いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

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教官冥利に尽きるのではないかと思う

2006年11月13日 15時31分17秒 | 社会全般
以前に紹介しました中西先生のHPですが、悲しい出来事を知りました。

宇井純先生が亡くなられたそうです。

J. Nakanisi Home Page

Wiki にも書き加えられている(些細なことだが、「飛田」は「富田」のようだ)。

宇井純 - Wikipedia


お恥ずかしい限りですが、私は中西・宇井両先生を今年になるまで存じ上げておりませんでした。


でも、今回の記事は、特に心に滲みた。

科学者であることは厳しく、辛い。


中西先生の記されている、

「研究者の社会で、無能という烙印ほど辛いものはない。「有能だけど不遇だ」などと言われているうちはまだよいが、不遇が続けば無能になる」

という言葉は重かった。


私には研究者とか教官の経験がないのでよく判らないのであるが、周囲の評価は一定の影響力があるのであろう。それでも、意志を貫こうとするのは、凄いことなんだろうな、と。


そして何より驚いたのは、中西先生をして、
「我々を支えた、本当の力は学生達だった」
と言わしめたことだ。


大学教育とは何か、教師(教官)とは、学生とは・・・・・
色んな思いが浮かんでくるが、これは当事者になった者でなければ分らないのかもしれない。
学生達に支えられた、と思える教官は、教育者として幸せであろうと思う。


きっと宇井先生の教え子達は、あちこちで活躍していることだろう。
どれほど優れていても、自分1人の能力には限界がある。でも、教えるということは、それをもっと多数の人たちがそれぞれに実行できるようになる、ということだ。教育とはそういうものなんだろうな、と思う。


葛藤と苦しみの中で、科学者の良心を持ち続けた宇井先生の功績に感謝し、ご冥福をお祈り申し上げます。