孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”ブログ編

「孫文さんの“北京の隠れ部屋”」を「孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”」に変更しました。

VHF帯のレーダーアンテナ

2020年09月30日 09時00分00秒 | 業余無線

VHF帯のレーダーアンテナ

(下記は個人的私見の内容です)

毎月購読しているアマチュア無線の雑誌(CQ Ham Radio)9月号に“歴史を変えた電波 第2次世界大戦と無線通信”という記事が掲載されていた。 (ついでに、私も、この号で“中国のスーパー小学生、DXコンテストで好成績”という記事を投稿しているが… それは今回は触れない)

レーダー技術に関しては素人知識で専門領域でもないので関心は無かったのだが、夜間戦闘機“銀河”の機首部分にレーダーアンテナとして3エレ八木・宇田型アンテナを搭載の写真があったり、重巡洋艦“高雄”にメートル波レーダーという記載(ということは艦橋部のこれがアンテナだったのか??!!)などと新鮮な気持ちで読めた記事だった。

当然ながら、日本のレーダー開発は、欧米(アメリア・イギリス・ドイツ)から遅れた。その理由は、海軍は“闇夜の提灯”だとしてレーダーを重要視していなかったこと。攻撃に力を入れ、防御に必要な装備を重要視しなかったこと。例のごとく、陸軍と海軍の協力体制を敷けなかったのでバラバラに開発して情報交換もされていなさそう。そのため、開発の遅れが発生。インフラが整備されていなかったのも致命傷。などなど…

戦時中に敵の資料に“YAGI ”という名前が見つかり、これは何だと捕虜に尋ねたら、八木・宇田型アンテナの事で日本では全く認識されていなかったという。

そして、私にとって、あまり理解していなかったのは当時のレーダーの周波数は150MHzや220MHzが使用されていたということ。

第2次世界大戦になってGHz帯のレーダーが開発され、アメリカは潜水艦に搭載し日本の艦艇を雷撃するのに実用化されたので、GHz帯が使われていたのかと思っていた。

日本においてレーダー技術開発は重要性の認識が遅れたことで、艦艇や夜間戦闘機に搭載はしたものの、本格的運用にはならなかったと言われている。CQ誌の記載によると、GHz帯のレーダーは終戦直前に青森上空の一式陸攻に搭載のレーダーで八甲田山、青森の海岸線を描けたとの事。

そういえば、前職の会社創業者も第2次世界大戦時は海軍技術中尉でレーダーの開発に関わっていたと社史で読んだことあったのを思い出した。

 

さて、話を第2次世界大戦から現代に変えて、

自分の写真ライブラリーで思い出したのが、以前中国駐在時に北京の航空博物館と青島の海軍博物館を見学したしたさいVHF帯のレーダーアンテナを見た記憶を思い出した。必死に当時の写真を探したのが以下です。

中国で見たものなので、第2次世界大戦以降に生産されたVHF帯のレーダー用のアンテナです。

 

1: 航空博物館(北京)に展示していた、VHF帯のレーダー用アンテナ

写真を撮影当時は“あ、これがレーダーのアンテナなのね”程度しか思っていませんでしたが、これら巨大なVHF帯のアンテナ群は、戦中戦後に欧米がGHz帯のレーダーを進化された中で、中国はGHz帯で開発する工業力が無かったのだろうか、だからVHF帯のレーダーが進化したのかという想いもする。

この巨大なY-12のアンテナは高性能だろうなぁと思えた。(Y-12レーダーは1972年に服務開始)16エレ八木・宇田型 4段 10列 (ということは、エレメント数 640)

中国の軍隊は、こんな巨大なレーダーを各地に配備して、防衛ラインを守備していたんだ。日本は1970年代の防衛はどうやっていたんだろう。GHz帯のレーダー使っていたと思うけど、この当時のことは私は知らないということが分かった。 Y-12はエレメントの見た目と、第2次世界大戦での使用周波数からも150~220MHz当たりの周波数を使用していたと思えます。 このアンテナで144MHzのFT8をやったら飛ぶだろうか。

そして、このアンテナの傍には居たくないなぁ。 一体どのくらいのパワーがアンテナに送られているんだろう。ちなみに第2次世界大戦のアメリカの対空監視用レーダーは(SK型)220MHz 200kW、日本軍は(1号3型)150MHz 10kW。 日本はアメリカとパワーが違う!! いずれにしてもこんな高パワー・高ゲインのアンテナの前面には立つのは電磁波の人体暴露で危険でしょう。

野戦移動用のアンテナですが、これも敵の航空監視目的なんでしょう。

こんな車、1台移動運用用に欲しいなぁ。

 

2: 海軍博物館(青島)に停泊展示の駆逐艦のVHF帯のアンテナ

見学当時はこの艦艇の撮影はしたが、アンテナがあるのは気にしていなかった。

これがレーダー用のアンテナとは思っていなかったのが本音です。

すでに退役した艦艇なので、当時の1960年~70年代に使い方として大晦日に日本に近づいてNHKの紅白歌合戦を見るための、中国軍のアンテナなのかなぁと思ったくらい…(冗談)

説明が無かったので、海軍博物館見学者で、このアンテナの事を認識できている人っていったいどのくらいいるんだろう。

初めて見たときは、沿岸部のTV局の電波を受信して乗組員の娯楽用のアンテナかと思っていたのですが、これがレーダーのアンテナなんでしょうね。 (多分、推定です)

敷地の端っこには八木・宇田型アンテナが放置されており、何気なく撮影したのですが、これもレーダー用のアンテナなんでしょうか。

ぺんぺん草の原っぱの上に説明なしの野ざらし展示です。

また、この写真は機雷ですが、機雷の向こうには洗濯物が干してあります。

ま、中国では、こんな風景よくあることで…

3: 2008年11月に浙江省を旅行時にこの駆逐艦の撮影を行いました。あれから12年、もうこの駆逐艦は現役ではないと思いますが、船にVHF帯のアンテナが装備されているようにも見えます。

 


秋の昭和記念公園

2020年09月29日 20時19分23秒 | 日本雑感 (日本の話題何でも)

約1か月半ぶりに昭和記念公園へスーパーカーのランボルギーニ号に乗って出かけた。

我が家のスーパーカーとは、スーパーへ買い物に行くのが主目的の妻所有のチャリンコ。

さて、前回(8月)にこの公園に来た時は、レモンブライト(黄色のコスモス)が早咲きで満開だった。

9月下旬のレモンブライトは季節が過ぎて、最後の黄色い輝きを“どこでもドア”の周囲で見せていた。

普通のコスモスはというと・・・・

早咲きのコスモスは咲いていたが、例年10月になると満開になる“コスモスの山”のコスモスはまだ花を咲かす段階ではなかった…

古民家をバックに早咲きコスモスがきれいでした。

 

さて、季節としては丁度、彼岸花(曼殊沙華)が咲く季節。

公園のあちこちに群生して咲いていた。

そして、黄色の彼岸花は初めて見ることができた。

彼岸花の季節が終われば本格的な秋がくる。

公園では秋の味覚の柿が色づき、そばの華麗な白い花が咲き乱れていた。

 

それ以外にも秋の花が咲いていた。

 


日の出町のロンヤス会談記念碑から移動運用したのだが…  

2020年09月11日 21時56分26秒 | 日本雑感 (日本の話題何でも)

911日(金)、午後に日の出町に向かって家を出発。

目的地は、東京都西多摩郡の日の出町にあるロンヤス会談記念碑。

ここは地図を見ると標高が200m強の場所で、視界はまぁまぁといった場所。

実際にロンヤス会談を行った日の出山荘は車でないとちときつい場所なので、ここなら大したことないと思ったのですが…

バス停で下車して坂道を20分くらい歩いたろうか…

汗びっしょり、標識があと少しだと教えてくれるが、坂道はキツイ。

 もうすぐ到着。この標識の先の建物は給水塔の建物。

ここから約5分歩いて、ようやく到着。

 

ロンヤス会談の記念碑です。

昭和581111日、アメリカ合衆国レーガン大統領レーガンと中曽根首相が日の出山荘で日米首脳会談を実施。

それを記念して建てられた碑です。 眼下の中学校に大統領がヘリコプターで降り立ったので、この場所に碑が建てられたのだろう。

という場所で早速、430MHzのアンテナを建ててワッチしたのだが、聞こえる信号は強くない。視界はまぁまぁなんだけど、市街地が見える方向は限られている

CQを何度か出したのだが、応答なし。

電波の通り道としては良くない場所のようで、無線運用はさっさと諦めることにした。

今日も1万歩以上歩いたし、アンテナの運び方と建て方の練習に出かけたということにしておこう… 涙


所沢航空発祥記念館へ行ってきた

2020年09月10日 23時02分17秒 | 日本雑感 (日本の話題何でも)

9月10日、所沢市の所沢航空発祥記念館へ行ってきた。

航空公園駅を降りると目の前にあるのはトリトンブルーのANKと書かれたYS-11機。

 

そこから約10分歩くと、航空公園の中。

まずは公園を横切って公園の反対側に出た。しばらく歩くと、国土交通省 東京航空交通管制部といういかつい名前。

守衛やいるので中には入れないが、ここが東京コントロールと呼ばれている東日本(北は東北地方の南半分、西は本州の先っちょ近くまで)の空域をコントロールしている場所。

タワーの上にいくつかのアンテナが立っているのを見て、航空公園に引き返した。

 

公園の森林浴でマイナスイオン満喫。

芝生のここら辺に日本最初の飛行場の滑走路が作られたんだろうなぁ。

滑走路は400mとの事。

 

所沢航空発祥記念館に入館した。

ここは2回目で基本展示は変わらない。(前回、来た時はゼロ戦が特別展示されていた)

T-6G(テキサン)、代表的な練習機です。

トラトラトラなどでゼロ戦に扮して登場する機体です。

 

富士 T-1 初鷹

富士重工製の中等練習機。

戦後初の実用国産飛行機であると同時に、初の国産ジェット練習機。

2006年(平成18年)3月に全機が退役。

 

アンリ・ファルマン機

えっ、これレプリカではなく本物!!

1911年(明治44年)、徳川大尉の操縦するアンリ・ファルマン機が、飛行距離約800メートル、高度約10メートル、飛行時間1分20秒の飛行を記録。その複葉機です。

1年間の限定展示のようです。

 

九二式重爆撃機

この飛行機、知らなかった!!

模型展示なんだけど、日本陸海軍機の中で最大の機体である事。

何と翼幅・翼面積はB29よりも大きかったと。

生産数は6機で、完成した時には時代遅れの機体だったので実用化はされなかったと。

 

帰宅途中、東村山で途中下車して“大丈夫だぁどら焼き”を購入しました。

 


今天的午餐是平兵衛酢名古屋麺!!

2020年09月04日 14時22分25秒 | 美味しかった食べ物・食の安全
今天的午餐是平兵衛酢名古屋麺!!
今日のランチは“ヘベスきしめん”
レモンラーメン作りたくなり、近くのスーパーへ行ったら国産レモンが無かった。
輸入品は皮に薬品が付いている可能性あるので避けたい。
どうしようかなぁと思って探していたら、“ヘベス(平兵衛酢)”という宮崎県特産の柑橘類を売っていた。
これ、柚子・スダチ・カボス・シークヮーサーと同じようなものらしいということでワンパック100円(5個)と安かったのでレモンの代わりに購入。
麺の種類は、きしめんにして今日のランチは“ヘベスきしめん”。
ネットで調べたら、平兵衛酢は、柚子やスダチなど他の柑橘に比べ皮が薄いため、女性や子供でも果汁を絞ることができ酸味がとてもまろやかです。
そして、なんといっても平兵衛酢の最大の魅力は、爽やかな香りと優れた機能性です。
潤沢な果汁のなかには豊富なビタミンCと必須アミノ酸が含まれています。
と書かれていた。
今日のランチ、妻は最初、変な料理を作ったと嫌がっていましたが、残暑の中、さっぱりした味で二人とも完食でおいしかったです。
きしめん食べたら、ビャンビャン麺が懐かしくなってきた。