新しい歴史をつくろうとする思い 関川宗英
「自由と平等を求めてよりよい社会をつくろうとすること 『実録・連合赤軍』をめぐって」1
夢や理想を持って社会を変えようとした若者たち、その思いは純粋なものだ
自由と平等を求めてよりよい社会をつくろうとすること、それは人として尊い願いだ
総括という名のもとに行われた集団リンチ、1972年連合赤軍は12名の仲間を殺した。
おまえはスターリニストだ、おまえは共産主義化していない、総括しろ、「革命」のために同志の顔を殴る、そのリンチで仲間が死ぬと「敗北した」とその弱さをまた責める。
人間を暴力で支配しようとする、それは人として最低の行いだろう。
凄惨なリンチ、「革命」に縛られた者たちが仲間を殴る、そのシーンを延々と見せられるこの映画(『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』 若松孝二 190分 2007年)を観ることは苦痛だった。
『実録・連合赤軍』は、1972年のあさま山荘事件までの連合赤軍の軌跡を描いたものだ。
映画は三部構成となっている。第一部は連合赤軍結成までの流れを1960年の安保闘争から記録映像やスチール写真で概観し、第二部が山岳ベースで若者たちが突き進んだ集団リンチ、そして第三部が、1972年2月19日から2月28日にかけて、長野県北佐久郡軽井沢町にある「浅間山荘」に連合赤軍が人質をとって立てこもったあさま山荘事件となっている。
3時間以上の映画だが、歴的背景を踏まえ、若者たちが残虐なリンチで仲間を殺していくその暴力が赤裸々に、執拗に描かれている。
しかし、この映画を観ることは、辛いことだった。
なぜ見ているのがつらかったのか。
血のりが付いた顔を何度も殴る、その暴力シーンが生理的な嫌悪感をもたらすのか。
それとも若者たちの理想が、こんないじめに潰されていくのを認めたくなかったからか。
かつてパゾリーニは、『ソドムの市』という映画を作った。
ナチス下イタリアの4人のファシストが、少年少女に欲望の限りを尽くす異常性愛、糞を食べ、眼球を抉る、狂気倒錯の映画だ。
それは、徹底的にブルジョアジーの腐敗を告発するための表現だったのか。
それとも、パゾリーニ自身の異常と狂気が作らせたものなのか。
映画のレビューをネットで検索すると、
「糞尿地獄には分かっていても目を背けました。全編通して狂気の沙汰ですね。
思想的なものは全く感じませんでした。単なる監督の趣味でしょう。」
などという感想が沢山見受けられる。
その一方で、
「不謹慎な話かもしれないけど、イラク戦争で米軍が刑務所のイラク人に対して行ったとされる虐待行為。このニュースが流れた時期、「ソドムの市」を思い出した。」
といった感想もあった。イラク戦争下の狂気と『ソドムの市』を結びつけるこの感想は、私を惹きつける。
森達也の本を読んでいて、『撫順の奇蹟を受け継ぐ会』を知る。以下は、会のウェブサイトから引用した、植松楢数(90歳)の証言だ。
「私は腰の拳銃を取り出し、先程からの拷問に地に伏して悶え苦しんでいる老人の後頭部に銃口を押し当て、そこに倒れたり、座ったままでいる7人の老人を次々に射殺した。私の同僚も、私と同様まるでだるま落としのパチンコでもやる時のような格好で、動けなくなった老人を片っ端から射殺している。
乳飲み子を懐に、我が身で子供を悪魔の手から守ろうとしていた老婆もまた、佐藤軍曹の拳銃一発で横に向き直り、乳飲み子をしっかり抱いたまま、低いうめき声をあげながら死んでしまった。佐藤軍曹は、片方の足で老婆の横腹をけったかと思うと、『エイッ! 面倒だ、こ奴もやってしまえ』と舌うちしたかと思うと、見る間に泣き疲れ声も出なくなっている、何事が起こっているかも知らない二歳の男の子の頭は、一発のもとに撃ち貫かれた。
窪地はあたり一面血の雨が隆ったように、27名の撃ち殺された中国農民、老人、子供の真っ赤な血潮に、地面の色は赤黒く変わっている。そして、その血の海に落ちこんだかのようにもがき続けている。」
『ソドムの市』が告発するもの、それ以上に異常な世界は私たちのすぐ隣にある。
人間の欲望を徹底的に描こうとしたパゾリーニ。
ファシズムの暴虐に対して、神は何も救いの手をさしのべなかったという思い。
あるいは、人として許されないような欲望を、自分が抱えていること。
私も初めて『ソドムの市』を見た時は、正視に耐えられず、映画の途中で映画館を出てしまった。
もう40年も前のことだ。
しかし、『ソドムの市』は忘れられない映画となって、ずっと私の中で引っ掛かってきた。
『ソドムの市』の残虐さは、私たちのなかの狂気を抉り出そうとする。
観ることが苦痛だった『実録・連合赤軍』。
『ソドムの市』も観るのがつらい映画だった。
しかし、その苦痛の中身は違うように感じる。