いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

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false dawn?

2009年04月24日 18時08分45秒 | 経済関連
「確かに注意が必要」というのは、その通りだろうね。

FTの記事でも注意喚起があったが、「浮かれるには、まだ早い」というのは政策担当者たちならば、特にそういう注意深さが求められるであろう。

白川総裁も同じく気を引き締めるよう促していたらしい。

「偽りの夜明け」を本当の回復と見誤らない注意必要=日銀総裁(ロイター) - Yahooニュース

(一部引用)

日銀が24日に発表した講演の邦訳によると、白川総裁は「日本経済は1990年代の低成長においても、何度か一時的な回復局面を経験したが、このことは経済がついにけん引力を取り戻したと人々に早合点させる働きをしたように思う」と指摘。その上で「これは『偽りの夜明け』とも言うべきものだったが、人間の常として、物事がいくぶん改善すると楽観的な見方になりがちだ」と述べ、一時的な回復を本当の回復と見誤ることに警鐘を鳴らした。
 ただ、「終わりのない経済危機というものはない」とも強調し、「中央銀行は積極的な金融緩和からの適切なタイミングでの脱出も、意識しておかなければならない。脱出が遅れると、より悪い状況への入口に既に足を踏み入れている可能性がある」と出口戦略の必要性も訴えた。

 白川総裁は、日本の「失われた10年」の教訓として、1)大胆だと思って採った行動であっても、事後的にみれば必ずしも大胆ではなかったという場合がある、2)政府や中央銀行による危機管理対応が、経営に失敗した銀行を救済するためではなく、金融システム全体を救うために行なわれているということを、しっかりと説明し、国民の理解を得る必要がある、3)マクロ経済政策は、経済の急激な減速に立ち向かう上で鍵となる役割を果たすが、万能薬ではない──の3点を指摘。

 その上で金融危機管理の政策対応として、1)流動性の潤沢な供給、2)信用市場の機能の支援、3)マクロ経済政策による有効需要の喚起、4)公的資本の注入とバランスシートの不確実性の除去──の4点を挙げ「この4つの領域で効果的な措置が講じられなければ、経済は一段と厳しい調整を余儀なくされかねない」と強調した。

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中々いいことを言っているが、3つの指摘をもう一度書けば、

①大胆な施策と思っても、事後的に見ればそうでもないかも
②金融システムを救済する為という説明と説得が必要
③マクロ経済政策はkeyではあるが、万能薬ではない

ということ。まさにその通り。
一時的回復局面で、「真の夜明け」と勘違いしないように、というのも仰るとおりですね。暗い海の底に沈んでいるのに、まだ浮かび上がれてもいないうちから「視界が明るくなってきました」とか言っても、底の方に沈んでいるのには違いがないわけで。どこまで沈んでゆくか判らない、という状態から、どうやら沈んで行くのは止まったようです、というくらいに変化した程度ということですから。


けど、一筋の光明とはいえ、それを希望の兆しと感じるのには理由があるわけで、常にネガティブな知らせばかりでは人間のやる気も失せるというものです(笑)。ぬか喜びの場合だと、かえって「ダメだった時」の失望が大きくなって、ダメージが大きいとか、そういうことがないとも言えないのかもしれませんが。

よく映画なんかでも、この道を行けば脱出できそうだ、みんな助かりそうだ、という時に、行き止まりとか更なる困難に直面したりして、さっきの「助かりそう」と喜んだが故に、余計に「もうダメだ」と落胆が大きくなる、といった展開はありがちですからね。

欧米金融機関の損失額が4兆ドル規模ということらしいので、この傷跡が甚大であるというのはその通りであろう。メガ津波級だというのも、頷けるよ。
そうなると、リカバリーとか調整期間は深く長い、というのも当然予想されるわけだ。スポーツ選手の出口の見えない超スランプみたいなものだな。果てしなく続く、暗く長いトンネルということになる。辛くとも、この長い道のりを乗り越えない限り、夜明けはやってこない、スランプの出口には到達できない、というのも理解できるよ。


だけど、多くの普通の人々はそんなに強靭な精神力の持ち主ばかりではないだろうと思う。耐えられえる力も、ごくごく普通の、ありふれた水準でしか持ち合わせていないであろう。そういう時、「これから進むトンネルは出口も見えず、どれくらいあるか判らないけど、突き進むしかない、だから、死ぬかもしれないけど歩いてくれ」とか言われても、希望が見出せないだろうと思う。皆さんはどうであろうか?
小さな小さな一点の光であろうとも、一条の光が差し込むなら、その光源に向かって歩けばきっと出られる、と思えば歩みは楽になるのではないかと思うのだが。それは私の場合そうだろうな、という話なのだけれども。


なので、「まだまだ真っ暗だぜ」「先は光が見えないぜ」という悲観的なニュースは、心のどこかに留めておけばいいのではないかと、個人的には感じている。

勿論、政策担当の人たちは、もっときちんと正確に状況を把握し正しく対処してくれればいいことです。ぬか喜びが間違っているよ、ということなら、そういう慎重な警告を適切に発してくれればいいのではないでしょうか。

これまでの日本の経済運営において、そうした正しい対処がどの程度なされてきたかと言えば、未だに達成されてはいないとしか思えないわけですが(笑)。危機の過小評価なんかは、まさにその通りでは。



China Pollution~その2

2009年04月24日 11時55分30秒 | 外交問題
以前に書いた記事の続編があろうとは思ってもみなかった。
China Pollution

最近のニュースで気になったので、中国ネタについて書いてみることにする。

①パクリは正当な文化という認識

【中国ブログ】パクって何が悪い!『山寨』は正常な行為だ 20090422水 165221 サーチナ

この記事を読めば、ああ、向こう(中国)ではどう考えているのか、ということがよく判る、というものだ。多分、度が過ぎる、ということなんだろうと思うけど。ワニの顔の向きが、右か左か、どころではないのかもしれない(笑)。

それにしても、日本だと「日産自動車」とか「三菱自動車」という会社名があるが、こういう会社名と同じようなものかなと思うのが中国の「山寨自動車」だ。

けれど、本当は違う。
これはただの「パクリ」=「山寨」ということだけだ。モーターショーに出品する作品そのものが「パクリ自動車モデル」って、本気の本気で凄い。凄すぎる。日本だと、普通は路地裏とかでひっそりと誰にも知られずに売っていそうな感じなのだけれど、大々的に表立って発表できるようなシロモノなのだろうか、と、疑念が湧いてくるのである。これはあくまで日本人的感覚に過ぎないので、中国では「山寨」が正当な行為であり恥でも何でもない、という背景を有しているという文化度の違いがあるのであろう。

恐るべし、パクリ文化。
恐るべし、山寨。


日本でも、かつて物議を醸した事例があったことはあった。
三菱から「ディアマンテ」が発売された時だ。
フロントグリルの形状なんかが、BMWのデザインのパクリではないか、という批評を浴びたのだった。しかも、CMコピーが「あの車とは違う」って、大笑いの文句だったから。かなりのインパクトを与えたものだ。これを考えた人は凄いぞ、はっきり言って。

けれど、旧来のクラス分けとはやや異なるアッパー層が開拓され、車自体は大ヒットとなったはずだ(というように記憶している)。ウソくさいが本音の出ているキャッチコピーと、新ジャンルの草分けとしては成功したと言えるだろう。なので、ちょっと近いイメージとか、似た感じというのは有り得なくはないが、あまりに似すぎているとか、どう見ても「パクリです」というのでは、ちょっと問題があるなとは思いますな。これは韓国製菓子類なんかも言えるけど。
パクリはやられた方が迷惑なだけで、やる方には害がない、というのも困るのだ。しかも、商品への文句や評価が低下する場合には、パクられた側が一緒に低下させられてしまう、ということになるからである。日本の貸金でも大手銀行の名前をかぶせたような貸金業者名を付けて一般人を騙すやり方というのが珍しくなかったが、これは他人の築いた信用の上に便乗する商法であり、同時に正統な業者の評価を著しく低下させるというものでもある。


②国家による知的財産の強奪

今、進行している国家的強奪がこれだ。

ソースコード開示、中国強行…知財流出の恐れ ニュース ネット&デジタル YOMIURI ONLINE(読売新聞)

いくらオープン化と言っても、ものには限度があるのである。全ての手の内をオープンにしないと商売させないぞ、という、圧倒的不利益を海外企業に押し付けるものなのである。そして、これが実施されてしまうと、何でも易々と「パクられてしまう」ことになってしまうのである。「大事なモノ」を多数持っている側だけが圧倒的に不利なのだ。だって、中国側製品のダメダメなソースコードを開示されたとしても、日本では殆どが利益を受けないからだ。中国側製品に「大事なモノ」が入っていなければ、「別に開示していいですよ」ということになってしまうからね。けど、日本や欧米企業の「ブラックボックス化」してある部分を開示させられると、それを全部マネされてしまって好き放題使われてしまうのだ。

言ってみれば、コカコーラのレシピを完全開示せよ、みたいなものだな(笑)。
究極の「山寨」を目指しているのだろう。
他人の成果を労せずしてパクリ。
よく知らんが、1行のコードも書かずに全てを手に入れることができてしまう、と。


こうして、中国の国家を挙げての「山寨」が行われていくわけである。
パクリで必要なものは全て国内で揃えられる、ということになるのだ。

そして、いずれどんな事態がやってくるか?
逆に、中国製の汚染されたチップを埋め込まれた製品が世界中にばら撒かれ、新たなコードが書き加えられた「恐るべきチップ」によって何が起こるのか、ということもあるだろう。世界中のどこで起こるか判らないのだ。

今回の金融危機は問題とされた債権「細かく世界中にばら撒かれてしまった」ことによって被害は大きくなり拡散したが、China Pollutionが確実に拡散してしまえばこれと同じようなことが起こらないとは限らない、ということを今から懸念しておくべきだろう。


今でもハッカー天国と化しているのが、中国やロシアではないかと思うが、そういう活動にも当然全てが役立つのでは。セキュリティのコードを知ることができてしまうようになるからだ。ハッカーは中国語で「発家」だの「破家」と書くかどうかは知らないが、国家による専門ハッカーを大量に送ることもできるようになるであろう。
先日も米国の国防省のネットワークから設計図関係を盗まれた可能性が報じられていたと思うが、ああいうことが頻繁に行えるようになる、ということだ。