○ゲーム脳の恐怖
~だから、私の考えでは、著者は「ノーマル脳人間タイプ」の脳波パターンの解釈を完全に間違えている。ゲームに慣れていない人は、プレイの仕方を体に覚え込ませていないので、余分な言語的プロセスが働いている。それが、β波が低下しないことの意味である。楽器演奏の例で考えてみれば、この実験は、たとえばフルートを吹いたことがない人とフルート演奏に熟練している人にフルートと楽譜を渡し、「さあ吹いてみてください」と言って、そのときの脳波の状態を調べているようなものだ。たぶん、ゲームの場合と同じように、前者はβ波が低下せず、後者は低下するだろう。
(中略)
そのことと、β波が低下する状態が、人間の脳の長期的な成長と発展にネガティブな効果を与えるかどうかは、また別の問題である。著者は、そのような状態がネガティブであると考えているが(だから「ゲーム脳」について警告しているわけだ)、その根拠はよくわからない(それが痴呆者の脳波の状態と似ている、というのは何の根拠にもならないのは当たり前のこととして)。仮に、本当にそうだとしたら、楽器演奏とか瞑想とか思索一般とかジャグリングとか精神集中型のスポーツとか計算問題とかも、青少年には有害であるという結論が出てくるだろう。いやまあ、本当にそうなのかもしれません。
>wad's 読書メモ「ゲーム脳の恐怖」 http://www.ywad.com/books/1276.html
○100匹めの猿
100匹目の猿の誤解
猿は芋を食べません!
変だと思うかも知れませんが、猿害に悩む地方の実情を見て下さい。
地上に生っているか生えているものしか猿は食べないのです。
従って、人間が芋を掘って猿に与えない限り猿は芋を食べ(られ)ません!
では、なぜお話の猿は芋を食べたのでしょうか?
それは、人が芋によって猿の餌付けをしたからです。
芋によって餌付けをされた猿の集団の内の一匹が芋を海水で洗って食べることを覚え、その文化が集団内に伝承したのです。
全く無関係の猿の集団でも同様な事が起こりました。
結論は、「こんなことくらい猿でも気付く!」です。
芋を海水で洗って食べることに気付く期間の誤差が、最初の猿の集団で最初の一匹目から100匹目が覚えるまでなのです。
二つの猿の集団は、猿の餌付けに成功したときから芋を食べる歴史が始まったのですから、ほぼ同時期に芋を海水で洗って食べることを覚えても何の不思議もありません。
ごく当たり前な事なのです。
一匹目から100匹目をカウント出来たのも、餌付けに成功したから出来たのです。
他の猿の群れで、芋を海水で洗って食べることを確認出来たのも、餌付けの成果です。
当然ながら、芋を食べない普通の猿の群れや、芋で餌付けをしても海水に無縁な猿の群れには何も起こりません。
「ある閾値を超えたら世界が変わる」という根拠は全く存在しません。by ウラン
>Emmery Annexさん http://blog.so-net.ne.jp/emmery/2005-07-31
(”100匹目の猿”という記事に対してついたコメントなんですが、ここまで言い切るウランさんが好ましかったので。)
○奇跡の詩人
テレビを見ての感想。「なんかヘンじゃない?」ってところだったけど、そんなに問題意識を持っていたわけじゃない。ただ、掲示板とかを読んでみて、問題点を整理してみると、ちょっと気にはなるって感じ。
【専門的裏づけが乏しい】
番組の中に主治医が出てこないのはなんでだ?というのがある。主治医じゃなくても、神経内科あたりの医者を出すべきだったんじゃないのか?と、思うのだけど、どうも最初から医学的な視点がこの番組には欠けているんである。自分もまーったく知らない世界の人間ではないのだが、たとえば文字盤で会話する障害者・病人は事実としているのだけど、やり方が全然違う。普通は本人が指や道具で指し示すもので、ママが手を取って動かしたりしないし、あんな会話スピードもまあ無理。とはいっても、そういう例がないと自分が断言できる自信もないけど、2chの病院板の医者でも支持してる人ほとんどいないじゃんよ。そんなとんでもないことを放送するのに専門家が出てこないなんて絶対ヘンだってば。
【責任はマスごみかな】
変わったことをやるのにいちいち裏づけがいるわけじゃないとは思うんだけど、それを国民の受信料を集めている公共放送が大々的に流しちゃう責任はあるんだろう。テレビに出れば本が売れる、出版社もうれしいし、印税をもらう人もうれしい。でも、それでいいのか?NHKにしても、本の出版元の講談社にしても、なぜ「ほんとかな?」と一歩ひいて考えることができなかったんだろう。いや、そうでなくて、たとえ鵜呑みにしても、それならそれなりに客観的な報道や宣伝の姿勢をとることがなぜできなかったんだろう。やっぱり後味が悪い。
【踊らされる奴も悪いか】
・・・しかし、やはり本は売れるんだな。現在、どこのWEB書店でも本がガンガン売れまくってる。それでいいのか?たとえば、「月のメッセージ」執筆時の筆者は8歳という計算になるが、この本の目次を見てほしい。
▼あなたはだれですか?―他人の目が気になる人へ
▼何をしたいの?―勇気が持てない人へ
▼失敗することはいけないことですか?―失敗を恐れている人へ
▼肩に力が入ってはいませんか?―無理をしている人へ
▼悩んでいる原因は何ですか?―悩んでいる人へ
▼傷ついたのはあなたの心ですか?―怒っている人へ
▼何があったのですか?―落ち込んでいる人へ
▼起きてしまった事は何でしょう?―悔やんでる人へ
▼嫌いだからけんかをするのですか?―けんかをしてしまった人へ
▼暗闇に独り残された子どものように寂しい気分―寂しい気分の人へ[ほか]
この本が「30歳半ばの女性ライター」とかいうのなら、まだわかるが「8歳の少年」にこんなお説教をされて感動している人たちは、それが真実である、なし、以前の問題としてヘンだと思うんだが・・・。
(中略)
【障害者の家族】
何度も2chで指摘されていることだが、今回の疑惑が黒だったとしても、本人の罪ではなく、責任は親にあるということになる。自分的には19世紀ヨーロッパの「自動書記」なるヒステリー現象に似ているんじゃないかと思っていて(この案、無断借用するなよ)、だとすると、書記をやっている人には自覚症状はなくて無意識に操られているのではないか・・・。そう考えると、仮にクロだったとしても、あまり責める気もしない。
家族で抱え込み、というのかな、「うちの子は本当は○○なんです!」系の親を今まで結構見てきてるので、そういうのって、特別じゃないのかもしれないと思うこともある。特別じゃなくても、キモいものはキモいのだが・・・。
>NHKスペシャル「奇跡の詩人」について http://www.geocities.com/kisekinosijin/
~だから、私の考えでは、著者は「ノーマル脳人間タイプ」の脳波パターンの解釈を完全に間違えている。ゲームに慣れていない人は、プレイの仕方を体に覚え込ませていないので、余分な言語的プロセスが働いている。それが、β波が低下しないことの意味である。楽器演奏の例で考えてみれば、この実験は、たとえばフルートを吹いたことがない人とフルート演奏に熟練している人にフルートと楽譜を渡し、「さあ吹いてみてください」と言って、そのときの脳波の状態を調べているようなものだ。たぶん、ゲームの場合と同じように、前者はβ波が低下せず、後者は低下するだろう。
(中略)
そのことと、β波が低下する状態が、人間の脳の長期的な成長と発展にネガティブな効果を与えるかどうかは、また別の問題である。著者は、そのような状態がネガティブであると考えているが(だから「ゲーム脳」について警告しているわけだ)、その根拠はよくわからない(それが痴呆者の脳波の状態と似ている、というのは何の根拠にもならないのは当たり前のこととして)。仮に、本当にそうだとしたら、楽器演奏とか瞑想とか思索一般とかジャグリングとか精神集中型のスポーツとか計算問題とかも、青少年には有害であるという結論が出てくるだろう。いやまあ、本当にそうなのかもしれません。
>wad's 読書メモ「ゲーム脳の恐怖」 http://www.ywad.com/books/1276.html
○100匹めの猿
100匹目の猿の誤解
猿は芋を食べません!
変だと思うかも知れませんが、猿害に悩む地方の実情を見て下さい。
地上に生っているか生えているものしか猿は食べないのです。
従って、人間が芋を掘って猿に与えない限り猿は芋を食べ(られ)ません!
では、なぜお話の猿は芋を食べたのでしょうか?
それは、人が芋によって猿の餌付けをしたからです。
芋によって餌付けをされた猿の集団の内の一匹が芋を海水で洗って食べることを覚え、その文化が集団内に伝承したのです。
全く無関係の猿の集団でも同様な事が起こりました。
結論は、「こんなことくらい猿でも気付く!」です。
芋を海水で洗って食べることに気付く期間の誤差が、最初の猿の集団で最初の一匹目から100匹目が覚えるまでなのです。
二つの猿の集団は、猿の餌付けに成功したときから芋を食べる歴史が始まったのですから、ほぼ同時期に芋を海水で洗って食べることを覚えても何の不思議もありません。
ごく当たり前な事なのです。
一匹目から100匹目をカウント出来たのも、餌付けに成功したから出来たのです。
他の猿の群れで、芋を海水で洗って食べることを確認出来たのも、餌付けの成果です。
当然ながら、芋を食べない普通の猿の群れや、芋で餌付けをしても海水に無縁な猿の群れには何も起こりません。
「ある閾値を超えたら世界が変わる」という根拠は全く存在しません。by ウラン
>Emmery Annexさん http://blog.so-net.ne.jp/emmery/2005-07-31
(”100匹目の猿”という記事に対してついたコメントなんですが、ここまで言い切るウランさんが好ましかったので。)
○奇跡の詩人
テレビを見ての感想。「なんかヘンじゃない?」ってところだったけど、そんなに問題意識を持っていたわけじゃない。ただ、掲示板とかを読んでみて、問題点を整理してみると、ちょっと気にはなるって感じ。
【専門的裏づけが乏しい】
番組の中に主治医が出てこないのはなんでだ?というのがある。主治医じゃなくても、神経内科あたりの医者を出すべきだったんじゃないのか?と、思うのだけど、どうも最初から医学的な視点がこの番組には欠けているんである。自分もまーったく知らない世界の人間ではないのだが、たとえば文字盤で会話する障害者・病人は事実としているのだけど、やり方が全然違う。普通は本人が指や道具で指し示すもので、ママが手を取って動かしたりしないし、あんな会話スピードもまあ無理。とはいっても、そういう例がないと自分が断言できる自信もないけど、2chの病院板の医者でも支持してる人ほとんどいないじゃんよ。そんなとんでもないことを放送するのに専門家が出てこないなんて絶対ヘンだってば。
【責任はマスごみかな】
変わったことをやるのにいちいち裏づけがいるわけじゃないとは思うんだけど、それを国民の受信料を集めている公共放送が大々的に流しちゃう責任はあるんだろう。テレビに出れば本が売れる、出版社もうれしいし、印税をもらう人もうれしい。でも、それでいいのか?NHKにしても、本の出版元の講談社にしても、なぜ「ほんとかな?」と一歩ひいて考えることができなかったんだろう。いや、そうでなくて、たとえ鵜呑みにしても、それならそれなりに客観的な報道や宣伝の姿勢をとることがなぜできなかったんだろう。やっぱり後味が悪い。
【踊らされる奴も悪いか】
・・・しかし、やはり本は売れるんだな。現在、どこのWEB書店でも本がガンガン売れまくってる。それでいいのか?たとえば、「月のメッセージ」執筆時の筆者は8歳という計算になるが、この本の目次を見てほしい。
▼あなたはだれですか?―他人の目が気になる人へ
▼何をしたいの?―勇気が持てない人へ
▼失敗することはいけないことですか?―失敗を恐れている人へ
▼肩に力が入ってはいませんか?―無理をしている人へ
▼悩んでいる原因は何ですか?―悩んでいる人へ
▼傷ついたのはあなたの心ですか?―怒っている人へ
▼何があったのですか?―落ち込んでいる人へ
▼起きてしまった事は何でしょう?―悔やんでる人へ
▼嫌いだからけんかをするのですか?―けんかをしてしまった人へ
▼暗闇に独り残された子どものように寂しい気分―寂しい気分の人へ[ほか]
この本が「30歳半ばの女性ライター」とかいうのなら、まだわかるが「8歳の少年」にこんなお説教をされて感動している人たちは、それが真実である、なし、以前の問題としてヘンだと思うんだが・・・。
(中略)
【障害者の家族】
何度も2chで指摘されていることだが、今回の疑惑が黒だったとしても、本人の罪ではなく、責任は親にあるということになる。自分的には19世紀ヨーロッパの「自動書記」なるヒステリー現象に似ているんじゃないかと思っていて(この案、無断借用するなよ)、だとすると、書記をやっている人には自覚症状はなくて無意識に操られているのではないか・・・。そう考えると、仮にクロだったとしても、あまり責める気もしない。
家族で抱え込み、というのかな、「うちの子は本当は○○なんです!」系の親を今まで結構見てきてるので、そういうのって、特別じゃないのかもしれないと思うこともある。特別じゃなくても、キモいものはキモいのだが・・・。
>NHKスペシャル「奇跡の詩人」について http://www.geocities.com/kisekinosijin/