以前に紹介しました中西先生のHPですが、悲しい出来事を知りました。
宇井純先生が亡くなられたそうです。
J. Nakanisi Home Page
Wiki にも書き加えられている(些細なことだが、「飛田」は「富田」のようだ)。
宇井純 - Wikipedia
お恥ずかしい限りですが、私は中西・宇井両先生を今年になるまで存じ上げておりませんでした。
でも、今回の記事は、特に心に滲みた。
科学者であることは厳しく、辛い。
中西先生の記されている、
「研究者の社会で、無能という烙印ほど辛いものはない。「有能だけど不遇だ」などと言われているうちはまだよいが、不遇が続けば無能になる」
という言葉は重かった。
私には研究者とか教官の経験がないのでよく判らないのであるが、周囲の評価は一定の影響力があるのであろう。それでも、意志を貫こうとするのは、凄いことなんだろうな、と。
そして何より驚いたのは、中西先生をして、
「我々を支えた、本当の力は学生達だった」
と言わしめたことだ。
大学教育とは何か、教師(教官)とは、学生とは・・・・・
色んな思いが浮かんでくるが、これは当事者になった者でなければ分らないのかもしれない。
学生達に支えられた、と思える教官は、教育者として幸せであろうと思う。
きっと宇井先生の教え子達は、あちこちで活躍していることだろう。
どれほど優れていても、自分1人の能力には限界がある。でも、教えるということは、それをもっと多数の人たちがそれぞれに実行できるようになる、ということだ。教育とはそういうものなんだろうな、と思う。
葛藤と苦しみの中で、科学者の良心を持ち続けた宇井先生の功績に感謝し、ご冥福をお祈り申し上げます。
宇井純先生が亡くなられたそうです。
J. Nakanisi Home Page
Wiki にも書き加えられている(些細なことだが、「飛田」は「富田」のようだ)。
宇井純 - Wikipedia
お恥ずかしい限りですが、私は中西・宇井両先生を今年になるまで存じ上げておりませんでした。
でも、今回の記事は、特に心に滲みた。
科学者であることは厳しく、辛い。
中西先生の記されている、
「研究者の社会で、無能という烙印ほど辛いものはない。「有能だけど不遇だ」などと言われているうちはまだよいが、不遇が続けば無能になる」
という言葉は重かった。
私には研究者とか教官の経験がないのでよく判らないのであるが、周囲の評価は一定の影響力があるのであろう。それでも、意志を貫こうとするのは、凄いことなんだろうな、と。
そして何より驚いたのは、中西先生をして、
「我々を支えた、本当の力は学生達だった」
と言わしめたことだ。
大学教育とは何か、教師(教官)とは、学生とは・・・・・
色んな思いが浮かんでくるが、これは当事者になった者でなければ分らないのかもしれない。
学生達に支えられた、と思える教官は、教育者として幸せであろうと思う。
きっと宇井先生の教え子達は、あちこちで活躍していることだろう。
どれほど優れていても、自分1人の能力には限界がある。でも、教えるということは、それをもっと多数の人たちがそれぞれに実行できるようになる、ということだ。教育とはそういうものなんだろうな、と思う。
葛藤と苦しみの中で、科学者の良心を持ち続けた宇井先生の功績に感謝し、ご冥福をお祈り申し上げます。