俳優の志村けんさんが死去との報道がされました。29日午後11時10分、都内の病院で死去されたとのことで70歳。死因は新型コロナウイルスによる肺炎。謹んでご冥福を祈りたいと思います。
コロナのばかやろーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
写真は東村山駅東口にある、志村けんの木。(3本のケヤキです)撮影2019年11月
俳優の志村けんさんが死去との報道がされました。29日午後11時10分、都内の病院で死去されたとのことで70歳。死因は新型コロナウイルスによる肺炎。謹んでご冥福を祈りたいと思います。
コロナのばかやろーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
写真は東村山駅東口にある、志村けんの木。(3本のケヤキです)撮影2019年11月
第2次世界大戦の飛行機 番外編で調布飛行場の掩体壕を紹介しましたが、現在、調布飛行場付近には4つの掩体壕が保存されているようです。先日訪問したのは大沢1号、大沢2号と呼ばれる調布飛行場の北東にある掩体壕でした。今回は府中市にある、白糸台掩体壕に行ってきました。場所は西武線白糸台駅から徒歩7分程度の場所で旧甲州街道沿いなのですが周囲は全くの住宅地。近くまで来ないと、こんなところに戦争の史跡が残っているなんてわからないです。
白糸台掩体壕には、西武鉄道多摩川線白糸台駅から北に向かって線路沿いに歩きます。しばらくすると案内板がありました。
案内板に従って進むと、空き地があり公園かなと思ったら、そこが白糸台掩体壕です。
市の史跡として保存のため、奇麗に整備されていました
掩体壕を後ろから眺める。 周囲は住宅街です。
掩体壕の全景です。奥に見える道路は旧甲州街道。
掩体壕の前面から内部をのぞいてみました。壁のコンクリートはかなりボロボロというか、砂利が混じっていて戦中の建築物なので粗悪な感じがします。大きさは大沢1号、大沢2号の掩体壕と同じです。規格化されていたのでしょう。いずれにしても飛燕のサイズに合わせて最小のサイズで作られていたようです。
案内板があり、掩体壕についての経緯などが記載されていました。
案内板に記載の飛燕の写真です。
飛燕は上空から見つからないように迷彩塗装されていたんですね。
戦後の武装解除してから撮影の写真のようですが、この写真は水冷エンジンの飛燕ではないです。水冷エンジンの調達が困難だったので、エンジンを載せ替えた飛燕でしょうか・
掩体壕の構造です
今年の桜の開花は早い。これも暖冬のせいだろうか。
あっという間に満開近い状態になっている。
今日は三鷹・調布を散策してきたので、仙川沿いの桜の様子です。
シートをひろげて公園で花見をしている家族連れやグループがいました。
今日は、三鷹・調布の街を散策してきた。
(ついでに長崎に街にも寄ったかも…)
太宰治が客人を案内するほど好きだったと言われている三鷹の跨線橋がちょうど夕日できれいな時間と思い三鷹駅の西にある陸橋を最後の散策の場とした。
1929年に竣工した跨線橋の上から眺めると丁度、夕日にJRの線路が輝いていた。
きっと、太宰治も同じ夕日を眺めたのだろう。
最後に、こんな場所にも行きました。 (どこでしょう・・・)
コロナ新型肺炎の各国の患者数の推移をグラフ化してみました。
データは読売新聞に記載のデータを採用していますが、データが空白の記載はその日のデータ確認忘れです。ま、趣味で作ったデータですので勘弁して。
各国ごとの患者数の変化ですが、中国がダントツなのでこれじゃわかりにくいですね。そこで、中国を外したデータが下記です。
コロナのホットポイントが韓国から欧州にシフトしてきたことが分かると思います。韓国は患者の新規発生件数がわずかになってきています。
主戦場の変化について、もっとわかりやすいのが、次のデータです。
韓国、イタリア、イランが爆発的患者の増加であった時期がはっきりと分かります。そして、次の“波”としてスペイン、フランス、ドイツ、スイス、アメリカなどが急激に立ち上がってきている。さらにその予備軍としてUKやオーストリアなどの欧州勢が続いています。
日本は幸い欧州のような立ち上がりは見せていません。これは安倍さんの功績でしょうか? だとしても、安倍さんが行っている対策は撲滅ではなく、ピークのシフトを後ろにずらす、国民へのお願い政策です。中国のように強力な封じ込め政策は実施していませんし、国民も中国でのSARSのような災害を経験していませんので、まだまだ日本人の対応はいい加減な状態といえるでしょう。
日本も集団クラスターが発生など、何か起きたら欧州のような急激な右肩上がりが発生しない保証はありません。(と、思うのですが??)
さてさて、本家中国の患者発生状況はどうでしょうか?
ここ数日のデータを見る限りでは、中国において「新規の患者数はわずかです。この状態が続けば収束していく可能性はあります。ただし、これも欧州、韓国、日本、アメリカなどから再び渡航者が来るようになると入国後に保菌者として判明するなどで水際での食い止めで防止できない事態が予想。
同じことは当然、日本にも言えます。
故に、このコロナ騒ぎは第2波、第3波の襲来などで世界上で長引くと予想しています。
YAHOOのHPにUPしているデータを基に最近の都道府県ごとのコロナ新型肺炎患者数の変化をグラフ化してみました。
第2次世界大戦の飛行機シリーズ、今回のミグ編で最終回とさせてください。
upできるようなストックが少なくなったためです。
最終回は、前回に続きミグ15/17/19関係です。
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撮影:航空博物館(2008年4月、2015年3月、2016年7月、2018年7月)
第2次世界大戦後にソ連が開発したジェット戦闘機で多くの派生モデルがある。
東欧を中心に採用国も多く、朝鮮戦争では国連軍を苦しめた。
ミグ15や後継機のミグ17、Mig-19に関しては多くの機体が現存していますし、この写真には中国生産モデルもあり、ミグにはいろいろな派生モデルがあります。
またしても番外編です。
飛燕を見たいというコメントを聞き、といっても飛燕の実物を見たことはないので、飛燕に関係するもので我慢してもらおうということで2つほど飛燕の関係写真をupします。
1) 川崎 キ61 三式戦闘機「飛燕」の図面
撮影:所沢航空発祥記念館 (2012年12月)
飛燕の設計者から提供の青焼き図面です。 1940年頃、製作されたものとの説明があります。
飛燕の初飛行は1941年12月ですので開発途中の図面の一部ということでしょう。
2) 大沢掩体壕1号・2号
調布飛行場に隣接する都立武蔵野の森公園の敷地内に戦争遺跡として2つの掩体壕が保存されている。
掩体壕とは飛行機を隠す壕。
大沢1号には、飛燕の模型を使って壕の形を説明している像、そして壕の前面は覆われているがそこに飛燕が描かれている。
当時首都の防空任務で調布飛行場には飛燕が配備されていた。
武蔵野の森公園のHPには下記の記載がある。
“「掩体壕」とは、軍用機を敵の空襲から守るための格納庫で、目的は「本土決戦」に備えて、残り少なく貴重な飛行機を温存するためでした。
「飛燕」は川崎航空機製で、ドイツのダイムラーベンツの技術をもとに、国産化した液冷エンジンを搭載した戦闘機です。
エンジン出力は1,100馬力で、最高時速590km/hで飛行でき、高空能力に優れ1943年に陸軍の主力戦闘機として正式に採用されました。
1945年、B29による爆撃機による本土空襲が激しくなるなか果敢に迎撃しましたが、物量に勝る圧倒的なB29爆撃機の攻撃で戦死者が出て、成果を挙げることが出来ず、最後は「体当たり」戦術で抵抗しました。
武蔵野の森公園の掩体壕は戦争の記憶を残す証拠とし、「平和への語り部」として保存してあります。”
撮影: 武蔵野の森公園(2020年3月)
今回の写真は第2次世界大戦以降の戦闘機なので、タイトルからは外れますがめったに見れない写真もあるので、ついでに2回に分けてupします。 今回は、バックヤードのミグ等めったに見れないゴミ状態の機体の姿です。次回はレストアされた、完成品のミグが主体です。
なお、Mig-15,Mig-17,Mig-19等の写真ですが、東側の戦闘機の種類は詳しくないのとそれぞれに派生モデルが多いので詳細の機種名は省略します。
仕様に関しては、代表としてMig-15を記載します。
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Mikoyan-Gurevich MiG-15 (ミグ15)
Crew: 1
Length: 10.102 m (33 ft 2 in)
Wingspan: 10.085 m (33 ft 1 in)
Height: 3.7 m (12 ft 2 in)
Empty weight: 3,681 kg (8,115 lb)
Powerplant: 1 × Klimov VK-1 centrifugal-flow turbojet, 26.5 kN (5,950 lbf) thrust
Maximum speed: 1,076 km/h (669 mph, 581 kn) / M0.87 at sea level
1,107 km/h (688 mph; 598 kn) / M0.9 at 3,000 m (9,843 ft)
Ferry range: 2,520 km (1,570 mi, 1,360 nmi) at 12,000 m (39,370 ft) with 2x600 l (160 US gal; 130 imp gal) drop-tanks
2 × 23 mm Nudelman-Rikhter NR-23 autocannon in the lower left fuselage (80 rounds per gun, 160 rounds total)
1 × 37 mm Nudelman N-37 autocannon in the lower right fuselage (40 rounds total)
撮影:航空博物館(2008年4月、2015年3月、2016年7月、2018年7月)
第2次世界大戦後にソ連が開発したジェット戦闘機で多くの派生モデルがある。
東欧を中心に採用国も多く、朝鮮戦争では国連軍を苦しめた。
ミグ15や後継機のミグ17、Mig-19に関しては多くの機体が現存していますし、いろいろな派生モデルがあります。
戦闘機の操縦席に座っている小生です。この場所に座るには有料です。(日本円で150円程度必要)
機種はMig-19の中国モデルのJ-6(殲‐6)です.
航空博物館のバックヤードに放置されていたレストア前の戦闘機です。
日本から出張のお偉いさん(名前は出せない)を接待して飲んでいて、いろいろ雑談の中で休日が時間があり飛行機好きということが分かりこの秘密の場所に連れてきたら大喜びしていました。なお、現在はこの場所に一般人は立ちることができません。
以前は、この場所をぶらついていたら、翼下の増槽タンクがたくさん放置されていました。
民間人がジェット戦闘機の増槽を間近で見る機会なんてないでしょうね。
ところで、戦闘の時にはこの増槽って切り離して落下させるんですよね。
海上ならともかく、集落のある場所なら怖いですね。
増槽が落ちてきて、ガツンと頭に当たったら痛いよぉぉぉぉ~
操縦席はレストア前なので荒れ放題のままです。上の写真の操縦席の様子と配置は似ていますね。
イギリスのモスキート(蚊)です。
なんと機体は木製です。そして、予想以上の高性能な飛行機で爆撃機、夜間戦闘機として活躍しました。漫画のジパングにも登場しています。
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de Havilland Mosquito (デ・ハビランド モスキート)
Crew: 2: pilot, bombardier/navigator
Length: 44 ft 6 in (13.56 m)
Wingspan: 54 ft 2 in (16.51 m)
Height: 17 ft 5 in (5.31 m)
Empty weight: 14,300 lb (6,486 kg)
Powerplant: 1 × Rolls-Royce Merlin 76 V-12 liquid-cooled piston engine, 1,710 hp (1,280 kW)
Powerplant: 1 × Rolls-Royce Merlin 77 V-12 liquid-cooled piston engine, 1,710 hp (1,280 kW) RHS fitted with a blower for cabin pressurisation
Propellers: 3-bladed constant-speed propellers
Maximum speed: 415 mph (668 km/h, 361 kn) at 28,000 ft (8,500 m)
Range: 1,300 mi (2,100 km, 1,100 nmi)
Service ceiling: 37,000 ft (11,000 m)
Bombs: 4,000 pounds (1,800 kg)
撮影: 中国航空博物館(2008年4月、2018年7月)
DH.98 モスキートはイギリスの爆撃機で、特異な構造として機体が木製でできている。
そして、高性能な飛行機であった。
展示の機体は、機首に7.7mm 機関銃4門があるので、爆撃機仕様ではなく夜間戦闘機仕様かもしれないが、展示機でオリジナル部分は翼の木製部分だけで機体自身は本物には見えない。
展示に下記の記載あり。
“Only the left wing of the plane displayed here is original. ”
Part 11の続きです。
==所沢航空発祥記念館(ゼロ戦52型) ==
所沢航空発祥記念館でゼロ戦52型を特別展示を行った時の写真です。
この機体はエンジンも稼働可能な機体ですので、見ていて動くんだというワクワク感がありました。
==靖国神社 遊就館((ゼロ戦52型)==
十二試艦上戦闘機(試作名称)、そして零式艦上戦闘機(ゼロ戦)として有名な日本の代表的な戦闘機。
現存する機体が多いので、2回に分けてupします。
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Mitsubishi A6M Zero (零式艦上戦闘機)
開発元は三菱重工業。三菱に加え中島飛行機でもライセンス生産。
Crew: 1
Length: 9.06 m (29 ft 9 in)
Wingspan: 12 m (39 ft 4 in)
Height: 3.05 m (10 ft 0 in)
Empty weight: 1,680 kg (3,704 lb)
Propellers: 3-bladed Sumitomo-Hamilton constant-speed propeller
Maximum speed: 533 km/h (331 mph, 288 kn) at 4,550 m (14,930 ft)
Range: 1,870 km (1,160 mi, 1,010 nmi)
Ferry range: 3,102 km (1,927 mi, 1,675 nmi)
Time to altitude: 6,000 m (20,000 ft) in 7 minutes 27 seconds
2× 7.7 mm (0.303 in) Type 97 aircraft machine guns in the engine cowling, with 500 rounds per gun.
2× 20 mm (0.787 in) Type 99-1 Mk.3 cannon in the wings, with 60 rounds per gun.
撮影:国立科学博物館(ゼロ戦21型)(2014年8月)、大刀洗平和記念館(ゼロ戦32型)(2015年8月)、所沢航空発祥記念館(ゼロ戦52型) (2012年12月)、エアーパーク 航空自衛隊浜松広報館(ゼロ戦52型)(2017年12月)、靖国神社 遊就館((ゼロ戦52型)(2014年8月)
==国立科学博物館(ゼロ戦21型)==
単座機のゼロ戦を偵察機として2人乗り機に改造したゼロ戦。ベースは21型との事。
着艦フックの構造などが良くわかる。
==大刀洗平和記念館(ゼロ戦32型)==
32型の特徴ある角形の翼が全景写真からよくわかる。また黄緑色に塗装された操縦席の様子も眺めることができる。
==エアーパーク 航空自衛隊浜松広報館(ゼロ戦52型)==
今回は真打(ゼロ戦)登場前の番外編をUPします。
なんせ、そろそろ打ち止めが近いので…
各種の飛行機をupするにあたり調べて今まで知らなかったことがいくつかありました。
1: 地元、立川は戦前は立川航空機などがあり、飛行機の街であることは認識していました。
2: 陸軍の一式戦(隼)は中島航空機製ですが、立川でも生産されていたこと。
立川で赤とんぼ程度の飛行機しか作っていなかったと思っていた。
3: 同じく、海軍のゼロ戦も三菱製ですが、中島でも生産されていたこと。
立川飛行場は、戦前には東京~大阪間の民間定期便も開設されていた空港です。
東京~大阪間は3時間だったそうです。
羽田に空港が出来て民間路線はそちらに移った。
そんな立川の街で今でも当時の面影を残すものを紹介しましょう。
旧立川飛行機工場の給水塔(立川市)
旧立川飛行機の工場給水塔です。立飛ホールディングスの敷地内にあります。
昭和13年(1938年)建築で、モノレール高松駅近くに現存する建物です。
奇跡的に戦争での空襲などの被害を受けていないのでしょうか。建物の外観自身はきれいです。
またこの立飛ホールディング敷地内の倉庫は戦前からの物もあるようで、飛行機の格納庫として使用していたようです。
(撮影:2020年3月)
中央の丸い建物が給水塔です。 左端はモノレールです。
旧日立航空機株式会社変電所(東大和市)
この変電所は都立東大和南公園の敷地内にあります。 公園は玉川上水駅から徒歩10分程度です。
日立航空機株式会社立川工場の変電所で、戦前この工場では航空機のエンジンを製造していました。
1945年2月、4月の空襲で航空機からの機銃掃射、爆撃の影響で建物は無数の弾痕などの跡が残りました。
なお、この変電所は奇跡的に戦後の1995年(平成5年)まで稼働していました。
コンクリートの外壁の穴の一部は貫通しています。戦争の悲惨さを今に伝える史跡の1つと思えます。
(撮影:2019年6月)
参考: 戦災建造物 東大和市指定文化財 旧日立航空機株式会社変電所
https://www.city.higashiyamato.lg.jp/index.cfm/34,63727,359,html
Part 10で登場の飛行機は今流に言うなら、幕張の海岸で飛行機レースにでも使われそうな形をしているソビエトの戦闘機のイ‐16です。
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Polikarpov I-16 (イー16)
Crew: 1
Length: 6.13 m (20 ft 1 in)
Wingspan: 9 m (29 ft 6 in)
Height: 3.25 m (10 ft 8 in)
Empty weight: 1,490 kg (3,285 lb)
Powerplant: 1 × Shvetsov M-63 9-cylinder supercharged air-cooled radial engine, 820 kW (1,100 hp)
Propellers: 2-bladed variable-pitch propeller
Maximum speed: 525 km/h (326 mph, 283 kn) at 3,000 m (9,800 ft)
Range: 700 km (430 mi, 380 nmi)
2 × fixed forward-firing 7.62 mm (0.300 in) ShKAS machine guns in upper cowling
2 × fixed forward-firing 20 mm (0.787 in) ShVAK cannon in the wings
撮影:中国航空博物館(北京)(2016年7月)
ソ連の戦闘機。スタイルは不格好というか、エンジンが大きすぎて着陸時に操縦席からの視界悪いだろうなぁと感じます。でもちょっとした草地があれば離着陸できたのでしょうか?
イー16の設計を開始した1932年は複葉機全盛時代だったので、開発当時は世界最速の戦闘機だった。そして、主脚が翼に収納できる構造も、この機種が初めて。
1930年代は独創的なスペックで各国の戦闘機(まだ複葉機が主流)の中で優位であったが、しかし技術の進歩が速く第2次世界大戦初期には時代遅れとなっていった。なお、この写真のイー16は博物館の説明文ではレプリカと記載されていた。
Part 9はアメリカの傑作戦闘機といわれているP-51Dです。全くの私見ですが、Mustangという名前とは裏腹にこの飛行機じゃじゃ馬ではなく乗りこなしやすい飛行機という気がするのですが。
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P-51D(North American P-51 Mustang)
Crew: 1
Length: 32 ft 3 in (9.83 m)
Wingspan: 37 ft 0 in (11.28 m)
Height: 13 ft 4.5 in (4.08 m) tail wheel on ground, vertical propeller blade
Empty weight: 7,635 lb (3,465 kg)
Powerplant: 1 × Packard (Rolls Royce) V-1650-7 Merlin 12-cylinder liquid cooled engine, 1,490 hp (1,111 kW) at 3,000 rpm;[122] 1,720 hp (1,280 kW) at WEP
Propellers: 4-bladed constant-speed, variable-pitch Hamilton Standard, 11 ft 2 in (3.40 m) diameter
Maximum speed: 440 mph (708 km/h, 383 kn)
Range: 1,650 mi (2,656 km, 1,434 nmi) with external tanks
Service ceiling: 41,900 ft (12,800 m)
Guns: 6 × 0.50 caliber (12.7mm) AN/M2 Browning machine guns with 1,840 total rounds (380 rounds for each on the inboard pair and 270 rounds for each of the outer two pair)
撮影:中国航空博物館(北京)(2010年3月、2012年5月、2014年3月、2014年9月、2016年7月、2018年7月)
第2次世界大戦でアメリカの最高傑作戦闘機といわれるムスタング。
これもP-47D同様に機体が塗装されています。
多分、当時の機体は塗装しておらず無地のままではないのかと思うのですが、この塗装色はなんとなくおもちゃっぽく見えます。
3枚目の写真の風防には空中戦で銃撃されたのではと思える弾痕があります。(本物かなぁ)