この教会が開かれているわけは、祈りと瞑想のためにある! どうぞお入りください(-人-) これな
正直いって、ここくるまで、かなり戸惑っていました。というのは、アッパー・チャクラといわれるカウアイ島のイメージが、実際の場と、大きくかけ離れていたことが原因なのな もっと古い、枯れた柔らかな場所をイメージしてきたんだけど、いやいやいや、なんかパワー強杉リョータローなんですけど 切り立った山々や大波がそうイメージさせるのか、朝早くから活動的な鶏がそう思わせるのか、なんかちがう って感じがしてたのよね で、前半の教会はすべて閉じられていて、クマル、この島には受け容れられてもらってない って気がしてたのな
でも、ついにこの瞬間がやってまいりますた 坐って瞑想してるとね、赤ん坊が後頭部を支えられ、パプテマス(洗礼)を受けてるような感覚になるのな。イメージというンではなく、本当に後頭部に触れられてる感覚としびれににた(決して不快ではない)感覚がありますた ここにきてようやく受け容れられた ただ内側に開かれてたからとか、そーゆー理由とか関係なく、なんというか、ママに抱きしめられている安心感っていうの? そーゆー包容力のある空間なのな、ココ
これ、2回目に来たときの写真なんだけど、同じ現象が起きますた
あまりにも心地よすぎて、つい長居しちまっただよ
だもんで、去りがたくなって、不審熊物のように敷地内ウロウロついてたら、れいの納骨堂(写真下)を見つけちまったってことな むろん、のこのこ入っていったわよ 部外者なのに。つか、ここも開かれてたからね。入ってみると、そこは寺の納骨堂のように、厳めしい感じじゃないのよね。たぶん、骨壺みたいのがなく、ネームプレートんとこにレイがたくさんぶら下がってるせいだと思うんだけど、とてもやわらかな温かい空間。で、おや と思ったのは、すべて日本人の名前だったことなんだよね。フルネームがすべて日本名。ああ、そーゆーことか、クマル、ここに導かれたのかぁ、って、ようやく腑に落ちた
ヒストリー的には、日本人あんま関係ないみたいなんだけどね むしろ、めっちゃハワイアンだから この絵になんの説明も書かれてなかったけど、カメハメハ大王とその奥さんだから
King Kamehameha IVとQueen Emmaな
Your Majesty
小聖堂のなかにあるから、見ていってケロ
日本でも衆生に開かれた寺と、宝物だけ大事にして、一般公開にカネをとったり、布施を要求したりと、まるで閉じた寺社会があることは周知の事実だと思います。なぜこのように2種類の考えかたが同じ宗教内で起こるのか、その理由がわかる本があります。は、そのすべての謎にお答えしています。どうぞこの機会に謎を解明してみてください
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