孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”ブログ編

「孫文さんの“北京の隠れ部屋”」を「孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”」に変更しました。

亀有・金町・柴又・松戸散策のプチ旅

2024年04月15日 12時34分56秒 | 旅行(日本)

4月13日(土)友人たちと葛飾区と松戸市を散策するプチ旅を行った。訪問場所は下記。

金町 南蔵院 縛られ地蔵

柴又 帝釈天・山本亭・寅さん記念館

矢切 矢切の渡し

松戸 戸定邸(戸定歴史館)

亀有 亀有公園・亀有香取神社・こち亀ゲームパーク

御徒町 夕食(ガチ中華)

大岡政談・寅さん・矢切の渡しに乗って・プリンス徳川・こち亀とバラエティに富んだテーマの地を回って充実した春の1日でした。訪問地を地図に示すと下記。

 

== 南蔵院(しばられ地蔵)==

大岡政談に登場する縛られ地蔵のお地蔵さんがあるお寺。

多くの縄でお地蔵様が縛られていました。 そして達磨さんも縛られていました。

江戸時代の享保年間、八代将軍徳川吉宗の治世。日本橋にある呉服問屋の手代が南蔵院の境内でうっかり一眠りしている間に反物を荷車ごと盗まれてしまいました。 調べに当たった名奉行、南町奉行大岡越前守忠相は、「寺の門前に立ちながら泥棒の所業を黙って見ているとは、地蔵も同罪なり、直ちに縄打って召し捕って参れ」と命じました。 かくして地蔵はぐるぐるに縛られ、車に乗せられ江戸市中を引き廻され南町奉行所へ。物見高い野次馬が、どんなお裁きが始まるかと奉行所になだれ込みました。

(出典:https://shibararejizo.or.jp/shibararejizo.htm  )

話の続きは、上記URL見てね。

 

== 柴又 ==

南蔵院の後は、京成金町駅から電車に乗って柴又駅へ。

駅に降りると寅さんの匂いがプンプン…

参道のお店で早めのランチを食べて、柏餅のお土産を買って帝釈天にお参りです。

お土産に買った柏餅、メチャメチャ美味しかったです。

参道を抜けると帝釈天です。

この風景、寅さんの映画で何度も見たなぁ・・・

 

== 寅さん記念館に寄る前に山本亭で日本庭園を ==

山本亭は、地元ゆかりの山本工場(カメラ部品製造)の創立者である山本栄之助翁の自宅でした。

(出典:山本亭とは | 葛飾区観光サイト|山本亭 (katsushika-kanko.com) )

 

山本亭を初めて訪問しました。立派な庭園を見ることができます。そして洋式の応接室のような部屋も立派だった。これが個人の家だったなんてすごい!!

米国の日本庭園専門誌「Sukiya Living(数寄屋リビング)/ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」が実施した日本庭園のランキング調査の結果、山本亭の庭園が2019年4位にランクインしました。

(出典:https://www.katsushika-kanko.com/yamamoto/y1-about/index.html )

 

== 寅さん記念館 ==

葛飾柴又と言えば、『男はつらいよ』のロケ地、この柴又に寅さん記念館があります。映画で使用した本物の『くるまや』のセットが展示され映画の雰囲気を味わう事ができます。

この『くるまや』の看板は、男はつらいよ 第50作 おかえり寅さん で使われたお店の看板でしょうね。 この50作目、もう1度見たくなった。 

 

綺羅さん記念館のURLは下記

寅さん記念館とは | 葛飾区観光サイト|寅さん記念館 (katsushika-kanko.com)

 

== 矢切の渡し==

江戸川の土手に上がると、寅さんが向こうから歩いてくるんじゃないかと思うようなのどかな雰囲気。土手の桜は満開です。

矢切の渡し賃は200円で川を渡って千葉県松戸市まで行けます。船頭さんの口上を聞きながらのんびり小舟で千葉県側へ揺られていきます。

のどかな江戸川の土手です。 

千葉県側に来ました。土手に菜の花が咲き乱れています。

バスで松戸方面に向かいます。乗客は我々一行だけ、 このバス1時間に1本しかなく運転手さんは出発を待っていてくれました、ラッキーでした

 

==戸定邸(戸定歴史館)==

戸定邸は、水戸藩最後(11代)の藩主・徳川昭武(あきたけ)が建てた別邸です。戸定邸の敷地の内、約3分の1は戸定が丘歴史公園として整備公開されています。公園内には徳川昭武と彼の兄・徳川慶喜の資料を展示する戸定歴史館などもあります。戸定邸は徳川昭武専用の屋敷として建設され、明治17年(1884年)に落成しました。木造平屋一部2階建、延床面積725平方メートル、9棟の建物に23の部屋があります。2006年7月に国の重要文化財に指定されました。

(出典:https://madcity.jp/tojotei/  )

プリンス徳川の私邸としてこの部屋にいると落ち着きを感じます。

兄の徳川慶喜とも眺めたであろう戸定邸の東屋(標高25mくらい)から見た江戸川を眼下にした景色が好きな場所です。 時々常磐線が走行していきますが、徳川慶喜、徳川昭武兄弟が見た当時の景色は、常磐線もなく、高層ビルもなく、江戸川を船が往来して向こうの方には富士山と言った、明治ののどかな景色を眺めていたことでしょう。

庭に咲いていた可憐な花

 

== 亀有 ==

亀有駅周辺は、こち亀(こちら葛飾区亀有公園前派出所)の聖地と言える場所。多くの両さんや同僚などの像がありました。また、こち亀のカラーマンホールも各所にあります。

 

亀有駅から5分ほどで亀有公園。多くの子供たちが遊んでおり賑やかでした。その公園にも両さん像。ベンチで両さんが子供たちが遊んでいるのを見守っていました。(両さん、派出所から抜け出し休んでサボっていただけかも)

亀有駅でこち亀ガイドの地図が置いてあります。地図を片手に散策がおすすめ。

この両さん像の向こうにある交番は、亀有駅北口交番。こち亀のモデルとなった交番らしい…

亀有駅北口交番です。

== 亀有香取神社 ==

亀有駅から歩いて5分ほどのところにある神社、創建は1276年という歴史ある神社。その境内にも両さんの像がある。

賽銭箱に何故か亀さん

両さんの絵馬もありました。

そして、ここは葛飾区。葛飾が地元の漫画の『キャプテン翼』のサッカーゴールをかたどった絵馬かけも設置されている。

 

== こち亀ゲームパーク ==

香取神社のそばにあるのが、アリオ亀有。その3階にこち亀ゲームパークがあり、店内はこち亀一色!!  亀有公園前派出所があります。

派出所の両さんが座る席には、始末書(しかも令和5年としっかり最近の年号にメンテしている)がありました。

派出所の両さんの机の上にあるのが、ソニーのラジオ ICF-801。ラジオのそばには馬券などが散乱。仕事しながら競馬中継のラジオ聞いているんでしょう。困った両さんです。

 

== 番外編 ==

プチ旅を終えて、御徒町で夕食とした。御徒町のガード下の店でガチ中華。久しぶりの味で美味しかったです。

                == 次回はどこへプチ旅しよう ==


行田プチ旅記 Part 3

2024年04月07日 13時01分54秒 | 旅行(日本)

Part 2の続きです。

2024年4月4日(木)、さきたま古墳公園の見学を終えて、市のコミュニティバスで次の場所に向かいました。

忍城バスセンターで下車して、隣接の本丸児童公園のSL(C57)を見ました。このSL前回来た時は錆やペンキ剥がれ、鳥の糞などで無残な姿だったのですが、最近化粧直しを行い、よみがえりました。

水城公園では池で多くの市民が釣り竿を垂れていました。

 

その後、忍城に向かって歩きました。忍城にも花手水でおもてなしを受けほんわかとした気持ちです。 そして、この忍城は、石田三成の水攻めでも落城しなかった城として『落ちない』という受験のお守りもご当地土産になっています。

 

==足袋と蔵==

行田の特産品は足袋、かつて日本の足袋製造の約8割を占めたこともある。

足袋で欠かせないのが蔵、なんで関係あるかというと、足袋は夏は不要なので売れないが生産は1年中。そこで、足袋を保管する蔵が市内各所に作られた。そんな蔵を眺めながら街を歩く。

なんと、交番も蔵造り風の建物でした。

市内の足袋工場

 

== 八幡神社 ==

行田での花手水を最初に始めた神社です。

夕方になり日が傾いてきました

帰り道の秩父鉄道行田市駅の駅舎と駅前にある熟女Clubです。

ラッピング電車が走っています。

行田めぐりのプチ旅が終了しました。

 


行田プチ旅記 Part 2

2024年04月07日 12時46分43秒 | 旅行(日本)

行田では、花手水Weekと称して市内約100ヶ所の神社・商店・銀行・郵便客などで花手水を飾り、おもてなしをしています。 毎月約2週間の期間(実施しない月もあり)花手水を飾ることは大変な苦労だと思う。花手水を見比べながら街を散策するなんてすばらしいと感じる。

自転車屋の店頭にも花手水が・・・

花手水が準備中の店では下記のような案内掲示もされていた。

Part 3に続く。


行田プチ旅記 Part 1

2024年04月07日 10時45分11秒 | 旅行(日本)

4月4日(木)、埼玉県行田の桜を見に出かけてきた。

事前の桜開花情報では都心より開花が遅れていて、残念ながら桜は満開状態ではなかったのが残念。しかし、行田各地の春の景色を見られて楽しかったプチ旅でした。

行田市駅前から市のコミュニティバスを使用して各地を巡りました。

==古代蓮の里==

古代蓮の里の桜です。 

蓮の池に映る行田タワーが良かったです。夏になると、この池は蓮の花で埋め尽くされますので、このショットは今の季節だけです。

行田タワーの中では、昨年公開された『翔んで埼玉 ~琵琶湖より愛をこめて~』の宣伝ポスターの提示等があった。この映画、最後にこの行田タワーが大活躍したなぁ…

 

==さきたま神社==

さきたま神社の花手水がきれいでした。そして、この神社を通り抜けて、さきたま古墳公園の遊歩道を通って古墳群を眺めることができます。

鳥居の向こうのこんもりしたところがさきたま神社なんだけど、この丘も実は古墳なんです。(浅間塚古墳)

==さきたま古墳公園==

大小の古墳群があります。 日本最大級の円墳の丸墓山古墳に登ると、眼下にいくつかの前方後円墳が見えます。そして、丸墓山古墳の上で石田三成が陣を敷いて忍城を水攻めにした逸話が残されています。

写真は鉄砲山古墳(前方後円墳)

写真は瓦塚古墳(前方後円墳)

丸墓山古墳の眺めです。 桜が咲き始めの時期だったのが残念。階段をノンストップで昇るのはきついです。階段の途中で休憩しました。

丸墓山古墳の最上部は平になっていて、桜の大木が何本か植えてあります。

丸墓山古墳から忍城を見る。 石田三成もこの景色を見ていたのかも… でもこの写真は望遠(コンデジ最大テレ)で撮影なので、石田三成が見たのは米粒のようなサイズで見えたお城だったはず。

この前方後円墳(稲荷山古墳)は古墳の上に登ることができます。古墳の菜の花がきれいです。

丸墓山古墳から稲荷山古墳を眺める。

石田堤(石田三成が築いたとされる堤から丸墓山古墳を眺める

埼玉県名発祥の碑も公園内にあります。

公園を一周回ってさきたまテラスでランチにしました。 注文した料理は『丸墓山カレー』。中辛味で美味しかったです。

 

PART 2に続く

 


== 行田散策 番外編 ==

2023年10月15日 21時15分07秒 | 旅行(日本)

== 行田散策 番外編 ==

行田という町は、日本の地方都市の抱える課題を背負った縮図のようにも感じる。足袋の町として流行った時期もあるが、時代の流れで足袋は滅多に使わない。 現在は割と静かな感じの城下町だった町という印象。

駅(行田駅、行田市駅)の駅前はガランとして大きな建物もなく寂しい感じ。平日だったのでメイン道路も人通りは少ない。

写真は駅前の通り、行田の藏(足袋を保管するための藏)

行田市駅(秩父鉄道)の駅 (ローカル感満載です)

行田市駅から熊谷駅まで乗った秩父鉄道は可愛いラッピング車でした。 社内も楽しいイラストでした。ちょうど学校の下校時刻。生足の女子高生たちが電車内でおしゃべりしてました。

不思議な看板を見ました。 家庭料理「ちんぽ」店の名前? はて、何の意味だろう⁇


== 行田の観光名所 ==

2023年10月15日 21時08分31秒 | 旅行(日本)

== 行田の観光名所 ==

行田市のさきたま古墳公園にはたくさんの古墳がある。 広い公園をブラブラしながら古墳を周囲を散策したり古墳の上に登ることもできる。(古墳に近づけないものもあります)

丸墓山古墳 日本最大級の円墳で、頂上に登ると市内の景色がきれいに見えます。 そして、この場所に忍城を攻め落とそうとした石田三成が陣を敷いた場所とか…

稲荷山古墳  前方後円墳です

瓦塚古墳

二子山古墳とコスモス

さきたま古墳公園の中に、埼玉県名発祥の碑があります

さきたま神社です。 

市内を散策していると、なんか見たことある建物が・・・。 2007年のTBS日曜劇場「陸王」の舞台となった工場でした。 いまだ現役で稼働しているのにびっくりです。


== 行田のアート水田 ==

2023年10月13日 20時07分30秒 | 旅行(日本)
== 行田のアート水田 ==
 
今日は今年2度目の行田市散策。
稲刈り実施が近い様なので、その前にアート水田の様子を見に出かけた。
黄金色に輝く稲穂がきれいだった。
水田アート以外にも古墳公園散策と行田市内のあちこちに飾られている花手水見学が今回の目的の1つ。
それらの写真は、別途upしますということで・・・・
 
 
 
 
 
 
 
 

薩摩硫黄島 part 4

2023年03月29日 13時51分00秒 | 旅行(日本)

薩摩硫黄島 part 4は、硫黄島までの乗り物関係の記載です。

3月23日、羽田空港へ向かう途中、浜松町のホームにある小便小僧です。 この像を見てからモノレール乗り場に向かうのが私のルーチンになっています。

鹿児島に向かう機内は満席。 機内誌を見ていたら鹿児島特集がありました。 これから向かう場所が機内誌に書かれていて、それを読めたってことは嬉しいですね。

3月24日朝、鹿児島市の南埠頭から硫黄島へ向かうフェリーの乗船場所でパンを販売していました。船内には食堂が無いので、貴重な食糧補給場所です。 サンドイッチと塩パンを購入して船内で食べました。

これから船に乗船します。

途中の寄港地、竹島での出港風景です。島を離れて本土に向かう生徒(島には高校が無いので、中学生は本土の高校に進学)や離任する先生へ五色のテープで別れを告げていたのが涙を誘います。

薩摩硫黄島の港に入港するフェリー みしまです。

3月26日、鹿児島港に向かう途中、鹿児島港の南の方の埠頭に大きな船が停泊していました。 調べたら、ダイヤモンド・プリンセス号でした。

3月26日、鹿児島空港から羽田空港に向かう飛行機は鬼滅の刃のB767でした。

そして、羽田空港にはB777のスターウオーズ機もゲートにいました。


薩摩硫黄島 part 3

2023年03月29日 10時23分10秒 | 旅行(日本)

薩摩硫黄島 part 3は鹿児島市内での食べ歩きです。

硫黄島から、鹿児島港に入港してタクシーでまっすぐ向かったのは風呂屋でした。と、いうのは硫黄島では風呂に入れなかったからです。 温泉(東温泉)には入ったけど、ここにはシャワーとか洗い場なんて無しの大自然の湯、しかも強酸性なので洗髪や顔を洗うなどは出来なかった。 さて、鹿児島市内には温泉が各所にあり安いです。この温泉は入場料は420円でタオルを無料で貸してくれました。この温泉では演歌がBGMとしてかかっていて、昭和を感じる温泉でした。温泉に入って、さっぱりしました。

鹿児島と言えば、白熊君。 天文館にあるかき氷の白熊の店に行きました。最初の写真は23日に鹿児島市に到着してすぐに向かった天文館「むじゃき」の白熊、下の白熊の写真は硫黄島から鹿児島に戻って天文館「むじゃき」で食べた白熊です。 古希の男二人が白熊を賞味って、周囲の若い人たちにはどう映ったのだろう。ともかく、美味しかったです。

この天文館のむじゃきでお弁当(カルビ弁当)も注文しました。そして、空港へ天文館からバスで向かいました。そして鹿児島空港の屋上で飛行機を見ながら夕食。 お弁当はとっても美味しかったけど、風があって寒かった!!。

天文館の揚立屋で、揚げたてのさつま揚げを立ち食い。 美味しかったです。

そして、その揚立屋の隣の蒸気屋で焼き立ての「どうなつ」を立ち食い。 この「どうなつ」ふあふあで美味しかった。 写真でもわかるけど、頑張って作っているんだけど、1回に作れる量が限られている。しかも1個85円と格安なので買うまでに30分は並んだ。(時間調整に丁度よかったけど。。。)


薩摩硫黄島 part 1

2023年03月29日 00時00分00秒 | 旅行(日本)

3月23日から26日まで鹿児島県鹿児島郡三島村の薩摩硫黄島へ友人と旅行してきた。 薩摩硫黄島は2021年11月に訪問しているので、2度目の訪問になる。 自然豊かな島で、島の火山(硫黄岳)のあちこちの中腹から噴煙を上げていた。

フェリーが硫黄島の港に入港の様子  湾内の海水が赤っぽいのは港の海底から温泉が湧いているための変色。

薩摩硫黄島

硫黄岳の各所から噴煙が見えます

タモリさんが喜びそうな断層が見事です。

平家城跡から竹島を臨む。 竹島までの間に鬼界カルデラがあります。右手前にある島は、昭和硫黄島で海底火山の爆発で誕生した島です。海水が火山の影響で変色して白くなっています。 

平成23年に歌舞伎「平家女護島 俊寛」を中村勘三郎がこの島で演じました。それを記念した像です。

東温泉  泉質は硫黄明礬泉。酸性の温泉です。

俊寛堂です。 お堂の周囲及び道は緑のコケに覆われていて、異世界の雰囲気。そして椿の花びらが落ちていて、そのコントラストが憐れみを誘います。

安徳天皇の墓所 源平合戦の壇ノ浦の戦いで入水したとされる安徳天皇はこの地に逃げ延びて、安徳天皇及び家臣の墓があります。 安徳天皇生存説による墓所は各所にあるようですが、事実は…

野性の孔雀 牧場で羽根を休めている孔雀を見つけました。 人間よりも孔雀の方が多い島のようです。

島の牧場では牛が放牧されています。その牛が道路にでて散歩しています。そんなのどかな島です。

 

 


福島へのたび

2023年01月28日 10時31分42秒 | 旅行(日本)

12年前、忘れられない出来事が発生した。もうすぐ、その日が近づいてくる。

いつかは見学してみたいと思っていたあの場所を見学する機会があり1月26日、27日に出かけた。

常磐線の全面復旧が2020年3月なので、鉄道の復旧はごく最近のこと。

写真は常磐線の車内から見た太平洋。

原子炉建屋に近づくにつれ、放射線の数値が上昇する。

(とはいえ、人体に安全な暴露量です)

直線距離で100m程度だろうか? いやもっと近いかもしれない。目の前に見えるのは福島第1原子力発電所の第1、第2、第3、第4号機の原子炉建屋。

長期間にわたって行われている廃炉作業の現場を間近に見ることができ、いろいろな方の説明も受けることができた。 たくさんの方々が廃炉作業に従事していた。

携帯が鳴り何事かとおもったら、訓練のメールだった。

街には放射線量のモニターがあり、津波で復旧した新しい街並みがそこにあった。

長らく立ち入り禁止地域だった場所を通過の際、お店などの建物が12年前のままの状態で放置されていると思える状態が、すごく印象的…

 

追伸: 廃炉作業の説明を聞いているとき、いまだ10都県からの農産物に対して輸入禁止を行っている某国を思い出した。 あれからもうすぐ12年、変わったこと、変わらないこと、変えようとして変わらないこと。 複雑な思いが交錯した。

 


== ポチの一人旅 古代蓮と水田芸術 ==

2022年08月30日 17時33分02秒 | 旅行(日本)

== ポチの一人旅 古代蓮と水田芸術 ==

 

ポチの一人旅、今日は前から行きたかった埼玉県行田市の古代蓮の里の「田んぼアート」へ出かけてきた。天気は曇りで温度も今日は高くないので、ある意味、今日は移動日和だったんです。

行田駅から1時間に1本しかないバスに揺られること25分。

古代蓮の里に到着です。ここに高さ50mの展望台があり、展望台からの眺めは曇っていて山の風景などは見れないが、真下の田んぼを見るのには全く影響なし。

水田というキャンバスに、漫画の主人公が描かれています。

平日で、ちょっとシーズンを外したのですいていましたが、トップシーンだと混んでいるんでしょうね。 来年も来てみたいです。

これ、水田アートの設計図です。

黒い稲穂、初めて見ました

田んぼアート見学後は、ランチを食べてから蓮見学です。

蓮の公園になっていて、時期的にまだ蓮が咲いているとは思っていませんでした。

蓮の花がきれいでした。

蓮のシーズンの時期に来ればもっときれいでしょうね。

行田駅に戻る途中、忍城(おしじょう)へ寄りました。 石田三成が攻めた城のようです。

ここは歴史資料館になっているのですが、残念ながら閉館中でした。

さて、この付近、2017年のTBSテレビのドラマ「陸王」の撮影舞台になった場所とのこと。

「陸王」はJALかANAの機内インフライトシステムでシリーズ全部見ました。

結構面白くて、当時,飛行機に乗ってこのドラマ見るのが楽しみでした。

そんなわけで、掲示されていたドラマのシーン、覚えています。

行田って「足袋」の町なんですね。 だから足袋をモデルにした陸王のシーンで行田での撮影だったんですね。テレビドラマのシーンを思い出しながら街を歩きました。

この階段、ドラマのシーン覚えています。

スリッパも特産品なんでしょうか。 (いい値段してました。。。)

 

その他、街にC57のSLが展示されていましたが、少し錆びているのがさみしそうでした。

埼玉県北部は滅多に行かないエリアですが、自然豊かで住みよさそうですが、タクシーは1台も見なかったなぁ… 生活するとしたら自家用車での自動車社会なのかと感じた次第。


== ポチの一人旅 7月19日  高崎駅のだるま弁当 ==

2022年07月19日 18時09分10秒 | 旅行(日本)

ポチの一人旅、今日は群馬県の高崎駅の弁当が食べたくなり出かけてきた。

数日前に趣味のアマチュア無線で近所の局と交信したら、話の中で高崎駅のだるま弁当の話になった。 高崎と言えば、釜飯弁当もあるので、では弁当を買いに出かけてくるかという事で、久しぶりの大回りの旅実施です。

朝8時過ぎ、自宅を出て駅に向かい、スタート地点の西立川駅で切符を買う。

 

西立川駅

拝島駅で川越行の電車を待ち、高麗川駅で下車。

 

拝島駅の改札

隣のホームに高崎行のディーゼル車両が待っていて乗り込む。1分後に高麗川駅を発車して高崎駅に向かう。

左側が高崎行のディーゼル車両

 

拝島―高崎間は86.6km、窓際のボックス席に座るが、ときおり雨の天候なので、山はきれいに見えなかったのがちょっと残念。

11時01分、高崎駅に到着、駅構内の弁当屋でだるま弁当を購入、釜飯は残念ながら売ってなかった(時間帯が悪かったみたい)。 駅構内でお土産を売っていたので購入。

高崎駅ホームの駅そば屋さん

高崎駅で売っていたお土産品

駅のスタンプ

 

新幹線の改札口

両毛線の小山行に乗る。 小山駅までは91.7km。途中の駅で高校生が下校時刻だったのか乗り込んできて混雑してきた。

車窓から眺める田んぼの緑が美しいです

駅の表示がおしゃれですね。

 

一度乗ってみたい。

天候が悪く、人が多かったので電車内で写真撮影できなかったが、途中の風景のポスターが小山駅にありました。

夕日の渡良瀬橋に行ってみたいです。 それと、床屋の角の公衆電話にも…

森高千里の世界ですね・・

約2時間弱で小山駅に到着したら、宇都宮で事故があり東京方面の電車は動いていなかった。 駅のホームで高崎駅で購入したお弁当を食べたころに、ホームに止まっていた上野行の電車が動く旨のアナウンスがあったので乗車。 この電車はグリーン車にしたかったのだが、事故後で混むかどうかわからなかったので普通車席に乗車。

小山駅でだるま弁当を食べました

大宮駅で下車し、新宿・湘南ラインの逗子行きの電車が来たので乗り舞える。

大宮―池袋-新宿ー大崎ー武蔵小杉と電車は走り、武蔵小杉駅で南武線の立川行に乗り換え、無事の帰宅しました。。

 

武蔵小杉駅に到着です。

 

南武線です。 (写真は川崎行)

 

購入したチケットは、西立川-立川(1.9km)ですが、大回りしたので実際に乗った距離は315.3kmでした。


自然豊かな“薩摩硫黄島の旅” Part 4(11月15日)

2021年11月19日 10時45分26秒 | 旅行(日本)

11月14日(日)は三島村の村長選挙。どの候補者が当選したのかは聞かなかったが、2名の候補者が村長選挙に立候補したようだ。島で1軒(かな)しかないお店の店頭には候補者の選挙事務所の手書き文字看板があった。さて、15日のフェリーには、この選挙で硫黄島に来た三島村の職員多数が鹿児島市に帰るため乗り合わせていた。 三島村の職員が鹿児島市に帰る⁇ なんか変な表現に聞こえるが、三島村の村役場は三島村には無く鹿児島市にある。三島村は、竹島、硫黄島、黒島という3つの島で構成されている。 どこかの島に村役場を置くより鹿児島市に村役場を設置したほうが行政の業務が行いやすいからだ。 14日の夜に、村長選挙で硫黄島に来た村の職員たちといろいろな話を雑談したのは楽しい旅の思い出でした。

11月15日、鹿児島港に向かうフェリーは定刻通り9:30に入港。 村長選挙の影響などで鹿児島に向かって乗船する客が多い。とはいえ、1800トンの船が満員になる事はなく、好きな場所で休むことが出来るので、帰りのフェリーはラウンジ席を確保した。

波は無くフェリーは静かに鹿児島に向かって進みます。 そして硫黄島の眺めもだんだん小さくなっていきます。

以下は、来島して撮影した硫黄島の眺め、硫黄岳の眺めです。(15日以外の撮影あり)

硫黄島全景

 

この断崖絶壁の姿には圧倒されます。

フェリーが入港してきました。 朝、黒島から出発し、硫黄島、竹島に停泊して鹿児島港に向かいます。

硫黄岳の眺めです。

 

外洋なのに波が無くスムーズな公開でした。 錦江湾に入り開聞岳に分けれを告げ、やがて桜島が見えてきました。 鹿児島に戻ってきました。

お土産

お土産に孔雀の羽を買いました。 硫黄島には野生化した孔雀が生息しています。残念ながら一度も見ることはありませんでした。そのことを島の方に話したら、“あらぁ、一度も見ないで帰るなんて珍しい”と言われました。

孔雀の羽が200円で売っていたので2つ購入。 この羽は、キャンプ場に飾っていた羽です。

 

フェリーは鹿児島港に入港し、往復チケットを係員に渡して無事に下船。

タクシー停まっているかなと思ったのですが、幹線道路に出ても見つからずしばし繁華街に向かって荷物を引きづりながら歩く。(スーツケースの荷物は約20㎏)

やっとタクシーがつかまり、鹿児島中央駅方面の温泉へ向かう。 硫黄島にいる間、東温泉には入ったものの、髪はシャンプーしておらず、まず風呂に入ってさっぱりしたい…

風呂に入ってさっぱりした後、鹿児島中央駅で“若き薩摩の群像”の像を見る。イギリスに留学した薩摩スチューデント。 なんか、幕末の時代って面白そう…

像はチラッと見ただけで鹿児島空港行のバスでに向かい、鹿児島空港で夕食やお土産を購入した。帰りの羽田へのフライトも満席でした。 写真は、鹿児島空港にあった、CAの教育用のモックモデル。(実際に使用しているものだそうです)

羽田空港に到着して3泊4日の旅行が終了しました。