孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”ブログ編

「孫文さんの“北京の隠れ部屋”」を「孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”」に変更しました。

== ポチの一人旅 今日は「高尾山・サブちゃんとツーショット」の旅==

2021年03月31日 22時22分22秒 | 日本雑感 (日本の話題何でも)

== ポチの一人旅 今日は「高尾山・サブちゃんとツーショット」の旅==

ポチの一人旅、今日は「高尾山」。

朝、知人のUPしたFACEBOOKを見たら兰州拉麺を美味しそうに食べている。

久しぶりに辛いラーメン食べたいいなぁと、近くの店で麻辣刀削麺を食べて、ポチ旅のスタートです。オーダーした時に服務員から「辛いの大丈夫ですか?」と聞かれたので「没問題」と答えた。メニューを見たら、この麺には唐辛子のマークが3つ!!

初めてこの店で食べた(レストランの開店はごく最近)けど、辛くて美味しかった。辛いのは高尾山につくまで口の中でヒリヒリ感触残っていました。

さて、食事してるときに行先を決めた。

候補地は御岳山(青梅市)・高尾山(八王子市)・七生公園(日野市)・浅間山公園(府中市)などだったが、高尾山へ行くことにした。

平日の高尾山は待ち時間なしでリフトに乗れました。

リフトの駅では北島三郎氏の金ぴかの銅像(?)とツーショット。

リフトにのって標高462mの地点まで来て、今日はそれ以上は登らず、休憩所のベンチでリュックの中の荷物を出してアマチュア無線運用を開始。荷物は全部で5kg強ありました。重かったぁ

で、パソコンの電源をONにして動作は順調かと言ったら、FT8の動作がうまくいかない。イロイロとトライしていくがパソコンのバッテリーが減っていき、今日はデジタル通信の運用は断念。 やむを得ず音声通信でのんびりと交信開始。

5月に移動運用を考えているのだが、日差しの強い中でパソコン動作させる難しさを体験して良いテスト運用になりました。 室内じゃないのでパソコン画面が見えないぃぃ。

 

パソコンが動作不調だったので早めに切り上げて帰ることにする。帰り道はリフトやケーブルカーではなく登山道を歩くことにした。

久しぶりの高尾山の登山道。こんなに坂道きつかったかなァ。。。 下りの道だからいいけど…

登山道を下ると約40分で駅まで…  帰路は下りだけです…

途中、タモリさんが見たら喜びそうな

下記の写真は途中で見つけた春の気配の花々。

無事下山して帰宅の途につきました。 写真は高尾駅の天狗像

 


== ポチの一人旅 今日は「お彼岸なので墓参りと…」の旅==

2021年03月23日 18時13分17秒 | 日本雑感 (日本の話題何でも)

== ポチの一人旅 今日は「お彼岸なので墓参りと…」の旅==

 

今日は快晴の天気、お彼岸なので墓参りに出かけることにした。

昼前の中央線で東京方面へ向かう。 途中の車内でさぁて、お昼はどうしようか思案して新宿で途中下車することにした。目的地は、都庁の職員食堂。 32階の展望の良い場所でランチが食べられるのです。

(注:;都庁の展望室は新型コロナの影響で現在、解放されていません)

で、新宿駅の階段で見かけたのが、平和祈念展示資料館(総務省委託)新宿住友ビルの掲示を見かけたので、都庁の隣だから、食事後に寄ってみることにする。

新宿駅前の満開の桜

歩く歩道で都庁方面へ この歩道、ここ数年間何度か使ったなぁ…

都庁が見えてきました

都庁つきました。受付で所定の手続きをしてエレベーターで32階へ。自動販売機で食券を購入し(500円のワンコイン定食)列に並ぶ。会社勤務時代の食堂を思い出すなぁ…

昼食時間が始まってしまい混みだしたところで窓側の展望の良い席はゲットできなかったが、味はおいしかったです。

食堂階からの展望(都庁から西側の眺め)

 

平和祈念展示資料館(総務省委託)

都庁での食事を終えて、道路の反対側の新宿住友ビルの33階にある平和祈念展示資料館へ向かう。

訪問客は少ないようで、戦中戦後の貴重な資料が展示されている。

召集令状・陸軍で使用の電鍵・袖なしの防寒該当(なんで袖がないかというと、袖は食料と交換してしまった)・手製の食器など

また引き上げ船の様子など当時の状況を淡々と展示しています。

 

 

陸軍通信隊の電鍵 (しっかりした作りと感じた)

野戦用の電話機 当時は無線機なんて簡単に使えなかったから前線との連絡は有線だったんですよね。大変な時代だったと思います。

抑留生活でスプーンを手作りしたと聞いていましたが、実物を見るのは初めて。

飯盒とスプーンは、抑留生活での大事な生活道具だったそうです。

抑留生活での食事の様子の再現

引き上げ船の中の様子の再現

 

お墓参りに…

新宿駅に戻ってJRで上野に向かい、墓参りを行いました。そして、上野駅に戻る途中に下谷神社に立ち寄りました。参拝する人が途切れずにいました。

上野駅です。

 

お墓のあるお寺の近くの路地からスカイツリーが良く見えます

あるお寺の桜が満開でした

下谷神社に寄りました。

「井の頭」という日本酒がありました。なんで「井の頭」なのかとネットで調べたら、このお酒の蔵元は東京ではなく長野県伊那市なんですが、名前の由来は「井の頭公園」の「井の頭」とのこと。江戸時代に将軍家の茶の湯に用いられた名湧水が井の頭にあった事に由来のようだ。なんか、神社とお酒の関係の由来を調べたくなったなぁ…

 

秋葉原電気街

秋葉原にも立ち寄って、ちょっと買い物。

5月にあることで使うケーブルを自作しようと思ったけど、値段確認したら完成品と値段が対して変わらない。老体がはんだごて作業でのポカすることを考えたら…   悩まずに、完成品を購入!!

ついでに電気街をぶらつきましたが、往年のラジオやステレオセット欲しいなぁ…  でも、置く場所も使う環境でもない… 残念!!

今日は14000歩歩きました…

 


== 新型コロナ 3月21日に緊急事態宣言解除 さて、それ以降の動向は? ==

2021年03月18日 14時14分14秒 | 日本雑感 (日本の話題何でも)

== 新型コロナ 3月21日に緊急事態宣言解除 さて、それ以降の動向は? ==

 

首都圏に発出されていた新型コロナの緊急事態宣言が3月21日に解除されることになった。 最近の新型コロナの感染者数などのデータからは解除が妥当だとは思うが、再び感染者数が上昇しないか気にはなるところ。

新型コロナのワクチン接種者も3月17日現在で2月17日開始して1か月で約42万人に達した。 今後、高齢者や一般の対象者の接種となる。 ワクチン接種することで新型コロナの感染状況がどのように変化するかに関しては日本だけではなく、世界中の状況が気になるところです。

ということで、最近の新型コロナのデータをグラフ化してみました。

 

新型コロナの緊急事態宣言は2回目、最初は昨年4月7日に7都府県を対象に発令。16日に対象を全国に拡大した。

当時の患者発生数と第3波のグラフを振り返って比較すると、昨年の第一波の波の小さいこと。

ある意味、すっかり慣れっこになってしまい、緊急事態宣言発令中であっても街中ではゴーストタウンになることもない。 ゆえに、「下げ止まり」で感染者数が一定以下に減少しない傾向が起きていると言えないだろうか。

そして、気のゆるみが上昇につながる。

一部の県では、下げ泊りの跡、弱化の上昇に転じている(私は、「コロナのGo-around」と呼んでいるが)傾向に見えるので動向が注視される。

緊急事態宣言解除に伴い、今後の感染者数の動向が気にあるのは、

1: 東京・大阪など大都市圏

2: 北海道と沖縄 (以前から高め傾向)

3: データから気になるのは宮城県(急上昇中で見事なGo-aroundカーブを描いています)

 

新型コロナで感染者が多い県ではなく、逆に少ない県としては、グラフの1-5と1-6は、1週間の10万人あたりの感染者数のグラフですが、それぞれ1-5a,1-6bはそのグラフを1.0を上限値でグラフ化したもの。

当然数の少ない方が患者数の発生が少ないことを示してい居るので、2月1日のグラフは

福井・富山・秋田

の3県だったのが、3月17日のグラフでは

熊本・香川・高知・石川・愛媛・富山・山口・広島・徳島・福井・秋田・鹿児島・大分・島根・長崎・鳥取・宮崎と拡大している。

こういった新型コロナの感染者発生が少ない県もあり、緊急事態宣言下での対応の難しさを感じる。

 

このグラフから、東京・大阪・埼玉・千葉・神奈川で全国の約6割の感染者数。まず大都会の感染者を減らさない限り、新型コロナといつまでも仲良く過ごさざるを得ない。緊急事態宣言を解除しても政府には「下げ止まり」をさらに減少させる手立て・アイデアを持っていない無策状態なのが残念。

 

以下は各地方ごとに集計したデータです。

・1週間の1万人あたりの感染者数(昨年6月から3月までの連続)

・1週間の1万人あたりの感染者数(2月から直近まで)

・感染者数の推移(2月から直近まで)

 

== 北海道 ==

== 関東 ==

== 中部・北陸・信越 ==

== 関西 ==

== 中国・四国 ==

== 九州・沖縄 ==


== ポチの一人旅 今日は「赤坂 日枝神社/山王稲荷神社」の旅==

2021年03月17日 00時31分01秒 | 日本雑感 (日本の話題何でも)

== ポチの一人旅 今日は「赤坂 日枝神社/山王稲荷神社」の旅==

 

今日のポチは知人と久しぶりの会食の予定があり、1年ぶりにネクタイ姿と革靴を履き都心へ出かけた。

荻窪駅で中央線から地下鉄に乗り換え赤坂見附駅に向かう。

今日は快晴で天気が良く山王稲荷神社の千本鳥居を撮影したかったので、知人との合流前の空時間で赤坂の日枝神社に寄ることにした。

山王鳥居に到着。 大きな鳥居で道路からもはっきりわかります。鳥居の上部が独特の形をしています。 そして、この鳥居を過ぎて階段を登ろうとすると右側のエレベーターがあるのです。エレベータで登ったことは今までなかったので今日が初体験です。

 

日枝神社に参拝して、次に山王稲荷神社を参拝しました。

キツネさん、いいボケ具合で撮影出来ました。

そして、赤い千本鳥居(実際には千本も無いですよ)を撮影ですが、時々参拝客が通るので人が映らない写真を撮影したかったのでしばし待機。

丁度良い時間になったので、知人との待ち合わせ場所に向かった。


== 新型コロナはGo-aroundするのか… ==

2021年03月03日 15時53分25秒 | 日本雑感 (日本の話題何でも)

== 新型コロナはGo-aroundするのか… ==

 

第三波の新型コロナはようやく収まりつつある。 とはいえ、終息ではなく緊急事態宣言の前の状態に戻りつつあり、東京を含めた首都圏が3月8日に緊急事態を解除するのか延長するのかが最近の関心ごと。

緊急事態宣言解除後に再度、新型コロナが拡大してしまうと、始まった新型コロナのワクチンの接種の日程と重なってしまう。

また、本当に行えるのか止めるのか判断ができていない東京オリンピックにも影響が出る。その意味で、東京を含めた首都圏の緊急事態解除の判断は重要。

 

各地方の新型コロナ感染者の状況 

第三波で感染者が急増したが、感染者数が落ち着いてきたことが分かる。

 

各地の感染者の割合

 

1週間の10万人あたりの感染者数

このグラフも上記同様に第三波のピークがはっきり出ているが、最近は落ち着いてきたことが分かる。 なお、2/24-3/2の感染者数の数字において、東京都は13.23人に対して千葉県は13.48人となり、東京都の数字よりも悪くなった。 下記のグラフからも東京都は感染者数が減少の方法であるが、千葉県は減少率が鈍化しているように読み取れる。

10万人あたりの感染者数(2月24日~3月2日のデータ)は、千葉県がトップ、東京都、埼玉県、神奈川県、茨城県、群馬県、大阪府と続く。さて、今後どうなるか…

 

東京23区及び東京市部の累計感染者数

ともかく第3波で、東京の感染者が急増した。今後各地方に拡散させないために首都圏の感染者数をさらに減らすことが必要で、そしなければ、着地することなくGo-aroundになって、ふたたび高い数字を舞う事になるのだろう。

 

東京23区の感染者の割合

 

東京市部の感染者の割合

 


== ポチの一人旅 今日は「銃弾の残る変電所・引き込み線跡地」の旅==

2021年03月01日 21時02分41秒 | 日本雑感 (日本の話題何でも)

== ポチの一人旅 今日は「銃弾の跡が残る変電所・引き込み線跡地」の旅==

 

ポチの一人旅、今日は愛妻のスーパーカー(Lamborghini号)を借りてドライブ。

目的地は、東大和市の日立の変電所なのだが、そこに到着するまでに寄り道。

帰りも、直行ではなく、ちょっと横道にそれてのんびりとできた。

 

1) 立川の給水塔

戦前の建築物(昭和13年(1938年)建築)で、高松駅付近にあるのは道路そばなので、よく見るのだが、もう1つ給水塔が存在する。

その給水塔は立飛駅から西側にあり敷地内で近くに立ち入ることはできないので、守衛さんに撮影させてくださいと許可を得て敷地の外から撮影した。 現在の給水塔の内部はどうなっているんだろう。 一度見てみたいなぁ…

高松駅付近の給水塔

立飛駅付近の給水塔

 

2) 東大和の旧日立航空機変電所

現在、保存・改修工事中ということは知っていたが、どんな状況か知りたくて出かけた。

当時、北多摩郡大和村(現在の東大和市)に軍用機のエンジンを作る軍需工場があり、戦争による空襲を受けた。

飛行機からの銃弾の跡が生々しく、現在、建物の保存改修工事中。

工事が完了したら(2021年夏ごろ工事終了予定)再び来よう。

 

旧変電所は工事で建物全体がシートで覆われていました。

シートが掛かっていない場所から見える空襲による機銃掃射による弾の跡

 

3) 立川基地への廃線跡の道

変電所見学から帰宅する途中、立川に基地があった時代の引き込み線跡地の緑地道入口にぶつかったので、この跡地を通ることにする。

この付近は戦前・戦後と立川飛行場を中心とした軍事の街だった。戦後は米軍基地へのジェット燃料輸送に昭和43年まで使用され、昭和52年に立川基地は返還され引き込み線は廃線となり遊歩道となった。

廃線跡地の道を進むと、立川市として遊歩道が1.6km、それから国分寺市に入って、しばらくすると国立市の管轄になる。廃線跡の道は、国立市の公園で終点。

4月になれば、この廃線跡地は桜が咲いてきれいかなぁ…

 

ここが廃線路の入口

ここから1600m

300m進んだ場所

なぜか赤ん坊の像があるのです。 駐車しているオープンカーは、妻の愛車のLamborghini号です。

梅の花が咲いていました

ところどころに休憩スペースが設けられています。 いぜんは、この細い道が線路になっていて、燃料などを輸送していたのでしょう。

1600m進むと、立川市から国分寺市に表示が変更になりました。 それに伴い、緑地の名称も変更。手前が立川市、奥が国分寺市。

藤棚がありました。よく見るとレールで作られています。

そしてアーチがありました。このアーチもレールで作られていて、当時の面影を残しています。

そして、さらに進むと国分寺市から国立市になり、国立市の公園に出ました。

公園から見た、廃線路の遊歩道。

この公園から、中央線の通過音が聞こえます。線路はすぐですが、ここから先は当時の面影は偲べません。