ちょっと間が空きましたが、更にシリーズを続けたいと思います。
今のネット世界の中には、膨大な情報が残されています。これまでの歴史というか、長い時間経過の中で「何らかの形で保存されてきた情報」ということですね。そして、現在も刻々と情報量は増大し続けています。更に、このサイバースペースに保存されていない、別な保存形式(例えば古書や専門書等)のものも存在しています。今後の趨勢としては、この空間に様々な情報が保存されることが多いでしょう。行政文書などもそうですね。公開されているものは、全てネット上で見ることが可能ですから。
これらの膨大な情報がネット世界に残されて、何か起こるか?というと、それ単独では何も起きないでしょう。データベースとして活用できるだけで、情報そのものが何かのアクションを起こすという訳ではないですから。
例えば「名前」の情報がネット上で全て保存されたとして、名前の巨大データベースができあがるだけで、それ自体にはあまり意味はありませんね。「北野」という名前、「ジョンソン」という名前がある、ということが調べれば判るだけです。基本的に名前は文字列であり、そのデータベースには特に意味はないのです。ネット世界にそれがあるからといって、直ぐに何か起こるかというとそうではないでしょうね。
でも、検索によって「日本人の男子の名前」として件数の多いものがランキング付けされて並べることが可能です。グーグルのようなエンジンは、名前というデータの羅列の中から、そういうものを選び出してきて並べることができるということだと理解しています。では、このランキングには何かの意味があるだろうか?この時点でも、実際的な意味はあまりないですね。ランキングを調べたいと思う人とか、これから命名を考えようという人なんかには意味があるかもしれませんが、「大輝」という名前が最上位に検索(実際調べてないので判りません、全くの適当ですから)されてきたからといって、それが何かに繋がるというのもあまりなさそうです。調べる意図を持つ人の「考え」によると思います。
ネット世界の多くの情報というのは、これに類する羅列になっていて、それ自体では何も起こらないデータベースに過ぎないのです。今年の東京の正確な気温データを全てネット上に置いてみたとしても、それ単独では何の価値も生まれないし、何も起こらないのです。情報が何かをもたらすのではありません。今の所、あくまで人間の考えでしかないと思えます。
未来への希望も何もあったもんじゃない、とお怒りの方々もおられるかもしれませんので、もう少し話を進めてみましょう。先の名前のデータベースですが、これだけでは意味のない情報になってしまうかもしれないのですが、もっと活用という方向で考えてみます。例えば「安倍晋三」という名前データは、これ単独ではどうにも使いようのないデータに過ぎず、他の「鈴木健一」という名前データとあまり違いがありません。ところが、Wikipedia のような「人物の特定」と人物データに結び付けられるとどうなるかと言えば、「日本の総理大臣の人物経歴」のような違った形の情報を生み出してきます。情報と情報が結びついて、別な情報をもたらす可能性が生まれます。活用とはそういうことです。更には、名前データによって人物を個別に特定し、ネット上の取引の全てを抽出してくる、というようなことを可能にするならば、ネット上の取引全てについて正確に課税することが可能になる、とか、そういうのが情報の活用ということだろうと思います。単に情報の膨大なデータベースがあるからといって、それが役に立つものとなるとはならないのであり、「情報と情報を結びつける何か」という発想を人間が持たなければならないのです。
そう考えると、情報のデータベースというのは、電気と似たようなものですね。電力供給が行われていることによって、それを利用して別な器械だとか電化製品だとか、そういう活用を行っていく、ということになりますが、それには基本的インフラとしての「電気」がきちんと供給される体制になっていなければできないのです。昔は、書物だとか、そういうものをひたすら調べて、ごく少数の人がどうにかアクセスできる形で(何かに書くことが多かったろう、もし人間の頭の中だけに情報が置かれていれば他の人からは自由にアクセスできないので)記録されたが、そこから別な情報に結びついたり、有効に活用されるようになるというのは、時間も労力もかかったであろうと思う。ネット世界では、そうした時間や労力の軽減に繋がったであろう。インフラとしてのコストは大幅に下がったと言えるだろう。
現在はネット世界に巨大情報データベースの構築している段階で、まだ電力供給ほどの普遍的インフラには至っていないのではないかと思う。だが、いずれそれに近くなると思う。その時に情報をどのように使い、何と結びつけ、どんな形の新たな情報として取り出してくるか、ということの真価が問われるであろう。名前データだけが入力されているだけでもダメ、ランキングが判るだけでもダメ、もっと別な情報と繋がっていることが大事、ということだ。
有効な活用を促進するにはどうしたらよいか、というのは、私には判らない。言えそうなことは、ネット世界がその実験場の役割を果たしてくれそう、ということだ。昔だと、「実際やってみなけりゃ判らない」というようなこともあったろうし(毒キノコで死に目に遭う、というようなことだ)、「失敗だった」という教訓を得るまでに多くの投資コストがかかっていたのではないだろうか。ネット世界であれば、そういう先行投資コストが格段に安い。その投資もリスクも、全世界の個人がちょっとずつ分担しているような意味もあるかもしれないし。なので、あまり失敗を恐れずにできることが多いし、失敗したとしてもその損失は昔ほどじゃないだろう。仮想空間でのことなので。でも、現実世界でもそれを実行するとか、投資して事業とするということについては、それは現実の損失は当然あります。現実世界での実行となれば、リスクも実体化してしまいますからね。なので、ネット世界の実験結果をよく見て決めた方がいいと思います。
色々な物質をボサっと一つの容器に入れておくと、周囲環境の変化の影響もあるかもしれないが、中で何かの反応を生じたり、別な化合物ができたりするかもしれない。ネット世界とは、およそこれに近いイメージだと思う。新たに入れられるものが何か判らないけれども、偶然投入された何かがあれば、従来はなかった反応系ができたりするかもしれません。新たに生まれた物質のお陰で、今度は更に違った反応が起こるかもしれません。バラバラの個人がネット上に情報を増やし続けているのは、まさしくこうした容器の中に次々と何かを投入していっているのと同じではないかと思っています。自分自身もその容器の中のある物質に過ぎないのかもしれませんが。
こうした混沌の中から、ある反応系が誕生してきて、そこから更に別な反応系が作られ、・・・・こういうのを無限に繰り返していくという壮大な実験であり、そのうち「何か使える」ということができてくるかもしれない、ということです。雑多な情報をネット世界にどんどん溜め込んでいって、そのうち情報の融合が起こり、新たな創造に繋がっていくかもしれない、そういう感じです。
途中ですが退席します。追加したいと思います。
今のネット世界の中には、膨大な情報が残されています。これまでの歴史というか、長い時間経過の中で「何らかの形で保存されてきた情報」ということですね。そして、現在も刻々と情報量は増大し続けています。更に、このサイバースペースに保存されていない、別な保存形式(例えば古書や専門書等)のものも存在しています。今後の趨勢としては、この空間に様々な情報が保存されることが多いでしょう。行政文書などもそうですね。公開されているものは、全てネット上で見ることが可能ですから。
これらの膨大な情報がネット世界に残されて、何か起こるか?というと、それ単独では何も起きないでしょう。データベースとして活用できるだけで、情報そのものが何かのアクションを起こすという訳ではないですから。
例えば「名前」の情報がネット上で全て保存されたとして、名前の巨大データベースができあがるだけで、それ自体にはあまり意味はありませんね。「北野」という名前、「ジョンソン」という名前がある、ということが調べれば判るだけです。基本的に名前は文字列であり、そのデータベースには特に意味はないのです。ネット世界にそれがあるからといって、直ぐに何か起こるかというとそうではないでしょうね。
でも、検索によって「日本人の男子の名前」として件数の多いものがランキング付けされて並べることが可能です。グーグルのようなエンジンは、名前というデータの羅列の中から、そういうものを選び出してきて並べることができるということだと理解しています。では、このランキングには何かの意味があるだろうか?この時点でも、実際的な意味はあまりないですね。ランキングを調べたいと思う人とか、これから命名を考えようという人なんかには意味があるかもしれませんが、「大輝」という名前が最上位に検索(実際調べてないので判りません、全くの適当ですから)されてきたからといって、それが何かに繋がるというのもあまりなさそうです。調べる意図を持つ人の「考え」によると思います。
ネット世界の多くの情報というのは、これに類する羅列になっていて、それ自体では何も起こらないデータベースに過ぎないのです。今年の東京の正確な気温データを全てネット上に置いてみたとしても、それ単独では何の価値も生まれないし、何も起こらないのです。情報が何かをもたらすのではありません。今の所、あくまで人間の考えでしかないと思えます。
未来への希望も何もあったもんじゃない、とお怒りの方々もおられるかもしれませんので、もう少し話を進めてみましょう。先の名前のデータベースですが、これだけでは意味のない情報になってしまうかもしれないのですが、もっと活用という方向で考えてみます。例えば「安倍晋三」という名前データは、これ単独ではどうにも使いようのないデータに過ぎず、他の「鈴木健一」という名前データとあまり違いがありません。ところが、Wikipedia のような「人物の特定」と人物データに結び付けられるとどうなるかと言えば、「日本の総理大臣の人物経歴」のような違った形の情報を生み出してきます。情報と情報が結びついて、別な情報をもたらす可能性が生まれます。活用とはそういうことです。更には、名前データによって人物を個別に特定し、ネット上の取引の全てを抽出してくる、というようなことを可能にするならば、ネット上の取引全てについて正確に課税することが可能になる、とか、そういうのが情報の活用ということだろうと思います。単に情報の膨大なデータベースがあるからといって、それが役に立つものとなるとはならないのであり、「情報と情報を結びつける何か」という発想を人間が持たなければならないのです。
そう考えると、情報のデータベースというのは、電気と似たようなものですね。電力供給が行われていることによって、それを利用して別な器械だとか電化製品だとか、そういう活用を行っていく、ということになりますが、それには基本的インフラとしての「電気」がきちんと供給される体制になっていなければできないのです。昔は、書物だとか、そういうものをひたすら調べて、ごく少数の人がどうにかアクセスできる形で(何かに書くことが多かったろう、もし人間の頭の中だけに情報が置かれていれば他の人からは自由にアクセスできないので)記録されたが、そこから別な情報に結びついたり、有効に活用されるようになるというのは、時間も労力もかかったであろうと思う。ネット世界では、そうした時間や労力の軽減に繋がったであろう。インフラとしてのコストは大幅に下がったと言えるだろう。
現在はネット世界に巨大情報データベースの構築している段階で、まだ電力供給ほどの普遍的インフラには至っていないのではないかと思う。だが、いずれそれに近くなると思う。その時に情報をどのように使い、何と結びつけ、どんな形の新たな情報として取り出してくるか、ということの真価が問われるであろう。名前データだけが入力されているだけでもダメ、ランキングが判るだけでもダメ、もっと別な情報と繋がっていることが大事、ということだ。
有効な活用を促進するにはどうしたらよいか、というのは、私には判らない。言えそうなことは、ネット世界がその実験場の役割を果たしてくれそう、ということだ。昔だと、「実際やってみなけりゃ判らない」というようなこともあったろうし(毒キノコで死に目に遭う、というようなことだ)、「失敗だった」という教訓を得るまでに多くの投資コストがかかっていたのではないだろうか。ネット世界であれば、そういう先行投資コストが格段に安い。その投資もリスクも、全世界の個人がちょっとずつ分担しているような意味もあるかもしれないし。なので、あまり失敗を恐れずにできることが多いし、失敗したとしてもその損失は昔ほどじゃないだろう。仮想空間でのことなので。でも、現実世界でもそれを実行するとか、投資して事業とするということについては、それは現実の損失は当然あります。現実世界での実行となれば、リスクも実体化してしまいますからね。なので、ネット世界の実験結果をよく見て決めた方がいいと思います。
色々な物質をボサっと一つの容器に入れておくと、周囲環境の変化の影響もあるかもしれないが、中で何かの反応を生じたり、別な化合物ができたりするかもしれない。ネット世界とは、およそこれに近いイメージだと思う。新たに入れられるものが何か判らないけれども、偶然投入された何かがあれば、従来はなかった反応系ができたりするかもしれません。新たに生まれた物質のお陰で、今度は更に違った反応が起こるかもしれません。バラバラの個人がネット上に情報を増やし続けているのは、まさしくこうした容器の中に次々と何かを投入していっているのと同じではないかと思っています。自分自身もその容器の中のある物質に過ぎないのかもしれませんが。
こうした混沌の中から、ある反応系が誕生してきて、そこから更に別な反応系が作られ、・・・・こういうのを無限に繰り返していくという壮大な実験であり、そのうち「何か使える」ということができてくるかもしれない、ということです。雑多な情報をネット世界にどんどん溜め込んでいって、そのうち情報の融合が起こり、新たな創造に繋がっていくかもしれない、そういう感じです。
途中ですが退席します。追加したいと思います。