孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”ブログ編

「孫文さんの“北京の隠れ部屋”」を「孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”」に変更しました。

土曜日の北京

2014年05月31日 23時25分40秒 | 北京雑感 (北京の話題何でも)
今週後半から暑い日が続く。 40度以上だろう。 真夏の雰囲気。
昼前に、好運街の江戸前寿司で朝食を兼ねた昼食としてバラチラシ寿司を注文。
お昼には少し早すぎて、まだ客はいなかった。


昼食後は、東苑公寓前のSOLANAを久しぶりに散歩、歩くと暑くて汗が出る。










その後、世紀劇場に向い、ここで開催の高校生の日本語スピーチコンテストを見学。


中国各地から参加した中国人高校生の日本語スピーチを聞くが、どれも違和感がない発音で、スーパー高校生ばかりに関心。


今日から端午節で3連休なので、明日から青島。
しかし、天気予報は2日とも雨!!

昨夜の夕食

2014年05月31日 11時57分46秒 | 美味しかった食べ物・食の安全
昨夜の夕食は、帰宅して何を作るか台所をごそごそ。
出てきたのは、陸軍シチュー、自衛隊のソーセージ、人民解放軍の牛肉。

ということで、自衛隊のソーセージの缶詰めとキャベツの野菜炒めにした。


明日は、陸軍のシチューにするかな。
中国人民解放軍の缶詰がいつまでも残っているなぁ…
(おいしいのだろうか?? いまいち不安)

綿陽・成都

2014年05月25日 23時23分23秒 | 旅行(中国)
先週、四川省の綿陽市と成都市に出かけてきた。
綿陽は中国の中では高等研究機関が集まる場所の1つで人口は約500万人強。
北京首都空港を離陸した飛行機は、夕食を食べてひと眠りしたら綿陽空港に着陸した。
次の日、ホテルの部屋から眺めた綿陽市内の様子。

綿陽市内の風景


綿陽駅 (車中から撮影)


綿陽バス駅(車中から撮影)


綿陽は長虹の本拠地の場所でもある。 長虹の建物、工場は延々と続いていました。(車中から撮影)


綿陽の科学技術の展示館に行きました。
民間の開発状況の中に、下記の水爆の模型もありました。
綿陽は、高度研究の場であるということは、重要な軍事研究の場でもあり、中国初の水爆は綿陽で作られました。
水爆(1/2サイズ)の傍には、1967年6月17日に新疆 ロプトール上空で強5戦闘機により高度3000mで水爆を爆発させたと記載がありました。


その後、成都に向いました。成都は数年ぶりですが、以前は道路の工事中などで道路渋滞が激しかったのですが、高架路が整備され以前のごちゃごちゃしてイメージはありません。
西部開発の中心として成長している成都(人口1400万人)の様子を強く感じたのでした。

ホテルから見た朝の高架路、天気は雨だったので幻想的な景色でした


成都で昼食を食べたレストランには舞台がありました。夜には演劇も行われるのでしょう。


成都で食べた料理


重慶・成都・綿陽を結んだ三角形(デルタ)地帯としての西部開発、そして重慶・成都・西安を結んだ西部大三角地帯を実感した旅でした。
成都から北京へのフライト(眼下は厚い雲)


亚信峰会期间市中心部分区域将实施交通管制

2014年05月18日 23時29分30秒 | 北京雑感 (北京の話題何でも)
亚信峰会期间市中心部分区域将实施交通管制
( 2014年5月16日 )
  为确保亚洲相互协作与信任措施会议第四次峰会安全、顺利举行,根据《中华人民共和国道路交通安全法》等法律法规,上海市公安局决定于5月19日至21日对本市部分区域、道路等采取临时交通管制措施。
  届时,上海市公安交通管理部门将视情提前或推迟交通管制时间,扩大或缩小交通管制范围,敬请广大市民事先做好出行安排,积极配合公安交通管理部门工作。
  轨交、轮渡观光隧道管制范围
  ●5月20日14时至21时,地铁2号线陆家嘴站4号、5号出入口关闭。
  ●5月20日16时至22时,地铁1、2、8号线人民广场站2号出入口关闭。
  ●5月21日6时至19时,地铁8号线中华艺术宫站4号出入口关闭。
  ●5月20日16时至19时,黄浦江东金线、泰公线轮渡停航;5月21日8时30分至10时,16时30分至18时30分,黄浦江塘董线、南陆线、杨复线、东金线、泰公线轮渡停航。
  ●5月19日22时至20日21时,黄浦江人行观光隧道关闭。
  机动车禁行
  ●延安东路隧道浦西向浦东段20日16时至18时、20时30分至22时
  ●延安东路隧道浦东向浦西段20日18时45分至20时
  ●延安路高架西向东20日16时至18时
  ●延安路高架东向西20日20时30分至22时
  ●西藏中路(南京东路至金陵东路)20日18时45分至20时、20时30分至22时
  ●南浦大桥21日8时30分至10时、16时30分至18时30分
  ●内环高架外圈(瑞金路匝道至南浦大桥)21日8时30分至9时45分
  ●南北高架西侧(北京路匝道至卢浦大桥)21日8时30分至9时45分
  ●内环高架内圈(南浦大桥至宛平路匝道)21日16时30分至17时30分
  ●南北高架东侧(卢浦大桥至威海路匝道)21日16时30分至17时30分
  ●浦东南路(峨山路至三里桥路)21日8时45分至10时、16时30分至18时30分

出典:
http://mshn.jp/r/?id=0gb4x43

上海は上記のように、21日の国際会議に備え厳戒体制で道路封鎖も実施。
21日は、上海では公立の組織は休日となります。
テロ対策の影響でしょうか、北京南駅に行ったら、X線チェックも2重に行っていました。



うふあがりじま 南大東島 Part 8 南大東島(残りの写真)

2014年05月11日 19時19分19秒 | 旅行(日本)
大東島の“うふあがりじま”とは遥か東の意味、そして、西表島は西にあり太陽が沈む方向なので“いりおもてじま”と読む。
今度は日本最西端の西表島もいいなぁ。
また、今度、北大東島へ出かけて下さいとリクエストする人もいた。(本気にしちゃう性格なのでどうしよう…)

それはともかく、南大東島を5月4日の夕方便で那覇にもどり、那覇から羽田便に乗りついて東京に戻った。
南大東島はもう1度もう少し長期間ノンビリ過ごしてみたい場所だった。
しかし、帰島した次の日には沖縄は梅雨入り。 島に人に聞いたら、5月連休が終われば梅雨、そして台風シーズン。冬は季節風が激しいと。 厳しい自然の島のホンの一瞬の安らぎの時間に滞在した事を改めて実感した言葉だった。

島の様子で、UPしていなかった写真を追加UPする。

バリバリ岩
大東島は、サンゴ種が隆起した島で、フィリピン海プレートに乗って一年間に7cm移動している。
その地殻変動を証明するのがバリバリ岩といわれている。 1~2mの岩の割れ目が続いていて、付近はのどかな畑だったのがいきなり、秘境探検気分にさせてくれる場所でした。




星野洞
大東島には大小の鍾乳洞がある。 その中で有名なのでは星野洞。 畑の中に星野洞がある。 残念ながら訪問した時は見学が休みで中を見ることはできなかったのが残念。
この場所、の標高は44.5m。 島としては高い場所になるので、地下数十mまでは海水につかることはないだろう。




サトウキビの収穫
星野洞のそばの畑でサトウキビの収穫作業を行っていました。 大きな機械が畑で収穫する姿は遠目にすごかったです。
近寄って写真撮ろうとしたら、満杯になったので収穫はいったん停止してタイミング的に30秒早かったら…
と残念でした。





街の中心付近
昼間の街の中心部はこんな感じです。


昼食を食べた大東そばの店


大東犬
島には大東犬という足が短い種類の犬がいる。 これがその大東犬なのかは分かりませんが、こんなイメージの犬です。


南島大東空港で
5月連休だったので、那覇行きの便は満席でした。
空港にはこいのぼりを飾っていました。

南大東島空港のチェックインカウンター


空港に到着してしばらくしたら、北大東島から飛行機が着陸しました。
この飛行機に搭乗して那覇に戻ります。


ターミナルを出て飛行機に向います。 振り返ると真っ青な空でした。


機内は満席。
1時間の旅ですが、寝てました。。。。
眼下は海しか見えません。


南大東島の旅は終わりました。 また訪れたい孤島の秘境です。
こういう南の花ともお別れです。


(La Fin)

IOTA AS-047 南大東島 Part 7 南大東島移動運用結果

2014年05月11日 11時11分11秒 | 業余無線
今回の南大東島で行った目的はアマチュア無線を行うこと。
天候も良く(雨や風もなく)、コンデションも良く期待いていた50MHzのEsも出て満足のいく運用ができた。
最終日には50MHzが開けるだろうと、20分ほどCQを出していた。 駄目かなと思って諦めようかと思った瞬間、59+で返事があり、そこからJA局がワンサカと59+で呼んできた。
1時間に102局と50MHzで交信という結果は相当ハイペースな運用だったので自分でもびっくり。

5月2日 ホテルに着き、羽田空港で買った弁当を食べると、アンテナ設営の開始。
アンテナは、HFがTunerを使った釣り竿アンテナ、GNDは20本ほど放射状に配置して少しでも効率UPをはかった。
50MHz用はHB9CV。方向は固定で北(JA)方面とした。 本当はDX用に西にも向けたかったが、ま、しょうがない。
それと、21MHzのツエップアンテナをホテル屋上から下に向けて張った。

交信結果をグラフにした。
HFは結果的にハイバンドでの交信が多かった。


運用したJH1OGTとJH1TEBの周波数と交信数の結果は下記。


5月2日から4日までの主な運用時間と交信結果です。 (データはJH1TEBのみ)


QSLカードは下記デザインを作成中です。





設置したアンテナの様子


釣り竿アンテナのチューナの様子
GND線を約20本接続


こんな感じで放射状に配置した


運んで荷物(5月4日羽田空港にて)
スーツケースにリグ2セット、電源2個、その他としてパソコンや着替えなど。
50MHzのHB9CVアンテナとアンテナポール、袋の中は同軸ケーブル等



沖縄の歴史 南大東島 Part 6 南大東島島民から見たアメリカ統制下

2014年05月11日 03時03分03秒 | 旅行(日本)
戦後、沖縄は1972年)5月15日の沖縄本土復帰に至るまでの、27年間はアメリカの統治下という暗い過去がある。
しかし、南大東島には、第3代高等弁務官の象があった。南大東島の島民にとってはアメリカ統治下でのキャラウェイ高等弁務官は島を変えてくれた“神様”なのだ。
その感謝の気持ちから、島にはキャラウェイ高等弁務官の胸像がある。
南大東島は、日本の中でも特殊な歴史がある。
1961年(昭和36年)、南大東島に視察に来たキャラウェイ高等弁務官に、島民達が島の土地問題を直訴した。1964年(昭和39年)7月30日、キャラウェイ高等弁務官の英断により島民の願いが叶えられる。詳しくは他のHPに詳しく書いてあるから調べてね。

キャラウェイ高等弁務官の胸像


ふるさと文化センターの近くにキャラウェイ高等弁務官の胸像があります


ふるさと文化センター(入場料200円)の中では、下記の貴重な展示があります。
日本のお金が使えなかった大東島
戦前、大東島では日本の貨幣が使えなかった。 島は社有地であったことから島独自の貨幣が流通し、大東島に来たものは、日本の貨幣から両替しなくてはいけなかった。 きっとレート設定を高くして、儲けたんだろうなぁ。
そして、戦前は行政もなかった。そういった施策が、植民地政策のモデル地区となったという歴史も持っている。
もう少し時間をとって、じっくり調べたかったなぁ。

写真は、左から玉置商会の1銭、東洋製糖の50銭、大日本精糖の5銭


南大東島気象台
台風が来ると、NEWSではその進路に出てくる島が大東島。
ココは台風の通り道。 南大東島では1日2回、ラジヲゾンデを飛ばして気象観測を実施している。
ここがその気象台なのかと感慨深かった。

気象台の看板




館内には、観測用のラジオゾンデが展示されていた。


ともかく、大東諸島は入植者が苦労した島。 こんな碑もありました。


この社は大東神社。 静寂な森の中にひっそりと歴史をかかえながらありました。



5月9日はEurope Day

2014年05月09日 23時59分59秒 | 北京雑感 (北京の話題何でも)
5月9日はEuropa day。ヨーロッパにおいて平和と統合を祝う日。
その起源は1950年に欧州連合の前身である欧州石炭鉄鋼共同体の設立が提唱されたことを記念するものらしい。
欧州連盟から、Europa dayの招待状が来たの出かけてきた。
会場付近は各国の大使の車がズラッ~と並んでいて、物々しい警備。というより道路は大混雑。
欧州
連盟の建物の中ではすでに多くの人が集まりワイン片手に談笑している。
EUの日なので、東洋人はほとんど見かけない。
外国(北京で)言うのも変だが、周囲は外国人ばかり…

欧州連盟の芝生の庭にステージが作られており、スピーチの後、各国大使が壇上に上がり乾杯!!!
そして、バンド演奏もあった。




マルタの大使と話したら、
マルタ大使: “マルタのワイン、おいしいよ。 あそこにマルタのワインあるから一杯どう?”
孫文さん: “ほんまでっか? ほな、いただきますわ。”
ワイン片手に
孫文さん: “この赤ワインいけまっせ。 大使!! 乾杯しましょ”

ハンガリーのブースではなにやらスープがうまかった。
(おかわりするの忘れた)

スロベキアで黒ビールのようなビールをいただく。
孫文さんは、ドイツのビールはどこだ!! と会場を探し回るが見つからない。

ロシア人やドイツ人が声をかけてきて談笑。
ドイツ人: “あたしゃ、中国に●年いるんだけど、アンタは中国に何年いるんだい”
孫文さん: “あたしゃ●年でんがな。”
ドイツ人: “そりゃ大変、いつも盗聴されたり、壁にカメラがしかけられたりで、中国じゃストレスたまるだろう”
孫文さん: “いや、そうでもないよ。カミサンを日本に置いてきたから、中国の方がストレス溜まらなよ”
ドイツ人: “ガハハハ!! 大爆笑!!!!”

リトアニアブースでは、女性から声がかかり、
リトアニアブースの美女: “リトアニアの酒いけまっせ!! リトアニアの白酒ですよ”
孫文さん: “ほな、いただきます”
孫文さん: “グーでんがな。 どうもでした”
リトアニアのブースの美女: “1種類だけで逃げるんかいな、次はこの酒でっせ”
孫文さん: “じゃ、この酒もトライしますわ”
というわけで、駆けつけ三杯というわけで、チーズをつまみながら続けて三杯。最後はウオッカのような強い酒を飲まされ解放された。

欧州が1つになった楽しいパーティでした。
周囲は大使館員や武官が多かったが、民間人のアタシになんで招待状来たんだろう。
日本人の顔は、ホンの数人しか見かけませんでした。。。

お土産は… 南大東島 Part 5 名物はコレッ 

2014年05月09日 02時57分08秒 | 旅行(日本)
南大東島の名物は、食べ物は大東寿司と大東そば。
寿司とそばのセットが、島の食堂にあったので2泊した昼飯の2食はこれにした。 1000円でした。
大東寿司はサワラ等の魚を漬けにした寿司で那覇空港でも売っていたので、愛人に土産に購入した。
大東そばは、うどんがものすごくコシのある感じにした麺と透明なスープです。
大東寿司とそばのセット


大東寿司の拡大


大東そばの拡大


南大東島には酒豪の方もたくさんいるようです。 島の特産のラム酒。
南大東島から帰った後、東京の人と仕事のメールしたら、南大東島のラム酒がおいしかったとコメントが。
買ってくるんだったと後悔。


沖縄でビールと言えば、オリオンビール。
南大東島で飲む沖縄のビールは疲れをとってくれ、夜は爆睡できました。


大東羊羹も売っていました。 一本、愛人用に購入。


南大東島のタコライスもありました。
日本で愛人に渡すつもりが、北京まで持ってきてしまいました。非常食で食べてしまわない限り、沖縄土産として今度、持って帰ろう…


他の沖縄の土産としては…
宮古島の塩を使ったちんすこう
独特の味でおいしいです。


沖縄の紅イモをつかった、べにいもたると


番外編 南大東島 Part 4 沖縄特区 

2014年05月09日 02時02分02秒 | 旅行(日本)
南大東島の事を離れて沖縄全体について思っている事を書いてみる。
私は、沖縄と言う場所は、古くは琉球王国が栄えた場所であり、戦後の沖縄の米軍統治下の歴史を経て、今では諸外国へのゲートウエィとして最適な場所と考えている。
夕方までに沖縄那覇空港に荷物を送りこめば、沖縄那覇発のANAの夜行貨物便で朝には中国等近隣諸外国に荷物が到着できる。
例えば、金型等の精密部品のようなノウハウの流出を防ぎたい技術に関しては、沖縄に工場を設置すれば、海外に工場を作らなくても部品の供給は可能となる。
沖縄はもっと活用して欲しい日本の地方の1つと思う。
(極論言えば、情報通信産業や気密性が高くノウハウの流出を防止したい特定の業種に関しては中国に進出するより沖縄に進出を考えるべき)と、思っていたら、

内閣府沖縄担当部局
沖縄の新たな特区・地域制度について
という文書が出された。その文書には下記の記述がある。

○ 沖縄には、他の都道府県にはない独自の特区・地域制度が整備されています。
○ 平成26年4月1日には、従来の金融特区を発展的に解消する形で経済金融活性化特区を創設するとともに、各特区・地域制度に課されていた各種要件を大幅に撤廃・緩和しました。
○ これらの各特区・地域制度の活用により、沖縄における産業集積の進展と企業活動の活性化がより一層進み、沖縄が日本のフロントランナーとして21世紀の成長モデルとなり、日本経済の牽引役となることを期待しています。

URLは下記。
http://www8.cao.go.jp/okinawa/seisaku/okishinhou/2014kaisei/toc.html

泳いだぞ 南大東島 Part 3 

2014年05月09日 01時01分01秒 | 旅行(日本)
南大東島で行ってみたかったこと、それは泳ぐこと。
島の周囲は断崖絶壁なので砂浜は無い。 そして島の周囲は水深7000mの太平洋の荒波がうち寄せる場所。
しかし、島には海岸に作られた人工の海水プールがある。
どういった場所なのか興味があり南大東島で泳ぐことが、今回の目的の1つ。
島の東側にあるのが海軍棒と呼ばれる人工プール、島の西側には塩屋海岸に人工プールがあるので塩屋海岸に向った。

塩屋海岸




塩屋海岸のプール
右側は太平洋。 何人かが海釣りを楽しんでいた。


プールの水はとてもきれいです。 プールといっても海岸の岩なので足を切らないように注意しながら泳いだ。
本来は運動靴など足を切らないような準備をすべきだが、荷物が多かったので省略したのでおそるおそる・・・
今日は波が穏やかで干潮に近い時刻だったが、満潮時や海が荒れているときには、このプールは危険で近づけない場所だと泳ぎながら実感。
ともかく、南海の島で泳いだという証拠を作ったぞ!!


その後、西港や南大東漁港に向う。
島は長い間無人島で上陸が困難だった島というのが良く分かる地形だった。




南大東漁港
漁船はクレーンで引き上げる

うふあがり島 南大東島 Part 2 シュガートレイン

2014年05月06日 23時23分23秒 | 旅行(日本)
“うふあがり”とは、はるか東の島の意味。
琉球王国時代、東の方に大東島がある事は知っていたが、はるか東にあることから“うふ(遥か)あがり(東)島”と称していた。この無人島が開拓されて100年強しかたっていない。

南大東島は飛行機の着陸前に上空からの眺めの印象は、平らな島、そして島の周囲が高く、島中央部が低い事は上空からもはっきり分かった。そして、島中央部に池が多く、水が豊かという印象。
しかし、水が豊かという印象は、空港からホテルに向う車内でホテルの人の説明で環境に厳しい土地であることが分かった。
池の水は、湖面部は淡水だが、1~2m下は海水とのこと。 つまりこの島はサンゴ礁が隆起してできた島なので海水が島の中央部まで入り込んでいる。 よって、池の水は農業用には使えないとのこと。
雨が降らず水不足の時に池の水を使う人もいるとのことだが当然リスクがある。
今回は池の近くには行かなかったが、マングローブが生えている場所もあるとのこと。
じっくり探索してみたかったが、その時間がなかったのが残念。

島のパノラマ風景


島の池 平坦な土地なので島に来た雰囲気はしない。


水が豊かな島の印象だったが… (車中から撮影)


畑のそばには、水をためる場所が作られていた。


以前、島には軽便鉄道があり、島を1周していた。
沖縄本島には空港からモノレールがあり、これが現在沖縄県唯一の鉄道路線であるが、南大東島にはそれ以前に鉄道が敷かれていたのだ。鉄道の目的は島の主力産業のサトウキビの輸送用。
当時の蒸気機関車などが展示されていた。
開業1917年、廃止1983年。軌間は762mm。

シュガートレイン
雨宮製作所製 2号蒸気機関車 1907年製造


日本車輌製 8号ディーゼル機関車 1975年製


正面から機関車を見たらきれいであるが、横から見たら機関車は錆びていた。


シュガートレインの説明看板



おじゃりやれ 南大東島 Part 1 とうちゃこ!!

2014年05月06日 22時22分22秒 | 旅行(日本)
2014年5月2日から4日まで沖縄県島尻郡の南大東島を旅行してきた。
南大東島は1年ほど前から行ってみたい場所としてリスタップして計画していた場所。
離島旅行は若いころ、伊豆諸島(大島、利島、新島、式根島、神津島、三宅島、御蔵島、八丈島、青ヶ島)そして小笠原諸島の父島依頼の旅。ま、それ以外にも、瀬戸内海の豊島等の島にも出かけてはいるが…

5月2日、朝6時25分のJALで羽田から沖縄那覇に向うので、朝、3時40分に自宅を出発!!
眠いよ~。
バスで羽田空港に向かう途中に夜が明けてきた。 5時半ごろ、羽田空港のターミナルに到着。
時間があったので、チェックイン前にコンビニで買った弁当を食べる。 空弁にしようと思っていたが、早弁になってしまった。

沖縄に向うJALのB777-200


那覇空港に到着。 ターミナルの南の花が歓迎してくれた。


那覇空港で急いでRACの南大東島便に搭乗する。出発時刻は9:35


RAC便まではバスで移動。 駐機しているDHC8-Q300の近くに海上自衛隊のP-3Cが多数駐機していた。
不審船対策や周囲の国からの“おせっかい行為”に対する防衛のため、沖縄は日本を守る最前線の場所であることも実感。

P-3C ORION


那覇から南大東島までは約360km、空路で約1時間の旅です。
やがて、南大東島が見えてきました。 南大東島は平らな島ということが良くわかります。
左上にかすかに見えているのは北大東島。


機内にあった沖縄の観光地図から
南大東島・北大東島の概要が書かれていました。


南大東島の空港に着陸、ターミナルまでは歩いていきます。 (目の前だけどね)
青空がまぶしいです。
RACのDHC8-Q300 乗客:50人乗り 高翼式なのでエンジンのそばの座席でも眼下を見ることが可能なのが、この機体に搭乗の楽しみです。


南大東島空港のターミナル
かわいいターミナルビルです。


空港にあった南大東島の模型


ターミナルの環境対策のごみ箱
透明な分別収集の容器が印象的でした。


南大東島に着きました。
“とうちゃこ!!”です。