さて、9月12日は中秋節での祝日。 日本はまだ残暑厳しいようようだが、中国はもう秋。
朝、朝食前に煙台の海岸を散歩した。 盛夏の頃なら、海水浴の観光客でにぎわっただろう海岸は静かだった。
煙台の砂浜が綺麗な海岸
ホテルでの朝食を終え、煙台市内の旧市街部へ向かった。
なんとなく風情を感じました。
この道の角にあったのが、克利頓飯店。
すでに使用されておらず閉まっていましたが、ここに1912年孫文が来たと書かれていました。
煙台山景区です。 入場料は50元。 たいした建物無さそうなので、入場せずに入り口で写真を写しただけ。
近辺は歴史的な建物が多かったです。
この建物はフィンランド領事館の建物でした
そうすると、この通りに面している場所は領事館街って事なんでしょう。いまはみやげ物屋の店に変わっています。フィンランド領事館の隣りも領事館の建物でした。
近くの日本食屋さん。 当時では比較的美味しい店との事です。 北京や上海と異なり、地方で暮らす日本人にとって日本食屋の存在はありがたいことなのでしょう。
海岸に行きました。 延々と続く岸壁で沢山の人が釣りをしていました。
その傍で、ある測定をしている人が。。。。 これ、たぶん●●●です。 日本と違って測定には資格が必要で外国人が同じ事を行うと国外退去されてしまうでしょう・・・
しばらく歩いて、張裕酒文化博物館に行きました。 張裕葡萄酒は中国最大手のワインメーカー。中国で最大の 葡萄栽培面積を保有する会社で全国の4分の1を占めています。 そのワインメーカーの博物館で、ワインの歴史や試飲も可能です。 入場料50元。
博物館の地下の蔵です。
ワインの試飲がありました。 3種類のワインを試飲させてもらいました。 美味しかった!!!
その後、又しばらく歩き旧市街部をブラブラ
ここは、しばらく前までは日本人オーナーの床屋さんだったそうです。
海岸傍の店でピザとスパゲッティを食べた後、煙台空港に向かい北京へ帰りました。
気候は穏やかで生活しやすい街と感じました。 煙台も威海もハングル文字が多かったなぁ。 海の向こうは韓国。 そして、領事館の建物があったことから、山東半島の過去から歴史も感じた旅でした。
煙台は山東半島にあり渤海をはさんで大連がある遼東半島と向かい合い、東は黄海をはさんで朝鮮半島と海で繋がっている。1858年7月、清は天津条約を結び、西洋諸国に開港された。
第2次アヘン戦争の際にイギリス・フランス連合艦隊が煙台を占領した。
17カ国が煙台に領事館を設置し、1876年に芝罘条約が結ばれている。
漁港だった煙台はイギリスの条約港となり急速に都市化したが、20世紀初頭に山東半島全域でドイツ帝国の力が増すと、煙台もドイツに支配されることとなった。
また、清も北洋艦隊の拠点とし、1903年に設置された煙台海軍学校は1928年まで中国の海軍士官を育成した。
第一次世界大戦でのドイツの敗戦により、煙台はアメリカ海軍のアジア艦隊の夏の駐留港となった。日本も交易のために煙台に拠点を置いた。
日中戦争では、この地域の抗日運動の中心となった。
一方、威海も清末に李鴻章率いる北洋海軍基地となり、1890年劉公島に北洋水師学堂が設置。
日清戦争末期、丁汝昌率いる清国北洋艦隊は日本軍の攻撃を受けて壊滅した。
下関条約締結後、日本が一時保障占領した。
1898年にイギリスが清国から租借し、イギリス海軍の管轄下に置かれ、1900年には行政長官署が設置されてイギリス植民地省の管轄下に入った。
ワシントン会議でイギリスは威海衛の返還を声明していた。1927年、蒋介石によって建てられた南京国民政府が、翌年に北伐を完了させた後、1930年10月1日に返還式が行われた。
日中戦争では再び日本軍が占領している。