の登場であるとともに、当時社会問題化していた若者(特に労働者階級)の気持ちをストレートに代弁していたからです。
日本とは比べ物にならないぐらい(現在では日本も格差社会になりましたが)階層社会で、出自によりその人の人生が決まってしまうことの多いイギリスにおいて、労働者階級(特にその中でも下層に位置する)の若者のやり場のない閉塞感と社会への反抗を、鮮やかな形で描いています。
主人公の17歳の少年は、窃盗の罪で感化院(現在の少年院のようなもの)に入れられていますが、院長に長距離ランナーの資質を見出されて、感化院対抗の陸上競技大会のクロスカントリーの選手に選ばれて、特別に院外の原野での早朝練習をさせられています。
作品の大半の部分は、その練習中における彼の頭の中での独白(生い立ち、社会の底辺にいる家族、社会への反発、非行、彼が犯した犯罪など)で構成されていますが、それと並行して、走っている原野の風景や走ることの喜びも描かれ、読者は次第に彼の閉塞感と孤独を共有するようになります。
原野が彼を取り巻く社会、感化院が彼を縛る窮屈な社会の規範、院長たちが彼を搾取している上流階級、そして、クロスカントリーが彼の人生そのものの、比喩であることは、同じ環境にない読者にも容易に読みとることができます。
大会のクロスカントリーでは、圧倒的にリードしていた主人公が、自分の意思でゴール前で歩みを止めて敗れます。
これは、院長(社会の支配者層の代表)の期待通りのレースでの勝利は、断固として拒否する彼の意思のあらわれだったのです。
そのために、残された六ヶ月の感化院での生活が、優勝した場合に院長が約束していた楽な楽しい生活ではなく、懲罰的な重労働を課せられた厳しいものであったとしても、彼は自分の意思に忠実だったのです。
事実、過酷な生活のために彼は体調を崩してしまいますが、そのおかげで彼が感化院と同じだと考えていた徴兵を逃れられたおまけ付です。
この作品を初めて読んだのは高校生の時で、主人公と違ってまったく恵まれた安逸な環境にいましたが、主人公の大人社会への反発には激しく共感したことを覚えています。
また、この作品の、若者の話し言葉による一人称で書かれた文体もすごく新鮮でした。
その時は、まだサリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)を読んでいませんでしたが、実際にはこの作品の文体があの世界的ベストセラーの影響を受けていただろうことは想像に難くないです。
ただし、こちらの作品の文体の方が、卑俗的で野趣に富んでいて(訳者によると、ノッティンガム地方の方言だそうです)、アナーキックな怒りを表すには適しています。
それにしても、この作品の題名、「長距離ランナーの孤独」は秀逸で、人生に対する比喩であるばかりでなく、実際の長距離ランナーに対するイメージすら確定しまった感があります。
特に、日本では、東京オリンピックのマラソンで金メダルを取ったエチオピアのアベべ選手の哲学者のような走りと風貌、同じレースで銅メダルを取り、その後次のオリンピックでの国民の期待という重圧に押しつぶされて自殺してしまった、円谷幸吉選手の孤独と無念のために、より深くそのイメージが刻み込まれています。