現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

大江健三郎「案内人」静かな生活所収

2018-01-07 10:20:42 | 参考文献
 タルコフスキーの1979年公開の映画「案内人」を話題にして、主人公のマーちゃん(女子大生)、知的障碍者で音楽の才能を持つ兄のイーヨー、受験生の弟のオーちゃん、イーヨーが音楽を教えてもらっている学者夫妻の会話で構成されています。
 全体として、映画に現れる「呪われた子供」が、キリストかアンチ・キリストかの議論を、障碍者として生まれたイーヨーと結びつけ、どちらであっても兄として受け入れようとする主人公の気持ちが描かれています。
 タルコフスキーの映画自体が非常に抽象的なので、実際に見たことのない人(もしかすると見た人も)には、内容を理解することはかなり困難でしょう。
 また、五人の会話も非常に知的ではありますが、一般的な読者にはついていけない部分がたくさんあると思われます。
 そのため、ラストの新宿駅の小田急線のホームで発作(てんかんと思われます)を起こしながらも、人ごみの中で妹をかばおうとするイーヨーと、そのことで兄との結びつきをさらに深める主人公の姿に素直に感動できないかもしれません。
 なお、映画の原題は「ストーカー」なのですが、これが現在日本で使われているような意味ではなかった時代の作品(映画もこの短編も)であることを、おことわりしておきます。

静かな生活 (講談社文芸文庫)
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講談社
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伊坂幸太郎「超人」PK所収

2018-01-05 12:55:32 | 参考文献
 いわゆるスーパーマン(テレビや映画でおなじみの、赤いマントとSのマークを付けた青地の服を着て、空を飛んだり壁を透視したりする能力を持つ)と予知能力を持つ警備会社の営業の青年の話です。
 これも二つのエピソードをからめた複線式の物語ですが、「PK(その記事を参照してください)」と違って、時間が単一方向なのでわかりやすくなっています。
 その一方で、短編としてはひねりがきいていないとも言えます。
 書き方は少し違いますが、「PK」との連作短編らしく、ここにもPK(別の試合ですが)が出てきますし、「PK」に登場した大臣も出てきます。
 あとがきを読むと、雑誌発表後に本にまとめるときに「連作短編」としての関連を強めたようで、若干恣意的な感じは受けます。
 児童文学でも連作短編集は一般的(現在の子どもの読者に長編を読みこなす力がなくなっているのか?現在の作者に長編を書くだけの力が欠けているのか?おそらく両方でしょう)になっていますが、場当たり的に連作短編集にするのではなく、初めから連作にする意図を持って書く必要があることは言うまでもありません。

PK
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講談社
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伊東潤「決別の時」巨鯨の海所収

2018-01-04 08:35:32 | 参考文献
 鯨漁師として有望な二人の兄を持つ主人公は、鯨(特にその血)に慣れることができず、将来に不安を抱えています。
 主人公が初めて参加した鯨漁で起こった事故と事件により、三人の運命は大きく変化します。
 児童文学の世界でかつてたくさん描かれた典型的な成長物語ですが、かなり強引な展開なので、主人公の成長(少年時代との決別)を素直に受け入れられません。
 現在の児童文学の世界では、成長物語は下火なのですが、作者の主な読者である年配者には受け入れやすいのかもしれません。

巨鯨の海
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伊東潤「物言わぬ海」巨鯨の海所収

2018-01-03 08:02:18 | 参考文献
 鯨漁の様子を、大人たちから禁止されているのに小舟で見物しようとして、漂流する羽目に陥った五人の少年たちを描いています。
 漂流譚と救助されるいきさつまでは、漂流の恐怖もリアリティをもって描かれていますし、五人の少年の性格の描き分けなどが巧みで、良質の児童文学のエンターテインメントと言えます。
 しかし、取ってつけた様な後日談が運命論めいていて、伊東の主な読者である年配者にはこの方がうけるのかもしれませんが、児童文学者の立場でいえば完全な蛇足に思えます。
 また、方言の表し方も気になりました。
 会話文の中で方言を使った後で、地の文でしゃべったのが誰でどんな意味かをいちいち繰り返すのですが、かなりわずらわしく感じられました。
 あるいは、これも高齢者に分かりやすくする配慮なのかもしれませんが、日本語の小説においては誰がしゃべったかは普通はもっとスマートに処理(必要な時だけに語り手を明示します)しますし、方言においてもできるだけ語り手によって言葉自体で区別できるようにし、意味はカッコ内に書く方がスムーズに読めます。
 児童文学の世界でも、会話が方言で書かれた作品はたくさんありますが、この作品のような処理の仕方をしている作品は、私の経験ではありません。

巨鯨の海
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グードルン・パウゼヴァング「どこにでもある村」そこに僕らは居合わせた所収

2018-01-02 08:17:35 | 作品論
 ゴルバッハ村は、観光で栄えています。
 そこでは、ナチス時代にユダヤ人の迫害は行われなかったことになっています。
 しかし、実際はユダヤ人のザロモンさんにひどいことをしたのです。
 村人たちは、観光に影響が出ることを恐れて、そのことをひた隠しにしています。
 戦争中にザロモンさんを援けたマルタだけは違います。
 マルタは、観光客に昔行われた事実を話します。
 村人たちは、マルタを阻害していますが、彼女がいる限り安心はできません。
 負の記憶を隠すことは、日本でも行われています。
 そして、真実を伝えようとする人が阻害されるのも同様です。
 しかし、ともすれば被害者意識ばかりが伝えられる中で、加害者としての記憶も伝えていかなければなりません。

そこに僕らは居合わせた―― 語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶
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みすず書房
 
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グードルン・パウゼヴァング「人形のルイーゼ」そこに僕らは居合わせた所収

2018-01-01 12:22:57 | 作品論
 主人公の老婦人は、六十年以上前の戦争中に親友のユダヤ人の少女からあずかった人形を、今でも家に飾っています。
 彼女は、骨董店の人から高い値段で売却を持ちかけても決して売らず、親友との思い出を語ります。
 そして、「もうその少女は死んでしまっているかもしれない」と言われても、人形とともに親友が訪ねてくるのを、彼女は待ち続けています。
 人種の違いや長い時間経過を超えて、二人の少女の友情は変わりません。
 その長い間に、ドイツ人は様々な経験をしたはずです。
 それでも、彼女の気持ちは変わらなかったのです。
 そして、二人の仲を引き裂いた戦争を静かに告発しています。

そこに僕らは居合わせた―― 語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶
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トッツィー

2018-01-01 12:21:41 | 映画
 1982年公開のアメリカ映画です。
 演技力は抜群だが演技上の主張が強く、演出家とたびたびトラブルを起こして二年間仕事がない俳優が、女装して女優としてテレビの昼メロドラマのオーディションに受かり、その女性の権利を代表するキャラが受けて一躍スターになるコメディ映画です。
 アメリカ映画屈指の名優が演技派の俳優を演じるのですから、これ以上ピッタリの役はないでしょう。
 同じ演技派俳優のロビン・ウィリアムスの「ミセス・ダウト」もそうでしたが、名優は性別など軽々と越えてしまうのでしょう。
 まわりも演技達者な俳優ばかりで、質の高い映画になっています。
 特に相手役のジェシカ・ラングは、この映画でアカデミー賞助演女優賞を受賞して、前年の「郵便配達は二度ベルを鳴らす」に続いて演技派女優として成功を収め、「キングコング」(1976年公開)女優(キングコングが愛するヒロイン役でした)という悪いレッテルを完全に葬り去りました。

トッツィー [DVD]
クリエーター情報なし
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
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