孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”ブログ編

「孫文さんの“北京の隠れ部屋”」を「孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”」に変更しました。

うふあがりじま 南大東島 Part 8 南大東島(残りの写真)

2014年05月11日 19時19分19秒 | 旅行(日本)
大東島の“うふあがりじま”とは遥か東の意味、そして、西表島は西にあり太陽が沈む方向なので“いりおもてじま”と読む。
今度は日本最西端の西表島もいいなぁ。
また、今度、北大東島へ出かけて下さいとリクエストする人もいた。(本気にしちゃう性格なのでどうしよう…)

それはともかく、南大東島を5月4日の夕方便で那覇にもどり、那覇から羽田便に乗りついて東京に戻った。
南大東島はもう1度もう少し長期間ノンビリ過ごしてみたい場所だった。
しかし、帰島した次の日には沖縄は梅雨入り。 島に人に聞いたら、5月連休が終われば梅雨、そして台風シーズン。冬は季節風が激しいと。 厳しい自然の島のホンの一瞬の安らぎの時間に滞在した事を改めて実感した言葉だった。

島の様子で、UPしていなかった写真を追加UPする。

バリバリ岩
大東島は、サンゴ種が隆起した島で、フィリピン海プレートに乗って一年間に7cm移動している。
その地殻変動を証明するのがバリバリ岩といわれている。 1~2mの岩の割れ目が続いていて、付近はのどかな畑だったのがいきなり、秘境探検気分にさせてくれる場所でした。




星野洞
大東島には大小の鍾乳洞がある。 その中で有名なのでは星野洞。 畑の中に星野洞がある。 残念ながら訪問した時は見学が休みで中を見ることはできなかったのが残念。
この場所、の標高は44.5m。 島としては高い場所になるので、地下数十mまでは海水につかることはないだろう。




サトウキビの収穫
星野洞のそばの畑でサトウキビの収穫作業を行っていました。 大きな機械が畑で収穫する姿は遠目にすごかったです。
近寄って写真撮ろうとしたら、満杯になったので収穫はいったん停止してタイミング的に30秒早かったら…
と残念でした。





街の中心付近
昼間の街の中心部はこんな感じです。


昼食を食べた大東そばの店


大東犬
島には大東犬という足が短い種類の犬がいる。 これがその大東犬なのかは分かりませんが、こんなイメージの犬です。


南島大東空港で
5月連休だったので、那覇行きの便は満席でした。
空港にはこいのぼりを飾っていました。

南大東島空港のチェックインカウンター


空港に到着してしばらくしたら、北大東島から飛行機が着陸しました。
この飛行機に搭乗して那覇に戻ります。


ターミナルを出て飛行機に向います。 振り返ると真っ青な空でした。


機内は満席。
1時間の旅ですが、寝てました。。。。
眼下は海しか見えません。


南大東島の旅は終わりました。 また訪れたい孤島の秘境です。
こういう南の花ともお別れです。


(La Fin)

IOTA AS-047 南大東島 Part 7 南大東島移動運用結果

2014年05月11日 11時11分11秒 | 業余無線
今回の南大東島で行った目的はアマチュア無線を行うこと。
天候も良く(雨や風もなく)、コンデションも良く期待いていた50MHzのEsも出て満足のいく運用ができた。
最終日には50MHzが開けるだろうと、20分ほどCQを出していた。 駄目かなと思って諦めようかと思った瞬間、59+で返事があり、そこからJA局がワンサカと59+で呼んできた。
1時間に102局と50MHzで交信という結果は相当ハイペースな運用だったので自分でもびっくり。

5月2日 ホテルに着き、羽田空港で買った弁当を食べると、アンテナ設営の開始。
アンテナは、HFがTunerを使った釣り竿アンテナ、GNDは20本ほど放射状に配置して少しでも効率UPをはかった。
50MHz用はHB9CV。方向は固定で北(JA)方面とした。 本当はDX用に西にも向けたかったが、ま、しょうがない。
それと、21MHzのツエップアンテナをホテル屋上から下に向けて張った。

交信結果をグラフにした。
HFは結果的にハイバンドでの交信が多かった。


運用したJH1OGTとJH1TEBの周波数と交信数の結果は下記。


5月2日から4日までの主な運用時間と交信結果です。 (データはJH1TEBのみ)


QSLカードは下記デザインを作成中です。





設置したアンテナの様子


釣り竿アンテナのチューナの様子
GND線を約20本接続


こんな感じで放射状に配置した


運んで荷物(5月4日羽田空港にて)
スーツケースにリグ2セット、電源2個、その他としてパソコンや着替えなど。
50MHzのHB9CVアンテナとアンテナポール、袋の中は同軸ケーブル等



沖縄の歴史 南大東島 Part 6 南大東島島民から見たアメリカ統制下

2014年05月11日 03時03分03秒 | 旅行(日本)
戦後、沖縄は1972年)5月15日の沖縄本土復帰に至るまでの、27年間はアメリカの統治下という暗い過去がある。
しかし、南大東島には、第3代高等弁務官の象があった。南大東島の島民にとってはアメリカ統治下でのキャラウェイ高等弁務官は島を変えてくれた“神様”なのだ。
その感謝の気持ちから、島にはキャラウェイ高等弁務官の胸像がある。
南大東島は、日本の中でも特殊な歴史がある。
1961年(昭和36年)、南大東島に視察に来たキャラウェイ高等弁務官に、島民達が島の土地問題を直訴した。1964年(昭和39年)7月30日、キャラウェイ高等弁務官の英断により島民の願いが叶えられる。詳しくは他のHPに詳しく書いてあるから調べてね。

キャラウェイ高等弁務官の胸像


ふるさと文化センターの近くにキャラウェイ高等弁務官の胸像があります


ふるさと文化センター(入場料200円)の中では、下記の貴重な展示があります。
日本のお金が使えなかった大東島
戦前、大東島では日本の貨幣が使えなかった。 島は社有地であったことから島独自の貨幣が流通し、大東島に来たものは、日本の貨幣から両替しなくてはいけなかった。 きっとレート設定を高くして、儲けたんだろうなぁ。
そして、戦前は行政もなかった。そういった施策が、植民地政策のモデル地区となったという歴史も持っている。
もう少し時間をとって、じっくり調べたかったなぁ。

写真は、左から玉置商会の1銭、東洋製糖の50銭、大日本精糖の5銭


南大東島気象台
台風が来ると、NEWSではその進路に出てくる島が大東島。
ココは台風の通り道。 南大東島では1日2回、ラジヲゾンデを飛ばして気象観測を実施している。
ここがその気象台なのかと感慨深かった。

気象台の看板




館内には、観測用のラジオゾンデが展示されていた。


ともかく、大東諸島は入植者が苦労した島。 こんな碑もありました。


この社は大東神社。 静寂な森の中にひっそりと歴史をかかえながらありました。