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「大竹先生の異論」に異論あり

2006年11月24日 23時55分30秒 | 社会全般
ちょっと、予定を変更して書くことにしました。コメントで情報を頂いて知りました。大竹先生が週刊東洋経済の11/25日号に論説を出しておられたそうで、立ち読みしてきました(お金なくて買えませんでしたです、恥)。そこで、いくつか反論を試みたいと思います。まず最初に、大竹先生がこの問題に関して、サブタイトルで「経済学的検討は十分ではない」と示しておられたことについては、そうだろうなと私も思います(とは言うものの、私が同意しても何の意味もないのですが)。


大竹先生の意見に対して、池尾先生の論点(貸し手に「プレディター」が存在すること)が反論になっていない、とする回答については、専門家同士のご意見ですので、まあそうだろうな、と思います。貸し手に「プレディター」がいるとしても、それは「闇金」が存在しているのと同じようなものであり、「プレディター」を個別に取り締まれば済む問題であるということは言えるかと思います。今は取りあえず貸し手の問題は保留しておき、借り手の分類から考えてみましょう。


以前に書いたのですが、借入可能な消費者全体で見れば、「合理的な人」と「そうでもない人」というのは必ず存在すると思います。しかも大半の人たちは「合理的」であると予想しています。理由としては、「貸金業者から借入するか?」というような企業・業界イメージに関するアンケートなどでは、「借りない」と答える人たちの方が多かったはずだからです。その主たる理由は「金利が高いから」というものであり、あとは「怖い」という印象などがあります。つまり、割と合理的な人たちは、まず「貸金業者から借入を行う」という行動を選択したりはしないことが多いのです。そういう人たちは、そもそも「貸金業者の借り手」になってなっていない、ということです。なので、借り手の大半は合理的ではない人の可能性が高い、と見做すのが妥当だろうと考えています。勿論、中には合理的に選択している人もいるかもしれません。銀行のATM手数料を払うよりも支払金利の方が安いから、といった具合ですね。それならば、元々このような人は「多重債務問題」には関係がないのです。


借り手が本当に合理的な人たちが多ければ、初回借入は必ず低金利業者を選択します。20%で貸す業者よりも、銀行系の15%とかオリックスの8%とか、そういう方がお得なので、そちらを選ぶはずです。ところが、大手貸金を選択している人たちは、他のそういった低金利業者を知らないか、大手貸金との金利差に気付かないということがあると思います。クレジットカードのキャッシングにしても、高い業者をそのまま使用することが多く、ずっと以前から利息制限法を遵守してきたジャックスの18%というグレーゾーンではない金利のキャッシングをわざわざ利用する人は少ないだろう(他のサービスなどの兼ね合いもあると思うので)。


提携カードなんかで、イオンカードみたいな25.6%とかの高金利でうっかりキャッシングしてしまうのです、主婦なんかが。トヨタカードのように26.2%というグレーゾーン金利から17.8%に引き下げたところもあるが、こういうのも引下げ以前はただ単に知らないでキャッシングを利用してしていたに過ぎないと思います。引下げ前後で、顧客層が変わったでしょうか?それは違うと思います。今までカードを持ってた人にも、18%以下の金利を適用して貸しているのです。借り手である顧客が同じなのに、何故金利が下がるのでしょうか?顧客全員のリスクが変わったなどということがありますでしょうか?普通に考えれば有り得ません。


要するに、借り手は「金利水準について、十分注意深く選択しているとは言えないことは多々ある」ということです。消費者全体(潜在的な借り手)の中では、合理的である人は多いがその結果「借りない」という選択を行う人が多いのです。借りるとしても、もっと別な選択を行うということです。例えば、もっと低金利のサービス(銀行カードローン等)や、クレジット販売、目的別のローン等を利用することが多いと思います。


大竹先生の論説では経済学の理論から「一般的な解釈をしていく」ということでは意味があると思いますが、実際の出来事から見れば、もうちょっと違った解釈も出てきても良いのではないかと思えますが如何でしょうか。


一つ重要な質問があります。貸金利用者の特徴的なこととしては、「男性が多い」ということが挙げられます。女性の2倍以上いると予想されます。経済学的には「女性の方が合理的」とか「男性は非合理的な人の割合が多い」、といった傾向を決定付けることは可能なのでしょうか。双曲割引の傾向としては、男性の方が多いという傾向はあると思いますが、いかがでしょうか。元々の経済学理論では、男性、女性の性差を理論に反映することは行動経済学以外の分野ではあるのでしょうか?基本的な理屈では、男性も女性も「一様」なのではないでしょうか?需給や価格を説明する時、需要側の性差について、区別のあるものを私は知りません。


借り手になり得る消費者をざっと1億人(低年齢層は除外されると思うので)とすると、そのうち、多重債務の約230万人というのは僅か2.3%に過ぎません。世帯数だとして考えたって、ザッと6600万世あれば、約3.5%でしかないのです。それくらいの割合で「非合理的」な人たちが存在していたとしても、不思議でも何でもないように思えます。貸金利用者たちが合理的に行動できる人々だという大前提であるとすれば、性差は生まれないのではないでしょうか?女性の場合は、夫が主に借りてる(=妻が借りるわけではない)のでその分少ない、ということがあるとしても、同年代の男女比で1人世帯の男女を見れば男性の方が多いはずです。20代、30代の男性が大手貸金の新規借入者の大半なのですから。


自己破産者の借入状況などを見てみても、2000年以前からの借入で引下げ前の上限ギリギリである40%で初期借入を行い、その後にそれよりも低い金利で別な借入を行っている者は複数存在しています。これはどういうことか?何を意味すると考えられるか?

大竹先生が記事の論説で述べておられたように、「借入金利は返済リスクに見合った金利になっている」などということが、本当に成り立っているのでしょうか?初めに行った借入金利が40%、別な追加融資の金利が29%で、「返済リスクに見合った金利」という判断が成り立つと考える根拠というのは、一体何でしょうか?返済リスクは借入額が増加すれば「金利が上昇する」ということはあっても、逆に「下がる」と考える理由というのは何でしょうか?それも、10%程度下がる合理的理由というのがきっとあるはずではないかと思います。もしも、それがあるのであれば、是非お伺いしたいと思います。


借入金利の分布について、24%付近と15~18%程度の二つに山が存在していることについて、「借り手の返済リスクを全く考慮せずに金利が決定されているわけではないことを示唆している」とも述べておられましたが、これも、実態を余りに知らなさ過ぎなのではないかと思えます。そもそも、大手貸金が平均約定金利が23%超ですので、そこにピークが一つ来るのは当たり前であり(貸出額の7割を上位7社の大手が占めるのですから)、15~18%のピークは準大手のうち銀行系(モビットだの、キャッシュワン・・・・等々)の貸出金利がその設定であるからで、そこでの貸出額が割りと多いからに過ぎません。業者の社内金利範囲によって概ねそこに集まっているに過ぎないのです。借り手のリスクに応じて金利が決まっているのではなく、貸し手のコスト構造によって金利が決まっているに過ぎないと思います。調達金利等の諸費用のコスト率が異なっているからであり、高コストの業者はそれを織り込んで金利に乗せるし、低コスト業者は貸倒率が同じでも金利を低く設定できる、というだけに過ぎないのです。借り手のリスクに応じて金利が設定されているという可能性は、極めて低いのではないかと思えます。


大竹先生のお示しになられた場合分けというのは、理論に則って意味のあるものですが、それが実際にどのように現実のマーケットや消費者に適合できているか、ということになりますと、いささか不確実な部分はあると思います。経済学的な検討ということも、実証分析も含めて必要であるというのは、正しくその通りと思います。


追記
TBしましたが、何故か届きません。弾かれてしまいます・・・残念無念です。


それから、「貸し手独占があれば、上限引下げで貸出額は増加する」と大竹先生は述べておられましたが、85年頃から2005年位までの間では、一貫して「貸金業界の貸出額は増加」してきました。その間、数回に渡る上限引下げ(109.5→29.2%)があり、その度に貸出額は増加してきています。


また、「過剰貸出」という言葉を大竹先生は用いておられましたが、これは「多重債務」に陥るような人にとっては「過剰」なだけで、貸金業界全部が借り手全員に過剰貸出が行われているということではないのではないでしょうか。過重債務に陥るような人には「貸し込みが行われる」というだけであり、1社からしか借入のないような人には「押し貸し」のようなことはあまり起こっていないと思います。

逆選択の場合には、信用割当が行われるということも述べておられますが、民間金融機関が行っていた消費者金融市場の貸出規模は減少を続け、危険な借り手には貸さない、という選別が厳しく行われたであろうと思われ、その結果、「貸金業界」以外の消費者金融市場全体の融資額縮小は実際に起こっているということを付け加えておきたいと思います。