「確かに注意が必要」というのは、その通りだろうね。
FTの記事でも注意喚起があったが、「浮かれるには、まだ早い」というのは政策担当者たちならば、特にそういう注意深さが求められるであろう。
白川総裁も同じく気を引き締めるよう促していたらしい。
>「偽りの夜明け」を本当の回復と見誤らない注意必要=日銀総裁(ロイター) - Yahooニュース
(一部引用)
日銀が24日に発表した講演の邦訳によると、白川総裁は「日本経済は1990年代の低成長においても、何度か一時的な回復局面を経験したが、このことは経済がついにけん引力を取り戻したと人々に早合点させる働きをしたように思う」と指摘。その上で「これは『偽りの夜明け』とも言うべきものだったが、人間の常として、物事がいくぶん改善すると楽観的な見方になりがちだ」と述べ、一時的な回復を本当の回復と見誤ることに警鐘を鳴らした。
ただ、「終わりのない経済危機というものはない」とも強調し、「中央銀行は積極的な金融緩和からの適切なタイミングでの脱出も、意識しておかなければならない。脱出が遅れると、より悪い状況への入口に既に足を踏み入れている可能性がある」と出口戦略の必要性も訴えた。
白川総裁は、日本の「失われた10年」の教訓として、1)大胆だと思って採った行動であっても、事後的にみれば必ずしも大胆ではなかったという場合がある、2)政府や中央銀行による危機管理対応が、経営に失敗した銀行を救済するためではなく、金融システム全体を救うために行なわれているということを、しっかりと説明し、国民の理解を得る必要がある、3)マクロ経済政策は、経済の急激な減速に立ち向かう上で鍵となる役割を果たすが、万能薬ではない──の3点を指摘。
その上で金融危機管理の政策対応として、1)流動性の潤沢な供給、2)信用市場の機能の支援、3)マクロ経済政策による有効需要の喚起、4)公的資本の注入とバランスシートの不確実性の除去──の4点を挙げ「この4つの領域で効果的な措置が講じられなければ、経済は一段と厳しい調整を余儀なくされかねない」と強調した。
=====
中々いいことを言っているが、3つの指摘をもう一度書けば、
①大胆な施策と思っても、事後的に見ればそうでもないかも
②金融システムを救済する為という説明と説得が必要
③マクロ経済政策はkeyではあるが、万能薬ではない
ということ。まさにその通り。
一時的回復局面で、「真の夜明け」と勘違いしないように、というのも仰るとおりですね。暗い海の底に沈んでいるのに、まだ浮かび上がれてもいないうちから「視界が明るくなってきました」とか言っても、底の方に沈んでいるのには違いがないわけで。どこまで沈んでゆくか判らない、という状態から、どうやら沈んで行くのは止まったようです、というくらいに変化した程度ということですから。
けど、一筋の光明とはいえ、それを希望の兆しと感じるのには理由があるわけで、常にネガティブな知らせばかりでは人間のやる気も失せるというものです(笑)。ぬか喜びの場合だと、かえって「ダメだった時」の失望が大きくなって、ダメージが大きいとか、そういうことがないとも言えないのかもしれませんが。
よく映画なんかでも、この道を行けば脱出できそうだ、みんな助かりそうだ、という時に、行き止まりとか更なる困難に直面したりして、さっきの「助かりそう」と喜んだが故に、余計に「もうダメだ」と落胆が大きくなる、といった展開はありがちですからね。
欧米金融機関の損失額が4兆ドル規模ということらしいので、この傷跡が甚大であるというのはその通りであろう。メガ津波級だというのも、頷けるよ。
そうなると、リカバリーとか調整期間は深く長い、というのも当然予想されるわけだ。スポーツ選手の出口の見えない超スランプみたいなものだな。果てしなく続く、暗く長いトンネルということになる。辛くとも、この長い道のりを乗り越えない限り、夜明けはやってこない、スランプの出口には到達できない、というのも理解できるよ。
だけど、多くの普通の人々はそんなに強靭な精神力の持ち主ばかりではないだろうと思う。耐えられえる力も、ごくごく普通の、ありふれた水準でしか持ち合わせていないであろう。そういう時、「これから進むトンネルは出口も見えず、どれくらいあるか判らないけど、突き進むしかない、だから、死ぬかもしれないけど歩いてくれ」とか言われても、希望が見出せないだろうと思う。皆さんはどうであろうか?
小さな小さな一点の光であろうとも、一条の光が差し込むなら、その光源に向かって歩けばきっと出られる、と思えば歩みは楽になるのではないかと思うのだが。それは私の場合そうだろうな、という話なのだけれども。
なので、「まだまだ真っ暗だぜ」「先は光が見えないぜ」という悲観的なニュースは、心のどこかに留めておけばいいのではないかと、個人的には感じている。
勿論、政策担当の人たちは、もっときちんと正確に状況を把握し正しく対処してくれればいいことです。ぬか喜びが間違っているよ、ということなら、そういう慎重な警告を適切に発してくれればいいのではないでしょうか。
これまでの日本の経済運営において、そうした正しい対処がどの程度なされてきたかと言えば、未だに達成されてはいないとしか思えないわけですが(笑)。危機の過小評価なんかは、まさにその通りでは。
FTの記事でも注意喚起があったが、「浮かれるには、まだ早い」というのは政策担当者たちならば、特にそういう注意深さが求められるであろう。
白川総裁も同じく気を引き締めるよう促していたらしい。
>「偽りの夜明け」を本当の回復と見誤らない注意必要=日銀総裁(ロイター) - Yahooニュース
(一部引用)
日銀が24日に発表した講演の邦訳によると、白川総裁は「日本経済は1990年代の低成長においても、何度か一時的な回復局面を経験したが、このことは経済がついにけん引力を取り戻したと人々に早合点させる働きをしたように思う」と指摘。その上で「これは『偽りの夜明け』とも言うべきものだったが、人間の常として、物事がいくぶん改善すると楽観的な見方になりがちだ」と述べ、一時的な回復を本当の回復と見誤ることに警鐘を鳴らした。
ただ、「終わりのない経済危機というものはない」とも強調し、「中央銀行は積極的な金融緩和からの適切なタイミングでの脱出も、意識しておかなければならない。脱出が遅れると、より悪い状況への入口に既に足を踏み入れている可能性がある」と出口戦略の必要性も訴えた。
白川総裁は、日本の「失われた10年」の教訓として、1)大胆だと思って採った行動であっても、事後的にみれば必ずしも大胆ではなかったという場合がある、2)政府や中央銀行による危機管理対応が、経営に失敗した銀行を救済するためではなく、金融システム全体を救うために行なわれているということを、しっかりと説明し、国民の理解を得る必要がある、3)マクロ経済政策は、経済の急激な減速に立ち向かう上で鍵となる役割を果たすが、万能薬ではない──の3点を指摘。
その上で金融危機管理の政策対応として、1)流動性の潤沢な供給、2)信用市場の機能の支援、3)マクロ経済政策による有効需要の喚起、4)公的資本の注入とバランスシートの不確実性の除去──の4点を挙げ「この4つの領域で効果的な措置が講じられなければ、経済は一段と厳しい調整を余儀なくされかねない」と強調した。
=====
中々いいことを言っているが、3つの指摘をもう一度書けば、
①大胆な施策と思っても、事後的に見ればそうでもないかも
②金融システムを救済する為という説明と説得が必要
③マクロ経済政策はkeyではあるが、万能薬ではない
ということ。まさにその通り。
一時的回復局面で、「真の夜明け」と勘違いしないように、というのも仰るとおりですね。暗い海の底に沈んでいるのに、まだ浮かび上がれてもいないうちから「視界が明るくなってきました」とか言っても、底の方に沈んでいるのには違いがないわけで。どこまで沈んでゆくか判らない、という状態から、どうやら沈んで行くのは止まったようです、というくらいに変化した程度ということですから。
けど、一筋の光明とはいえ、それを希望の兆しと感じるのには理由があるわけで、常にネガティブな知らせばかりでは人間のやる気も失せるというものです(笑)。ぬか喜びの場合だと、かえって「ダメだった時」の失望が大きくなって、ダメージが大きいとか、そういうことがないとも言えないのかもしれませんが。
よく映画なんかでも、この道を行けば脱出できそうだ、みんな助かりそうだ、という時に、行き止まりとか更なる困難に直面したりして、さっきの「助かりそう」と喜んだが故に、余計に「もうダメだ」と落胆が大きくなる、といった展開はありがちですからね。
欧米金融機関の損失額が4兆ドル規模ということらしいので、この傷跡が甚大であるというのはその通りであろう。メガ津波級だというのも、頷けるよ。
そうなると、リカバリーとか調整期間は深く長い、というのも当然予想されるわけだ。スポーツ選手の出口の見えない超スランプみたいなものだな。果てしなく続く、暗く長いトンネルということになる。辛くとも、この長い道のりを乗り越えない限り、夜明けはやってこない、スランプの出口には到達できない、というのも理解できるよ。
だけど、多くの普通の人々はそんなに強靭な精神力の持ち主ばかりではないだろうと思う。耐えられえる力も、ごくごく普通の、ありふれた水準でしか持ち合わせていないであろう。そういう時、「これから進むトンネルは出口も見えず、どれくらいあるか判らないけど、突き進むしかない、だから、死ぬかもしれないけど歩いてくれ」とか言われても、希望が見出せないだろうと思う。皆さんはどうであろうか?
小さな小さな一点の光であろうとも、一条の光が差し込むなら、その光源に向かって歩けばきっと出られる、と思えば歩みは楽になるのではないかと思うのだが。それは私の場合そうだろうな、という話なのだけれども。
なので、「まだまだ真っ暗だぜ」「先は光が見えないぜ」という悲観的なニュースは、心のどこかに留めておけばいいのではないかと、個人的には感じている。
勿論、政策担当の人たちは、もっときちんと正確に状況を把握し正しく対処してくれればいいことです。ぬか喜びが間違っているよ、ということなら、そういう慎重な警告を適切に発してくれればいいのではないでしょうか。
これまでの日本の経済運営において、そうした正しい対処がどの程度なされてきたかと言えば、未だに達成されてはいないとしか思えないわけですが(笑)。危機の過小評価なんかは、まさにその通りでは。