なんとなく、北京航空航天大学に行きたくなり、紫竹院公園で蓮の花を写したら早速移動した。
北京航空航天大学は2000年秋に学会発表を行った場所なので何となく親しみがあるのと、この学内になる航空博物館がどうなったのかを急に知りたくなったのが理由。
学内に入ると、今日は卒業式だったたようで、そろいの制服を着て四角の帽子をかぶった学生が記念写真などを撮っている。
さてさて、学内にあった標識では航空博物館は、こっち→なのだが無い。 新しく建て替え中??
ここにはボロボロのツホレフTu-2や垂直離陸戦闘機などがあったのだが、どこに保管?
近くを見渡しても見つからないので、(なんせ学内に入ったのは5~6年ぶり、途中、2008年にはオリンピック会場にもなっているのでなくなったのかなぁ・・・)失意の中を帰宅しようと校門を出た。
道路に出て何気なく学内を眺めようと歩道橋に登る。 (何となく野生の勘??)
歩道橋から学内を見渡すと、遠くに垂直尾翼が。 あった!!!
駐車場の一部に、博物館に展示してあった(放置してあった??)機体の一部がありました。
こんなのが、一般駐車場の端っこにおいてありました。
駐車場のスペースの中(金網があり中には入れない)に、飛行機が置いてありました。
これは、P-47Dでしょう。 前部はありません。
夜間戦闘機のP-61 Black Widowがありました。 P-61の実戦配備は1944年、上記のP-47DやP-61は朝鮮戦争で活躍(捕獲された?!)した機体なのでしょう。
P-61の機首部分。 機体前方にレーダーを搭載していた(機首もある)ので、レーダー搭載の後期バージョンなら塗装はしていないはずです。 (レーダーに影響するため)
P-61は乗員3名のトンでもない戦闘機でした。
レシプロからジェット化へ移行のために実戦投入期間はわずかでしたが。
斜目後方から見たP-61 主翼はありません。
無人偵察機? ミサイル? 何でしょう??
爆撃機の尾翼部銃座
機体の骨組みが良く分かるのだが、可哀想。
こういった車が何気なく駐車しているのが航空航天大学らしい・・
北京航空航天大学は2000年秋に学会発表を行った場所なので何となく親しみがあるのと、この学内になる航空博物館がどうなったのかを急に知りたくなったのが理由。
学内に入ると、今日は卒業式だったたようで、そろいの制服を着て四角の帽子をかぶった学生が記念写真などを撮っている。
さてさて、学内にあった標識では航空博物館は、こっち→なのだが無い。 新しく建て替え中??
ここにはボロボロのツホレフTu-2や垂直離陸戦闘機などがあったのだが、どこに保管?
近くを見渡しても見つからないので、(なんせ学内に入ったのは5~6年ぶり、途中、2008年にはオリンピック会場にもなっているのでなくなったのかなぁ・・・)失意の中を帰宅しようと校門を出た。
道路に出て何気なく学内を眺めようと歩道橋に登る。 (何となく野生の勘??)
歩道橋から学内を見渡すと、遠くに垂直尾翼が。 あった!!!
駐車場の一部に、博物館に展示してあった(放置してあった??)機体の一部がありました。
こんなのが、一般駐車場の端っこにおいてありました。
駐車場のスペースの中(金網があり中には入れない)に、飛行機が置いてありました。
これは、P-47Dでしょう。 前部はありません。
夜間戦闘機のP-61 Black Widowがありました。 P-61の実戦配備は1944年、上記のP-47DやP-61は朝鮮戦争で活躍(捕獲された?!)した機体なのでしょう。
P-61の機首部分。 機体前方にレーダーを搭載していた(機首もある)ので、レーダー搭載の後期バージョンなら塗装はしていないはずです。 (レーダーに影響するため)
P-61は乗員3名のトンでもない戦闘機でした。
レシプロからジェット化へ移行のために実戦投入期間はわずかでしたが。
斜目後方から見たP-61 主翼はありません。
無人偵察機? ミサイル? 何でしょう??
爆撃機の尾翼部銃座
機体の骨組みが良く分かるのだが、可哀想。
こういった車が何気なく駐車しているのが航空航天大学らしい・・