「おーい水島ぁ、いっしょにニッポンへ帰ろう!」
な、なんだ、いきなり?
失礼をばいたしました
ちょびっと興奮しています。
近藤勇の菩提寺をあとにし、徒歩にてここまでやってきたんだけど、途中、
宇宙人と第三種接近遭遇(映画『未知との遭遇』の原題『Close Encounters of the Third Kind』=第三種接近遭遇)してしまったりと、けっこう大変な思いをし、ようやくたどり着きました。
このお寺さん、けっこういろんなことがんばってるお寺さんです。
同行二人とは、西国巡礼者などがいつも弘法大師と一緒に巡礼しているという意で笠に書きつける語のこと。
だから、
こういう↑意味ではありません。
この像は、
こーゆー↑こと。
*野の花を摘みて子遍路おくりけり (児島宗子)
お遍路は信仰の旅であると同時に、故郷を追われた人々の生活(たつき)を支える旅でもあった。
江戸時代以来、ハンセン病者の多くが、遍路となって四国へ渡った。四国には、お遍路を温かく持て成す<お接待>の風習があり、病者たちは、これに残る命の糧を求めたのである。
しかし、不自由な躰に八十八ヶ所の札所の旅は……(省略)
この像が、平成14年8月18日、山梨県春日居町の郷土資料館にて開かれた小川正子女史(医師で『小島の春』の作者)の生誕百年記念展示会に出展されたんだって。
つーことで、
クマルも母子といっしょに、
八十八ヶ所歩いてきたなり。
ほかにも、
こんなのがあるんだけど、貞明皇后(大正天皇の皇后)とは、ハンセン病救済事業の草分けとなったヒト。
なんかここのお寺さん、寺っていうより博物館的よね。
東京大空襲の、生々しい絵や写真もあったりするし。
これ全部、お寺の裏側↑に回んないと気づかない。
だから、ここ来たら、ぶらぶらうろつき回ることをオススメします。
東京の東十条なのに、この被災地復興祈願の碑。
ちょっと、すばらしくない?
日本では閉鎖的な寺や、金金金と亡者のような不遜な寺が多いなか、こうした寺もあることに、クマル感動しました。
それと、最初の『ビルマの竪琴』ちっくなセリフは、どう繋がるの?
水島上等兵って、群馬県で住職やってたのね。
え゛え゛え゛!? そしたら映画の別れのシーン(1985年バージョン)で、故川谷拓三さんの悲痛な叫び、「水島ぁ!!」、あの感動シーンはどうなるの?
まあ、あれはたんなる作り話だしね。そもそも当時のビルマ(現ミャンマー)では、僧侶は戒律により音楽の演奏は禁じられてたんだって。それに、川谷さんは「水島!」とは叫ぶけど、「ミズシマ イッショニ ニッポンへ カエロウ」というのは、鳥(インコ)のほうなんだよね。
出たよ映画ヲタのウンチク君
クマル的第16番
地福寺
東京都北区中十条2-1-20
本尊:薬師如来