1978年に書かれた家庭崩壊を描いた作品です。
それまで児童文学でタブーとされていた問題(性・自殺・家出・離婚など)に取り組んだ先駆的な作品のひとつです。
主人公の小学五年生の洋一の家では、父親が一年前に家出したきり帰ってこないので母子家庭になっていました。
その頼りの母親もある金曜日に男と姿を消してしまい、洋一は小学一年生の弟の健二と二人だけで団地の家に取り残されてしまいます。
洋一は、周囲には母親がいなくなったことは隠して、健二と二人で何とか助け合って暮らそうとします。
その後、同じクラスの山田メガネ(ガリ勉なので敬遠していましたが、勉強のことで家で締め付けられて洋一の家にプチ家出してから、洋一たちと仲良くなりました)、隣の席のみさ子(両親や兄弟に誕生日を祝ってもらえる恵まれた家の子ですが、うすうす洋一たちの事に気がつき同情しています)の二人には、本当の事を打ち明けます。
とうとうお金がなくなった時に、洋一は周囲の無関心で頼りにならない大人たち(担任の教師も含まれます)には最後まで頼らずに、健二と二人で家を出て、山田メガネが調べてくれた隣町の児童相談所に向かいます。
駅まで見送りに来てくれた山田メガネとみさ子との別れのシーンは、過度に感傷的にならず淡々と描かれていますが、これから洋一たちを待ち受けているであろう厳しい現実を考えると、「どうか二人に幸あれ」と祈らざるを得ません。
国松も同じ気持ちなのでしょう。
最後の一行はこう書かれています。
「電車が走っていく西の空に、雲が切れた青い空がすこしだけ見えた。」
また、その後の二人の事が心配であろう読者たちに配慮して、事前に児童相談所に勤める野鳥好きの親切そうな大沢という人物(野鳥の会の会員でもある国松自身の分身でしょう。このあたりにはエーリヒ・ケストナーの影響が感じられます)を事前に二人に出会わせています。
この本の文庫版の解説を書いている児童文学者の砂田弘によると、1980年現在、片親だけの家庭が約八十万戸あり、そのうちの三分の二以上が離婚家庭だったそうです。
また、養護施設で生活している約三万人の子どもの場合も、親に死なれた子はわずかに十人に一人だけだったとのことです。
当時でも珍しくなかったこういった家庭を失った子どもたちを描いた日本の児童文学としては、この作品が初めてだったのです。
砂田はこの作品の第一の魅力を、「深刻な問題を描いているにもかかわらず、明るさとユーモアとスリルに富んでいること」と述べていますが、まったく同感です。
暗くなりがちな問題を、洋一と健二のバイタリティと、山田メガネとみさ子のやさしさを軸に、終始子どもの立場にたって明るく描かれています。
そこには、国松の子どもたちに対する確固たる信頼が感じられ、こういった子どもたち(国松自身や大沢さんのような大人たちも含めて)の人間関係が、70年代はまだあったのだなと気づかされます。
それから三十年以上がたった2013年の日本児童文学者協会賞の村中李衣の「チャーシューの月」(その記事を参照してください)は、養護施設に暮らす子どもたちを描いています。
そこには、洋一と同じような境遇(さらに過酷になっているかもしれません)の子どもたちが、今もたくさん(いやさらに増えているでしょう)暮らしています。
このような問題に真正面から取り組んだ作品を、児童文学者としてこれからも生みだしていかねばならないことを痛感しています。
おかしな金曜日 (偕成社文庫 (2080)) | |
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