現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

柳田理科雄「空想科学読本」

2024-09-13 09:37:26 | 参考文献

 1996年の大ベストセラーです。
 空想科学研究所主任研究員という肩書を持つ作者(実は学習塾教師)が、テレビの空想科学番組や映画に出てくるヒーローや怪獣、ロボットなどを大真面目に(時にはユーモアを交えて)科学的に解説した本なのです。
・ゴジラ2万トン、ガメラ80トン、科学的に適切な体重はどちらか?
・仮面ライダーが一瞬で変身するのはあまりにも健康に悪い!
・ウルトラセブンが巨大化するには最低でも15時間が必要だ!
 最初の3章の副題を並べただけでも、かつては男の子だった人たちならば、みんなわくわくすることでしょう。
 それが、ズラリと16章も続くのですから、ベストセラーになったのも当然です。
 これらの誰もが知っているヒーローや怪獣の設定や必殺技が、科学的にはどんなにとんでもないものかを解説しながら、実はそれらに対する作者の並々ならぬ愛情が感じられるところが成功の秘訣でしょう。
 さらに、作者は1961年生まれなのですが、学習塾で普段から子どもたちに接しているおかげか、ゴジラやガメラのような1950年代や1960年代から活躍している怪獣やヒーローから、1990年代当時の新しいロボットやヒーローまで登場するので、幅広い年代の男の子たちを熱狂させました。
 我が家でも、1954年生まれの私だけでなく、1988年生まれと1990年生まれの息子たちも愛読しました。
 こんな魅力的な本が児童文学界にあれば、男の子たちの本離れは防げたことでしょう。
 この本の大成功のおかげで、続編も次々に出版されたので、作者の研究資金は潤沢になったと思われますので、本が売れない児童文学作家にはうらやましい限りです。

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誰も知らない

2024-09-12 09:25:46 | 映画

 とある2DKのアパートに、スーツケースを抱えた母親のけい子と息子の明が引越ししてきます。
 アパートの大家には「主人が長期出張中の母子2人だ」とあいさつをしますが、実はけい子には明以外の子どもが3人もおり、スーツケースの中には次男の茂、次女のゆきが入っていました。
 長女の京子も人目をはばかり、こっそり家にたどり着きます。
 子ども4人の母子家庭――事実を告白すれば家を追い出されかねないと、嘘を付くのはけい子の考え出した苦肉の策でした。
 けい子は、大家にも周辺住民にも事が明らかにならないように子どもたちに厳しく注意しています。
 子どもたちはそれぞれ父親が違い、出生届すら出されておらず、学校に通ったことさえありません。
 当面はけい子が百貨店でパートタイマーとして働き、母の留守中は明が弟妹の世話をして暮らしていましたが、新たに恋人ができたけい子は留守がちになり、やがて生活費を現金書留で渡すだけでほとんど帰宅しなくなってしまいます。
 そして、兄弟だけの「誰も知らない」生活が始まります。
 けい子が姿を消して数か月がたちました。
 渡された生活費も底をついて、子どもだけの生活に限界が近づき、料金滞納から電気・ガス・水道も止められてしまいます。
 そんな中、4人は遊びに行った公園で不登校の女子高生の紗希と知り合います。
 兄弟の惨めな暮らしぶりを見た紗希は協力を申し出て、援助交際で手に入れた現金を明に手渡そうとしますが、その行動に嫌悪感を抱いた明は現金を受け取りません。
 だが、食料はなくなって、明は知り合いのコンビニ店員から賞味期限切れの弁当をもらい、公園から水を汲んでくるなどして、兄弟たちは一日一日を必死に生きのびることになります。
 ある日、言うことを聞かない妹弟たちとけんかをして、うっぷんの爆発した明は衝動的に家を飛び出してしまいます。
 飛び出した先で、ひょんなことから少年野球チームの助っ人を頼まれ、日常を忘れて野球を楽しみますが、家に戻った明が目にしたのは、倒れているゆきと、それを見つめながら呆然と座り込んでいる京子と茂の姿でした。
 ゆきは椅子から落ち、そのまま目が覚めないといいます。
 病院に連れて行く金も薬を買う金もないので、明は薬を万引きします。
 兄弟は必死で看病しますが、翌日ゆきは息絶えていました。
 明は紗希を訪ね、ゆきに飛行機を見せたいのだと、そして、あのとき渡されるのを断った現金を貸して欲しいと伝えます。
 兄弟たちと紗希は、スーツケースの中にゆきの遺体と大量に買い込んだゆきの好きだったアポロチョコを入れます。
 明と紗希は2人でゆきの遺体が入ったスーツケースを運びながら電車に乗って、羽田空港の近くの空き地に運びだして、敷地内に土を掘って作った穴に旅行ケースを埋めました。
 そして、2人は無言でマンションに戻りました。
 ゆきがいなくなった明と京子と茂と紗希の、「誰も知らない」生活が、これからも続いていきます。
 他の記事で、現在の児童文学が今日的な問題を描かないことへの批判の引き合いにこの映画を出しましたので、久しぶりに見てみました。
 驚いたのは、この作品が作られたのが2003年で元になった事件は1988年ともう30年以上も前だったことです。
 今回、「誰も知らない」を見直して、母親による単なるネグレクトだけではなく、父性や母性の欠如(彼らの生育過程にも問題があったと思われます)、行政の怠慢及び不備(主人公の少年は前に行政によって兄弟がバラバラにされた経験があったので、今回は行政に頼りませんでした)、公教育の欠陥(不就学児童への対応の不徹底など)、周囲の大人たちの無関心、子どもたちの万引き、いじめ、援助交際など、さまざまな今日的問題が描かれているのに気づきました。
 確かに、見ていて息苦しさを覚えるような悲しい作品ですが、時々、子どもらしい遊びをする場面で流れる明るい音楽が、それでも彼らは生きていくことを象徴しているようでせめてもの救いになっていました。
 確かにこういう映画は見ていて楽しくないでしょうが、いつも楽しさや面白さばかりを求めるのではなく、時にはこのような見続けることが困難なシリアスな作品も必要です。
 そして、児童文学の世界でも、売れ線だけをねらうのではなく、こういった作品も世に出す社会的な義務を負っていると思います。
 現在の子どもたちや若者たちを取り巻く環境は、「だれも知らない」が描いた時代よりもさらに悪くなっています。
 他の記事にも書きましたが、かつて子どもたちの今日的な問題をシノプシスにまとめる作業を半年間続けました。
 いつまで続けられるかと危惧していましたが、新聞、テレビ、ネットニュースを見るだけで毎日題材には困りませんでした。
 その時は、それらを作品化するには旧来の現代児童文学の方法論ではだめだということに気がつき、創作することは断念しました。
 それが、現代児童文学の終焉ないしは衰退と社会の変化の関係を研究しようというきっかけになったのです。
 そして、二年間の研究の末に自分がたどりついた結論は、子どもたちや若い世代を取り巻く問題を描くには、児童文学ではもうだめだということです。
 こういった作品の読者はほとんいませんし、出版や流通もそういった本には全く対応していません。
 そのため、一般文学の形で現在の子どもたちや若い世代の困難な状況を描くことが、「ポスト現代児童文学」の現実的な創作理論だと思っています。
 しかし、この「ポスト現代児童文学」は、出版や流通の問題があって、読者(大人が中心になると思われます)の手に届けるのは困難ですし、あまりお金にもならないでしょう。
 こういった「ポスト児童文学」の創作は、児童文学の創作で生活の資を得ている人や、自分の作品が本になるのを夢見ている新人たちにはすすめられません。
 自分自身で創作もして、その出版や流通の方法についても、自力で開拓していかなければならないと思っています。

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古田足日「宿題ひきうけ株式会社」

2024-09-11 09:29:15 | 参考文献

 作品論ではなく、作者と作品の関係について考えてみました。
 この作品は1966年2月に出版され、翌年の日本児童文学者協会賞を受賞した作者の代表作のひとつです。
 しかし、話を複雑にしているのは、1996年に新版が出ていることです。
 これは、作中に引用していた宇野浩二の「春を告げる鳥」の引用およびそれに対する作中人物の感想が「アイヌ民族差別だ」という抗議を1995年に受けて、作者のオリジナル作品とその感想に差し替えたのです(宇野の作品は当時広く読まれていて、私自身も子どものころに読んでいました。また、作中の子どもたちに訴えかけたであろうこの作品の抒情性に、作者のオリジナル作品は引用としてはやたら長いだけで遠く及びません。さらに、作者の引用は宇野の作品の骨子を作者自身の言葉でまとめたもので、元の宇野作品は作者の引用ほどアイヌ民族に対して差別的ではありません)。
 また、それに関連して、「やばん」ということについて、新しい(1996年現在の)作者の考えに書き改めています。
 これらの行為は、作家として非常に危険なことだったように思います。
 この作品は、あくまで1966年当時(実際には出版の前に雑誌に連載されているので、時代設定は60年代前半と思われます)の状況の中で成立するものであり、作者の「アイヌ民族差別」に対する「無知(作者自身のあとがきの言葉)」も含めてそのままの形で残し、もし過ちを認めるのであれば、なぜそのようなことになったかを自分自身であとがきなどでもっと詳しく検証するべきだった(1926年発表の宇野作品の歴史的評価も含めて)と思われます。
 それが、単なる創作者でなく児童文学の評論家でもある作者の責務だったように思えます。
 それを、1996年現在の認識で書き直したので、この作品の歴史的価値が大幅に損なわれてしまいました。
 この作品は、良くも悪くも70年安保の挫折前の革新側の思想に基づいて書かれているわけで、それがソ連崩壊やバブル崩壊後の1996年に書き直して提出されても、すでに立脚点が違うのですから作品として成立しないのではないでしょうか。
 例えば、作品の背景にある学歴社会、組合運動、貧困問題、学校、子ども社会、教養主義、資本主義と共産主義の対立、職場の電子化などは、そして作者が新版で隠蔽してしまったマイノリティへの差別意識も、三十年の月日が大きく変えてしまっています。
 それに、39歳だった1966年の作者と、1996年当時69歳だった作者では、経験も考え方も違うはずで、その両者が書いたものをつぎはぎされても(旧版と新版を読み比べてみましたが、「春を告げる鳥」や「やばん」に関連する部分以外にもいろいろな個所(例えば旧版にはない日本軍による「南京事件」への批判など)で細部を書き直しています)、読者は困惑するだけです。
 私は70年安保挫折後の70年代に旧版を読みましたが、その時点でもあまりにも楽観的な組合運動や、学級会や学校新聞などによる疑似民主主義、そしてなにより「子どもの論理」(宿題ひきうけ株式会社)が「(当時の革新勢力の)大人の論理」(試験・宿題なくそう組合)に屈服させられるラストに、強い違和感は覚えましたが、「アイヌ民族差別」は気づきませんでした(というよりも、その部分の印象が残らなかったという方が正しいでしょう。私自身も作者以上に「アイヌ民族差別」に「無知」でした)。
 「ちびくろサンボ」問題(その記事を参照してください)や「ちびくろサンボ」を絶賛した「子どもと文学」の問題(関連する記事(例えば石井直人の「現代児童文学の条件」についての記事など)を参照してください)でも述べましたが、作品や論文はその時代背景を抜きには評価することは不可能だと思っています。
 この作品をこれから読まれる方は、ぜひ新旧両方の版を読まれることをお勧めします(作者と理論社は、旧版の流通在庫を回収し、図書館にも新版に買い替えるよう依頼していますが、もちろん旧版は図書館や古本として今でも残っていて読むことができます)。

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那須正幹「ぼくらは海へ」

2024-09-10 14:35:54 | 作品論

 1950年代にスタートした「現代児童文学」が変曲点を迎えた年として、1978年もしくは1980年をあげる研究者が多いです(例えば、石井直人や宮川健郎など)が、その大きな理由として、作者の二つの作品、「それいけズッコケ三人組」と本作品「ぼくらは海へ」の出版があげられます。
 前者は「現代児童文学」では初めての本格的なエンターテインメントシリーズ(最終的には2005年に全50巻で完結しました)の確立であり、後者はいわゆる「タブーの崩壊」(それまで扱われなかった死、非行、家出、家庭崩壊、性などが「現代児童文学」で描かれるようになりました)の代表作のひとつとしてです。
 この二つのタイプの違う代表作のうちで、機を見るに敏な作者は、前者をビジネスチャンスととらえて(ポプラ社の担当編集者で後に社長になる坂井氏も同様に感じていたようです)、後者の方向性については見切りをつけて、「現代児童文学」においてビジネス的には最も成功した作家になりました。
 この卓越したビジネスセンスは、後に「ズッコケ三人組」シリーズのような従来のエンターテインメント作品があまり売れなくなる2000年代に、すっぱりとシリーズを辞めることで再び発揮されました。
 他の記事にも書きましたが、私が児童文学との関わりを再スタートするために、1984年2月に日本児童文学者協会の合宿研究会に参加する時に、課題図書として数十冊の80年代の「現代児童文学」を集中的に読んだのですが(実際には、他の参加者は、それらの本を少ししか読んでいなかったことが後で判明しました)、一番好きだったのが皿海達哉の「野口くんの勉強部屋」(その記事を参照してください)で、一番衝撃を受けたのがこの作品でした。
 それは、他の当時の読者も同様でしょうが、主要登場人物の一人の少年の死とオープンエンディング(結末を明示せずに読者にゆだねる)のラストでした。
 しかし、40年以上たってこの作品を読み返してみると、この作品の完成度が意外に低いことに気づかされました。
 それは、一見作品テーマのように思われる少年たちの深刻な問題や事件と、天性のストーリーテラーである作者の書き方が、大きく分裂しているように思えたからです。
 文庫本のあとがきで作者自身が書いているように、作者はあくまでも「自分たちで船を作って出発する」少年たちを描きたかっただけなのでしょう。
 主要登場人物である五人の子どもたちには、ギャンブル狂で働かない父親のための貧困、裕福だが不倫をしている父親のための両親の離婚危機、夫に先立たれたために息子の将来に過大な期待をよせる母親、父親が転勤族のために友人たちとの別れを繰り返す孤独、ぜんそくの妹にかかりきりの両親による疎外感と、それぞれに深刻な状況が設定されていますが、それらはあくまでも「自分たちで船を作って出発する」ことの背景にすぎず、作者はこれらの問題にまともに向き合おうとはしていません。
 また、途中から船づくりに参加して、あっさりと船の設計図を書いてしまう優等生と、暴力をふるう番長タイプの二人の少年はいかにもステレオタイプで、前者が少年たちだけで船を完成できたことのリアリティの保証、後者は五人の結束の要因として、それぞれデウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)の働きをしています。
 初めの五人の少年たちは、一人は事故で死に、一人は引っ越しで町を去り、二人は船で海へ出発して行方不明になり、最後の一人は二人の帰りを待つと、それぞれラストでその後が明確になっています。
 それに引きかえ、デウス・エクス・マキナの二人の少年たちは、役目を終えるといつの間にか物語から姿を消しています。
 他の記事で、エンターテインメントの創作法として繰り返し述べてきましたが、この作品でも、荒唐無稽な設定(少年たちだけでの船の完成、海への出帆など)、ご都合主義のストーリー展開(一人の少年の死、二人の少年だけによる船の修復など)、偶然の多用(前述のデウス・エクス・マキナの少年たちの出現、長期にわたる大人たちの船づくりへの不干渉など)、類型的でデフォルメされた登場人物(少年たちの親たち、デウス・エクス・マキナの少年たちなど)などが十分に発揮されています。
 誤解を招かないように繰り返して述べておきますが、どちらかが良いとか悪いとかと言っているのではなく、リアリズムの作品とエンターテインメントの作品では創作方法が違うと言っているだけなのです。
 作者自身も自分の特質をよく理解しているようで、この後はエンターテインメント作品の方へ大きく舵を取ります。
 なお、文庫本では、同じくエンターテインメント作家であるあさのあつこによる、非常に情緒的な解説を載せています。
 このことは文庫本の売り上げのためにはプラスなのでしょうが、前述しましたように、この作品は「現代児童文学」の変曲点における重要な作品のひとつであるだけに、解説は「現代児童文学史」のわかる人物(例えば、佐藤宗子や石井直人など)に書かせて欲しかったなと思いました。

ぼくらは海へ (文春文庫)
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文藝春秋








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本田和子「消滅か?復権か?その伴走の歴史」日本児童文学2000年7-8月号所収

2024-09-09 12:56:09 | 参考文献

 「21世紀に、はたして児童文学が生き残るであろうあろうか?」という刺激的なテーマの論文です。
「「児童文学」は、「子ども」の消滅と連動するか、否か。あるいは、「児童文学」と「子ども」との不可分に見える関係は、今後とも維持され得るのか、否か。」と、本田は問いかけます。
 「子どもの発見」と「近代文学の誕生」により成立した「児童文学が、こうして、「子ども」と「文学」の申し子であってみれば、現在の児童文学の衰退現象は、子どもの消滅と連動し、同時に、文学の衰弱と結び付く。」と指摘しています。
 「児童文学」は、文学が「モノ化」され、ひいては「商品化」される動きに連動する」ことにより、かつて「語り手」と「聞き手」が一体化していた「物語の世界」を、「本」という媒体による「作者」と「読者」という間接的な関係にしました。
 さらに、「過剰なまでに教育的であったこの世紀は、子ども読者と本の間に、「良書推薦人」とでもいうべき善意の大人たちを介在させている。彼らの大方は、本好きの、あるいは、子どもに本を読ませることを重要と考える親や教師なのだが、結果として、そうした人々の選択眼を経、彼らの基準に適った物語群だけが子どもの世界に送り込まれることになった。」と、「子ども」と「本」との間の媒介者の存在に言及し、「子ども」と「物語」の間をさらに隔てていることを指摘しています。
 以下に「子ども」の変貌とそれに伴う「児童文学」の運命についての本田の考察が述べられていますが、グーグルも、フェイスブックも、ツイッターも、ラインもなく、スマホどころか携帯電話すらそれほど子どもたちには普及していなかった時代に書かれたことを考えると、驚くほど予見性に富んでいますので、長いけれども全文引用します。
「20世紀も幕を降ろそうとするいま、変貌著しい子どもの姿が、連日話題を呼んで大人世代を脅かし続ける。彼らは、言葉や文字による大人世代とのコミュニケーションを無視してパソコン画面と向き合い、画面の彼方の没肉体的存在との間に親密なコミュニケーションを展開してネット共同体を形成してしまう。振り返る視界に、私たちが継承してきた従来の文化を受け継ぐ者の姿はない。子どもたちは、私たちを無造作にまたぎ越えて、まだ見ぬ世界に歩み去って行くかのようだ。
 科学技術進展の速度が、個人の世代での適応や学習能力を越えて進むとき、人は、技術の進歩についていくことが困難になるとされる。現代は、まさにそうした時代ではないか。技術進歩の速度が、世代交替の速度を上回り始めているのだから。とりわけ、メディアにかかわるそれは、私どもの予測だもしなかった速さで進展.展開し続け、しかも、私たちの暮らしを否応無しにその変化の中に巻き込んでいきつつある。メディア変化の波をまともにかぶって、それと伴走しつつ成長していく子どもたちと、私どもの間には、正直なところ、かなり越え難い溝が横たわっているのではないか。
 かつては、メディア世界の王座にあった活字文化が、その地位を電子メディアに譲ろうとしている。活字ならぬディスプレー上の文字は、どこかにいる送信者によって打ち出されるキーに従って、画面に立ち現れて何事かを伝え、つかの間に姿を消して、その痕跡を止めない。活字メディアの継時性・定着性に対する電子メディアの瞬時性・非固定性……。こうした方向へと脱皮転換を続けるメディア社会の子どもたちが、かつての活字文化時代の子どもたちと同種であり得ようはずもなく、子どもー大人関係もまた同質ではあり得ない。
 子どもたちが生を受けたとき、彼らの前に出現した世界は、既にして先行する世代の成長した世界とは異質であった。電話やパソコンによるコミュニケーションや、テレビやインターネットによる情報収集を常態とする彼らにとって、時間は継時的に流れることを止め、点から点へと飛躍し逆行する。さながらとびとびに点滅するネオンのよう……。また、彼らの生きる空間は、地図に描かれた距離とは無縁に、近いところと遠いところが入り交じり反転し合って、従来的な意味での遠近感覚や距離感覚はすべて無意味と化している。」
 ここにおいて、本田は冒頭の問いかけに立ち返り、「児童文学」の悲観的な将来像を描いています。
「「子ども」が、実態として、従来のままではあり得ないとすれば、そして、そのことを捉えて「子どもの消滅」と呼ぶとするなら、「児童文学」も消滅の運命を免れ得ない筈である。近代型の「子ども」とその運命を共有し、彼らとおおよそ100年の歴史を伴走した近代型「児童文学」は、そして、子どもとそれらとの関係は、このあたりで終わりの時を迎えねばならないだろうから。」
 この予測は、従来型の「現代児童文学」に当てはめるならば、ほぼ当たっているでしょう。
 「読書」に「子ども」が求めるものは大きく変質していて、従来の「児童文学」ではそれにこたえられなくなっています。
 その一方で、本田は別の可能性にも言及しています。
「ただし、変貌著しい子どもたちのなかにも、かつての「子ども性」とは質を異にはするが、大人世代と隔てるある種の異質性が見いだされるとすれば、その異質性をキー・コンセブトとしつつ、新しい「児童文学」が誕生する可能性までも否定するつもりはない。それに、誕生した新しい文学、たとえばインターネット上に表現される電子文学との間に、子どもたちが、改めて直接的な関係を回復させる可能性を、期待することが出来るかも知れないのである。」
 つまり電子書籍とその新しい流通形態により、かつてのように「作者」と「読者」の間を、出版社、取次ぎ、書店、媒介者(親や教師)などを介さずに、直接結び付ける可能性に言及しています。
 これらの関係は、すでにアメリカなどの英語圏ではかなり実現しています。
 日本では、出版社などの抵抗勢力により普及が遅れて(特に児童書は)いますが、電子化の時代の流れには逆らえないので、やがてはスマホあるいはその進化形のツールで読書をするのが、子どもたちの間でも一般的になる時代が来るでしょう。
 その時には、従来の媒介者抜きで、読者の子どもたちは、自由に電子書籍あるいはそれに代わる媒体上のコンテンツを手にするでしょう。
 しかし、一方で、今のように日本の児童文学界が電子化の波を拒み続けると、そこだけ将来の児童文化から抜け落ち、すでに電子化が著しいコミックスやアニメやゲームだけが子どもたちの手元に残るかもしれません。

 以上の予測は2015年前後にしたのですが、そのうちの「児童文学」にとっては悲観的な方向に世の中は進んでいるようです。
 ここまでの約100年間に先人たちが蓄積してきた優れた「児童文学」のコンテンツの電子化は、目先の売れ行きだけに汲々としている出版社や児童文学者(児童読み物作家?)たちの利益のために遅々として進まず、その一方でコミックスの方は過去の優れた財産も含めて電子化が進み、すでにスマホやタブレットで読むスタイルは定着しています。
 文字情報というスマホなどの小型の電子機器で読むのに有利な媒体なのにも関わらず、「児童文学」は子どもの日常生活(学校や学童保育や図書館などの特殊な場所は除いて)から姿を消し、子どもたちの「物語消費」はもっぱら「携帯ゲーム」、読み放題サービスによる「コミックス」、配信サービスによるアニメや映画によってなされつつあります。


 

日本児童文学 2013年 08月号 [雑誌]
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丘修三「ぼくのお姉さん」ぼくのお姉さん所収

2024-09-07 13:43:47 | 作品論

 泣くまいと思っていたのに、今回もラストで涙を抑えることができませんでした。
 知的障害にも負けず、明るく生きているお姉さん。
 差別的な視線でお姉さんを見るクラスメートたちとの間で、複雑な思いを抱える弟である主人公。
 お姉さんの自立を妨げないように配慮しながら、温かく見守る両親。
 お姉さんは、作業所で一か月働いた初めての給料(わずか三千円です)で、レストランで家族にご馳走しようとします。
 もちろん三千円だけでは料金には足りないのですが、おとうさんがさりげなく給料袋の中身を三万円にすり替えておきます。
 ラストで、主人公は、学校の課題の作文に、「ぼくのお姉さんは、障害者です」と、堂々と書きます。
 ここには、40年前の障害者が置かれていた境遇(驚くほどの低賃金、障害者を守るのは家族などの少数の理解者だけなど)がはっきりと書かれています。
 作者の大きな長所は、障害者に対する周囲の差別も包み隠さずにストレートに表現することだと思います。
 それから40年近くがたち、障害者の働く環境も少しは改善されましたし、周囲の理解もしだいに広がっています。
 しかし、今なお障害者に対する差別や無理解、そして自立を妨げる障壁は、まだまだ克服されていません。
 そういった現状において、この「現代児童文学」の古典を、各地の読書感想文コンクールの課題図書にして、できるだけ多くの子どもたちが読むことには現在でも大きな意義があると思います。

ぼくのお姉さん (偕成社文庫)
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偕成社
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「現代児童文学」のはじまり

2024-09-05 12:23:27 | 評論


現代児童文学という言葉は、広義にはもちろん現在の児童文学という意味ですが、狭義にはそれまでの児童文学(というよりは童話)を批判して新しい日本の児童文学を創造しようとした文学運動を指します(ここでは区別するために、カギかっこ付きにしています)。

一般的には、「現代児童文学」は1959年に始まったとされています。なぜなら、この年に記念碑的な二つの作品、佐藤さとる「だれも知らない小さな国」といぬいとみこ「木かげの家の小人たち」という、どちらも小人が登場する長編ファンタジーが出版されたからです(実際には、それ以前に「現代児童文学」をめぐる検討や論争が行われているので、1950年代にスタートしたというのが正しいでしょう)。

「現代児童文学」には、大きく分けて二つの流れがあります。
「少年文学宣言」派と「子どもと文学」派です。
「少年文学宣言」派は、当時早大童話会に属していた学生たちが書いた「少年文学の旗の下に」という檄文をもとにスタートしています。
 「少年文学宣言」では、それまでの児童文学の主流であった「メルヘン」、「生活童話」、「無国籍童話」、「少年少女読物」のそれぞれの利点を認めつつもその限界を述べて、「少年文学」の誕生の必然性を高らかに宣言しています。
 ここでの「少年文学」は、ほぼ「現代児童文学」と言っていいでしょう。
 彼らの主張する「現代児童文学」の特徴は、「子どもへの関心」、「散文性の獲得」、「変革の意志」です。
( このグループの主なメンバーは、古田足日、鳥越信、神宮輝夫、山中恒などです。)
 「子どもと文学」は、それまでの日本の児童文学を、世界の児童文学(実際には英米児童文学)の基準に照らし合わせて評価しました。
 その結果、当時の児童文学の主流であった小川未明、坪田譲治、浜田広介を否定的に評価して、傍流だった宮沢賢治、新見南吉、千葉省三を肯定的に評価しました。
 「子どもと文学」派の主張する児童文学の価値基準は、「おもしろく、はっきりわかりやすく」です。
( こちらのグループの主なメンバーは、石井桃子、瀬田貞二、いぬいとみこなどです。)
 一見して分かるように、「子どもと文学」の方が、エンターテインメントとの関係性が深いです。
しかし、当初は、高学年以上向けの作品では「少年文学宣言」派の方が優勢で、「子どもと文学」派の主張は主として幼年童話の世界に影響を及ぼしました
 つまり、「現代児童文学」において、エンターテインメントは当初は限定された存在だったのです。 

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山本麻里耶「「たのしい川べ」に登場するカエル君の役割」

2024-09-04 10:41:17 | 参考情報

 2017年7月29日に、日本児童文学学会7月例会で行われた発表です。
 動物ファンタジーの古典である、ケネス・グレアムの「たのしい川べ」について考察しています。
 従来、イギリス紳士を模したと思われるアナグマ、ネズミ(正確には川ネズミ)、モグラに対して、地主階級のとんでもない道楽息子として位置づけられていたカエル(正確にはヒキガエル)が、物語ではたしているユニークな役割に着目した興味深い発表でした。
 発表者は、その後の代表的なファンタジーである、バリーの「ピーター・パンとウェンディ」(その記事を参照してください)やミルンの「クマのプーさん」「プー横丁にたった家」では、作品世界があまりにアルカディア(理想郷)であったために、最後には主人公であるウェンディやクリストファー・ロビンが、立ち去らなければならないとしています。
 それは、これらの作品において、アルカディアが子ども時代の比喩であり、成長する存在である子どもたちは、いつかはそこを去らなければならないのでしょう。
 他の記事にも書きましたが、「子ども時代にさよならする」ことは、ファンタジーに限らず児童文学においては重要なモチーフであり、モルナールの「パール街の少年たち」、皿海達哉の「野口くんの勉強部屋」(その記事を参照してください)、那須正幹の「ぼくらの海へ」(その記事を参照してください)などのラストシーンで、鮮やかに描かれています。
 発表者は、そのような終わり方を物悲しいと表現していましたが、まさに児童文学あるいは文学の本質は、そこ(子ども時代はいつか終わるものですし、人間自体いつかは死ぬ宿命にあります)にあるのだと思います。
 それらと比較して、ヒキガエルのユニークな点は、最後に改心して立派な地主階級の人間になる(子どもから大人になる)ように見せかけて、実は本心は違うのではないかと思われる点(発表者が紹介したように、このことを指摘した先行研究があります)にあるとしています。
 そして、ヒキガエルのおかげで作品世界がたんなるアルカディアにならなくてすみ、沈滞した状況からやがてディストピアになる危険性を回避しているとしています。
 発表者は、地中(おそらく地方や労働者階級の比喩だと思われます)から川べ(おそらく紳士社会(特に引退後)の比喩だと思われます)に出てきて、友情に熱いネズミや頼りになる先輩のアナグマの助けを得て、立派な紳士になっていくモグラとの対比に注目しています。
 発表者は、彼らがどのような収入を得ているかが不明だと話していましたが、紳士たちのハッピーリタイアメント(生涯困らない財産をできるだけ早く築いて一線から退き、あとは好きなことをして暮らすことで、今でも欧米のビジネスマンにはそれを望んでいる人たちが多いですし、かつては日本でも隠居制度(伊能忠敬も隠居後に日本中を測量して地図を作りあげました)がありました)後の生活だと思えば不思議はありません。
 児童文学論的な観点で眺めると、モグラは典型的な成長物語の主人公であり、ヒキガエルはアンチ成長物語の主人公ということになります。
 そのために、一般的には「たのしい川べ」はオーソドックスな成長物語(いつかはお話が終わる)としても読めるのですが、一方で主人公が成長しない(おかげでお話も終わらない)遍歴物語として読めることになり、「たのしい川べ」が長い間子どもたちに読み継がれている大きな理由のひとつになっているかもしれません(成長物語と遍歴物語の詳しい定義については、児童文学研究者の石井直人の論文を紹介した記事を参照してください)。
 それでは、ケネス・グレアムは、なぜこのような作品を書いたのでしょうか?
 「たのしい川べ」の訳者の石井桃子のあとがきによると、ケネス・グレアムは弁護士の子どもとして生まれたのですが、父親が酒におぼれたり母親が早くに亡くなったりして、厳しい少年時代をおくったようです。
 苦学した後に銀行に就職して、地位や財産を得てから遅くに家庭を持ったので、男の子(アラステア)が生まれたのは彼が42歳の時でした。
 そして、そのアラステアに語る(のちに手紙にも書きました)形で、「たのしい川べ」はできあがったのです。
 ケネス・グレアムは、バリーやミルンのような職業作家ではありません。
 私自身にも経験がありますが、そのような少年時代をおくった父親が自分と比較して幸せそうに見える息子に語る物語には、子どもの今の幸せがいつまでも続くことと将来の成長に対する願いの両方がこめられていたことでしょう。
 それは、モグラ(ケネス・グレアム自身でしょう)のように社会に適合していく(大人になる)ことと、その一方でヒキガエルのようにいつまでも楽しい少年時代をおくっている子どものままでいてほしい(大人にならない)という、相矛盾するものが含まれているものなのかもしれません。
 

たのしい川べ (岩波少年文庫 (099))
クリエーター情報なし
岩波書店
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現代日本児童文学の終焉

2024-09-02 08:41:52 | 考察

 2010年に現代日本児童文学が終焉したという発言が、何人かの研究者からされました。
 例えば、佐藤宗子は、2012年1月の日本児童文学者協会評論研究会の特別例会のレポートの中で、現代児童文学の終焉を象徴する現象として、後藤竜二の死、伊藤英治の死、理論社の「倒産」、大阪府立国際児童文学館の廃館をあげています。
 また、現在の児童文学の傾向として、「作家」主体意識の薄れ、「変革の意志」の変質・変容、「書籍」に対する期待の変化を指摘しています。
 宮川健郎も、「日本児童文学」2011年1・2月号の「追悼・後藤竜二」に、「後藤竜二、あるいは現代児童文学のうしろ姿」という作品論を寄せて、その中で、「後藤竜二の文学は現代児童文学の理想形だったのではないか」と述べています。
「後藤竜二の作品は、子どもの視点で、子どもの言葉で描かれる(注:「子ども」への関心(児童文学が描き、読者とする「子ども」を生き生きとしたものとして、つかまえ直す))。そして、独自の魅力あふれる散文によって(注:「散文性」の獲得(童話の詩的性格を克服する))、歴史や現在の状況のなかで、「変革」の可能性をさぐろうとしつづけた(注:「変革」への意思(社会変革につながる児童文学をめざす))。それなら、私たちが見送ろうとしているのは、現代児童文学のうしろ姿なのではないか。」
 引用が長くなりましたが、宮川もまた2010年を現代日本児童文学の完全な終焉ととらえているようです。
 両者に共通しているのは、「現代児童文学」というタームを、「現代日本児童文学」という意味で使っていることです。
 海外ではどうなのでしょうか。それについては何も述べられていません。
 両者に限らず、現在の日本児童文学には、グローバルな視点が欠けているように思えてなりません(「ハリー・ポッター」のような売れ筋の作品は、商品として盛んに出版されていますが)。
 かつての石井桃子や安藤美紀夫のような、研究者で翻訳家で実作者(石井の場合はさらに編集者で児童文庫運動の活動家でもありましたし、安藤は後進の児童文学者たちの教育者でもありました)といった複眼的に児童文学をながめることのできる人材は、仕事の専門性が細分化されだ現代に求めるのは無理なのでしょうか。
 「現代日本児童文学の終焉」というテーマは、私の大きな関心事のひとつです。
 ただ、皮膚感覚としては、1973年4月から1976年9月ごろまで、集中的に内外の現代児童文学や児童文学論を読んでいた時期には、まったく終焉の予感はありませんでした。
 それが、就職、結婚を経て、1984年2月の日本児童文学者協会の合宿研究会に参加して児童文学活動を再開するために、課題図書として提示された80年代前半の数十冊の日本児童文学の作品群を、1984年の1月から集中的に読んだ時にはかなり違和感を感じたことを覚えています。
 合宿研究会で再会した児童文学評論家の大岡秀明に「7年のブランクがありますが何か変わりましたか?」とたずねたら、彼は「何も変わらないよ」と言っていましたが、実際にはその間に大きな変曲点があったのでしょう。
 合宿でたまたま同室だった安藤美紀夫と古田足日に相談して、当面は児童文学の研究ではなく創作と作品評をすることに決めて、安藤に紹介してもらった同人誌に参加するようになってからも、その違和感は続いていました。
 それは、自分の作品を、同人誌だけでなく、「日本児童文学」に発表したり、単行本で出版するようになって、編集者などと話すようになってからますます大きくなっていきました。
 この違和感(現代児童文学の変質あるいはすでに終焉していた)は、たぶん日本社会のバブル化や「現代日本児童文学」の商品化と関係があるように今は考えています。
 小熊英二編の「平成史」によると、戦後の日本における大きな変曲点は1955年(55年度体制の始まりと高度成長の始まり)と1991年(バブルの崩壊と55年体制の終焉)とのことです。
 間の1973年からオイルショックやドルショックなどの小さな変曲点がいくつかありましたが、日本経済はそれらを克服し80年代のバブル期を迎えます。
 狭義の現代児童文学(広義の意味はもちろん「今現在の児童文学」ですが、以下では狭義の意味で使っています)は、別の記事に書いたように1953年ごろからそれまでの近代童話を批判する形で議論が進められ、1959年に佐藤さとるの「だれも知らない小さな国」やいぬいとみこの「木かげの家の小人たち」といった長編ファンタジーに結実しました。
 そして、1970年代の終わりごろに変曲点があって、今までの定義(散文性の獲得、子ども(読者でもあり登場人物でもある)の獲得、変革の意志(いわゆる成長物語も含めて)、おもしろくはっきりわかりやすいなど)に当てはまらない現代児童文学が登場します。
 それらを経済的に支えたのが1980年代には児童文学でも迎えた出版バブルで、実に多様な作品群を生みだしました。
 しかし、これも一般社会と同様に1991年のバブル崩壊とともに、終焉を迎えます。
 私は、バブル期の終わりごろの1989年と1990年に単行本を出版していますが、それらのような普通の男の子を主人公にしたマイナーな作品は、バブル崩壊後であったならばとても出版されなかったでしょう。
 現に、私の属していた同人誌の同人の一人が、バブル崩壊後の1992年に発表した少年小説は非常に優れていましたが、中学生の剣道部の少年群像を描いたもの(今出版されているようなお手軽スポーツものではありません)だったので、いくつかの出版社から引き合いがあったものの、結局出版されませんでした。
 これがバブル崩壊以前だった二年前だったら確実に出版されていたであろうことは、自分の本との出来の比較からいって、確実だったと思います。
 今後も1959年から1991年ごろの日本の社会状況をもっと検討することによって、児童文学を取り巻く経済状況などを視野に入れて、現代児童文学の、誕生、繁栄、衰退について、考察を重ねていきたいと思っています。
 

日本児童文学 2011年 02月号 [雑誌]
クリエーター情報なし
小峰書店









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