竹心の魚族に乾杯

Have you ever seen mythos?
登場する団体名、河川名は実在のものとは一切関係ございません。

餓鬼憑きとセロトニン

2009年04月22日 20時53分01秒 | やまめ研究所
妖怪は、怪異な姿で人々を驚かせ、また、逆に人気を集めたりします。
でも本来の妖怪というのは、姿なんかどうでもよかったんじゃないでしょうか――。

彼らは子供をさらったりもしましたが、実は百姓やきこり、漁師など村人にとっては役に立つ存在でした。ビジュアル要素がないと子供達はなかなか興味を示してくれませんけど、大人たちはそんなことよりも、正しく付き合えば恩恵をもたらしてくれるということで、それほど恐れてはいなかったんじゃないかと思います。

そういえば、民俗学者の宮本常一は、民具の分類に当たって、それまでの形態による分類に異を唱えて、機能による分類を訴えたとか。
妖怪の呼び名とか姿は、時代とか土地土地によって変わるものですけど、村人から見てどういう存在だったのかという側面はあまり変化しませんね。カッパとか海坊主とか。



さて先日、甘いものを食べることとセロトニンの関係について触れましたが、思い出したのは子供の頃夢中になって読んだ水木しげるさんの妖怪の本。

そこには、“餓鬼憑き”と称して、餓死した人の霊が取り憑くという、奇妙な現象が語られていました。

水木先生の餓鬼憑き想像図
「日本妖怪大辞典」より

これは“餓鬼憑き”、“ヒダル神”などと呼ばれ、山道を歩いていた人が急に空腹感を覚え、歩けなくなってしまう現象です。それでこれは近くで餓死した人たちの霊の仕業だとされています。そして餓鬼に憑かれたら、少量でもよいから何か食べ物を口にすると助かると言われています。これはもう一人の偉大な民俗学者、柳田国男さんも調べていたようです(※)。

自分の記憶が確かであれば、水木さんの妖怪の本には体験談が載っていて、食糧は持っていなかったが、たまたま米を持っていたことを思い出し、その生の米を口に入れた途端にその状態から抜け出せたと書いてあったような気がします。

その本には上のような見事な挿し絵が描かれていましたけど、面白いことにこの“餓鬼”“ヒダル神”を見たという目撃談が見当たらないのです。つまり“餓鬼憑き”は、姿は知られておらず、現象だけが語り継がれている妖怪だということです。



さて、人間の脳は脂肪を燃料として使うことができませんからブドウ糖を燃焼させてATPを作り、ATPからエネルギーを取り出して活動していますが、困ったことに脳細胞はグリコーゲンを貯めることができません。血液中のブドウ糖が少なくなってくると、肝臓のグリコーゲンを徐々に分解してブドウ糖を補おうとします。
肝臓のグリコーゲンを使い果たしてしまうと、他のいろんなものから無理やりブドウ糖を合成しようとします。中性脂肪からブドウ糖を作るのは大変です。しかも歩いていて体力を消耗していて汗もかいていますから、思考力は衰え、やはり脳や神経の活動に多くを依存している視力も落ちてきます。場合によっては、急に辺りが暗くなったように見えるかもしれません。
当然セロトニンも不足しますのでますます不安になるという悪循環。

急にこんな状態に陥ったら、妖怪か何かの仕業だと思ってしまっても不思議ではないと思います。

でんぷん質のものでも、食べてから10分ぐらいでちゃんと血糖値が上がってくるそうですから、握り飯1つでもセロトニンが回復してきて、とりあえず正気には戻ると思われます。


登山をする人たちの間では“シャリばて”などといって、低血糖やナトリウム・カルシウム不足から来る似たような症状が知られています。こちらは、急に動けなくなる訳じゃないのですが、冷や汗が出て力が入らなくなり、最終的には立てなくなります。場合によっては足がつったり、けいれんを起こしたりもします。
すぐに気がついてスポーツドリンクを飲めば治るのですが。
登山中ならまだいいですけど、川の中で足がつったら悲惨ですね。

1回でも似たような経験をしたことのある人なら落着いて対処できると思われますけど、登山をしたことのない人なら、ましてや周りに誰もいなかったら、初めての経験に恐怖心からパニックになる可能性も、考えられるかもしれませんね。


ただ、単なる低血糖とかミネラル不足だけでは、それまで元気に歩いていたのに急に歩けなくなることが説明できません。餓鬼に憑かれるのが主に山中だということから、急に周囲が暗くなったり、気温とか気圧、酸素などの変化、こういったものが影響して突発的にそういう状態になるのかもしれませんね。


ところで、よく使われる「だるい」という言葉、語源は英語の「dull」だと思っていましたけど、もともと日本にあった言葉なんですね(※)。




※「三十年も以前に、学友の乾政彦君から聞いたのが最初であった。大和十津川の山村などでは、このことをダルがつくというそうである。山道をあるいている者が、突然と激しい飢渇疲労を感じて、一足も進めなくなってしまう。誰かが来合わせて救助せぬと、そのまま倒れて死んでしまう者さえある。何か僅かな食物を口に入れると、始めて人心地がついて次第に元に復する。普通はその原因をダルという目に見えぬ悪い霊の所為と解していたらしい。どうしてこういう生理的の現象が、ある山路に限って起るのかという問題を考えてみるために、先ずなるべく広く各地の実例を集めてみたいと思う。…(中略)…最も古く見えている書物は、今知る限りでは柳里恭の雲萍雑志 巻三である。伊勢から伊賀へ越えるある峠で、著者自身がこの難に遭った大阪の薬種屋の注文取を助けた話を載せ、これには餓鬼がつくというとある。目には見えねどこのあたりに限らず、処々に乞食などの餓死したる怨念、そこに残り侍るにや云々とある。
同所には更に附記して、その後播州国分寺の僧に逢ったところが、この人も若い頃、伊予国を行脚して餓鬼につかれたことがある。それからは用心のために、食事の飯などを少しずつ紙に包んで持ってあるき、つかれた人があればやることにしているといった。…」柳田国男『妖怪談義』講談社学術文庫
水木しげる『日本妖怪大辞典』角川書店

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