昨日に続いて、今日も夏日らしい夏日でした。
朝、散歩に出かける時、マンションからは富士山のシルエットがくっきり見えていたので、多摩川に向かいましたが、
多摩川からは、雲が邪魔してちょっと残念。。。
でも、これからは富士山がくっきり見えるシーズンになるので、毎朝が楽しみです。
気が早いですが、冠雪も(苦)
絶対もらえる!金麦の夏皿キャンペーンですが、
最初に大皿を、次に小鉢に応募して、ようやく二つとも揃いました。
先に大皿が届き、小鉢を待っていたので、最初は両方使う”そーめん”で。
今日が夏日でちょうど良かった♪
作りがしっかりしていて、デザインもいいと、奥さんからも高評価(の夏皿)。
しかし、その前のキャンペーン、あいあい皿(その1、その2、その3)は未だ揃いません。
9月中には届くはずなのですが。。。
さて、以前、どなたかのブログで、
女性タレントが浴衣を着てテレビに出ていたが、左前になっていることに、スタッフの誰も気がつかなかった(気にしなかった)のか?
というコメントを拝見して、
そう言えば、温泉に行って、浴衣を着る時「左前は誤り」とは知っているものの、
右側を前にして合わせるのが、何か不自然な感じがして、まあ、いいか、と左側を前にして、右手を懐に入れていました。
果たして、これはどうなのか、もういい大人なので、ちゃんと知っておこうと思い調べることにしました(恥)
結果わかったことは、
私が左前と思っていたのは、実は、左前ではなかった。
という驚愕の事実。。。
ここで言う「前」は「手前」の意味なので、
右前は、自分から見て右側が手前で、生地が肌についていて、左側が外側の状態。
右前、左前は、相手から見てどちらか、という事にもなるので、自分から見たら、左の衽(おくみ)が前に出ていていいんですね。
右手を懐に入れやすいというのも由来として正しかったようです。
由来は、まあ色々出てきましたが、
基本的に右利き仕様であったと思うので(刀の大小は左に差して、右手で抜くし)、
右手で、紙入れ(財布)、手ぬぐい、懐紙など懐に入れやすい、出しやすいという合理性が、個人的にはしっくりきました。
なので、左前にしていると、とりわけお金の出し入れが手前で、奪われやすく(失いやすく)、商売が左前になるという表現も、その合理性に由来するものかと。
死装束は普段と違うよう、左前にするので、不吉であるというようですが、左前が合理的な理由から不幸、不運につながるので、不吉なこととして死装束につながったような感じもします(事象と由来が逆)。
他方、男性シャツのボタンは自分から見て右、ボタン穴が左なのも、右利きの合理性からでしょうか。
じゃあ、女性の洋服は何故左前なのか、というと、
女性でボタンのある服を着ていたのは上流階級だけで、自分で着ることはなく、召使が着せていたので、右利きの召使いがボタンをとめやすいように、というのも合理性からですね。
この自分で着ない論は、
古代中国で、左の方が位が高いので、高貴な人は左前で、庶民は右前に合わせるのを、聖徳太子が日本で導入したという説の根拠にこじつけられそう(笑)
着物にボタンはないので、帯で考えてみます。
帯の回し方には、右も左もないようですが、仮に、高貴な人は自分で帯を締めないとすると、
右利きの使用人は、右から後ろに帯を回すのではないでしょうか。
とすると、反時計回りに、着る人の右脇から帯が回ってくるので、左前の方が、合わせた襟が崩れないのでは。
右利きの人が、自分で帯を回す時は、時計回りの方が回しやすいので、右前が崩れにくいと。
まあ、なんとでも言える話ですけどね(苦)
思えば、成人した時だったか、就職した時だったか、親に浴衣を仕立ててもらい、
また、結婚した時は、奥さんの分と合わせて、再び、親から新しい浴衣をプレゼントされ、
実家が、祖父の時まで老舗の下駄屋であったので、浴衣に合う草履も、都度貰っていたのですが、
云十年も箪笥の肥やしになっています(苦)
シンガポールやベトナムには、向こうで着たら格好いいんじゃないかな、とか、日本人会や商工会のイベントで着る機会があるかも、と持って行ったのですが、結局、着た後、洗って保管するのが心配になって、一度も袖を通していませんでした。
住んでいる池上は、神社仏閣が多く、それぞれのお祭があるので、着方をちゃんと知ったら、着るモチベーションにもなるかな、とも思いましたが、まあ、タイミング的にはちょっと遅く、来年からかな。
少なくとも、これからの季節、温泉に行って浴衣を着て恥をかく恐れはなくなりました(苦)。
ではでは