いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

「水戸黄門好き」は恥ずかしいらしい

2006年11月07日 13時30分57秒 | 俺のそれ
大勢の方々のご意見を確かめた訳ではないので全く分りませんが、「水戸黄門」とか「大岡越前」とかその他勧善懲悪的な時代劇はいくつかあったと思いますけれども、そういうのを好む人たちはあまりいないのでしょうか?(笑)少数派なのであれば、私の場合結構好きなので、錯誤野郎ということかもしれません。


法と正義9


一般大衆の感情論のような反応を非難する時に、こうした勧善懲悪的な部分を批判する知的水準の高いと自認されている方々がきっとおられるでしょう。それはそれで、ナルホド、と思える部分もありますね。でも、普通の反応というのは、勧善懲悪的な部分が少なくないのではないかと思っています。自分がその仲間だから(笑)、ということも当然あるのですけど。近視眼的発想のみが私の判断材料だからでしょう。その論も某I氏から既に出されたわけですし(笑)。


常に、「だからオマエら一般大衆は常に衆愚であり、正しい答えが分らず、感情だけで判断するんだ」と、少数派の正統性言論(?、言葉がかなりヘンかもしれないがとりあえず。きっと正統性は我にあり、と考えているから大衆批判だろうと思うので)がイジケて嘯いていたところで何も変えられないし、多数派を説得し考え方を変えさせることも、政治的解決を目指すことも困難なのではないでしょうか。


水戸黄門にですら対抗できないか、それを上回るだけの信頼性を勝ち取れていない、ということでもあるんじゃなかろうか、と。制限を外して解決されるなら、現状多重債務になっている人たちは制限を無くすことによって救済されるということを説明するべきでは。量的規制に対しても当然反論するべきで、3分の1ルールに抵触する可能性のある層が「借入困難になる」ということに変わりはなく、それを肯定していたのなら矛盾のように思えるが。


もう触れない、と決めたのに・・・ソッコウで破っています・・・スマヌ。



追記:

一応参考までに書けば、私の世界観にはかなりの歪みというようなものがありますので、当然のことながら過去に「シャイロック」もご登場願っておるところです(笑)。

格差社会5


「貧すれば鈍す」か、はたまた「鈍すれば貧す」なのかは、私自身にも分りませんが、私の評価がこのいずれであってもそれは否定しませんよ。学生時代の服を未だに着てるし、年に1度程度買うのも大半がユニクロ服だし(笑)、腕時計もしてないし、ブランド品など殆ど持ってないですからね。靴も長年履いてきたものですし。

それにブログの中身は自分の体験から書いてることが多いし、書いている内容はほぼ自分の経験(見聞きも含めて)に負うところが大きいですしね。自分の「半径3メートルの壁」を越えることはないというのも、その通りでしょうね。理論と経験は違うんだYO!というのも、そりゃまあそうだろな、くらいは思いますがね。


即ち、知的エリートたちから全くの対極に位置しているのは事実ですので、蔑まれても一向に構いませんよ。

それこそ「オメガ」確定ってことで。うふふふ。