死刑確定40年、袴田さんは今 再審取り消しの謎を追う
2020/12/12 朝日新聞
最高裁で死刑が確定してから40年間、刑が執行されないまま生き続ける死刑囚がいる。
袴田巌さん(84)。1966年に逮捕され、裁判では一貫して無実を訴えたものの、14年後に最高裁で死刑が確定。12月12日に40年の節目を迎える。
再審決定→釈放→決定取り消し
2014年3月、静岡地裁は、「犯行着衣」とされたシャツに付いた血痕のDNA型が、袴田さんの型とは一致しないとするDNA鑑定などを新証拠と認めて、再審(裁判のやり直し)の開始を決定した。同時に「拘置をこれ以上継続することは耐えがたいほど正義に反する」として、無罪が確定しないまま袴田さんを釈放するという異例の判断をした。
釈放は、逮捕から実に47年7カ月ぶり。長期にわたる収監は、「世界で最も長く収監されている死刑囚」としてギネス世界記録にも認定された。
だが、東京高裁は18年6月、袴田さんの釈放を維持したままこの決定を取り消した。
なぜ、死刑をめぐる司法の判断は正反対に分かれたのか――。
地裁と高裁で何がどのように話し合われ、何が判断の違いを分けたのか。再審請求の審理が原則非公開で行われることもあって、冤罪(えんざい)が疑われるこの事件で、重要なこの二つの決定への理解は必ずしも深まっていないように感じる。4年間にわたる高裁での審理のほぼ全てが、地裁が認めたDNA型鑑定の是非という「科学論争」に費やされたことも、理解の難しさに拍車をかけたように思う。
地裁の決定が出た5カ月後に静岡総局に配属され、その後社会部に移った後も審理の取材を続けてきた筆者自身、新聞の限られた紙面の中でこうした議論の経過を端的に伝える難しさに悩んできた。
地元の人々に見守られて
袴田さんは現在、最高裁の決定を待ちながら、静岡県浜松市内の自宅で姉の袴田秀子さん(87)と暮らす。散歩が日課で、JR浜松駅周辺の繁華街を5時間ほどかけて、ほぼ毎日歩く。半世紀近くも獄中にいて、今も死刑と隣り合わせの死刑確定囚と街中で出会うことが、地元の人には日常になった。
「こんにちは」「がんばって下さい」――。取材をしたこの日も、すれ違う人がときどき声をかける。トレードマークのソフト帽にベスト。小さな歩幅で早足に、やや前かがみになって歩いていく。
長年の拘禁生活の影響で精神を病み、日常的な会話のやり取りは難しいというが、近づいてあいさつすると、軽く帽子を取って応えてくれた。
散歩コースとなっている駅前の商業施設に入る時には、自宅を出る際に秀子さんが手渡したマスクをポケットから取り出して着け、入り口で手指の消毒もする。自動販売機の使い方は釈放後すぐに覚えたといい、この日も何度か、カルピスやエナジードリンクなどの甘い飲み物を買って、ベンチに腰掛けながらゆっくりと口に運んでいた。
4時間半ほど歩くと、あたりはすっかり日が暮れた。歓楽街を足早に通り抜け、アパート4階の自宅がみえる交差点に差しかかると、遅い帰りを心配していたのか、窓からこちらをのぞいている秀子さんの姿が小さくみえた。袴田さんは自宅に続く道をまっすぐに歩いていく。その背中を見送った。
高裁決定からまもなく2年半。最高裁の決定は、いつ出されてもおかしくはないといわれている。最高裁が高裁の決定を支持すれば、袴田さんは再び東京拘置所に収監され、刑の執行を待つことになるとみられる。
「はたからみると散歩をしているようにしか見えませんが、巌の心は獄中のままで、気ままに時間を過ごしてるようにはみえません」。秀子さんは、かつて支援者を通じて発表したコメントで、袴田さんの心の中では今も死刑の恐怖が続いているとし、こう訴えた。「食べたいときに食べ、眠りたいときに眠る。巌が長い間闘って手にした自由な時間を、続けさせてやりたいと思います」
11日に都内であった支援集会で、弁護団の水野智幸弁護士は、「袴田さんの必死の声が届かぬまま40年もの時間が過ぎた。最高裁に正しい判断をしてほしい」と話した。
生きて戻った死刑囚を目の当たりにした地域の人々の多くも、審理の行方を見守っている。(高橋淳)