台風の後、猛暑が続き、生活インフラが復旧していない方々にとっては辛い日々が続いていることと思います。
決して不謹慎な事を言うつもりではないのですが、今日はそれでもマシな方ではなかったでしょうか。
久しぶりに、多摩川大橋から下流に向かって歩き、六郷橋の袂から、一直線に池上の自宅に帰ってきましたが、
(マップの経路検索で、本当に一直線に帰れる道が表示されて(知らなかったので)驚きました。)
日陰のない川っぺりを歩いての2時間コースでしたが、風が心地よく、それ程汗もかかずに済みました。
その”川っぺり”について、
先日来、大田区の自然観察路をネタにしており、昨日は「海と埋立地のみち」の一部を歩きましたが、
「川と干潟のみち」にも行こうとは思っており、これまで何度もその一帯には行っているものの、川から離れた土手を歩いていたので、川辺の生きもの、植物に注意がいっていませんでした。
そこで、「川と干潟のみち」で指定されているのは、六郷橋と大師橋に挟まれたエリアで、六郷橋から下流ではあるのですが、その前に、多摩川橋と六郷橋の間の川辺はどうなっているのか、ちょっと歩いてみようと思った次第です。
それで、どうだったかと言うと、多摩川大橋に近いあたりは、草木が生い茂っているものの、台風の影響か、随分と薙ぎ払われていて、川っぺり(川縁)を覗き見ることができました。
しかし、まあ、ゴミだらけな感じなので、草木をかき分けてまで川縁にいく気は起きませんでした。
ただ、土手に比べると、川筋に近いせいか、本日の涼しさ以上に、涼しいような感じは受けましたね。
途中、用水路なのか、人工の池なのか、がありました。
釣りをしている方々が結構います。
釣れているところは見られませんでしたが、何が釣れるのかな?
何十度となく歩いている土手から、見えないはずはないのですが、、、気付かぬものですね(汗)
この辺りから先(下流)ですが、
川縁は林のように樹木が連なっています。
そして、まるで長屋のように、樹木の中に作られた住処が続きます。
ただ木々が途切れているだけ入口もあれば、石やコンクリートブロックで階段を作っていたり、
塀、門、扉に鍵までつけている家(家というのか?)までありました。
先日、等々力緑地のくだりで、そういう人が川崎側に多いような事を書きましたが、
大田区にも随分いらっしゃいますね(汗)
その玄関先(?)のゴミを掃いていたり、迷惑となって撤去されたりしないよう気を使ってはいるように感じました。
扉とか鍵も、占拠というよりは自衛のためでしょうか。
今は聞かなくはなりましたが、オヤジ狩りとか、実際は起きていそうですもんね。
(あおり運転、老齢ドライバーなども、最近起き始めた訳ではなく、報道で取り上げるかどうかですから)
いずれにしましても、自分の見識、見えている範囲が狭いものであったと反省する次第です。。。
さて、最初に触れた一直線で帰る途中、興味を惹かれるお寺さんがありましたので、ここで紹介しようかと。
宝幢院(ほうどういん)という真言宗のお寺です。
真言宗ですから、弘法大師さまの銅像。
旅装なのは、私がここでちゃちゃっと四国八十八か所の霊場を巡る代わりに、現地に行っていただいたからですね。
これは川崎大師にもありました。
区内で最も古い水船(手水石)、区内最古の梵鐘(多摩川の河原で鋳造)があります(区指定文化財)。
新大田区百景にも選ばれていました。
不動堂で、毎月二十八日に護摩を焚くらしく、誰でも参加できるようです。
毎月第四日曜は、本堂で”二十分修行”というものがあると。
座禅でしょうか。こちらも誰でも参加できると。
と、ここまでは、お寺の生業として純粋に紹介できるものですが、
私の気を惹いたのは、、、
まず、落語やってます。
「宝寄せ」といってFacebookページがありました。
それと、「宝フェス」というお祭りのチラシも貼ってありました。
こちらもFacebookページがありましたが、今年のパンフはアップされておらず、
頂いても来なかったので(これだけやる寺なら、ちゃんとしたHPがあるだろう、と思い、実は無かった)、
去年のパンフを参考に貼ります。
馬車周遊、乗馬デモ、テニス、音楽演奏会と、内容及びパンフの写真は一緒でしたので(苦)
内容の違いは、開催日は、10月19日(土)のみ(笑)
なんだか凄いですね(好きです、こういうの)
近所の養源寺も、紫陽花祭りに移動動物園呼んだり、境内で竹を組んで流しそうめんやったり、櫓組んで盆踊り開催したり、池上七福神の御朱印帳に東京オリンピックバージョン作ってみたり、、、と色々やりますが、
最近のお寺、とりわけ都会のお寺は、大変なのかもしれません。
檀家が増えることはないでしょうし(新しく住民が増えても、私のように実家にお墓があるし、東京に永住する気持ちはないのでは)、
土地が高いから墓地もそう売れず(作れず)、分骨と位牌だけ預かるようなお墓サービスだったり、まとまった土地が不要の樹木葬とか、
私の世代ですら、さほど宗派にこだわりはなく、檀家として縛られてもいないので、お寺さんの間での競争も激しく、法事で得られる収入の単価は下がっていることでしょう。
とすると、このようなイベントで、近所の方々の親近感による囲い込みや、新しい、若い住民に対する知名度を上げて、商売の裾野を広げていく必要があるのではないでしょうか。
個人的には賛成です。
私や奥さんの実家の方で、檀家として何かと寄付を募られ、厳密に法事を重ねて、ちょっとお経を唱えただけで、お布施云万円のような時代でもないと思います(気を悪くされたお寺さんがいたらすみません。でも、昨今の多数派意見ではないですかね)
諸事、リーズナブルでオープンにやりたいものです。
ではでは