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JT役員の反論は不適切か

2007年04月03日 21時38分54秒 | 社会全般
JTの重役曰く「禁煙すると長生きするから医療費が増える」Garbagenewscom


ここ最近タバコの記事が多かったりしますが、ただの偶然です。
確かに「おまえが言うな」と一般的に言われてしまいがちと思われますが、JT役員の反論は判らないでもないと思いました。

JT側としては、「喫煙によって医療費が増える」という論に対抗して、「その考え方は誤ってるんじゃないか」という論を提示したに過ぎません。「喫煙によって、社会保障費は増加せず、むしろ減少させるかもしれない」という経済学的な考え方を示すのは、不適切とも言えないと思われます。喫煙反対派は「医療費が増加するから良くない」という論拠を持ち出せば、「社会保障費全体では減少するから、その理由で反対するのはおかしい」と反論されてしまう、ということが判った、ということではないでしょうか。だからと言って、喫煙が肯定される訳ではありません。多くの人々がどう考えるか、何を優先するか、ということなんだろうと思います。たとえ費用が増加しても、寿命延長が一番望ましいと考えるなら、それを選択するべきでしょう。


一番気になったのは、研究費の問題。タミフルと同じ構図ですね。

参考:利益相反と研究費の寄附

研究費が出された論文については疑惑が残る、というのが、割と普通の感情ということなんでしょう。では、研究費の寄附を全部止めるのがいいのか、ということが問題になるかもしれません。ただでさえ研究費が少ないってのに、更に削られてしまうということになればキツイでしょうね。企業系(多くの製薬会社とか)の研究所なんかだと、研究自体を行っていくことが難しくなるだろうね。基本的に利害関係に立脚している訳ですし。これは非現実的ではないかと思えます。でも、基本的には情報を「オープンにしておく」ということでかなり対処できると思うのですけれどもね。それをやっても読み手にバイアスは残るだろうし、研究側が都合よく結果を出そうとしてくる可能性だってあるけれど、根本的には「その論文をよく検討してみる」ということが大事なんだろうと思うのですよね。「疑いの目」を向けられていても、その目の前で「ごまかす」「都合よく結果を出す」ということをやるなら、一度や二度は通用しても段々厳しくなっていくと思うけどね。そんなに甘くないでしょ、普通は。


早稲田大学消費者金融サービス研究所も似たような環境に置かれているのではなかろうかと、これまで同様に勘繰ってしまうわけですが、彼らが研究費の出所を公開していたり、論文にその旨を書いたりしているのかどうかは定かではありません。一応、過去に見たペーパー類に書かれていたものを見たことはありませんが、ひょっとすると最近のものだと書いてあるかもしれず、この辺りは確認していません。非難されたタバコ関連研究と重ね合わせてみますと、研究費を特定分野の企業から貰っているというのが、似てるんですよね。どちらも「悪者扱いされやすい企業」という点も(笑)。

でも、大きく異なっているのは、タバコ関連では「利害関係が不明」というのは信頼性があまりないという扱いを受けるのが当然であって、査読のある雑誌掲載なんかだと初めから情報が公開されているわけです。そうじゃないと、信頼性のある研究報告という扱いを受けられない(公開されていても、完全に疑惑を払拭できないのですが)からですよね。他の研究者たちも「研究費を貰ってるな」ということが判った上で読んでいる。その前提で批評も出てくる。そういうベースを作っていくべきなんじゃないですか、ということです。



強者の言葉は理解されにくいのか

2007年04月03日 20時10分36秒 | 俺のそれ
人間を観察するのは、とても面白い。人間の反応というのが色々あるからだ。これまであまり見たことのない場面に遭遇できるのは、ネットの恩恵かもしれない。


梅田語録に「賞賛の嵐」かと思えば、「梅田肯定ばかりが能じゃない」とばかりに、一転してネガティブな反応を見せたり、疑問の声が上がったりする。兎にも角にも、興味深いことは確かである。で、いちいち大勢が反応しているのも、ネットの特性なのかな、とか思う。よく判らんけど。賛否あっても勿論いい訳だし。


ふと思うのは、梅田氏は元々「何かの正解」みたいなものを出すという性質の記事を書いていた訳でもあるまいに、何故か「善悪」?か「正誤」?みたいな扱いになってしまって、「それはちげーよ(=違うよ)」というような反応を呼び起こしたりしている面はあるかな、と。それはそれで無意味とも思わないが、例えば金持ちの家に生まれて良い教育を受けさせてもらって成功できたんだ、とか、コンサルで成功して本を出したりしているから言えるんだ、とか、そういった暗鬱な心性みたいなのが顕れてくると、花火を打ち上げた梅田氏としても悲しくなるんじゃないかな。


「web2.0」のような、何かの社会現象とか社会的変革を解説したり、読み解く為の言論については、諸説出てくるであろう。これはある程度論理的な話として扱えるものであるので、その批評などが多々あることは健全性を示すであろう。ところが、「本田宗一郎」語録みたいなものとか、「松下幸之助」語録みたいなものが投げかけられた時、正誤で判断するというのは結構難しいように思えるのです。

仮に著名な経営者が「自分を信じて突き進めば、自ずと道は開ける」と言ったとする。この言葉が語られた時代とか状況なんかは、まさしく言った「その時」でしかなく、それがいつも正しいってことにはならない訳で、それは普通誰でも考えれば判ることではなかろうかと。でも、どういう文脈で語られたのか、ということは他の人々にもある程度理解されうるし、ある種の「教訓」みたいな形で残されるとしても、あーそうなんだ、と思っていればいいことなのではないでしょうか。これがいつも誰にでも使えるものなのかどうかは、正確には判らないけれども、まあ、知っておいて損はないよ、ということで、自分の何処かにしまっておけばいいのでは。これに類する教訓みたいなものは、社会的に強者(要するに成功者)である為、反感を買ったりすることがあるのかもしれません。基本的に弱者の言葉を求める人は少なく、教訓として採用されるということもあまりないですからね(笑)。


将棋や囲碁なんかだと、大抵は「格言」というのがいくつもあって、それは割りと犯しやすいミスを防ぐ為に役立つことは多いでしょう。しかし、格言が常に正しいわけでもなく、局面によっては反対に間違いであることさえあります。俗筋は嫌われることが多いですけれど、そういう「俗手が好手」となる局面もあるのです。なので、格言を全て正確に覚え、自分の対局に使ってみたところで「最強棋士」にはなれません(笑)。知らないよりは、知っていた方がいいかな、という程度かもしれません。そもそも格言とはそういうものなのです。そういう風に「~語録」を理解しておくのが望ましいのではないかな、と。


梅田語録もこうした格言っぽい言葉ではありますが、それは全ての局面で正解を導き出せるというようなものではないですし、そんなことは梅田氏本人も判りきって言っていると思います。あくまで「受け手側」の問題なんだろうな、と思うのですよね。本田宗一郎の言葉に感銘を受け、「絶対に尊敬する本田宗一郎みたいになってやる」と思って頑張る人たちは、恐らく過去に多数存在したであろうと思うのですよ。誰かの言葉を心の何処かに留め、それが自分の人生に役立ったんだ、と思えたならば、それでいいと思うのですよ。誰かの言葉というのは、受け手の人にとって価値があると感じられればそれでいいのです。


言葉以外にだって、人生に影響を与えてくれたものは色々とあるはずです。人によっては、何かの歌かもしれないし、本かもしれないし、ある場所の風景かもしれない。それがたまたま「誰かの言葉」であったとしても、それでいいのではないでしょうか。人生の途中で挫折して海辺に佇んでいた時に、何となく生きる希望が湧いてきた、とか、そういうのと同じではないのかな、と。ザザーンと寄せる波は、別に正しいとか間違ってるとか、理屈を示したりはしません。自然界の何かの科学的法則に基づいて波が寄せてくるのでしょうけど、自分に生きる希望を与えたその時の風景・状況みたいなものを、わざわざ取り上げて正誤判定するものなのでしょうか。ある歌に勇気付けられました、とかありがちかもしれませんが、そういう場合にも、歌詞に込められた言葉の意味とかが「善悪」「正誤」みたいな理屈で語られたりするものでしょうか。結局誰かの心に届いたりして、それが1万人中たった1人かもしれないけれど、その人の人生に役立つのであれば、それでいいと思えるのです。


なので、「格言だからといって、全部を鵜呑みにしてはいけないよ」という注意を与えたくなる気持ちは判るし、「桂の高飛び歩の餌食」って言ってるけど「間違っている局面」はホラこの通りいくらでもあるんだよ、とか説明してしまうのも判るのですが、そういう具合に何でも理屈考えなくてもいいんじゃないかな、と。

梅田語録の言葉が自分のどこかにインプットされ、何かの困難にぶつかった時とか苦悩し迷った時なんかに、その言葉が脳裏に甦り、人生の助けとなるなら、その人にとって梅田氏の発した言葉は意味があったのです。あくまで受け手側の問題なのであり、届かない人々には永遠に届かないだろうし、そういうのが無くても平気な人にとっては、別なやり方や信じ方をしていけばいいだけのように思えます。



彼らの勇気と行動力に感謝する

2007年04月03日 16時39分29秒 | 政治って?
まさか拙ブログなんぞを見た訳でもないと思いますが、現実的アクションを取られた方々がおられたようです。

Yahooニュース - 毎日新聞 - <松岡農相>市民団体、地検に告発状郵送 光熱水費虚偽で

(記事より引用)

市民団体「政治資金オンブズマン」(大阪市)メンバーは2日、松岡利勝農相と資金管理団体の会計責任者が政治資金収支報告書に光熱水費を虚偽記載したとして、政治資金規正法違反容疑の告発状を東京地検に郵送した。オンブズマン共同代表の上脇博之・神戸学院大大学院教授(憲法)ら7人が告発人。時効(5年間)が迫っている01年分を除き、02~05年分の約2220万円を告発対象とした。松岡農相は2日の農水省入省式後、記者団に「特段申し上げることはない」と語った。【位川一郎、青島顕】



どうしても訂正に応じることを拒否し、説明責任も果たさないとなれば、最悪コースを辿る可能性はある訳で、それは自業自得という面が強いでしょう。進路変更可能なチャンスはこれまでに何度もあったはずなのです。そのどこかで訂正なり、説明をしておけば、ここには至らなかったでありましょう。

虚偽記載~政治資金収支報告書ならば罰せられないのは何故か





これに関連して、以前にちょっと触れたのだが、ネット上でもっと情報公開を推進した方が良い、というのを、実際やってくれたようだ。

政治資金をネットで一括検索、試験運用始まる 社会 YOMIURI ONLINE(読売新聞)


総務省や都道府県選挙管理委員会に届けられた政治資金収支報告書の内容を一度に検索できるデータベースが作られ、3月からインターネット上で試験運用が始まった。NPO法人「情報公開クリアリングハウス」(東京都新宿区)が企画し、日本インターネット新聞社(千代田区)と共同で作成した。政治家ごとのカネの流れを把握しやすくし、政治資金の透明化に役立てるのが狙いだ。6月にも本格的に稼働する。

政治資金を巡っては、政治団体の活動範囲によって収支報告書の提出先が総務省か都道府県選管に分かれ、1人の政治家の資金が複数の政治団体にまたがっているなど、情報が分散。個々の報告書が公開されていても、特定の政治家に関する資金の流れ全体を把握するのは容易ではなかった。このデータベースには、総務省と各選管に出された報告書の要旨を収蔵。政治団体名や政党名での検索のほか、政治家名を入力すれば関連政治団体が一度に閲覧でき、特定の企業・個人がどの政治団体に献金しているかも調べられる。



こういう形で公開されている情報を整理し、別な情報と結びつくことで「意味のある情報」ということになるのですよね。大変画期的な試みであると思います。調べる側にとっても調査しやすくなるし、労力が軽減されますね。国会議員と地方議員を合わせれば、3千人?規模くらいになるので全部を網羅的に調べるのは結構大変だろうと思います。地域毎とかで、ある程度分担してチェックしていくしかないかもしれませんね。

公開が進めば、松岡議員のような「典型例」は減る可能性が大きく(直ぐにバレるから)、議員側がこれまでよりも慎重に、というか気を使って提出するようになるでしょう。