今年1月のオバマ大統領の就任から3ヶ月が経過した。そして、100日というリミットはもう目の前に迫ってきている。既に、残された日にちは、テンカウントよろしく、カウントダウンが始まっている。記事を書いている4月20日は、既に91日目となっているのだ。今月末には100日が終わるのである。
率直に言って、「オバマの100日」は思ったよりも困難に満ち溢れてはいなかった。
ボーを選んでいるだけの余裕があった、と手厳しい批評を浴びせられるかもしれない。そうではあっても、底なし沼のような経済状況が続いていた昨年末から今年初めよりは、少なくとも今の方がマシであると大勢が感じているであろう。深さの判らない湖の底よりも、湖底が見えてきた方がどこまで落ちるかが判るので、安心感が出てくるであろう(少しばかり矛盾する言い回しかもしれない。底に沈んでいることには違いないので。浮かび上がれるのがいつなのかも不明であるし。これで”安心”と表現するのは気が引けるが、どこまでも落ちてゆくよりもマシではある)。
そうした明るい兆しを感じた者たちが増えてくれたお陰で、世界の株式市場では反騰を見せ始めた。米国の指標ばかりではなく、日本も中国もブラジルも、揃って株価の回復が見られたのである。これはオバマの功績があったというよりも、偶然の産物に過ぎないであろう。中国やブラジルなどの人口規模の比較的大きい新興国では、需要がいきなり消滅したりはしないということに助けられたかもしれない。多くの人々が「日々の商売を続ける」ということを必死で努力した結果、まだまだ自動車やインフラや電化製品が不足している場所はたくさんあるので、そうした場所に供給されたということであろう。同時に、オバマ大統領が呼びかけた「財政出動」が、そこそこの規模で行われるだろう、という実感を得た人々は多かったのかもしれない。
こうして、株式市場の主たる指標は改善した。一時期、極めてタイトになった金の流れも落ち着きを取り戻し、極端に不安定化した金融システムはどうにか自律的バランスを保てるようになってきている。勿論、各国の中央銀行の手助けと、赤子を守るかのような過剰な庇護の下ではあるけれども。こうした「悪ければ悪いなりに」という環境に馴化して、心理的不安は次第に後退し、悪さへの耐性だけは強化されたであろう。これこそが、崩落を食い止める最も必要なことなのだ。
学校のテストの点数が、これまで100点満点や悪くても90点以上の高得点を連発してきたのに、ある瞬間から80点さえも取れなくなり、それどころか30点40点は当たり前、という落第点にまで下落してきたら、学生本人も親も顔が青ざめるに決まっているのである。しかし、悪いのに馴れてしまうと、30点以下の点数にもあまり驚かなくなり、19点とか25点とかの点数にさえ「ああ、悪かったね、でもまあ、こんなもんかもね」くらいの余裕が生まれる(これは”余裕”と言うのか?笑)ようなものである。かつて100点満点の優等生の頃を思い浮かべると、確かに19点とか「ありえなーい」し、惨憺たる成績ではあるのだが、今後25点とか30点に上昇してゆくことを考えると、「先行きに明るさ」を感じ取れるのも判るのである。この後、30点以下のままが永遠に継続し、永久落第だとさすがに辛いが、50点でも60点でも取れるようになってゆくなら、それはそれで「良かったじゃないか」と思えるようになってゆくだろう。まるで日本の麻生政権の支持率の推移を説明しているかのようだが、10%割れまで落ちていくと後は上がるしかない、というのは確かで、それに気を良くするのも判るのである。
話が飛んだが、オバマ大統領の話に戻ろう。
ここまでオバマ大統領を見てきたが、特筆すべき成果というのは案外と少なかった。経済政策の発表は行われたけれども、目新しいものは一つもなく、選挙公約の言い換えのようなものであった。また実際の経済政策の発動としても、若きガイトナーはその軽さ故か甘く見られている節があって、これといって目覚しい成果をもたらしたようなものは一つもなかった。なのに、こうしてダウ平均が回復してきたのは、強運なのか偶然のラッキーなのか、オバマが大統領就任を可能にした、というような持って生まれた運のようなもの(麻雀だと「スーパー激ヅモ」)があるのであろうか。酷評される経済政策ではあっても、必要なアナウンスメントは行い、何はともあれ「やる」という意思と態度を明確にし、時には怒りを示し、今の状態に踏み止まらせた。
また、ブッシュ政権からの嫌な置き土産である瀕死デトロイトは拙攻続きなのは変わってはいないが、ビッグ3問題のカタをつけることなく、時間を稼いできた。どうするか、どうなるかは、結局のところ、この100日では何も進展が得られなかった。が、米国自動車企業は、未だに倒れずに済んでいる!ある種の奇跡である。悪いながらも、というのは、GMやクライスラーの為にある言葉かもしれない。
経済政策ではこれと言って目立った成果がなかったのに比べ、外交面では大きな前進を見せた。
オバマ外交の特徴を最も端的に言えば、「融和路線」である。その殆どが、「対話する用意がある」という姿勢と意思を相手側に伝えようとしたことだ。イラン、パキスタンやベネズエラなどとの対話を見れば、その傾向が判るであろう。用意がある、というのは、別に譲歩を意味しないのだが、少なくとも過去の強硬な態度よりは相手側に好感を与えることになるであろう。「イラン版」6カ国協議のテーブルを利用して、米国がイランとの対話路線に踏み出したことは大きく評価できる。アフガン問題に対処するには、結局のところ、イランやパキスタンといった周辺地域の協力が欠かせないからだ。特に両国ともイスラム圏の国である、ということが何よりも重要。イスラム諸国への外交姿勢転換を表明する前に、トルコ訪問で下準備を怠らなかった、ということであろう。勿論、イスラエルからの承諾取り付けもできていたと見てよいだろう。また、キューバへの寛容、チャベス大統領さえも喜ばせたベネズエラへの対話姿勢、等々も、やはり融和路線の一環と言えるであろう。
「お前は敵だ」と認定する前に、まず互いの立場を理解し、「共通の敵」に立ち向かうべく約束を取り付けること、これを重視しているものと思う。現在のところ、アフガン問題に行き着くわけだが。少なくとも、ソマリアの問題を除けば中東情勢は一定の成果を挙げ、湾岸諸国やトルコなどの協力を得られるならば、イラクやイスラエルの問題というのは喫緊の課題とはなり得ない、ということだろう。多くのアラブ諸国は生活水準の向上や経済発展という成果をもたらすグローバル化の恩恵を受けてきたので、それを失うわけにはいかないということに気付いたのであろう。グローバル化の悪しき面が強調される昨今ではあるが、経済的繋がりが深まることによって互いに欠くべからざる存在になれば、イスラム教圏の国であろうとキリスト教圏の国であろうと、共に発展の為に協力せざるを得なくなるのである。こうした共通の利害の共有こそが、国際紛争を減らし地域の安定化に貢献するであろう。
オバマ大統領が打ち出した外交方針は、「よし、いいだろう、話を聞こう」というものに変わったのだ、ということ。米国外交の歴史では割と少ない路線ではないかと思う。そうした独自の選択をしたことで、結果的には以前よりも米国の負担は減らせるであろう。日本がパキスタンへの関与を強めるというニュースがあったが、これとて多国間の枠組みを米国が推進し、各国で分担して問題に対処しよう、という共通認識を作ることができたからであろう。日本が自ら申し出るほど、日本の外交筋は賢くはないであろう(笑、残念だが…)。これまでの「米国が兵隊を出してるんだから、お前も出せ」という、言ってみれば「悪しき平等主義」的な考えに凝り固まるよりは、「君が出来ることをまずやってくれたまえ」と頼む方が、相手側が要求を飲み易いに決まっているのだから。各国で「自国ができること」をぞれぞれ持ち寄れば、意外と色んな部分を埋めることができるのかもしれない、ということが、少し判ってきたからなのではないかな。
こうして、オバマ政権の100日は過ぎようとしている。
まだまだ波風の高い経済情勢、ビッグ3問題と、経済政策は気を抜けない状況が続くのには変わりがないだろう。でも、思ったより国際協力は昔よりスムーズで、あの中国でさえ共に対応しようという枠組みに加わっているのだから、世界の繋がりは深まったのだと思える。冷戦時代には到底考えられなかったことだ。経済危機という困難に世界中の国々が立ち向かおうとしていること自体が、前進の証だ。外交面で成果を挙げた後には、国内経済の建て直しが控えている。これも米国単独では難しいだろう。だからこそ、世界の国々に協力を求める姿勢を崩してはいない、ということなのである。
多くの米国民にとっては「輝かしい100日」とはなっていないかもしれないが、それは米国内だけ見ているからだ。イラク撤退を約束通りに道筋を付けただけでも、よしとしていいくらいだ。劇的に良くはなっていないが、劇的に悪くなっていないだけでも、オバマの強運の恩恵を受けているのかもしれない―だから、この100日はよくやった、と言っても過言ではないだろう。
率直に言って、「オバマの100日」は思ったよりも困難に満ち溢れてはいなかった。
ボーを選んでいるだけの余裕があった、と手厳しい批評を浴びせられるかもしれない。そうではあっても、底なし沼のような経済状況が続いていた昨年末から今年初めよりは、少なくとも今の方がマシであると大勢が感じているであろう。深さの判らない湖の底よりも、湖底が見えてきた方がどこまで落ちるかが判るので、安心感が出てくるであろう(少しばかり矛盾する言い回しかもしれない。底に沈んでいることには違いないので。浮かび上がれるのがいつなのかも不明であるし。これで”安心”と表現するのは気が引けるが、どこまでも落ちてゆくよりもマシではある)。
そうした明るい兆しを感じた者たちが増えてくれたお陰で、世界の株式市場では反騰を見せ始めた。米国の指標ばかりではなく、日本も中国もブラジルも、揃って株価の回復が見られたのである。これはオバマの功績があったというよりも、偶然の産物に過ぎないであろう。中国やブラジルなどの人口規模の比較的大きい新興国では、需要がいきなり消滅したりはしないということに助けられたかもしれない。多くの人々が「日々の商売を続ける」ということを必死で努力した結果、まだまだ自動車やインフラや電化製品が不足している場所はたくさんあるので、そうした場所に供給されたということであろう。同時に、オバマ大統領が呼びかけた「財政出動」が、そこそこの規模で行われるだろう、という実感を得た人々は多かったのかもしれない。
こうして、株式市場の主たる指標は改善した。一時期、極めてタイトになった金の流れも落ち着きを取り戻し、極端に不安定化した金融システムはどうにか自律的バランスを保てるようになってきている。勿論、各国の中央銀行の手助けと、赤子を守るかのような過剰な庇護の下ではあるけれども。こうした「悪ければ悪いなりに」という環境に馴化して、心理的不安は次第に後退し、悪さへの耐性だけは強化されたであろう。これこそが、崩落を食い止める最も必要なことなのだ。
学校のテストの点数が、これまで100点満点や悪くても90点以上の高得点を連発してきたのに、ある瞬間から80点さえも取れなくなり、それどころか30点40点は当たり前、という落第点にまで下落してきたら、学生本人も親も顔が青ざめるに決まっているのである。しかし、悪いのに馴れてしまうと、30点以下の点数にもあまり驚かなくなり、19点とか25点とかの点数にさえ「ああ、悪かったね、でもまあ、こんなもんかもね」くらいの余裕が生まれる(これは”余裕”と言うのか?笑)ようなものである。かつて100点満点の優等生の頃を思い浮かべると、確かに19点とか「ありえなーい」し、惨憺たる成績ではあるのだが、今後25点とか30点に上昇してゆくことを考えると、「先行きに明るさ」を感じ取れるのも判るのである。この後、30点以下のままが永遠に継続し、永久落第だとさすがに辛いが、50点でも60点でも取れるようになってゆくなら、それはそれで「良かったじゃないか」と思えるようになってゆくだろう。まるで日本の麻生政権の支持率の推移を説明しているかのようだが、10%割れまで落ちていくと後は上がるしかない、というのは確かで、それに気を良くするのも判るのである。
話が飛んだが、オバマ大統領の話に戻ろう。
ここまでオバマ大統領を見てきたが、特筆すべき成果というのは案外と少なかった。経済政策の発表は行われたけれども、目新しいものは一つもなく、選挙公約の言い換えのようなものであった。また実際の経済政策の発動としても、若きガイトナーはその軽さ故か甘く見られている節があって、これといって目覚しい成果をもたらしたようなものは一つもなかった。なのに、こうしてダウ平均が回復してきたのは、強運なのか偶然のラッキーなのか、オバマが大統領就任を可能にした、というような持って生まれた運のようなもの(麻雀だと「スーパー激ヅモ」)があるのであろうか。酷評される経済政策ではあっても、必要なアナウンスメントは行い、何はともあれ「やる」という意思と態度を明確にし、時には怒りを示し、今の状態に踏み止まらせた。
また、ブッシュ政権からの嫌な置き土産である瀕死デトロイトは拙攻続きなのは変わってはいないが、ビッグ3問題のカタをつけることなく、時間を稼いできた。どうするか、どうなるかは、結局のところ、この100日では何も進展が得られなかった。が、米国自動車企業は、未だに倒れずに済んでいる!ある種の奇跡である。悪いながらも、というのは、GMやクライスラーの為にある言葉かもしれない。
経済政策ではこれと言って目立った成果がなかったのに比べ、外交面では大きな前進を見せた。
オバマ外交の特徴を最も端的に言えば、「融和路線」である。その殆どが、「対話する用意がある」という姿勢と意思を相手側に伝えようとしたことだ。イラン、パキスタンやベネズエラなどとの対話を見れば、その傾向が判るであろう。用意がある、というのは、別に譲歩を意味しないのだが、少なくとも過去の強硬な態度よりは相手側に好感を与えることになるであろう。「イラン版」6カ国協議のテーブルを利用して、米国がイランとの対話路線に踏み出したことは大きく評価できる。アフガン問題に対処するには、結局のところ、イランやパキスタンといった周辺地域の協力が欠かせないからだ。特に両国ともイスラム圏の国である、ということが何よりも重要。イスラム諸国への外交姿勢転換を表明する前に、トルコ訪問で下準備を怠らなかった、ということであろう。勿論、イスラエルからの承諾取り付けもできていたと見てよいだろう。また、キューバへの寛容、チャベス大統領さえも喜ばせたベネズエラへの対話姿勢、等々も、やはり融和路線の一環と言えるであろう。
「お前は敵だ」と認定する前に、まず互いの立場を理解し、「共通の敵」に立ち向かうべく約束を取り付けること、これを重視しているものと思う。現在のところ、アフガン問題に行き着くわけだが。少なくとも、ソマリアの問題を除けば中東情勢は一定の成果を挙げ、湾岸諸国やトルコなどの協力を得られるならば、イラクやイスラエルの問題というのは喫緊の課題とはなり得ない、ということだろう。多くのアラブ諸国は生活水準の向上や経済発展という成果をもたらすグローバル化の恩恵を受けてきたので、それを失うわけにはいかないということに気付いたのであろう。グローバル化の悪しき面が強調される昨今ではあるが、経済的繋がりが深まることによって互いに欠くべからざる存在になれば、イスラム教圏の国であろうとキリスト教圏の国であろうと、共に発展の為に協力せざるを得なくなるのである。こうした共通の利害の共有こそが、国際紛争を減らし地域の安定化に貢献するであろう。
オバマ大統領が打ち出した外交方針は、「よし、いいだろう、話を聞こう」というものに変わったのだ、ということ。米国外交の歴史では割と少ない路線ではないかと思う。そうした独自の選択をしたことで、結果的には以前よりも米国の負担は減らせるであろう。日本がパキスタンへの関与を強めるというニュースがあったが、これとて多国間の枠組みを米国が推進し、各国で分担して問題に対処しよう、という共通認識を作ることができたからであろう。日本が自ら申し出るほど、日本の外交筋は賢くはないであろう(笑、残念だが…)。これまでの「米国が兵隊を出してるんだから、お前も出せ」という、言ってみれば「悪しき平等主義」的な考えに凝り固まるよりは、「君が出来ることをまずやってくれたまえ」と頼む方が、相手側が要求を飲み易いに決まっているのだから。各国で「自国ができること」をぞれぞれ持ち寄れば、意外と色んな部分を埋めることができるのかもしれない、ということが、少し判ってきたからなのではないかな。
こうして、オバマ政権の100日は過ぎようとしている。
まだまだ波風の高い経済情勢、ビッグ3問題と、経済政策は気を抜けない状況が続くのには変わりがないだろう。でも、思ったより国際協力は昔よりスムーズで、あの中国でさえ共に対応しようという枠組みに加わっているのだから、世界の繋がりは深まったのだと思える。冷戦時代には到底考えられなかったことだ。経済危機という困難に世界中の国々が立ち向かおうとしていること自体が、前進の証だ。外交面で成果を挙げた後には、国内経済の建て直しが控えている。これも米国単独では難しいだろう。だからこそ、世界の国々に協力を求める姿勢を崩してはいない、ということなのである。
多くの米国民にとっては「輝かしい100日」とはなっていないかもしれないが、それは米国内だけ見ているからだ。イラク撤退を約束通りに道筋を付けただけでも、よしとしていいくらいだ。劇的に良くはなっていないが、劇的に悪くなっていないだけでも、オバマの強運の恩恵を受けているのかもしれない―だから、この100日はよくやった、と言っても過言ではないだろう。