前の記事の続きですが、ちょっと別方向なので…
弁護士の業務について少し考えてみることにする。
依頼者は「Pという主張をしたいので提訴したいが、どうだろうか」と弁護士に相談したとする。すると、弁護士は何と言って依頼を受けるのか判らないが、依頼を受けたとする。ここで疑問を生じるので、それを書いておく。
①弁護士は「Pという主張に対して、それは退けられ、Qという意見・解釈が採用されるかもしれない」などと、全件答えているか?
②Qという解釈が採用される確率、或いはPという主張が認められる確率などについて、依頼者に予め答えているか?
③弁護士のこれまでの実績について、同様の事件の取扱い件数やその勝訴率などの情報を事前に依頼者に説明しているか?
④依頼者の期待する結果と異なる場合には、その責任はどこにあると考えられるか?
⑤裁判でQという解釈が採用されてしまった場合、事前にそれを予期できなかったのは過失なのではないか?
⑥裁判に負ける場合、依頼者の期待権に反しているのではないか?
法的な理論とか何らかの理屈に基づいて裁判が行われているのであるから、そもそも全件で事前に「こうなる」という予測は立つ訳である。もしそれが判らないとすれば、「相手側主張(検察も含めて)」とか「裁判所の判決」は、法曹に共通する何らかの理論に基づいていないのではないか?何らかの理論に基づくのであれば、相手側主張も当然のことながら予測できるはずであり、自ずと裁判の結果も予測できるはずである。従って、事前に「模擬的裁判」をシミュレートすることも可能であり、弁護士に依頼した時点で、「Pという主張をすれば、相手側はQと反論し、結果的にPの採用される可能性は低く裁判をやっても勝てる確率は○○くらいでしょう」と答えねばなるまい。依頼者は勝つと思って依頼しているわけで、負けてもよいからやってくれ、などというお人よしはかなり少ないであろう。時間と金を消費された挙句に思いもよらぬ結果であるというのは、明らかにおかしいのである。勝つ可能性が半分以上でなければ、裁判をやる意味なぞ初めからないはずなのだ。弁護士は「半分以上の確率で勝てる」という見込みを立てるので依頼を受けるのであるし、そうであれば勝てなければおかしいのではないか。負けるのは見込みを間違えた、つまり弁護士に落ち度があったからに他ならないのではないか?
たとえそうであっても、弁護士は結果について責任を取らされたりはしない。それは何故なのであろうか?弁護士が裁判を行う時には、「一か八か」で依頼を受けてもいいし、負けても何の責任も負わずに済むということなのか。相手側には弁護士等法曹(刑事事件の時には検察官か)が付いており、相手の立場も基本的に同じはずである。相手側弁護士に考えられることが、何故こちらの弁護士に考えられないのか?オカシイですよね?それと、裁判官の理屈が正しいのであるとすれば、採用されなかった弁護士の主張は誤りではないのか?誤りの主張であるものを、なぜ弁護士は主張するのであろうか?その行為自体が、既に過失なのではないか?裁判官から見て、「弁護人の~が主張する内容は誤りである。故に採用できない」ということなんだから(正しいのであれば採用されるであろう)、裁判官には判り切っているものなのに、どうして弁護士にはそのことが事前に判らないのであろうか?
裁判というのは、「勝ち」「負け」と書かれたサイコロを振るのと何が違うというのだろうか?もしも「やってみなければ判らない」とすれば、事前の理屈というものはほぼ無きに等しい。「やってみなくても判る」のであれば、裁判をやる以前に大体答えが出ているので、無駄に裁判をやる必要がないであろう。相談した時点で、答えは見つかっている。それに基づいて対応すればよい、ということになる。そうであれば、「敗訴」なるものは生じないのではないか?極めて稀に、「負けてもいいのでやってくれ」という話題性重視の人とかくらいしか提訴しないのではないか?
要するに、裁判とは非常に曖昧なシステムなのであり、結果についてもいい加減なものなのである。法曹同士でありながら、その適用される理屈というものが、「まるでわからない」というものが多く含まれており(含まれていないなら、事前に全て判るからである)、判らないままやったとしても誰も責任を問われないし、過失も認定されることがないのである。当然結果責任を負うこともない。そういう商売なのである。それでいて、勝訴率なんかの成績を全部出していなかったとしても、「依頼人はもっと高度な弁護が可能な事務所を選択し、そちらに依頼することもできたのに、その機会を奪ったので義務違反」などとは言われずに済むのである。負けるリスク、考えられる敗訴要因、勝敗に影響を与える論点、これら全てについて事前に説明を受けることなどないにも関わらず、義務違反と言われることなど有り得ないのである。なぜ弁護士であれば、こうしたことを言われずに済むのか?
疑問は残されたままである。
弁護士の業務について少し考えてみることにする。
依頼者は「Pという主張をしたいので提訴したいが、どうだろうか」と弁護士に相談したとする。すると、弁護士は何と言って依頼を受けるのか判らないが、依頼を受けたとする。ここで疑問を生じるので、それを書いておく。
①弁護士は「Pという主張に対して、それは退けられ、Qという意見・解釈が採用されるかもしれない」などと、全件答えているか?
②Qという解釈が採用される確率、或いはPという主張が認められる確率などについて、依頼者に予め答えているか?
③弁護士のこれまでの実績について、同様の事件の取扱い件数やその勝訴率などの情報を事前に依頼者に説明しているか?
④依頼者の期待する結果と異なる場合には、その責任はどこにあると考えられるか?
⑤裁判でQという解釈が採用されてしまった場合、事前にそれを予期できなかったのは過失なのではないか?
⑥裁判に負ける場合、依頼者の期待権に反しているのではないか?
法的な理論とか何らかの理屈に基づいて裁判が行われているのであるから、そもそも全件で事前に「こうなる」という予測は立つ訳である。もしそれが判らないとすれば、「相手側主張(検察も含めて)」とか「裁判所の判決」は、法曹に共通する何らかの理論に基づいていないのではないか?何らかの理論に基づくのであれば、相手側主張も当然のことながら予測できるはずであり、自ずと裁判の結果も予測できるはずである。従って、事前に「模擬的裁判」をシミュレートすることも可能であり、弁護士に依頼した時点で、「Pという主張をすれば、相手側はQと反論し、結果的にPの採用される可能性は低く裁判をやっても勝てる確率は○○くらいでしょう」と答えねばなるまい。依頼者は勝つと思って依頼しているわけで、負けてもよいからやってくれ、などというお人よしはかなり少ないであろう。時間と金を消費された挙句に思いもよらぬ結果であるというのは、明らかにおかしいのである。勝つ可能性が半分以上でなければ、裁判をやる意味なぞ初めからないはずなのだ。弁護士は「半分以上の確率で勝てる」という見込みを立てるので依頼を受けるのであるし、そうであれば勝てなければおかしいのではないか。負けるのは見込みを間違えた、つまり弁護士に落ち度があったからに他ならないのではないか?
たとえそうであっても、弁護士は結果について責任を取らされたりはしない。それは何故なのであろうか?弁護士が裁判を行う時には、「一か八か」で依頼を受けてもいいし、負けても何の責任も負わずに済むということなのか。相手側には弁護士等法曹(刑事事件の時には検察官か)が付いており、相手の立場も基本的に同じはずである。相手側弁護士に考えられることが、何故こちらの弁護士に考えられないのか?オカシイですよね?それと、裁判官の理屈が正しいのであるとすれば、採用されなかった弁護士の主張は誤りではないのか?誤りの主張であるものを、なぜ弁護士は主張するのであろうか?その行為自体が、既に過失なのではないか?裁判官から見て、「弁護人の~が主張する内容は誤りである。故に採用できない」ということなんだから(正しいのであれば採用されるであろう)、裁判官には判り切っているものなのに、どうして弁護士にはそのことが事前に判らないのであろうか?
裁判というのは、「勝ち」「負け」と書かれたサイコロを振るのと何が違うというのだろうか?もしも「やってみなければ判らない」とすれば、事前の理屈というものはほぼ無きに等しい。「やってみなくても判る」のであれば、裁判をやる以前に大体答えが出ているので、無駄に裁判をやる必要がないであろう。相談した時点で、答えは見つかっている。それに基づいて対応すればよい、ということになる。そうであれば、「敗訴」なるものは生じないのではないか?極めて稀に、「負けてもいいのでやってくれ」という話題性重視の人とかくらいしか提訴しないのではないか?
要するに、裁判とは非常に曖昧なシステムなのであり、結果についてもいい加減なものなのである。法曹同士でありながら、その適用される理屈というものが、「まるでわからない」というものが多く含まれており(含まれていないなら、事前に全て判るからである)、判らないままやったとしても誰も責任を問われないし、過失も認定されることがないのである。当然結果責任を負うこともない。そういう商売なのである。それでいて、勝訴率なんかの成績を全部出していなかったとしても、「依頼人はもっと高度な弁護が可能な事務所を選択し、そちらに依頼することもできたのに、その機会を奪ったので義務違反」などとは言われずに済むのである。負けるリスク、考えられる敗訴要因、勝敗に影響を与える論点、これら全てについて事前に説明を受けることなどないにも関わらず、義務違反と言われることなど有り得ないのである。なぜ弁護士であれば、こうしたことを言われずに済むのか?
疑問は残されたままである。