現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

武田勝彦「J.D.サリンジャー ― 人と作品」フラニーとズーイ解説

2022-02-07 16:48:35 | 参考文献

 1969年に出版された、鈴木武樹訳の角川文庫版「フラニーとズーイ」(その記事を参照してください)に掲載された解説です。
 同じ訳者の角川文庫版「九つの物語」(1969年)、「倒錯の森」(1970年)、「若者たち」(1971年)、「大工らよ、屋根の梁を高く上げよ」(1972年)にも転載されています(なお、この出版順は、サリンジャーの作品の実際の発表順とは無関係です。詳しくは、それぞれの記事を参照してください)。
 サリンジャーとその作品について、以下の観点でまとめています。

<私離れと私そのまま>
 サリンジャーの作品を、どこまでが実体験(目撃や観察も含めて)であるかどうかについて論じていますが、結論としては彼の作品は簡単に私離れを起こさせる自由度を持ちつつ、その根っこの部分には自身の体験があると指摘しています。
 そして、実体験に基づいた初期の短編から、作家として成熟するにつれて、私離れを自在に行えるようになっているとしています(まあ、私自身の乏しい実作体験から類推しても、ほとんどの作家が同様なのですが)。

<ユダヤの血>
 ご存じのように、サリンジャー自身がユダヤ系アメリカ人ですし、彼の一番重要な作品であるグラス家サーガの七人兄妹もユダヤ系アメリカ人の父とアイルランド系アメリカ人の母の間に生まれています。
 どんな作家も、自分自身に流れる血の影響は免れないものですが、アメリカ社会におけるユダヤ系のようなマイノリティの場合は特にその影響が強いでしょう。
 また、そうした血脈の影響は親子などの垂直方向に働くことが通常は多いのですが、サリンジャーの場合にはグラス家兄弟のように水平方向に働いているとの著者の指摘は非常に重要です。
 家族関係が希薄な現在では、これら水平関係も希薄になりつつあり、その結果として逆に「血」の結びつきが国家単位(「日本人」とか、「アメリカ人」とか、「中国人」とか、「韓国人」とか)に回帰する傾向さえあって、「血」の定義が非常にあいまい化されるとともに、「ポピュリズム」によって操られる可能性があるのではないかと危惧しています。

<青春彷徨と詩魂>
 サリンジャーは、青年と大人の境界を彷徨う魂を吸い上げて、文学作品にまで昇華させる詩魂が大きかったとしていますが、全く同感です。
 代表作の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)で、主人公のホールデン・コールフィールドを、退校させられた寄宿高校から家へたどり着くまで、文字通り彷徨させていますが、初期の短編にも多くの擬似ホールデンが登場します。
 このことが、同様の現代的不幸(アイデンティティの喪失、生きていることのリアリティの希薄さ、社会への不適合など)を抱えた多くの若い読者たちのハートを掴み、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」をベストセラーであるばかりでなく、現代にいたるまでのロングセラー(現代的不幸に直面する人たちの年代は、国や時代によって様々なのが長く読み続けられている主な理由です)にした要因でしょう。

<戦火の悲劇>
 サリンジャー自身の戦争体験を反映した作品もありますし、それが原因の一つと考えられるシーモァの自殺はグラス家サーガに大きな影響を与えています。
 私見を述べれば、悲惨な戦争体験に加えて、戦後のアメリカにおける空前の好景気による世俗主義に対する嫌悪が重なり合って、シーモァの死だけでなく、ホールデンの悲喜劇、フラニー(「フラニー」(その記事を参照してください)の主人公)の悲劇が生み出されたのではないでしょうか。

<マスコミとの双曲線>
 著者は「サリンジャーは、マスコミ嫌い、人間嫌いとして有名である」と断じていますが、はたして本当にそうでしょうか?
 著者も指摘しているように、サリンジャーが一般の読者に注目されるようになったのは、グラス家サーガの記念すべき第一作「バナナ魚のもってこいの日」(その記事を参照してください)が「ニューヨーカー」誌に掲載されてからです。
 それ以前にも、「ニューヨーカー」に短編を掲載したことがありましたが、彼の人気はこの作品で決定的になり、「ニューヨーカー」と特約を結んで、以降の作品は、書き下ろし長編の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)を除いて、すべて「ニューヨーカー」に発表されています。
 「ニューヨーカー」と言えば、専門家やマニア向けの純文学専門の雑誌ではなく、その名の通りハイソでおしゃれな文学系雑誌です(村上春樹の作品の翻訳がよく掲載されると言えば、雰囲気が分かってもらえるかもしれません)。
 そこと特約を結ぶということは、少なくともその時点では、ある程度の商業的な成功も志向していたと思われます。
 もともと短編を書き始めた10代のころは、作品をハリウッドへ売り込みたいと思っていたそうなので、そのころは普通に有名作家になる夢を持った文学少年だったのでしょう。
 マスコミ嫌いになったのは、1950年に映画化を許した(少年の時の夢がかなった訳です)「コネチカットのグラグラカカ父さん」の出来があまりにも悪く、公開を拒否したことにあるでしょう。
 その後は、ハリウッドに幻滅したサリンジャーはすべての作品の映画化を拒絶しています(「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の映画化の話(監督はエリア・カザン(ジェームス・ディーン主演の「エデンの東」などで有名)などは、巨額の原作料が提示されたことでしょう)。
 さらに、1951年に発表した「キャッチャ・イン・ザ・ライ」が大ベストセラーになって以降のマスコミを中心とした馬鹿騒ぎに嫌気がさしたことが、「マスコミ嫌い」に拍車をかけたのでしょう。
 「人間嫌い」については、私はそう考えていません。
 確かに、交流のあった高校生たちに裏切られ事件(1953年)をきっかけに、外界をシャットアウトした生活を2010年に91歳で亡くなるまで続けましたが、その間結婚もして子どもたちも授かっているので、たんに「自分のことを理解しない(あるいはしようとしない)人間たちをの関係を断った」だけです。
 それは、他人がとやかく言うべきではない一つの生き方なので、決して「人間嫌い」であったわけではないと思っています。

<グラス家年代記への執着><グラス家の系譜>
 1948年に発表された「バナナ魚にもってこいの日」を皮切りに、同じ1948年の「コネチカットのグラグラカカ父さん」、1949年の「下のヨットのところで」、1955年の「フラニー」、「大工らよ、屋根の梁を高く上げよ」、1957年の「ズーイ」、1959年の「シーモァ ― 序論」、1965年の「一九二四年、ハップワース十六日」に至るまで、グラス家七人兄妹(シーモァ、バディ、ブー・ブー、ウォルト、ウェイカー、ズーイ、フラニー」について断続的に書かれたグラス家サーガは、著者が言うように、それぞれが優れた短編や中編でありながら、全体が完成すれば、長男シーモァを中心にして物質文明の中での兄妹の精神史を描いた、一大叙事詩になる可能性を秘めていたと思われます。
 技法的にも、オーソドックスな短編から、しだいにストーリー展開に頼らない前衛的な作品に深化していっています。
 著者は、解説の最後に、期待を込めて以下のように述べています。
「サリンジャーは、一九六五年に「ニューヨーカー」誌に「一九二四年、ハップワース十六日」を公にして以来まるまる四年以上の沈黙を守っている。現代作家としては珍しい沈黙ぶりである。果たして、今後如何なる作品が公にされるかに期待がもたれるわけであるが、グラス家物語の完結以外にサリンジャーが他の問題に取り組むとは今のところどうしても思えない。次作の興味深く待たれるゆえんである。」
 しかし、ご存じのように、その後新しい作品が発表されることはありませんでした。
 本当に筆を折ってしまったのか、期待を込めた噂として囁かれている「実際には、発表されていないだけで「グラス家」サーガは密かに完成している」のかは、現在のところ謎のままです。




 

 








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カメラを止めるな!

2022-02-05 17:11:48 | 映画

 2017年公開ですが、国内外のいろいろなマイナーな映画祭で受賞を重ねて話題になり、2018年にメジャーな公開がされています。
 前半は、廃墟でソンビ映画を撮影していたチームが本当のゾンビに襲われるというB級ホラー映画で、その終了時には実際にエンドロールも流れます(ところどころ放送事故のようなおかしな場面があって、出来栄えはイマイチなのですが、それが後半の伏線になっています)。
 中盤は、その映画の監督一家(夫は再現シーンなどのマイナーなフィルム専用の妥協ばかりしている監督、妻は元女優、娘も監督志望だが一切妥協しないのでADとして問題ばかり起こしている)を中心に、この映画(実は、30分ノーカットで生中継もされる)に関わる、いずれも一癖あるプロデューサー、スタッフ、キャストなどの紹介(それぞれのキャラクターが後半の伏線になっていますが、ここが一番つまらない)。
 後半は、ノーカット生中継のゾンビ映画などという無茶苦茶な設定と、いろいろなアクシデント(何かと撮影で手抜き(ゲロはNG、涙の代わりの目薬など)を要求する主演女優のアイドル、やたらとリアリティにこだわる主演男優のイケメン俳優、監督役の男優とメイク役の女優が実は不倫中で一緒の車で撮影現場に来る途中に事故を起こし来れなくなり、実際の監督と元女優の妻が代役をすることになる。監督は、次第に夢中になって、日頃と違って妥協しなくなる。元女優の妻は、やたらと役にはまり込んでしまって、本番中に暴走する(もともとそのために女優を辞めさせられていた)。アルコール依存症のカメラマン役の男優が差し入れの日本酒を飲んでしまって、本番前に泥酔してしまう。硬水が飲めない体質の音声役の男優が誤って硬水を飲んで本番中に下痢を起こす。クレーンカメラが落下して壊れてしまい、代わりに人間ピラミッドを組んでその上で撮影するなど)を乗りこえて、生中継をなんとか最後まで乗り越えていく様子を、ノンフィクションタッチで描いています。
 前半のゾンビ映画でのおかしな場面や、中盤で紹介されたいずれも一癖あるメンバーなどのすべての伏線が、後半のドキュメンタリーですべて見事に回収されていく腕前には感心させられ、上映中の満員の館内のあちこちで絶え間なく爆笑が起きていました(私自身も抱腹絶倒でした)。
 なお、八月ごろにこの映画の原案になった舞台関係者と一時トラブル(原案ではなく原作で著作権を侵害しているといった内容のようでした)になりましたが、その後解決したようです(この作品の面白さはどう見ても映画的な所ですし、興業的に大ヒットして大手の配給会社も関係するようになったので、金銭的にも納得のいく線で保障できたのでしょう)。

【映画パンフレット】カメラを止めるな! ONE CUT OF THE DEAD
クリエーター情報なし
アスミック・エース
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スペシャルアクターズ

2022-02-05 17:07:58 | 映画

 2019年公開の日本映画です。

「カメラを止めるな!」を大ヒットさせた上田慎一郎監督の作品なので、この映画も無名俳優だけによる素人感満載の映画です。

 依頼人に頼まれた状況に合った芝居をするという特別な芸能プロダクションによるプロジェクトに、主役の精神的な病気(緊張すると失神してしまいます)を持つ売れない役者が巻き込まれます。

 そのプロジェクトは、インチキ教団から旅館を守るという芝居なのですが、最後にもう一回り大きなプロジェクトが仕掛けられたというオチが用意されています。

 下手な芝居に目をつぶれば、結構笑えます。

 

 

 

 

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パーム・スプリングス

2022-02-04 18:07:28 | 映画

 2020年公開のアメリカ映画です。

 タイムスリップもののラブコメディです。

 タイムループに閉じ込められた男女が、他人(男にとっては恋人の親友、女にとっては妹)の結婚式当日の一日(目を覚ますたびに、その日の朝に戻ってしまいます)から抜け出すために四苦八苦する姿(よそへ逃げたり、自殺したりします)が結構笑えます。

 初めは、他人だった二人が、協力し合ううちに、二人の間に愛が芽生える姿にも納得がいきました。

 ただし、タイムスリップによるパラドックスの処理や最後にタイムループから抜け出す手段は、かなりいい加減です。

 

 

 

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アバウト・タイム 〜愛おしい時間について

2022-02-03 18:49:14 | 映画

 2013年公開のイギリス映画です。
 タイムトラベル(ただし自分の過去に戻れるだけ)の能力を持つ男性(父親も含めて一族の男はすべて、21歳になるとその力を持ちます)を主人公にしたファンタジック・コメディです。
 恋愛でも仕事でも、失敗したら何度でもやり直せるのですから、ある意味無敵で、かわいい彼女をゲットして幸せな家族を作ったり、落ちこぼれで身を持ち崩しかけていた妹も救えます。
 そういった意味では、けっこうキワモノなのですが、ストーリーを通して主人公が成長して、タイムトラベルの力を必要としなくなるラストがこの作品のミソでしょう。
 家族愛が非常に強く、特に大人になっても父親と仲良く卓球をしたりする主人公は、現代の日本人には受け入れにくいかも知れません。
 また、SFとしては、タイムトラベルのルールがかなりいい加減で、特にタイム・パラドックスの扱いはご都合主義です。




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パーフェクト・プラン 人生逆転のパリ大作戦!

2022-02-02 16:54:36 | 映画

 2017年公開のフランス映画です。

 モロッコから来た男性が、不法滞在による強制送還を逃れるために偽装結婚をします。

 しかし、その相手が親友の男性だったことから、ハチャメチャの大騒ぎになります。

 ドタバタコメディなのであまり堅いことは言いたくないのですが、LGBTQだけでなく女性や障害者への差別に関してもかなりルーズで関心できません。

 

 

 

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